風景-49

2015年02月28日 21:33

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神社の境内のテントにあった椅子。それほど美しいプロポーションでもなく凡庸だが、ずいぶんと色々な人に使われた痕跡があり、良かった。

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奈良駅。新駅舎建替えに伴い、旧駅舎を部分保存。台湾の高雄と同じ手法。

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茶道のお稽古そばの高架。ターミナル駅のため途中で終わっているのだが、何かこれから始まるような、躍動感が多少ある。

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京都駅。原広司は色々な石を貼り分けるが、どこの産地かわかるよう、石が説明付きで埋め込まれていた。誰のアイデアだったのだろう。

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とある駐車場に露呈した住宅のファサード。古典的で虚無的で、惹かれた。

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古いデパートの階段。デパートの階段は、ややそそるものがある。かつては大舞台であったが、エレベーターとエスカレーターにその役を奪われ、やや陰惨な雰囲気すら感じる。故に、物としての強さを逆説的に感じることがある。コンクリートの塊としての・・・

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滋賀県のとある風景。友人と夜まで飲み明かし、その後お寺を訪ねた帰り道。寂しさを感じながら、前に進む。

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実家そばの坂道。帰郷し、翌日名古屋に戻るための歩き道。何度も何度も、この坂を登った。

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名古屋で見つけた住宅。ビックリ住宅とか何とかで、ちょっとしたテレビ番組に出ていそう。アフォリズムと言えばそうなのかもしれないけど、少なくとも、今の私では興味が湧かない。

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綺麗でもない川に降り立った鶴。何を思うのか。でも、その姿は美しかった。

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平凡な日常を美しく切り取る

2015年02月28日 21:08

『愛の渦』を観る。

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他のDVDを探しに来たのだが、何となく目にとまり借りた。時々ゲオに行きDVDを借りるのだが、実際に見なかったり、見終わらないことが多い。映像を長く見ていることが苦手なのかもしれない。ただ、この映画について言えば、前半のセックスシーンはやや退屈であったが、とても良い映画であった。

乱交パーティという「非日常」という空間を介入させることで、平凡な「日常」をこれでもかと、美しく描く作品。ありがちではあるが、単なるエロ映画ではなく、しかし、エロティズムを軽快に演出している点は、映画としてはとても心地よかった。

前進の空気と、その充実感

2015年02月28日 21:07

情熱大陸で、向田麻衣さんの特集を観た。お化粧を通し、社会的な貢献をされている方。テレビが無い生活であるが、情熱大陸はYoutubeで時々チェックしている。情熱大陸でも、個人的に当たり外れがあるのだが、これは当たりであった。月並みだが、最後に奥様が化粧をされ喜んでいる顔は、多少涙しながら観た。

ドキュメンタリーは、撮り方に寄っていくらでも美化できる。故に、この番組と向田さんが直接リンクしているとは思わない。ただ、勇気づけられたことは確かである。

時々、いやしばし、もしかしたらほとんどの時間、自分が何かに貢献しているのか、或いはそんなことを考えなければならないのか、よくわからなくなる。わからないというか、無益そのものに対し、虚無感を感じる。でも、それでも、何かをすることで、誰かに貢献するということを試行することは、それだけで意味があるのではないかと、思えたのである。

春先

2015年02月26日 22:36

会社から部屋に戻り、スポーツジムへ行くまでの時間、ラウンジチェアに身体を預けると、とても心地よい。ラウンジチェアは、常に快適であるというわけではないが、時々、驚く程の包容力がある。気づくと、今日はラウンジチェアの誕生日である。Yチェアと並んで10年目である。

こうしてみると、まだまだくたびれない。私が寿命でこの世を去る日が来ても、この椅子は健在であろう。

椅子の写真と共に、自分の写真も撮るようにしているが、自分の写真をとる習慣がない私にとっては、私が生きている貴重な証拠画像となっている。

着ている服を見ると、年によってバラバラである。暖かい冬もあれば、寒い冬もある。今年は、既に春の風を感じつつある。ちょっと、まだ早いような、寂しいような気持ちである。

事務の女性が髪を切ったので「もう春ですね」と話しかけると、「春が来るといいですね」とほくそ笑みながら言った。

まぁいいさ。笑われながら生きていくさ。その方が、春らしい。

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133_清水寺(京都市東山区)

2015年02月22日 20:44

京都府京都市東山区清水にある寺院。山号を音羽山。本尊は千手観音、開基(創立者)は延鎮である。もとは法相宗に属したが、現在は独立して北法相宗大本山を名乗る。西国三十三所観音霊場の第16番札所である。
(wikipediaより)

高校の修学旅行以来であるから、12年振りだろうか。基本的に当時の記憶はないが、外国の方含め、多くの人々で賑わっていた。今回の目的は子安の塔。総丹塗り、桧皮葺の三重塔で、千手観音が祀られている。たまたまか、近くへ行く道が閉鎖されていたため、山の下から眺めるだけだったが、それでも凛とした美しさは、十分伝わった。個人的には、彩色がなく白木の建築の方が好きであるが、曇天だったこともあり、朱塗りの美しさが、ここぞとばかり光っていた。

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132_金戒光明寺(京都市左京区)

2015年02月22日 20:43

京都市左京区黒谷町にある浄土宗の寺院。山号は紫雲山。本尊は阿弥陀如来。通称寺名をくろ谷さんと呼ぶ。知恩院とならぶ格式を誇る浄土宗の大本山の1つである。初めは念仏道場として利用されていた。
(wikipediaより)

鉄道でのアクセスが良くないため、バスで赴いた。大通りからは少し離れているが、そのためか、やや密教のような雰囲気があり、人もまばらだった。山門をくぐってから、御影堂・三重塔と歩いたが、コルビュジエが言うような建築的シークエンスというか、起伏に倣った場面展開が見事で、しかもそれは閉じらた系ではなく、解放された大地のなかで行われていることは、とても新鮮だった。

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131_北向山不動院(京都市伏見区)

2015年02月22日 20:43

京都市伏見区にある天台宗系の単立寺院である。
(wikipediaより)

城南宮へ参拝した帰り、寄った。道路から奥まったところに社殿があり、小さな町のようであった。私は社寺建築を訪れるとき、お辞儀をするか、賽銭するか、手を合わせるか等は、その時の雰囲気で決めている。何となく心赴くままにしようと思っているのだが、この不動院では、特に何もしなかった。それは、格式とは無縁で、自分の心がそうさせるのであり、何か動作を行うことと行わないことにも、特に優劣はない。

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130_城南宮(京都市伏見区)

2015年02月22日 20:42

京都市伏見区にある神社である。式内社で、旧社格は府社。「方除の大社」として知られている。

竹田駅から歩くと、旧友の務めた設計事務所を抜け、こんもりとした森林のなかにあり、とても清々しい気持であった。森林=良いイメージとは至って短絡的ではあるが、そう思うのだからしようがない。
境内の建築も美しく、凛としていた。全体的に建物の高さを抑えているように思え、本当に心地良かった。

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129_大念佛寺(大阪市平野区)

2015年02月22日 20:41

大阪府大阪市平野区にある寺院。融通念仏宗総本山。山号は、諸仏護念院大源山。創建は大治2年(1127年)とされ、日本最初の念仏道場である。本尊は十一尊天得如来(絵像)。「十一尊天得如来」とは融通念仏宗特有の呼称で、阿弥陀如来と十菩薩の絵像である。
(wikipediaより)

やたらと大阪のおばちゃんとその家族で賑わっており、大阪弁が飛び交っていた。本堂は荘厳で、大きな一枚の屋根に被せられた木造は、どこか天守閣のようでもあった。

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128_四天王寺(大阪市天王寺区)

2015年02月22日 20:40

大阪市天王寺区四天王寺にある寺院。聖徳太子建立七大寺の一つとされている。山号は荒陵山、本尊は救世観音菩薩である。「金光明四天王大護国寺」ともいう。『日本書紀』によれば推古天皇元年(593年)に造立が開始されたという。当寺周辺の区名、駅名などに使われている「天王寺」は四天王寺の略称である。また、荒陵寺・難波大寺・御津寺・堀江寺などの別称が伝えられている。宗派は天台宗に属していた時期もあったが、元来は特定宗派に偏しない八宗兼学の寺であった。日本仏教の祖とされる「聖徳太子建立の寺」であり、既存の仏教の諸宗派にはこだわらない全仏教的な立場から、1946年に和宗総本山として独立している。
(wikipediaより)

天王寺駅は、社寺めぐりの中継地点になることが多いのだが、初めて四天王寺に訪れた。元々の印象としては、台風により門と五重塔が大破し、RCによって再建されたイメージが強い。RCということもあり、五重塔は内部階段で上がることができるのであるが、やはり何とも面白いものではない。言ってみれば、RCで作る意味がない建築、であるためである。
ただ、露店が点在し、晴れていればもっと人々の活気に満ちていたことを想像すると、RCで模した五重塔であれ、何だっていいのだろうけど・・・

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