下手であるということ

2015年10月18日 19:59

最近、私の携帯は悲鳴をあげているらしい。あまり理解しているわけでもないのだが、パケット通信料がオーバー(?)しているらしく、容量をあげない限り、通信速度が下げるらしい。といっても、特に何も手続きはしなくても、日常使いと変わらないが・・・

その要因は、Youtubeを観て・・・いや、聴いているからである。最近は、なぜかドラマ「古畑任三郎」を何回も聴いている。良くできたテレビドラマだと思う。こういったコミカルな、大衆的なドラマを生み出せるのは、やはり天才だと思ったり・・・

音楽も聴いている。先日は9月ということもあってか、竹内まりやの「September」。今月は特に理由はないが、古内東子の「Beautiful days」。しかし、やはり心情とマッチしており、先月はどこか季節が移ろう寂しさを、今月は、温かい冬への光を感じるような、そんな時間だった。

竹内まりやや、古内東子の唄を聴きながら、思う。彼女らの声は、どこか現代に消費されないものがあるようにと。その要因は何かと考えると、彼女らは、一歩間違えれば「下手」ではないかということ。声に特徴があり、何というか、単なる美声ということだけではなく、多様性がある。彼女らに声が似ている人が歌を唄ったら、結構下手だったりするのではないかと。

女優もそうである。ある時期から、田中裕子の存在の大きさを強く思ったが、彼女は美人であるが、と同時に庶民的にもなれる。しかし、田中裕子似の人がいたら、結構庶民的で存在感のない顔立ちだったりするのではないだろうか・・・。

全て憶測であるが、何となく思うことは、現代は、あまりに無難に上手いもののみをすくい取り、下手なものを排除しがちであるということ。そのために、確かに上手いし、きれいだが、時代に消費されやすいものばかり、市場に溢れているのではないかということ。

無論、市場経済とはそういうものであろうから、当たり前のことなんだろうけども、でも、それはやはり、ちょっとつまらないと思うわけで・・・
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