愛車について思うこと

2015年04月30日 21:34

昨日、岐阜県の社寺を5つ程廻った。車で、である。車を購入したひとつの理由は、電車では行きづらい社寺建築があるからで、車なら融通が効くだろうと考えたことにある。それを、いざ実践したわけである。

iPhoneのカーナビを使い、高速はまだこわいので国道を走って、目的地を行く。確かに、電車にはない、点と点とを結ぶ合理性はあるが、常に気を張っているため、なかなか疲れた。ましてや、ここは交通事故最多の愛知県。ゆったりと運転させてもらえないこともある。といいながら、運転にはそれなりに慣れて、とりあえずナビがあればどこへでも行かれるような状態にはなった。

暑過ぎず、ちょうど良い天気だったため、ここぞとばかりオープンカーにしてみた。これが何とも気持ちいい。風が抜けていくのではなく、全身を風がまとうような、そんな感覚である。夕方頃には涼しくなったため、身体が冷えたのでクローズ状態にしたが、大変さも含め、「走っている」という感覚があった。

実際に走ってみて、面白かったこと。

運動公園の駐車場に止める際、野球帽をかぶった小学生たちが「何あれ!超かっけー!!」と遠くから叫んでいたり、老夫婦が受付をするお寺の駐車場では、電動でクローズする屋根を見て、ジェスチャーで話していたり、信号で止まっていると、隣に止まったあんちゃんに「給油口の口空いてるでー!」と教えてもらったり、普通ではないだけに、周りのリアクションが面白い。建築もそうだが、オープンであることは、接点を広げる。しかも、走っている本人からは視覚的にはクローズ状態とさほど変わらないため、あまり恥ずかしさのようなものもない。

困ったことといえば、大きな蜂が入ってきたこと。オープンであることは、人以外にもオープンであるため、仕方がないが想定外だった。

オープンカーは屋上庭園と似ている。そうしなければいけない必要はなく、非経済的で非合理的。日本の気候にも合わない。ある意味、忍耐である。でも、超スピードで、一時の風景の美しさや、空気と一体化されるということは、機械時代が獲得した、人間の贅沢であると思ったりもする。

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