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余韻

2016年07月21日 23:41

お茶会が終わり、まだ余韻に浸っている。LINEで繋がっているお茶会メンバーからは、各々感謝や反省のコメントが飛び交う。私は、自分がお手前した時の御正客さんに、御礼状を書いた。当日、茶碗の名がわからず「後で調べてお伝えします」と述べたからであるが、何より、感謝の言葉を伝えたかった。

その方は、50歳くらいではないかと推測されるが、小柄で、可愛らしく、しかし、正客するその立ち振る舞いは、恐ろしいほど大きく、優しいものだった。その一挙手一投足に、私は惚れ惚れした。

お茶会を亭主として経験し、感じたことがある。

よいお茶をするためには、お茶に専念し過ぎない方がよいのではないか、ということ。単純に話題が増えるということもあるが、お茶は、各々の性格が諸に出る。皆が、家元と同じお手前が出来たら怖いわけで、故に、それぞれが各自の趣向で生き、思考した方が、よいお茶が出来るのではないかと思う。

日常において、背筋を伸ばすようになった。歩き方も、しっかりゆっくり、遠くを見て。すると、自然と手の指の先がそろってくる。また、小さなことでも、お茶の心で考えるようになる。そうすると、必然的に他人を想うことになる。

お茶会を経験すると、身体を通して、何か浄化されたような、すっきりとした気持ちになるものである。


拝啓、静岡のYくん

コメントありがとう。
パラダイムシフト、という程大それたものではないけど、少なくとも、お茶をやっている時は、頭で物を考えないので、パラダイムシフトかどうかもよくわからないですね(笑)
最近面白い現象は、お茶仲間は、僕のことをSくん、Sさん、と呼ぶのです。逆に、私の名前が漢字で書かれていると「Kって誰だっけ?」となります。
とりあえず、今の僕にとって、お茶はとても重要なものになっていることは確かですね。

それから、以前から「風のイエ」という構想がありました。それは、私が追い求めた建築の理想的プロトタイプでしたが、最近、全く考えないようになりました。宙に浮かんだイエは、地上に降り立ち、自然に溶け、今は、身体の背景に透けて見えます。それはある意味、本質的に風のイエの役割を果たしたのかもしれませんし、「イエ」は「家」となったのかもしれませんね。
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コメント

  1. 静岡のY | URL | -

    Re:余韻

    こちらこそコメントありがとう。
    ポルコの言う通り、自分を客観視してない(する必要のない)状態では、パラダイムシフトとかどうとかそんなの関係ないのかも知れないね笑。こちらの頭がまだまだ固い証拠だな。。
    「風のイエ」は、もしかしたらこれからもずっと変わりつづけるていくのかなと思ってます。またいつか形となってみられることを密かに期待しておきます笑。(変なプレッシャーを与えるつもりではありませんが)
    それと、日常動作について。実は昨日妻に「あなたは仕事中無駄に力が入りすぎている。電話の声も、パソコンのキーボードを打つ音も、歩き方も、自然じゃない。」と言われました。
    良い建築をつくるとか、社会的に評価されるとか、そんなことの前に、まだまだやることがありそうだな。
    そんなことを考えている矢先に読んだポルコのブログに、ちょっとヒントをもらった気がしています。
    勝手に色々書きました汗。それではまた。


  2. 静岡のY | URL | -

    Re:余韻

    度々失礼します。
    それともう一つ。
    我が母校の大学が建築系の学科を統合する際に、統合後の初代建築学部学長に建築学科意匠研のH先生(わかるかな?)が就任するそうです。
    学生時代からH先生は作品も学生に対する振る舞いもすごく信用してて、関わりはほとんどないけど好感を持ってました。
    それはもしかしたらH先生の趣味(?)である茶道に依るところが大きいのかな、なんてことも考えていました。
    それでは。

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