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74_床

2017年05月31日 22:22

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河井寛次郎とルーシーリーは、相性が良い。
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週末備忘録

2017年05月31日 22:21

5/22(月)
ポルコロッソのフィギュアを、机に置く。彼が、こちらを見ている。彼は「それで、君は?」と問いかけてくる。私は、「働こう」と思う。
最近、上司に「まだまだだなぁ~」といわれる。まだまだに決まっているのだけれど、どういう意味なのだろうか・・・?
レンズを変え、写真が楽しい。それは、単焦点レンズによるところがある。35mmの私のレンズは、風景の全貌を撮ることが難しく、どこかにフォーカスされる。それは、「不完全」な景色であり、私は好きだ。

5/24(水)
メダカの孵化が始まる。

5/26(金)
今、仕事をしながら常に不安を感じている。敷かれたレールを歩くということは、やはり気持ちは楽である。自分で道を模索することは、常に疲弊する。生きている。

5/27(土)
早朝から、足助の方に、間知石を見に行く。御影石仕上げだが、なかなか良かった。案件に採用できそうである。サンちゃんも快調。
お昼からお稽古。女性仲間との会話が、私には楽しい。
夜、京都へ。ベトナムフレンチを頂く。お店の方が、とても良い御夫婦。
帰り際、蛍に出会う。人生で初めて、蛍を見た。
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5/28(日)
朝から、職人さんと不動産巡り。町屋を中心に廻る。
お昼を挟んで、別の不動産屋にて、色々見る。
これまで、何度も何度も京都に来たけれど、京都で暮らす人々の、観光とは無関係に大地に根を生やす方々の吐息が感じられたような気がして、とても充実感がある。が、疲れる。
夕飯はイエモンカフェ。話をする。とにかく、話すこと。

266_詩仙堂(京都市左京区)

2017年05月21日 19:59

京都市左京区にある、江戸時代初期の文人石川丈山の山荘跡。国の史跡に指定されている。現在は曹洞宗の寺院でもあり丈山寺という。
(wikipediaより)

会社の後輩に勧められ訪れたが、小さな庵のなかに、草庵風な自然素材を使った工夫もあり、とても心地が良かった。紅葉の時期は、美しい風景が見られるのであろうが、私は、静かな時期が好きである。

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265_曼殊院八窓軒(京都市左京区)

2017年05月21日 19:58

京都市左京区一乗寺にある天台宗の仏教寺院である。山号はなし。本尊は阿弥陀如来、開基(創立者)は是算(ぜさん)である。竹内門跡とも呼ばれる門跡寺院であり、青蓮院、三千院(梶井門跡)、妙法院、毘沙門堂門跡と並び、天台五門跡の1つに数えられる。国宝の黄不動画像や曼殊院本古今和歌集をはじめ、多くの文化財を有する。近畿三十六不動尊第十七番。
(wikipediaより)

八窓軒の茶室を見させていただく。ひとつひとつの窓に、仏教上の教えがあり、空間的にも、光が宙を舞うようであった。かなり老朽化が進んでいるようにも感じたが、自然光のなか、静かな茶席を想像し、幸福な気持ちになる。

264_後楽園(岡山県) 

2017年05月21日 19:57

日本三代庭園のひとつ。お庭自体はとてもきれいで、なんというか、浮世離れしているような、そんな感覚だった。ただ、多くの人々で賑わっており、とても好感を覚えた。
特に、建屋の中央が水路となる流店は、如何にも日本的な建築で、優美だった。これほど華奢な建築は、現代の建築基準法では作ることができないように思える。建築の進歩は、多くのものを犠牲にし、成立してきたような気がしてならない。

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263_栗林公園掬月亭(香川県高松市) 

2017年05月21日 19:56

この空間に触れると、ミースが提唱した(?)、近代的な空間とは何であったのか、と思う。既に、これほどまでに完成され、透明性と揺らぎがあり、浮遊感を帯びた建築があるのである。そして、それは単に固定化された空間ではなく、お茶を通した所作に寄り、空間が変容するのだ。
近代とは、何であったのだろうか・・・

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73_床

2017年05月21日 19:55

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先週、ふと書き記した言葉。
魔法の言葉。

週末備忘録

2017年05月21日 19:53

5/15(月)
京都の職人さんに指摘されて以降、建築理論について再考する。最近、身体性のみを考えていたせいか、それを言葉にすることを怠っていた。
通勤電車に乗りながら色々考えると、結局は、以前の「風のイエ」と、現在でも変わっていないように思えた。風を読み込むための「なにもない場所」をつくるということ。私は今、それを茶道という動作を通じて、自らの身体で表現する。誇張して言えば、茶道の空間(禅の空間といってもよいと思うが)があれば、そこは「なにもない場所」に成り得る、ということである。
そしてそれは「永遠に普通な建築」ということになるのかもしれない。

5/17(水)
人間関係において、解決策を提示することと、人に寄りそうことは異なる。男は、性が外部にあり、女は、性が内部にある。その違いに、何か連動することがあるような気もする。
先日の3Dアルゴリズム設計の講習を経てから、色々考えていたが、「想像を具現化された建築」より、「想像を喚起させる建築」の方が、私にとっては美しい、ということかもしれない。

5/18(木)
最近、5時起き、6時半出社のサイクルに戻した。朝、人が少ないのは、とても心地が良い。

5/19(金)
お寺案件について、上司のアドバイスに従った結果であるが、その結果、実に膨大な期間を設計業務にあたることになり、設計料赤字の様相を呈してきた。上司にはかなり嫌がられたが、こちらとしては上司の方針に従った結果なので、何を今更という感じで・・・
設計期間を十分にとらざる得ない状態になったということで、私としては、ある意味最高の「復讐」であるわけだが、それと同時に、この会社では、前例がないことに取り組むことができない、ということが良くわかった。
夜早めに仕事を切り上げ、茶道友達と飲む。

5/20(土)
朝から香川県高松市へ。栗林公園掬月亭を見たく、訪れた。感想は別記。
公園内を散策しながら、香川県庁舎のピロティを通り、高松駅へ。以前見た時は、それなりの興奮があったような気がしたが、思ったよりも小さく、なんというか、コンクリートでの日本建築の表現というものは、なかなか疑問に思う点があった。以前とは、かなり感想が変わった。
坂出駅まで電車でいき、そこから歩いて坂出人工土地へ。メタボリズムに関心があった頃から、この計画には興味があったが、あまり心地よい感覚はなかった。人工的に作られた土地は、やはり人工物でしかないように思えた。空間の楽しさはあったが、空き家がかなり目立った。
少し歩き、相田先生設計の西園寺無量寿堂という建物を見る。外部から眺めただけだが、これについても、学生の頃と感想が異なった。いくつかのレイヤーで建築の構成しており、建築のゆらぎというか、曖昧性みたいな点に、以前の私は建築の可能性を感じていたかもしれないが、今は、その可能性を見ることがなくなってしまったように思う。
新幹線で岡山まで行き、後楽園に少し寄り、京都へ。駅ビルでお惣菜とデザートを買い、職人さん宅で夕食。どんな建築よりも、ここにいることが幸せ。

5/21(日)
朝ゆっくりしてから、パーさんで曼殊院へ。寺院そのものにも関心が合ったが、八窓軒の茶室が見られるということで、予約して入った。感想は別記。
それから、後輩お勧めの詩仙堂というお寺を見学し、パーさんをリバーさん宅に戻してから、バスで京都駅へ。
新福菜館にてラーメンを食し、電車で名古屋へ。駅まで買い物をし、家に帰ると、身体が疲れており、夕寝。
これから運動しようか、仕事もしなくては・・・

週末備忘録

2017年05月14日 18:54

5/8(月)
連休明け。夜中から、夢のなかでうなされる。
この日から、クールビズであるが、上着も要らなくなった。
そして、朝ヨガと朝点茶と、寝る前のヨガもしっかり始めることにした。これは、かなり身体に良い。イライラしても、ゆっくりその気持ちが引くまで待てる。そんな気がする。
「微調整思想」ということを思う。今までは、何か「マニフェスト」をしっかり決めたい性格だったが、常に調整、リセットをすることの重要性を知る。
午後は、東京でアルゴリズムデザインの講演会。内容は面白かったのであるが、気持ちはなかなか乗れなかった。時代は3Dということであるが、2Dから物を想像するという視点は、また別に重要である気がする。日本はかなり遅れていると言っていたが、日本人は、2D的な発想が元になっているように、何となく思ったり・・・
帰り、東京駅で買った「ほんのり屋」のおにぎりが美味しかった。

5/9(火)
朝、家を出る前に、少し椅子に座りゆっくりする時間を設けてみた。業務時間は減ることになるのであるが、精神的には落ちつく。
昼も、食後少し小説を読む時間を設けた。小説を読むと、ふっと、少し違う世界にいける。すると、今の自分が、少し軽くなる。
愛が全て、と思う。

5/10(水)
ハイデガーの存在と時間を少し読む。読み始めた瞬間、頭の色々な細胞がざわめきだしたような、そんな感覚に襲われる。2ページだけ読んだが、かなりリフレッシュになった。
メダカが卵を産んだ。
夜、また傷つけてしまった。

5/11(木)
ふとしたことで、自分は人間失格なのではないかと思うことがあるが・・・いや・・・

5/13(土)
午前はお茶。稽古後は、友人と団らん。
それから、キンコーズに行き、製本を受け取る。大学時代に作成したポートフォリオ群を、一式まとめたのだ。当時何を考えていたが再認識すると、今の感情の相対化に繋がる。
夕方ランニング。GWで太ったので、夕飯は炊き込みご飯を少なめで。腹八分目だと、食事ひとつひとつを、ゆっくり味わって食べるので、良いように思う。
お寺案件の仕事で、胃がキリキリしている。何か、この仕事がなくなってしまいたいようにも思う。そんななか、安藤忠雄のインタビューをYoutubeで観る。住吉の長屋を建てた時の話など、今の時代、弊社では訴訟もののような話であるが、元気は出た。やはり、この人は凄いな。

5/14(日)
水曜日以降、気持ちは落ち込みながら週末へ。
日曜日は、休日出勤しなければならないと考えていたが、オフィスに行ったら、家でもできるかと思い、すぐ会社を出て、犬山へ。気持ちが、イライラが止まらない。
犬山の有楽苑に着き、如庵をみる。茶室内の空気を吸い、自分が、またこの茶室に魅力を感じることができるか、再確認する。やはり魅力を感じる。
その後、犬山ホテル内で庭を眺めながら食事し、少し休んだら、電車にて一駅走り、内藤廣設計の宮田眼科をみる。いかにも、内藤さんらしく綺麗な建築で、自然素材を使用している分、触りたくなるような、そんな建築だった。通時的にも、共時的にも「普通」である建築が作れたら、それは革命かもしれない。 
昨晩「数寄屋建築家」という言葉を紙に書いて、床に置いた。すると、自分の体の中から、エネルギーが湧いてくるようであった。数寄屋建築家であり、かつ数寄者。家でする仕事も「数寄者である私としては、どのように考えるか」と思うと、何か、描かれた線にも希望が湧いてくる。数寄は「好み」である。故に、理屈はいらない。つまりは、どんな状況でも、数寄者でありうるし、数寄者である私が設計した建物は、数寄屋建築に近づく。

72_床

2017年05月13日 19:36

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最近、改めてその存在の大きさを再認識した御方。
なんというか・・・希望である。


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