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日常の答えのない、永遠の問い

2014年05月18日 19:56

いつも、どうも悩んでいることがある。悩んでも答えがないことだけはよくわかっているのだが、考えてしまう。

ユートピアは、やはり実現しないからユートピアなのか、ということ。

三島由紀夫の金閣寺を読み、その問いについて、また考えてしまったのだが、頭を悩ませてしまうのである。
今、社寺の勉強をしているが、それにて、かなり精神的に満たされていることを感じる。社寺とは、何かを得るというか、感じるものであると考える為、決して建築家がその神ではなく、そこに訪れる人ひとりひとりが、各々の建築を想像するのである。無論、どんな建築だってそうだろうけど、社寺建築は(ある意味で)民衆の為の建築ではないため、逆説的にその趣が強いと感じられる。つまり、社寺という理想が彼岸にあるのならば、日常を生きることができる。考えたら、社寺設計に進めたところで、そこで共に汗を流す人々に、建築の理想がなければ、結局は落胆に終わってしまうかもしれない。

このGW、石井一男の絵を探しにギャラリー島田へ行った。もともと事前連絡で、今は見ることができないことは知っていたが、それでも時間が余ったこともあり、足を運んだ。石井さんの絵は、以前文京区で見ることができた。そして、特に感動も何もなかった。しかし、あれから時間が経ち、今その風景を思い出してみると、とても美しく思えてしまうのである。ギャラリー島田では、石井さんの作品集を購入した。購入してから気づいたが、なかに石井さんのサインがあり、このサインを書いている石井さんの姿を想い、初めてサインというものに感動を覚えた。

太田光が、金閣寺について批評しているYoutubeがあった。聞いてみると面白い。自分の感動と似ているところもある。ひとつ、全く違ったのだが、彼は金閣寺という「現在でも美しいはずなのに、どうしても美しくみえない金閣寺」を焼くことで、金閣寺の美しい過去や未来と共に、平凡な日常を生きることを決めたのだと言っていた(多少私の解釈が入っている)。

一番面白かったのが、相方の田中が、安易に同意することだった。この感じは、私も学生の頃感じることがあった。他人に理解されたいという欲求もあるのだが、安易に認められると、違和感を覚えた。太田がえらいところは、彼は「結局面白くなければテレビじゃない」という、俗世間的な世界に身を置くことであろう。その意味で、私は爆笑問題はとても興味深く思えるのである。

爆笑問題・太田光が、三島由紀夫の代表作「金閣寺」をぶった斬る!
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