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骨董品の入門書

2015年04月30日 22:05

『BRUTUS 尊敬できる「骨董品」。』を読む。

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最近、というか以前から興味があった器などの骨董品。あまり入りこんではいけない世界だと思っていながら、お茶を始めた関係でちょっと入り始めた。入門書としては、やはり良い。今度、雑誌内の案内されていた骨董市に行ってみよう。

最近、BRUTUSの合併号がやたら目につくが、大丈夫だろうか。これまでのネタを放出し売り上げを稼ぐことになると、先行きが心配になってくる。BRUTUSを買うことはそうないが、続いてほしいと思う雑誌である。

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愛車について思うこと

2015年04月30日 21:34

昨日、岐阜県の社寺を5つ程廻った。車で、である。車を購入したひとつの理由は、電車では行きづらい社寺建築があるからで、車なら融通が効くだろうと考えたことにある。それを、いざ実践したわけである。

iPhoneのカーナビを使い、高速はまだこわいので国道を走って、目的地を行く。確かに、電車にはない、点と点とを結ぶ合理性はあるが、常に気を張っているため、なかなか疲れた。ましてや、ここは交通事故最多の愛知県。ゆったりと運転させてもらえないこともある。といいながら、運転にはそれなりに慣れて、とりあえずナビがあればどこへでも行かれるような状態にはなった。

暑過ぎず、ちょうど良い天気だったため、ここぞとばかりオープンカーにしてみた。これが何とも気持ちいい。風が抜けていくのではなく、全身を風がまとうような、そんな感覚である。夕方頃には涼しくなったため、身体が冷えたのでクローズ状態にしたが、大変さも含め、「走っている」という感覚があった。

実際に走ってみて、面白かったこと。

運動公園の駐車場に止める際、野球帽をかぶった小学生たちが「何あれ!超かっけー!!」と遠くから叫んでいたり、老夫婦が受付をするお寺の駐車場では、電動でクローズする屋根を見て、ジェスチャーで話していたり、信号で止まっていると、隣に止まったあんちゃんに「給油口の口空いてるでー!」と教えてもらったり、普通ではないだけに、周りのリアクションが面白い。建築もそうだが、オープンであることは、接点を広げる。しかも、走っている本人からは視覚的にはクローズ状態とさほど変わらないため、あまり恥ずかしさのようなものもない。

困ったことといえば、大きな蜂が入ってきたこと。オープンであることは、人以外にもオープンであるため、仕方がないが想定外だった。

オープンカーは屋上庭園と似ている。そうしなければいけない必要はなく、非経済的で非合理的。日本の気候にも合わない。ある意味、忍耐である。でも、超スピードで、一時の風景の美しさや、空気と一体化されるということは、機械時代が獲得した、人間の贅沢であると思ったりもする。

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温もりのモダニズム建築

2015年04月30日 21:05

真禅院を見に行った際、ふと惹かれる何かを見つけ、何となく歩いて行くと、久々に衝撃を受ける程の近代建築に出会った。「垂井町勤労青少年センター」という。何とも時代と地域性を醸し出す名称であるが、建築そのものも「ある時代」が、それこそ「凍れる音楽」のように停止し、そして風化したような、そんな建築である。

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四角いコンクリートのヴォリュームに、挿入されたガラスの箱。そして、整然と並べられた開口部と、中庭を作るためのアール。脇に廻ると、垂直の煙突、半円形の踊り場。白と透明なガラスと鉄による抽象的な表現は、モダニズムの教科書的なデザインであり、しかも、それが異端ではなく、無理がなく、自然と庶民的な表情をしているのがとても好感を持てた。

家に戻ってからネットで調べても、建築家の名前が出てこない。どこかの設計事務所か、名もない建築家が設計したのだろうか。確かに、戦前であれば、建築界の名作となれたかもしれないが、古くてもせいぜい30年前程度か、「機械時代」がとうに幻想だと知ってしまった年代であろう。

しかし、そうであればこそ、私はこの建築に衝撃を受けた。上手く言えないが、モダニズムブームではない時代に、建築の基本を体現し、それが、単なる無機質な箱ではなく、人に愛され続けた建築のように感じるからだろうか。モダニズムは「未だ来ることのない時代」のための建築であり、今をもってしても、それは「未来」なのである。それは同時に、現世とは異相の建築である。しかしこの「近代建築」は、(内部をのぞいても)庶民的に使われ続けたような痕跡を感じる。凍ったのは「建築」ではなく「かつてあった時代」である。

建築は停止する。そして、時代のなかで風化していく。この建築には、その生まれたときの時代と、風化していく現象が、見事に具現化されていた。近代建築は、常に冷たい建築である。人のぬくもりと疎遠でなければ「芸術品」にはなりえない。

この建築は、コンクリート、鉄、ガラスに温かみを感じるような、そんな建築だった。

私の肉体

2015年04月30日 17:15

スポーツジム通いを辞めて一か月。身体がぶよぶよである。これまで付けた筋肉が一気に落ちたような、そんな感覚である。

そう考えてみると、筋トレというものはなかなか考えものである。つまり、私の生活では、外見からわかるような盛り上がった筋肉は必要ないということで、と考えると、そんな肉体を必要としない私の生活はどうなのかということにもなるのであるが・・・。

最近、筋肉を必要とするのは、会社での書類廃棄日だけである。その時は、重い段ボールを次々と運び出すので、役に立つ。役に立つというのは、重いものを持てるということではなく、見た目華奢な私に、女性陣が遠慮せず段ボール運びを任せるかどうか、ということなのである。女性にモテるとかそういうことではなく、妙な遠慮というか配慮というか、そういうこと面倒臭さから逃れたいのである。

ウェイトトレーニングは、気持ちが良いものではなかった。だから、それによって形成された私の(僅かながらの)筋肉も、自然と落ちるのであればそれでよいと思ってもいたが、ストンとなくなると、ちょっと違和感を感じる。

ムキムキなマッチョにはなれないし、なろうとも思わないが、自分にとって、心地よいバランスは保っていたい。

149_真禅院(岐阜県不破郡)

2015年04月30日 09:57

岐阜県不破郡垂井町にある天台宗の寺院。山号は朝倉山。山号にちなみ朝倉山真禅院、朝倉寺、または単に朝倉山とも呼ばれている。 かつての南宮大社の僧坊であった。本尊は無量寿如来(阿弥陀如来)、十一面観世音菩薩。無量寿如来は南宮大社本地仏。古くから霊験があると言われ、平安時代の承平天慶の乱の際、朱雀天皇の勅令により平将門調伏祈願が行なわれている。また、前九年の役の際、後冷泉天皇の命により安倍貞任追討祈願がおこなわれている。境内には干支の守り本尊(守護仏)がある。西美濃三十三霊場第十七札所。美濃七福神(大黒天)
(wikipediaより)

こちらも三重塔見たさで寄ったのだが、大陸の色彩か、或いはもっとチベットよりのそれに近いようにも感じた。色々見ていると、何でもよいかなと思ってしまう。いい加減になっているわけではなく、その多様性こそ社寺建築の特性だからである。創建当時はそうではなかったかもしれないが、社寺建築にはアフォリズム性よりも、「待つ」という特性があるように感じる。今、その主張がそぐわないのであれば、ずっと待って、いつか迎えられる時まで、ずっと待っているというような・・・

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148_日吉神社(岐阜県安八郡)

2015年04月30日 09:57

神社でありながら室町期の三重塔や十一面観音坐像を伝える古社。

三重塔見たさに行ってみたが、塔よりも本殿の方がよかったか。塔は和様だと思うが、屋根の華麗さは禅様のようにも見える。細かい様式の差異よりは、そのような雰囲気を感じ取れるかの方が、私にとっては重要な課題。そこには創建者の「声」がある。本殿は朱色に塗装されているものと、木肌そのままのものとあった。こういう風景を見ると、塗装は遂には剥げ落ちる前提で塗られているのではないかと考えてしまう。社寺建築は、塗装の寿命よりも、よっぽど長いサイクルで生き続けるので・・・。

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147_天神神社(岐阜県揖斐郡)

2015年04月30日 09:55

横蔵寺から引き返す途中、ふと立ち寄った神社。道路わきの山腹にある小さな神社。鳥居をくぐって登ると、小さなお社がある。私は、これが神社だと思った。小さな小さな粗末な建築だが、そこには畏怖の念があり、手を合わせ、頭を下げずにはいられない。

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146_横蔵寺(岐阜県揖斐郡)

2015年04月30日 09:54

803年(延暦22)に伝教大師最澄が創建したと伝えられる寺。22体の国の重要文化財が安置され、多くの絵画、書籍を蔵していることから"美濃の正倉院"と呼ばれている。中でも200年前に即身成仏したという妙心法師の舎利仏は有名。秋になると周囲の山々や境内に植えられた木々が美しく色づき、紅葉の名所となる。

圧巻の美しさを誇る。このような美しさはどのように創ったらよいのだろうか。木々から漏れる光と、それを映す石畳。陰影に映える苔。空に向かって起立する塔。華厳寺同様、建築に使われる木材に艶がない。これは種類に寄るのだろうか。紅葉の時期は、また素晴らしいのだろうが、そうでない、あまり人のいない時期だからこそ、この静寂さを感じるのだ。

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145_華厳寺(岐阜県揖斐郡)

2015年04月30日 09:53

岐阜県揖斐郡揖斐川町谷汲徳積にある天台宗の寺院。 山号は谷汲山。 本尊は十一面観音、脇侍として不動明王と毘沙門天を安置する。 西国三十三所第三十三番札所、満願結願の寺院で桜、紅葉の名所としても知られ多くの観光客で賑わう。 西国三十三所の札所寺院では唯一、近畿地方以外にある。
(wikipediaより)

山間の、傾斜地に立つ美しいお寺である。何と形容するのかよくわからないが、柱や梁に多くの模様が彫られ、装飾的で、かつ艶のない木の表情をしている。境内はサツキ(だったかな)が咲き、春であるが、紅葉のような美しさがあった。新緑の社寺もまたよい。

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144_某神社(神奈川県大磯町)

2015年04月30日 09:52

延台寺の近くにあり、たまたま寄った。道路にて区切られた矮小敷地になっていた。同じような神社を見て、同じような感想を述べているが、このような何気ない空白にこそ、社寺建築の神髄があると考えている。

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