ペラペラな辟易

2014年07月05日 21:51

建築の設計をしていて、どうも辟易してしまうことがある。

「見せ場」という言葉をよく聞く。「この建築の見せ場はどこか?」と上司に問われる。私はこれがどうも好きになれない。建築を構成する室のなかに、優劣は存在しない。少なくとも、私のなかには存在していない。ただ「事務室だけは、いやエントランスだけはせめて曲げ物じゃなくフラットバーを使おう」など、そのような考え方が、私の廻りではもはや一般化している。

これは、結局のところ建築を「作品」と捉え、良い写真を撮れるかどうかが建築を考える物差しになっているように思えてならない。

はっきりとした詳細は忘れたが、ロシアかどこかで、王様がとある通りを歩くのに際し、建物の表層だけ豪華な造りにしたという話があった。私はこの話が好きであった。大学で建築を学んでいた頃、あまりにも綺麗事が並べられている周囲の状況に(逆に)苛立っていたため、このような建築の邪悪な部分は、ある意味心地よかったのである。

ただ今考えてみると、それは化粧だけで表情を作り、そこには「佇まい」がない。

これも誰かの言葉だが、椅子の本当の美しさは「後ろ姿」であると言っていた。私はこれがよくわかる。後ろ姿が美しい椅子は、座りづらかろうが、それは美しい椅子と呼びうる。

あたかも、いろんなことを知っているかのように書いてしまったが、色々なものがペラペラになっているように思える。宮崎駿が引退会見で「最近の(テレビの)人は存在感がない」と言っていたことを、ふと思い出した。

スポンサーサイト


コメント

    コメントの投稿

    (コメント編集・削除に必要)
    (管理者にだけ表示を許可する)

    トラックバック

    この記事のトラックバックURL
    http://porcorossolecorb.blog10.fc2.com/tb.php/1380-4a053b45
    この記事へのトラックバック


    最新記事