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一週一床

2015年11月29日 21:55

先日、杉本博司展へ行ってから、床を作ろうと考えた。部屋には、元々造りつけの机があり、飾棚っぽくしていたが、そこを床にしようと考えたのだ。「一日一花」にちなみ、「一週一床」を試みようなどと、考えている。

これまでは、手に入ったモノたちは、全てに出来るだけ光を当ててあげたいと思っていたのだが、床があると、それ以外の茶器などが控えられていても、光が当たるまでの準備と思える為、逆にしっかり閉まっておける。結果的には、効率的な収納方法かもしれない。

とりあえず、頭に浮かんだものを組み合わせ、芹沢銈介柄の風呂敷と、李朝時代のお皿を置いた。お皿に水を張り、花を浮かべたい。そう思っている時に、電話で同じことを言われるのだから、あの人はやはりとても面白い。

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また、色々お皿を手に入れたので、使っている。良いお皿があると、何か美しく盛りたいと思うものだ。実際に大それたことはしていなく、しかも、まだまだ手持ちのバリエーションが少ないため、取り合わせが微妙ではあるが、それでも日々、新鮮な気持ちになりそうであり、とても良いことと思っている。

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週末備忘録

2015年11月29日 14:25

週末備忘録。

今週も最後のコンペ追い込みで、バタバタな一週間であった。そして、金曜から土曜にかけ、社員旅行があった。大勢の前ではしゃぐことは好きではないが、見学に行った場所が良かったこともあり、なかなかよい2日間であった。土曜日は、旅行から戻ってきてそのまま会社へ。コンペの最後の詰めを行い、修了。これでおおむね、この一カ月のコンペが山を越えた。

本日、久々に、一日家で過ごす。掃除をし、メダカ水槽の水を変え、床を作り、備前焼の茶碗でカレーを食べ、読書をしながら、昼寝をしたいと思いながら、ブログを書いている。

仕事が忙しいと、なかなか他のことに手が回らない。社寺設計ならよいが、他の仕事でそれほど時間を割きたくないというのが本音ではある。

今は、ゆっくりとした時間。

素敵な週末備忘録

2015年11月23日 23:08

週末備忘録。

先週もコンペに追われ、それと並行し、金曜日に確認申請を2つ出した。同日に2つ申請なんて、なかなかない。金曜の夜は、関係会社の同期と飲む。疲労困憊のなかでの飲み会はこたえるが、時々、こういうことは、きっと必要だ。

土曜日

朝から出勤。夕方までに仕事を片付け、ナゴヤドームへタクシーで向かう。陶器市が開催されていた。会社の事務所の女性から頂いたチケットで、会場へ駆け込む。色々見ながら、思うことは色々。目的通り、備前焼を3品程度入手。どれも良品。物そのものも良いが、作り手の想いが良い。

日曜日

早朝、新幹線で品川へ。久々に彼女と会い、東京探訪からの千葉旅行。この日は、日本民芸館から始まり、青山で着物や茶碗を見た後、谷中でも素敵なお店を訪ね、既にクリスマスモードになりつつある銀座の夜を駆け、夕方の特急に早足で乗り込み、一路上総一ノ宮へ。宿泊は、芥川龍之介がかつて過ごした一宮旅館。着いてから温泉に入り、食事を頂き、ぐっずり寝る。

月曜日

起床し、風呂に入ってから、海へ。九十九里の海。何年ぶりだろうか。肌寒く、荒れ気味の海では、サーファーたちが波と戯れていた。しばしぼーっと時間を過ごしてから旅館に戻り、朝食。食事は奇をてらっていなく、薄味で美味しい。食後は上総一ノ宮駅へ向かい、電車で茂原へ。レンタカーを借りてから、睦沢町立歴史博物館を目指したが、なんと休館。それではと、元々の目的地as it is 美術館へ。私は2回目で、彼女は3回目。ゆったりとした空間に、身体を休め、本を2冊買ってしまった。車で茂原に戻り、電車で千葉へ。大本命、杉本博司展示会のため千葉市美術館へ。展示は、とても素晴らしいものであった。思うことは色々あるが、とにかく「茶道」を軸に、私は考えれば良いことがわかった。


明日からもドタバタ劇。早く布団に入るべし。そのため走り書き。あー、楽しかった。

古典と現代小説

2015年11月14日 19:10

古典を読む。

『坊っちゃん』 著:夏目漱石

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漱石作品のなかでも、かなり評価が高いらしいが、私にはちょっとわかりづらかった。それはひとえに、私の能力不足によるものである。それであれば、それで良い。何も問題はない。なぜなら、また読むという楽しみがあるからである。


『命売ります』 著:三島由紀夫

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ブックオフで購入したが、やたら最近本屋に積まれている。これは古典ではないであろう。やたら現代的である。そのなかで、彼は人間の命について書いている。これは古典ではないが、とても読みやすく、彼の人間的な一面が表れているように感じた。

とある東京での週末

2015年11月14日 19:09

コンペにて、始発終電のような生活のなかで、先週末、強引に時間を作り、東京に向かった。恩師の家のオープンハウスである。建築にも興味があったが、それ以上に、恩師に会いに行ったわけである。

雨化粧のなか、5階建ての階段を上がっていくと、なじみの顔がたくさんいた。施主は恩師で、意匠設計、構造設計は当時の先生で、設計担当は同級生であった。旧友にも会い、話がはずむ。

学生当時、私は一人暗い世界を歩いていたように思う。そのなかで、光をもって接してくれた数少ない友人に会えたことはとても幸運であり、それと同時に、自らの立ち位置も再認識した。

せっかく東京へ行ったので、他にも色々廻ろうかとも思ったが、みんなとの話が美しく、時間を忘れてしまった。とてもよい一日であり、とても良い学生時代だったのだと、改めて感謝した。

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210_京都御所(京都市上京区)

2015年11月14日 19:07

京都府京都市上京区にある皇室関連施設で、14世紀以来、1869年までの間、内裏、すなわち歴代天皇が居住し儀式や公務を執り行う場所であった。
(wikipediaより)

湿っぽい天気の中、職人見習いさんに連れてってもらった。特別公開で、多くの人で賑わっていたが、風邪気味のなか、ふわふわと映る景色は、重厚なものであった。
しかし、やや違和感があった。なんというか、心が躍動しなかった。あの空間には、きっと誰もいない方がよい。もともと、人ごみとは無縁の建物である。静かに厳かに、精密に立っていてほしい。そんなことを思った。

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お茶と床と現象学

2015年11月02日 23:37

先日、御殿場を訪れ、久々にYくんと再会した。昼ごはんを頂いた後、空白の時間に彼が放った言葉は衝撃的だった。いや、実際には、それに衝撃を受けたのはしばらく後である。

「陶器を見るときに、現象学を感じないか?」

正確には、もっと違う言葉だったかもしれないが、私は戸惑ってしまった。これまで、そんなこと考えたことがなかった。いやいや、私は考えてきたはずなのだ。現象学は私の大学時代のテーマであったし、確かに、物を見ることは、現象学的な思考であるはずである。

しかし、私は茶碗や茶器、掛け軸や花を見るとき、そこに現象学的思考は全く存在していなかった。

「物を見る」ことは、そのまま茶道である。だが、茶道と現象学は、論理的には相似だが、どうもリンクしない。その答えを、私は御殿場を去った後、少しずつ理解した。

現象学は、不確かなものをエポケーし、とある真実へ辿り着こうとする、微分的な学問であると、私は認識している。しかし、後にハイデガーが否定したように(?)、そこには「認識している」という前提があった。つまり「それが不確かである」という判断は、人間の理性によって行われるわけである。

しかし、茶道は、ものを上からは見ない。常に謙虚に、その美しさを「拝見」する。そこには、判断は伴わない。あるのは、拝見する対象と、その間、だけである。

それは、民家に連れて行ってもらった時、床の前を歩いていた時の違和感にも通じる。常に、私は「その後」にある。

これは、私の理論ではない。私の身体と相談し、言葉として表現しようとしたら、こんな稚拙な論理になったというだけである。

しかし、何気なくふとした時に発する彼の言葉ほど、恐ろしいものはない。

でも、よいよ。私はきっと、成長している。

いやいや、でも。きっと成長している。



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