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時を待つ

2014年01月16日 00:00

建つ当てのない「風のイエ」について、いつでも考えている。ひとつの家について、もう4、5年考えている。

耐震壁を設けようと考えている。木造設計の経験がないため、実際どの程度必要が良く分からないのだが、X方向に2か所、Y方向に4か所、左右均等に入れようとしている。(以前はY方向だけであった)

耐震性を高めるということが目的であるが、もっと壮大な目的がある。

色々な建築を見るにつけ、その場所の自然環境(重力、空気、光、熱など)に逆らった建築は、やはりどこかで破たんする。破たんというのは、地震で倒れるとかそういうことではなく、美しさが損なわれる。建築的美しさという意味では、その破たんは、建築そのものの破たんを意味する。

モダニズムの建築は、それで良かったのかもしれない。モダニズムの建築は、未来を想起させる建築である。それは、「未だ来ぬ未来」である。我々は、常に「わたしたち」と距離をとる。距離を置くことで、アヴァンギャルドたり得る。その美しさは、常に届かぬ場所にあるのだ。

カーンの建築を訪れた時、ずっと昔から、私がここへ来ることを待っていたように思えた。常に昔から「わたし」のそばにいた。そんな感覚である。そういう意味では、カーンの建築はアヴァンギャルドではない。

増沢洵は言った。常にアヴァンギャルドであるよりも、時代が建築に追い付くのであれば、それで構わない、と。

私は、その建築が、今後永い間その美しさを保っていることを、最近欲する。以前は、それは傲慢であると考えていた。時代は変化する。その変化を許容することが重要であると・・・

しかし、今の美しさを保持するということは、常に変わらない建築的意義を模索することであり、結局のところ、自然環境ということになるのではないかと思うのである。(自然環境は、常にざわざわ変化することは言うまでもない)

今、私が本当に美しいと感じるものは、遠い昔から美しかったのであり、これからもきっと美しいのである。

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