しばし、待とう。

2015年01月31日 21:20

また、寂しい夜である。何をそんなに焦っているのか、何でこんなに充足感に満たされないのか、自分でもよくわからない夜である。こんな時、辻井さんのピアノは、とても優しい。

ひとりになると、いや、これからもひとりであることをふと考えると、常に思うことは、何に人生を捧げようか、ということである。

社会人として、もうそろそろ6年が終わる。ひとりの力では、ひとりの意志では、大きなものごとが変わらないということを、嫌という程実感している。世界を変えることはできても、日本の建設業を変えることは難しい。逆説的に述べることもできるが、重たい現実があることは事実だ。

いや、重たいのは社会的な現実ではなく、私自身である。日々、いつまで続くかわからない人生を歩んでいる人はたくさんいるなかで、なんと生ぬるい焦燥感かと言われればそれまでだが、だが、現にそのように感じているのだから仕方がない。

話が変わるが、私は今、森林こそが、何を変え得る希望ではないかと思っている。それは「日本」ということを語る上で、日本文化といった相対的な事象よりも、もっと大きく強いものではないかと思うからである。そして、日本特有のものだからである。森林や、それに伴う農村について、現代において何ができるかということは、これまで多くの方が尽力され、そして、抜本的に変えることの限界を知ってもいる。話は繰り返す。世界を変えることができても、森林を変えることは難しい。

今、私が属する企業は、全てにおいて称賛すべき会社であるとは思っていないが、大きな会社であることは間違いない。それゆえ、何か出来ることもあると思える。小さいから出来ることもあるが、大きいから出来ることもある。だから、しばしじっと堪えることが、今は重要ではないかと思えて来た。

また、昨日色々な写真を見て、如何に私の趣向が限定されたものであるか、理解した。そして、思い、気持ちを送った。

しばし、待とう。
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BMW試乗

2015年01月31日 20:30

本日、また車を試乗してきた。今度はBMW330ciである。2CVを検討していたのにBMWカブリオレへと考えが変わったのは、誰かを乗せるということを想定したからである。私はこれまで、他人とは異なる生き方をしたいという欲求が強く、2CVに惹かれる理由のひとつもそれであると思われたが、今回は、多くの人に共有できるということを考えた。だが、決してBMWを求めていたわけではなく、4シートのオープンカーを探したら、結果的にこの車に行きついたというだけだ。

試乗してみると、とても乗り心地がよい。身体にビシビシ大地が響いてくるのである。実家はトヨタのイプサムであり、何度か運転したが、何かコンピューター制御された空間のなかにいるようであった。外界の世界とは遮断されていて、私は逆にこわかった。AT車は、基本的にそのイメージが強いのだが、この車は違った(というか、車はきっとそれぞれ違うのであろう)。エンジンも、かなり強力である。

途中からオープンにして走らせたが、これがまた爽快である。春秋はなお良いであろう。信号でストップしている時に開けたため、横断歩道を渡す親子が、指差してみていた。

逆に思うことは、トヨタをはじめとする国産車の優秀さである。要は、デコボコした道や、様々な外界の環境にかかわらず、安定した走りと安全性を低燃費で実現している点を、初めてすごいと思った。

まだまだ模索中である。

オーロラと風のなかで

2015年01月29日 21:33

どんなに頑張っても、多分駄目なことはある。それがいつか報われるのか、よくわからないが、それでもやっぱり、上手くいかないことはある。

ただ、私がこのいくらの時間で学んだことは、世界は二通りではないということである。常に多様な解がある。だから、深くは考えない。上手くいったと思っても、まったく上手くいっていなかったこともあるが、その逆も、また在る。

今は、爽快な心持ちである。

さて、私の人生で、何ができるだろうか・・・

何回だって、何十回だって・・・

2015年01月25日 21:00

ここ数日、といっても3日間、バカみたいに同じ曲を聴いている。Back numberというグループが歌う『花束』という曲である。たまたまラジオで耳にし、翌日にはダウンロードしていた。

とある男女のカップルが、将来一緒に生活することを思い描き、会話形式で彼の彼女に対する気持ちが歌われている。どことなく結婚式ソングな感じがするが、私の場合はそうではない。

「僕は何回だって、何十回だって・・・」

実際、そのように思っても、何十回も何かをできることなんて、なかなかない。私のこれまでの人生でもそうであった。私は、幸福な生活をイメージし、この曲を聴いているのでは必ずしもなく、結果が見えるまで、いや、結果が見えたとしても、何回だって、何十回だって・・・と思っているのである。

車検討中につき

2015年01月25日 20:59

私の部屋にて、車の雑誌や本が増えた。車とは無縁な生活を送っていた私であるが、週末は中古販売店へ足を運び、試乗したり話を聞いている。

そもそも車が必要と思うようになったのは、転職を考え加子母を訪れた際、車がないと動けないことがわかったからである。この年度末の転職を本気で考えていた私としては、車を持つだけでなく、ペーパードライバーを脱出すべく、早い時期に車を手に入れる必要があった。

しかし、車への興味がないまま30歳になってしまったため「いざ買おう!」となっても、何を買っていいのかよくわからない。そこで、かねてから憧れがあったシトロエン2CVを探したところ、寮のそばの中古販売店で扱っており、試乗して印象がよかったため、2CV購入を考えるようになっていった。

歳が明け、少し状況が変わった。ひとつには、馬力がなく幌など寒さに弱い2CVでは、豪雪地帯では動きまわれないということと、何より、一緒に乗る人を考えたことである。その人がどう思うかと、実現性が全くない妄想を思い描きながら、もっと現実的な選択肢へシフトした方がよいと思えてきたとき、ちょうど検討中だった2CVが売れてしまった。

私が車に対して興味が湧かないことは、ひとつには幼年期の経験がある。私は車酔いがひどかったため、車に乗ることそのものが苦手だった。免許を取ってから解消されたが、教習所で車の運転をすることも、とても億劫だった。なぜ億劫だったかというか、私にとって車は、身体と分離された鉄の凶器だったからだ。好きでもない行為をし、それが下手したら誰かに危害を与える、しかもそれ自体には維持費がかかるとなれば、誰だった興味がわかないであろう。

もうひとつには、環境問題と言うことがあった。母は環境への意識が高かったため「車の無い生活を」ということで、JRの駅から近い、千葉のベッドタウンを選んだ。実際には、車を所有し、週末には家族で出かけたりもしたが、歩けるところへは、かなりの時間をかけ歩いた。母の教育の成果か、自動車というものは、私にとっては環境汚染というイメージが付きまとう。実際に電車で移動するよりも、多くのエネルギーを必要とするし、環境に宜しくない。しかも、自動車産業が日本産業の根幹であるとなると、なおさらそこには乗りたくないという、元来のひねくれた性格が上乗せされる。

ただ、環境に優しい生活をしていると、消費活動が減ってくることも事実である、どんどん生活は質素になっていく。何もせず、食事も必要最小限とするために動かないのであれば、環境には良いかもしれないが、しかし、やはり宜しくない。

車酔いを防ぐために、よく車の窓から入ってくる風を吸いこんでいたが、そのためか、風に当たるのが好きである。どこか、現代の車は現代建築と似て、密閉された安全な環境のなかで、空調設備により環境を形成しているように思える。そこに風を通すことが、私の建築的目標であるならば、車にも風を求めたい。そして、一人で乗るためにエネルギーをくう車であるが、人や物を載せられることに車の利点があると考え、私は4人乗りオープンカーを求めた。今検討しているのは、なぜかBMWである。2CVからずいぶんとんだ。

それから、環境とかそういうこともあるが、誰かを幸福にするということにおいて、オープンカーは意味がある。故障の可能性や維持費の観点から、或いは必要ないからか、日本ではオープンカーがさほど求められない。だからこそ、時々友人を載せることは、ちょっとした非日常のプレゼントとなる。

私は、ひどく自己完結型の趣味を持つため、他人に何かを提供してあげることが難しいのであるが、これならば、何か提供できるのではないかと、考えたりするのである。

まぁ、家族がいれば、このようにうだうだと考えなくてもよいのだけどね・・・

119_甚目寺(愛知県あま市)

2015年01月24日 21:50

純粋に、お願いをするために訪れた。真っ暗の空間に、私は畏怖を感じた。それはきっと、人間の、個人の力を超えた何かを求めるときに、人が希求するものではないかと思った。
私は、あの人が健やかであること、ただそれだけを願った。

118_法界寺(京都市伏見区)

2015年01月24日 21:49

京都市伏見区日野にある真言宗醍醐派別格本山の寺院。山号を東光山と称する。本尊は薬師如来(秘仏)、開基は伝教大師最澄とされている。藤原氏の一族である日野家の氏寺で、「日野薬師」あるいは「乳薬師」の別名で知られる薬師信仰の寺であるとともに、国宝の阿弥陀堂と阿弥陀如来像を有することでも知られる。

醍醐寺からひたすら歩いた。タクシーもバスもなかったため歩いたのだが、名もない道や風景は、旅の御馳走である。
お寺自体について、阿弥陀堂に安置された阿弥陀如来像は、ふっくら柔和で、静かに私は拝んだ。段々と、仏像様の雰囲気が感じられるようになってきたというか、感じられるものでそうでないものの区分けで出来て来たというか、とにかく、ひたすら見て回ることで、何かしらの変化が出てきていることは確かである。

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117_醍醐寺(京都市伏見区)

2015年01月24日 21:49

京都府京都市伏見区醍醐東大路町にある、真言宗醍醐派総本山の寺院。山号を醍醐山(深雪山とも)と称する。本尊は薬師如来、開基(創立者)は理源大師聖宝である。伏見区東方に広がる醍醐山(笠取山)に200万坪以上の広大な境内をもつ寺院である。豊臣秀吉による「醍醐の花見」の行われた地としても知られている。

金堂と五重塔は素晴らしく美しかった。塔には惹かれる。塔には、やはり美しいものとそうでないものがあるが、その違いを捉え、建設することはとても難しいと思われる。本当に、長い長い経験が必要であろう。
その後、三宝院にも足を運んだ。庭のある方丈であるが、写真撮影不可の為画像が残っていない。しかし、私は「撮影不可」とみると、少し安心する。撮影できる場合は、どうしてもアングルなど考えてしまうので、それがないとなれば、純粋に空気を感じることに徹することができる。変な現象だが、そうなのである。

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116_伏見稲荷大社(京都市伏見区)

2015年01月24日 21:48

京都市伏見区にある神社。旧称は稲荷神社。式内社(名神大社)、二十二社(上七社)の一社。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁に属さない単立神社。稲荷山の麓に本殿があり、稲荷山全体を神域とする。全国に約3万社あるといわれる稲荷神社の総本社である。初詣では近畿地方の社寺で最多の参拝者を集める。現存する旧社家は大西家。

いつかは行きたいと思っており、実現した。思ったより京都駅から近く、アクセスが良い。多くの参拝客でにぎわっていたが、やたら中国、韓国人が多い。
鳥居のトンネルは、やはり美しいというか、動的な映像としての魅力があり、わかりやすく人の心をつかむ。今の建築に必要なものの一つは、きっとこういうことである。

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115_二尊院(右京区嵯峨)

2015年01月24日 21:47

京都市右京区の嵯峨野にある天台宗の寺院。山号は小倉山。正式には小倉山二尊教院華台寺という。二尊院の名は、本尊の「発遣の釈迦」と「来迎の阿弥陀」の二如来像に由来する。

本堂改修に伴い、二如来像は別の場所にて安置されており、本堂にも入れなかった。参拝者にとっては面白くない事態だろうが、「そっち側」の人間としては、何か興味の湧く事柄だった。本堂を建て替える理由は何であり、どの程度の費用がかかるのか。そんなことを考えていた。

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