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私の古典

2015年10月12日 23:01

『住まいの探求 増沢洵:1952-1989』 を読む。

151011.jpg

ずっと探していて、ヤフオクでやっと見つけ、即購入した。増沢洵と設計事務所設計の住宅建築を、作品集としてまとめている。読んでみて、改めてこの建築家は信頼できると思い、自分自身の、建築家としての指針にしようと思った。

作品と、彼が書いた文章を読むと、大きく2つ気がつく点がある。

ひとつは、彼の思考について。1952年から1989年といえば、戦後モダニズムからメタポリズム、ポストモダンと、さらにポストモダンの終焉が謳われる時代、それを横断しておきながら、彼の思考は常に一貫している。それは、所謂「時代性」というものに、ほとんど影響を受けていないような、そんな印象を受ける。いや、逆説的にいえば、彼ほど時代に影響を受けている建築家もいないともいえる。彼は、経済性について、他の建築家と比較するとしつこい程言及している。普遍の建築を目指しているように思えながら、その時代の規格品をどのように採用するか、実によく考えられている。それはいわば、物語としての「時代性」に興味がないということかもしれない。それは、行ってみれば頭のいい文化人が描いた物語でしかなく、(大文字としての)建築家の延命手段でしかなく、しかし、彼はまったくそれに乗ってこなかった。

もうひとつは、彼の設計した住宅について。語弊を恐れずに言えば、彼の住宅はほぼ4パターンしかないのではないかということ。
①平屋ほぼ一室空間(「コアのあるH氏の住まい)等)
②吹き抜け2階建てほぼ一室空間(「自邸」等)
③ピロティによる、上層平屋ほぼ一室空間(「CASE STUDY HOUSE No.3」等)
④2階建て大屋根(一連の大屋根住宅)
(※その他、合理的な上下階同一ヴォリューム積層型もあるが・・)

私は以前、彼の建築を考えた際「まず空間がある」ということを考えた。それは、①~③について考えたものだった。①~③の代表作は、そのまま彼の傑作と呼ばれ、④については、あまり評価を聞かない。この本を読み、④は①~③の統合ではないかと、勝手に考えた。①~③は、住宅設計条件としては、特異な方である。
逆に、2階建てで、共用スペースを1階、個室を2階に設けることは、とても一般的である。彼のすごい点は、それを否定しないということである。至極庶民的で、素人的な発想の建築ダイアグラムであっても、彼は施主がそう望むのであれば、そして、それが社会的に流通し何かしらの意味があるのであれば、そこには乗る。言ってみれば、1階に共用スペース、2階に個室という、現代住宅の一般化では、「名作」は生まれづらい。全体の形態は安定的で緊張感のないヴォリュームとなり、内部空間の躍動性もないが、彼はそこにこそ、建築の意味を見出していたような、そんな気さえ起きる。

私の解釈よりも、彼の言葉を記しておいた方がよっぽどよい。

「所求第一義」(中略)この言葉を私は私なりにこう理解しています。「今なにが大切かを考え、大切なことを大切に考え続けなさい。そして、大切でないことを大切そうに考えるのはやめなさい」

事を定め、それを実行していくには、頭と体を一緒に使う、自然を大切にする、よい建築を目測する。

設計が対象とするすべてのものは矛盾の上に成り立っているからである。

昨今かつての機能主義建築に対する反省がしきりになされているが、私は機能主義の建築のいたらなかったところは、機能主義によって補っていきたいと思っているのである。

棟上げの日は、たいがい、棟上げの時がよくてね、だんだん悪くなるんですけどね(笑)。まあ、それは余談にしても、棟上げで勝負できる家がいいんじゃないかとね。

やはり図面っていうのは正直だと思うんですよ。明快に描けば現場の作業も明快にできるんですね。それはやはり、現場主任さんなり何なり、やってくれる職人さんが、読んで何か感じてくれると思う。さっきその我慢するっていうのが必要だという話があったけども、我慢しながら描いているわけね。それで、これを描くのに我慢しているんだよっていう気持ちまでわかってくれると嬉しいんですよね。だから例えば現場から施工図を持って来ますよね。あれはみんなフリーハンドで直して、ダメなところは、赤なんかつけて返すでしょう。でも僕はあれば良くないと思うんですよ。そういう雑な感じが現場に伝わって、いい影響はないと思いますよね。僕は現場から返ってきた図面っていうのは、わざと、それはイジワルかもしれないけど、執拗に直しますよ、正確に。で、書き入れ字もすごく丁寧な字を書いて、これでやってくださいという気持ちで返すわけね。
(中略)
これを描くのにこのくらい苦労しているんだっていう、苦労の度合いをわかってもらいたい。そうするとつくる側も、ちゃんとつくりましょうって気になるんじゃないかな。だから図面は、雑な感じで描かないようにしたい。ただ非常に個性豊かな人が描くのは、いいとは思うんですけどね。それでもやはり普通に描くのがいいと思いますね。

単純性というのは芸術における目標ではない、しかし事物の真の意味に近づくと誰でも自分自身に反して、単純性に到達してしまう。

木造住宅では、真壁か大壁か迷います。でも、真壁のほうが造形的にやや優位のように思います。また仕上げられた天井よりも、床組や小屋組があらわれている構成に魅力を感じます。その理由をひと言でいうと、双方ともはりぼてでないからです。
(中略)
そこには現実を超えたひとつの世界をつくりだすリズム、あるいは秩序へのあこがれとそれをつくりだす喜びがあり、それが芸術性を高めてゆくのではないかと思います。あいまいに仕上げられる壁、床、天井、すなわちはりぼての建築では現実の世界を超えることはできないと思うのです。

といって自分がつくるものをうまいとも思いません。うまいかまずいかといえばまずい、いつもうまい人がいる筈だと思っています。そういうわけで、はじめからうまいものをつくろうとは思いません。よいものをつくろうと思います。よいものはひょっとするとうまいものになるのではないかという期待はちょっぴりありますが、今まで期待どおりになったことはありません。それでもよいものをつくりたいと思っています。
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