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152_亀山本徳寺(兵庫県姫路市)

2015年05月02日 10:24

永正12年(1515年)、蓮如配下の空善が飾磨郡英賀の英賀城下に本堂(英賀御堂)を開山したのを始まりとする。その後、在地の勢力である播磨三木氏の庇護のもと発展したが、天正8年(1580年)の豊臣秀吉の三木通秋の守る英賀城攻めに先立ち、戦火を避けるために秀吉に寄進された亀山へ移された。現在の伽藍の一部は、英賀から伽藍等を解体し亀山へと移したものという。慶長7年(1602年)に浄土真宗は東西に分裂。当寺は姫路城に入った池田輝政の政策の下で本願寺派に属した。池田氏に代わって本多氏が姫路城主になると、元和4年(1618年)に真宗大谷派が当寺から分立し姫路城下の船場へ移った(現在の姫路船場別院 本徳寺)。その後亀山は、播磨国における本願寺派の根本道場として発展することになる。江戸時代には西国総録所として傘下に380余の寺院を擁した。明治時代以降は本願寺派の別格別院となり、戦後は同派由緒寺の扱いとなって現在に至る。
(wikipediaより)

社寺建築を見るときは、下調べはさほどせず(というか、以前に「行こう」と思う時点では調べているのだが、行く頃には忘れてしまう)、現地に行ってから、案内を見て知る。意外にこれは悪くなく、第一印象として、まず建築や風景そのものの美しさを感じることができる。社寺建築は様式とか時代とかそういうものではなく、出会った時の瞬間で、その善し悪しが決まると思っている。「機能性」と標榜する近代建築と異なり、単に拝みたくなるかどうかで、その建築や環境としての質が問われる。
この寺院に関して言えば、それが著しく良かった。まず、玄関に飾られた生け花。私はこれを見た瞬間、ここへきて良かったと直感する。建築ではないが、建築である。建築は花を惹き立て、花は建築を祝福する。
また、妻入りの本堂は、誰もいなかったため、その恐ろしいほどの静寂さと対峙することができた。歴史年表を見ると、なるほど立派なお寺である。でも、私はそれ以上に、立派なお寺であると感じた。

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