33_床

2016年07月31日 17:32

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一年前の、ベルギービール祭りのグラス。物としての美しさはないが、記念品としての価値が高い。個人的な記念であるが・・・
リンドウの花。近くの花屋で頂いた。花を生けると、心が少し落ち着く。理由は明確。彼らは枯れる運命にあり、それゆえ、今生きているということが、如実に伝わるからである。
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週末備忘録

2016年07月31日 17:31

一週間は、それなりに平穏に過ぎた。某案件にて、懸念事項を抱えており、それが常にストレスである。できるだけ逃げたいのだが、そうであるからこそ、出来るだけ早めに解決しなければならない。自分の力不足があれば、早めに白状しなければならない。いつしか本社にいた頃、何とか自分の責任を回避できないかと粘ったが、それにかなりの時間を浪費してしまった。結局は、お客さんに理解頂き、対応頂くことになったが、その反省は忘れていない。

7/29(金)
代休を取り、岐阜方面へ。内容は別記。

7/30(土)
午前はお稽古。薄茶にて濃茶手前の練習。そこそこ出来るようになる。大和園にて、りょうくんとたくちゃんと食事をし、別れる。家に帰り、図面を書く。お寺の断面図だが、彩色を試みる。どうしたら、設計意図を表現できるか。建築的で、それでいて素材感が表せるようでありたい。白井晟一の図面が頭のイメージにあるが、如何に。とりあえず、断面部をグレーのマーカーで塗り、内部は水性色鉛筆で色彩した。

7/31(日)
午前は、近くの喫茶店にて読書。そろそろ、匠明を読み始めなければならないと思い立つ。喫茶店は冷房が効いていて気持ちいい。家では扇風機のみで、公共空間にはエアコンが効いているというのが、ちょうど良い気もする。そうすれば、街が市民の憩いの場になる。
昼ご飯は、簡単に焼き飯を食べる。鶏肉を入れ、蕎麦つゆと塩で味付け。最後に、刻みネギをまぶす。このネギが重要だ。なかなか美味しかった。
また、床に花を生ける。名前は忘れてしまったが、夏の花である。寛次郎の灰壺に生けたが、それはそれで良いような。でも、一輪ざしがほしいかな。
仕事のこともあってか、ストレスを感じる日々。お茶の精神に触れることで、気持ちをなごます。同門会にも入ろうと思う。
声が聞けなくなり、改めて思う。誰かのヒットソング。何でもないようなことが、幸せである。

岐阜建築探訪

2016年07月29日 22:01

本日、代休をとり岐阜方面へ。

まず向かったのは藤村記念堂。これについて、感想は別記。

それから、岐阜メディアコスモス。伊東豊雄設計。それほど興味があったわけではないのだが、名古屋から近いし行ってみることに。

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仙台メディアテークの抽象化されたスラブと柱の考え方から、台中メトロポリタンの空間自体が構造と交じるようなイメージを経て、より人間の皮膚感に近い建築を目指されたのではないかと、勝手に想像した。
たしかに、空間を漂うような気持ちよさというか、そこにいたくなるような快感がないわけではないが、それほど良いものにも思わなかった。良くはわからないが、例えば、完全なフラットな空間だけ用意し、そのなかに世界中の家具をちりばめた方が、より漂い、自由に場所性を獲得していくような空間ができるのではないかと思ったりする。イームズの考え方かね?

その後、近くにある羽島市役所へ。

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坂倉準三設計で、施工は良く聞く会社。これもせっかく名古屋から近いので行ってみたが、別段感動というものもなかった。でも、建設された当時を思うと、大地から立ちあがった自由な造形力は、市民にとって、何か勇気づけられるような力になったのではないかと、建築側としての期待を思わなくもない。ディテールなどみると、結構普通というか、今でいえばちょっと古い市庁舎のイメージ。でも、それらの原型を作ったのが彼らなのだろうから、今から見てみれば、ということでしかないかもしれないが、逆に、親近感を覚えないこともない。普通であることは、建築にとってとても重要なことである。いつの時代も普通であり続ける建築があれば、それは名建築だ。

239_藤村記念堂

2016年07月29日 21:59

岐阜の馬籠にある、島崎藤村の記念館。設計は谷口吉郎。施工は、住民の手でなされたらしい。
いつか行ってみたいと思っていたが、代休をとり平日に足を運ぶ。

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これは、本当に素晴らしい建築だと思った。少ない要素で、しかし、温もりのある素材で建築が構成され、歩くたびにシーンが変化する。それは、ミースやコルビュジエが目指した近代建築的な空間でもあり、雪見窓や枯山水の庭の見せ方等は、日本建築(特に禅寺)のイメージと重なる。
小さく、自然に対し柔らかで、建築を建てることにより、こんなにも環境が活きるのだと、改めて知った。
行って良かった。

32_床

2016年07月24日 16:32

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夏の御茶会で披露した茶道具

茶杓 : 自作連子
蓋置 : 自作水竹 

余韻

2016年07月21日 23:41

お茶会が終わり、まだ余韻に浸っている。LINEで繋がっているお茶会メンバーからは、各々感謝や反省のコメントが飛び交う。私は、自分がお手前した時の御正客さんに、御礼状を書いた。当日、茶碗の名がわからず「後で調べてお伝えします」と述べたからであるが、何より、感謝の言葉を伝えたかった。

その方は、50歳くらいではないかと推測されるが、小柄で、可愛らしく、しかし、正客するその立ち振る舞いは、恐ろしいほど大きく、優しいものだった。その一挙手一投足に、私は惚れ惚れした。

お茶会を亭主として経験し、感じたことがある。

よいお茶をするためには、お茶に専念し過ぎない方がよいのではないか、ということ。単純に話題が増えるということもあるが、お茶は、各々の性格が諸に出る。皆が、家元と同じお手前が出来たら怖いわけで、故に、それぞれが各自の趣向で生き、思考した方が、よいお茶が出来るのではないかと思う。

日常において、背筋を伸ばすようになった。歩き方も、しっかりゆっくり、遠くを見て。すると、自然と手の指の先がそろってくる。また、小さなことでも、お茶の心で考えるようになる。そうすると、必然的に他人を想うことになる。

お茶会を経験すると、身体を通して、何か浄化されたような、すっきりとした気持ちになるものである。


拝啓、静岡のYくん

コメントありがとう。
パラダイムシフト、という程大それたものではないけど、少なくとも、お茶をやっている時は、頭で物を考えないので、パラダイムシフトかどうかもよくわからないですね(笑)
最近面白い現象は、お茶仲間は、僕のことをSくん、Sさん、と呼ぶのです。逆に、私の名前が漢字で書かれていると「Kって誰だっけ?」となります。
とりあえず、今の僕にとって、お茶はとても重要なものになっていることは確かですね。

それから、以前から「風のイエ」という構想がありました。それは、私が追い求めた建築の理想的プロトタイプでしたが、最近、全く考えないようになりました。宙に浮かんだイエは、地上に降り立ち、自然に溶け、今は、身体の背景に透けて見えます。それはある意味、本質的に風のイエの役割を果たしたのかもしれませんし、「イエ」は「家」となったのかもしれませんね。

31_床

2016年07月20日 21:16

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夏の御茶会の床。
掛け軸は自ら選び、花飾りは亭主として観賞した。
大河の一滴は、先生作。

夏のお茶会

2016年07月18日 21:01

夏のお茶会が無事終わりました。ここ一カ月、微力ながら参画し、企画したお茶会が無事終わったのです。

私は、前半の挨拶と、それから丸卓手前。おもに前半の亭主役でした。最初の挨拶のタイミングが分からず、四苦八苦しましたが、何とか自分のお手前まで終わることができました。

2回目の薄茶は、私は次客でしたが、ふと、まつの間、さつきの間を見渡すと、そこにおられる亭主、客、みんなが自分を支えてくれたのだと感じました。その途端、涙が止まりませんでした。

茶会は、亭主、客、みなで創るもの。形式的な優劣はありますが、その優劣さえも、ひとつの趣でしかありません。社会のなかで否応なく存在するヒエラルキーに沿って、みな形式的に動きますが、その役を、各々が演出するのです。

とても嬉しい一日でした。

世界・内・存在

2016年07月17日 14:22

いつか読んだ、難しい哲学書。ハイデガーの『存在と時間』。そのなかに「世界・内・存在」という言葉がある。
彼が言ったのは「現存在は、既に、世界・内・存在である」ということだと思っており、私もそれに深く共感した。

しかし今、私は初めて世界・内・存在になれたのではないかと思ったりする。世界のなかにいる。お茶という作法を通じて。

丸山先生がコーリンロウについて語っている時に「建築の内部には入れない」という言葉を発せられた。私はその意味が、明確に分かっているわけではない。だけど、少なくとも、私はこれまで、建築に入ったことがなかったのだと思う。

今、私は、お茶を通し、初めて、建築の、世界の中に入れたような気がする。

「世界・内・存在としての現存在(=人間)」として。

週末備忘録

2016年07月17日 14:17

平日
月曜日、某案件の消防打合せ。個人的にはあまり関わりたくない事項について、上司の指示のもと、消防と協議を行う。しかし、消防側が考えを変えて来た。相手も必死な形相。これまでの打合せ事項がなかったかのように、「法律に背く気なのか」という態度に出てくる。これまでのそういう経験があるが、正直困る。要因は施主側にあり、私としてはどうしようもないのだが、現場にも設計にも怒られる。私は、感情が表情に出ないためか、出さないためか、どうも本気でその折衝に取り組んでいるようにも思えないのであろう。頭が痛い問題が続く。
それ以外の日は、ゆっくり進んだ。周りは某大型コンペ案件対応に追われているが、私はひとり、納骨堂について考えていた。なんだかんだ言っても、やはり社寺の仕事が楽しい。楽しいことが良いことかはわからないが、楽しい。
金曜日、ふらっと夜の歓楽街へ。遊ぶわけではない。ただ、こうした虚無的な空間と時間が時々あると、日常が軽薄になってしまう。

土曜日
11時まで睡眠。昼からは、ドラえもんの映画をYoutubeで観る。『ドラえもん のび太の鉄人兵団』。昔好きだった映画。今観ると、感慨深い。映画内の「都市」の描き方。そして、普通の「住まい」というものの描き方。またロボットがビルを破壊してしまうシーンは、あの頃はフィクションとしか思えなかったが、今となっては、現実世界で起こっている。ある種の恐ろしさを感じる。そして、ラストシーンでは涙してしまった。
昼頃、早めに大和園へ。お茶会の打合せも兼ね、かずみさんとおしゃべりしながら、過ごす。お稽古は中国の方と、テっちゃんと一緒。帰りは、お茶会の荷物をもって、家に帰る。

日曜日
朝から着物の肌着を購入しに着物道楽へ。かおりさんとお話をする。それからブックオフで辻井さんのCDを購入し、コメダで昼食を済ませ、ガソリンを入れて帰宅。これから、さわちゃんを乗せて、三好のお茶室へ。事前準備である。車は、人や荷物を載せることに意味がある。以前母が言った。私もそう思う。そういう意味では、シトロエンではなく、BMWでよかった。エアコンつくし、エアバックあるし、人を乗せやすい。
今日しっかり準備し、明日しっかり愉しみたい。


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