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「お遊び」だとしても・・・

2014年06月14日 21:41

三島由紀夫の『金閣寺』を読んだ時、この小説がかなりすごいと感じた部分がある。青年が金閣寺を焼こうとするまさにその時、全てが満たされた瞬間が訪れる。しかし、友人の「結局は精神じゃないか」という言葉に刃向かうように、彼は「行動」に出るのだが・・・。

私自身、行動が伴わない思想は、ある意味弱いと考えていたことがあった。精神上の話であれば、どうにでもなるし、外から見れば、ある種の諦めのようにも思える。しかし、この青年を照らして自分を見れば、結局は見栄と虚栄心に寄るものではないかともとれる。

私は学生時代、「最も人間が自由である瞬間は、高層マンションから飛び降りる時、加速しているときではないか」とポロっと言ったら、周囲が真剣に心配し出したことがあった。飛び降りてはいけないが、その時の精神は、何よりも自由ではないかと。

表現は違えど、理屈は同じであると感じる。でも私は、例えばそれが観念上のお遊びであっても、絶望がただの「お遊び」で処理できるのであれば、とてつもない能力ではないかと感じたりする。イマジネーションと言ってもよいかもしれない。

そんなことを思った。

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