ただ、生きる。

2016年04月17日 19:56

滅入る毎日である。同じことを毎週書いているが、書くことが重要だと思う。記録すると、いつか再読できる。すると、かつての自分と対話できる。考えてみれば、これまでだって、仕事は苦痛だった。苦痛というか、憂鬱といった方が良いであろうか。大方、定例に行くのは、どこか溜息交じりだったし、社内でも同様であった。実家にいた頃は、母親に「あんた良くそんなにため息ばかりついていて、痩せないわね」といわれる程だったのだ。

ブログの書き方、いや、ブログの意味が、かつてから大きく変化した。ブログを始めた頃、会社に入った頃、会社に入り仕事を始めた頃は、文章が長く、退屈で、言い訳がましい。特定の人に対する批判もある。今読むと、辟易する。

それは、おそらくだが、あの頃は、自分のことを理解してくれる人が限りなく少なかったのだ。少なくとも、私にはそう思えたのだ。だから、自分の正当性(これは否応なく主張しなければいけないものなのだ)を論じる為には、社会的な情勢を「客観的」に分析し、構造的に咀嚼し直し、論を再構築することをしなければならなく、そこに他人は介在しなかった。

昨日、お茶の稽古の後、りょうくんやかずみさんとのお話は、とても楽しかった。かずみさんが久々に東京に行くため、新幹線口から山の手線までの乗り換えについて、教えた。それから、着物の話や骨董市、掛け軸や当日のお稽古について。会社で同じ話題が出ても、私は閉口するような気がする。お茶の仲間は、私は好きである。安心感がある。それは、自分の好きなことを共感してくれるから、である。

最近、ブログの文章が短い。日々多忙で、備忘録を残す程度しかできないこともある。でも、もっと大きい理由は、わざわざ社会的に、構造的に、哲学的に考察しなくても、自分の好きなものがあり、好きなことがあり、それに共感してくれる人がいるというということ、自分自身で自らを肯定化しなくても、そこに、その人たちの輪に、自分がいるということ。それである。

辛い毎日である。でも、自分のことで頭がいっぱいいっぱいであると、日本や海外では大きな自身が起き、たくさんの人が苦しみ、悲しんでいる。会社でも、一緒に働いていた人が、精神的に滅入り、会社に来れなくなってしまった。現象は、気づかないところで常に起き、他人の痛みに気づくことは、とても難しい。

それでも、日々生きるのです。ただ、生きるのです。怒られても、罵倒されても、鼻で笑われても、ただ、自分の前に世界があり、他者がおり、怒りや悲しみや喜びがあり、生きるのです。ただ、歩き、振り返れば風景が流れ、気がついたら時間が過ぎていく、過ぎ去っていくのです。

気づけば、嬉しいこともあります。メダカが卵を孕んでいました。それだけではなく、水草に卵を付着させていました。今年はなかなか生まないと思っていましたが、気づいたら、もう生んでいました。
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