スポンサーサイト

--年--月--日 --:--

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

仕事について

2014年10月04日 20:54

名古屋に来て、半年が過ぎた。担当した案件はほぼ一案件であるが、誰もが認める面倒臭い案件で、それなりに苦労している。

働きながら色々と思うことがある。

例えば現場について。今の案件は、設備別途で、かつ建築も設計は別会社で、あくまで我々は下請けとして働いている。しかし、実際は下請以上のことをやらされているという状況なのだが、現場は始まっても常に変更変更で、現場としては常に頭を抱えている。工事長に変更を伝えると、「またぁ!?そこもうやっちまったよ~!じゃあまた壊すんかい!?寂しいねぇ、先生」といった感じである。私は下請なので、全体のスケジュールをコントロールする立場にはいないので、私に罪はないのだが、この「寂しいねぇ」という言葉は、私は結構好きである。以前、初めて一人で設計・監理を行った案件は、現場主任がどうしようもなく仕事をしたくない人だったため、常に言いあいであり、途中からは呆れて口論もしなくなった。「寂しい」という言葉は、そこに何かしらの愛がなければならない。電話がある度に大声で吠えられるのであるが、そんなことを感じた。

また、下請のため、「設計協力」という形で、私の立場はある。名前はどこにも残らない。ただ、実際に検討しているのは我々である。それは、決して劣等感を感じることもなく、立場の優劣もどうでもよく、ポンポンと仕事を振られることにはしばし頭にきても、「実際に作っているのは私たちだ」という意識がある。私の仕事は、たくさんの下請業者がいて成立している。時々、彼らに対し、何か出来るかと思うこともあったが、そういう考え方自体が、むしろ安易なのかもしれない。仕事は肩書ではない。

今、施主要望でめちゃくちゃなスケジュールでCGを何枚も描いているのだが、東京にいた頃は自分で描いたが、今は別業者である。厳しいスケジュールでも、笑顔で「なるほど。とりあえずやってみます」と言ってくれる。もちろん、この笑顔だって純粋な人間関係ではなく、背景にはお金のやり取りがあるのだが、それでも、私は助かっている。出来る限りスケジュールに余裕が生まれるよう、CG作製用の資料を早急にまとめることが、私にとっては重要なことである。

逆に、私の付いているCADオペさんは、建築を知らないどころかCADを使えない。私が異動してきた頃は表情に余裕があったが、今では疲弊している。他の仕事がどうかは知らないが、仕事を覚えるということは、それなりに時間と労力が必要であり、かつ、そのための時間をゆっくり割いては貰えないため、「そんなことも知れないのか!!」と怒られながら、焦燥感のなかでひとつひとつ覚えていくのである。そして、そうして覚えた事は(怒られた記憶と重なることもあり)忘れないのである。

仕事について偉そうに語れるほど、まだ働いてはいない。ただ、仕事によって多くのことを得ているのだと、今は感じる。入社した頃は、失うものの方がよっぽど多い気がしたが、今は、それは自分次第だと思える。
スポンサーサイト


コメント

    コメントの投稿

    (コメント編集・削除に必要)
    (管理者にだけ表示を許可する)

    トラックバック

    この記事のトラックバックURL
    http://porcorossolecorb.blog10.fc2.com/tb.php/1458-b574103c
    この記事へのトラックバック


    最新記事


    上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。