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誰も見えない。なにも聴こえない。

2014年08月19日 23:24

あの人に三島由紀夫自邸の写真を見せた時、それは明らかに、その煌びやかな白亜の洋風の夢を誘うための「道具」だった。

・・・今になって思うと、何をそんなに必死になっていたのかと思うほど、私の意識は反れていた。それが「本質」でなくとも、問題ないと考えていた。いや、決しても問題であるわけではない。少なくとも「その時」は・・・。

幼いころから、同世代と付き合うことが苦手だった。年の離れた人の方が付き合いやすい。昔も、今も変わらない。その理由は、今はっきりとわかる。年が離れている(つまり社会的に立ち位置が異なる)と「本音」を語らなくても許される。上司の話を聞いてあげるのは、それはその人が「上司」だからである。そこに、それ以上の意味はなくても、成立する。しかし同世代であれば、本音を語らないことは、その人を信用していないことになりかねない。なぜなら、同世代であれば「本音で語れるはず」だからである。

いつだったか、東京にいた頃、強引に会社の先輩に飲みに担ぎ出され、哲学めいたことを話した。自発的に述べたわけではなく、とある上司が話したことに対し、自分なりに意見を述べただけだ。それは、その場にいた人たちに強烈な印象を与えたらしい。「三島由紀夫」という単語を出すだけで、「ちょっと変わった人」になってしまっていた。

先日、京都で出会った建築家とは、久々に本音で会話ができた。とても幸運なことである。

最近は、少しずつ、自分の感情を開けるようになっているように思う。30歳になって何を今更なのだが、30年かかったのである。「大人の階段」ではないように思うけど、日々の変化を感じる。

ふと気づけば、この暑さも過去のものになろう・・・

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