学び

2014年04月29日 21:13

社寺の学習を集中して行っている。というか、社寺以外の勉強をしていない。私の人生の中で、ひとつの分野のみに特化し学んでいることは、初めてではないかと思う。そうだからこそ、見えてくることがたくさんある。

学生の頃は、日本建築史研究室に在籍していたことの必要性もあり、とにかく覚えることに必死だった。和様と禅宗様の違いは、伽藍配置の変遷は・・・等など。当時の参考書を見ると、まるで受験勉強のような記述がある。

今私が学んでいるのは、あくまで、社寺と、或いはそれにまつわる世界と接するためである。その接し方を知るには、知識は必要なれど、感覚で理解することが重要である。建築であり何であれ、そのように決定された物事には、正しいかそうではないかは別とし、何かしらの理由がある。建築の様式は、技術変遷と呼応した、いわばその時代の雰囲気だと思っている。

そう考えると、歴史は急に何かを訴えてくる。学びは、とても楽しくなる。しかし、そのための自分のキャパシティのなさと言うか、面白い半面、内容が頭に入ってき過ぎて、パンク状態でもある。

でも、それは実際に建築を見に行くことで解消できるだろう。名古屋から京都まで、新幹線で30分5000円である。幸か不幸か単身者な私。これくらいの額は、毎週はたいても全く問題にならない。

明後日、以前ヨーロッパを旅行した時に出会った友達と、約8年ぶりに再開する。あの頃は、建築に夢中だった。建築を知ること、旅をすること、異国の空気を吸う事を、ただ欲し、何か正しいことのように感じていた。その頃、中田英寿にまつわる本を読んでいたが、当時の私の年齢である21歳は、彼がヨーロッパに旅立った年齢でもあった。

あれから8年が経ち、私は中田が引退した年齢にまでなってしまった。しかし今、あの頃のような情熱を感じている。建築を知ること、そのことに、喜びを感じている。

そして、所謂「建築界の動向」とやらとは、疎遠になってしまった。伊東豊もSANNAも、今となっては大建築家には映らない。大学のとある先生が「君はなぜコルビュジエを知っているのか?」ととある学生に尋ねたらしい。ふとそんなことを思い出した。

ただ、そうであるからこそ、あの頃、建築のスーパースターを追いかけ、理解できないなりに批評ぶり、それでも自分なりにそれらしき確かなるものを見つけ、語ってきた日々は、とても意味があったと改めて思う。

いや逆だな。それがあったから、今があるのだ。

スポンサーサイト


コメント

    コメントの投稿

    (コメント編集・削除に必要)
    (管理者にだけ表示を許可する)

    トラックバック

    この記事のトラックバックURL
    http://porcorossolecorb.blog10.fc2.com/tb.php/1332-162899a9
    この記事へのトラックバック


    最新記事