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建築に、屋上庭園など存在しない

2014年01月08日 23:20

また、どうでもよいことで悩んでいる。いや、私にとってはとても重要なことなのだが・・・

屋根についてである。風のイエを設計する際、屋上庭園を設けるか、とても悩んだ。今でも悩んでいる。私は昔から、屋上のある家にあこがれていた。もともと風が吹いている環境が好きであったし、周囲と優しく隔離され、空に開かれた空間は、とても憧れをもった。今でも、その願望は変わらない。

しかし、風のイエに屋上庭園はない。2階に中庭があるのみである。近代の発明(?)である屋上庭園は、使い方によっては、さほどコストがかからず有効床面積がかなり増えるため合理的なのだが、なぜ採用しなかったのか。

最近ふと気がついた。近代建築にて、屋上庭園を設けたのは、「人間」の視点が、何よりも高く評価されるべきものと考えられたからではないか。空からの視点は、このあらゆる世界を俯瞰することができる。その俯瞰するための視点こそ、近代によって獲得されたものではないか。

社寺建築は美しい屋根を持つ。屋根から、下界を見下ろす視点は存在しない。なぜなら、その視点を持てるのは唯一神、あるいは、他の重要な「誰か」だからだ。

しかし、よくよく考えてみると、(いわゆる著名な作品としての)近代建築において、屋上庭園が実現されたものがどれほどあるだろうか。屋上庭園の提唱者としてのル・コルビュジエの建築について考えてみる。サヴォア邸は、屋上庭園というよりも、あたかも船を想起させるようなヴォリュームの戯れがあり、屋上庭園として活用できるスペースが少ない。屋上を大々的に緑化した建築では、(私が知る限り)小さな家やラ・トゥーレット修道院があるが、両者とも、そもそも屋上に豊かな生活をするイメージが提起されていないし、後者はパラペットを立ち上げることで周辺から隔離している。もっといえば、いわゆる名作と呼ばれる建築ほど、屋上は人間のために解放されていないように感じられる。

その意味を考えてみると、とても当たり前のことに気がついた。屋上に立つ人間の視点は、建築を踏み台にして成立するわけだが、近代建築家とは、建築によって世界を開こうとした人々である。建築は、(近代的な意味で固定化されたイメージとしての)人間を超えていく。それが近代建築家の使命だったように思われる。

結論から言えば、実は建築に屋上庭園は存在しないのではないか。もちろん、屋上庭園を作ることは容易だし、現にそのような建物はたくさんある。私が言っているのは、建築という定義が「感動」ということであれば、世界を俯瞰するための人間の視点を得るための建築であるならば、それは建築ではないのではないかということである。

湯島天神は、いつ見てもとても大きい。周囲には高いマンションが林立するが、全然その大きさが違う。それは、上記の理由によって、速やかに理解できるように思われるのだ。

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