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「余命1ヶ月の花嫁」をみる

2014年04月28日 23:40

Youtubeで、「余命1ヶ月の花嫁」のドキュメンタリーを観た。

このタイトルの本が本屋に並んでいるのを知っていたが、手に取ることはなかった。タイトルからストーリーがわかってしまうし、そして、それは悲しいものであることは明白だからだ。

たまたまYoutubeで見て、全部を観ようと思ったのは、彼女が、撮影されることを望んでいたからである。

内容については、あまり軽々しく記せるものではない。がんとの闘いは、祖父を想わせる。それは、TVドラマであるような綺麗なものではなく、現実がある。

彼女のメッセージにもあるが、日々生きていること、そして明日が来ることは、奇跡と思う事がある。しかし、では誰もが、常にそのように思えるかと言えば、きっとそうではない。少なくともこの日本社会においては、そのように感じづらい状況であると思う。

そもそも人間は忘却の生き物である。忘れなければ、昨日の自分と今日の自分が同一であることすらわかりえない我々は、日々生きることはできないであろう。それでも何となく生きていこうとすることが、人間である。

ただ、時々、とても世界が閉塞感に満たされた時、「そうではない見方もあるよ」と思えることは、生きる上でとても重要なことである。「生きているだけで幸せ」という言葉は、生きることが苦しい時に意味をなす。

彼女のメッセージを、涙なくして受け取ることはできなかった。それは、多くの人が同じであろう。では、私には、このドキュメンタリーを観た後に、何が残るのであろうか。

それはわからない。理由は、既に書いたつもりである。

ただ、ひとつ大きな変化があった。ベランダにあるガラス鉢を見ると、そこには小さな命が泳いでいた。メダカの卵が、孵化したのである。それも3匹もいる。まだ、黒い目が大きく、ひょろひょろの身体で、彼らは泳いでいた。

たった今、孵ったのだろうか。そうかもしれない。でも、そうではないのかもしれない。こんな小さな命を、私は見過ごしていたのかもしれない。

見えるものや、見えることは、常に明白にそこにある。でも、どうしても、見えづらくなってしまうことが、我々の生活にはいくらでもある。それは仕方のないことである。

なぜ、この時見えたのか。その答えも、既に書いたつもりである。
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