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年末

2014年12月30日 12:37

12月26日(金)

代休を取り、まず区役所へ。書類を受け取る。その後、その足で中古自動車屋へ。シトロエン2CVについて、店員さんと相談。一目見て、惚れ惚れする。そして、これが以前ドイツで見たシトロエンと同様仕様であることに、なおさら喚起される。自転車をこぎ、中島工務店の長久手スタジオへ。想像以上に美しい空間で魅了される。案内して頂いた方も、とても良い方であり、やはり魅力を感じる。
昼食をそばのファミレスで取りながら、休日とはいえ結局仕事の電話。本を読み少し休んだら、自転車でレンタルビデオ屋に寄り、寮へ。寮室は清掃中のため、近くの喫茶店で本を読み時間を潰す。
夜は本を読んだり、ブログの整理をしたりしながら、小津安二郎による『東京物語』を観る。

12月27日(土)

午前中、本屋にてシトロエンの本を購入。そのまま名古屋へ東京の女性を出迎えに。その後、ホテルのレストランで食事をし、午後を過ごす。夕方は、喫茶店を梯子し、別れる。家で『東京物語』を観終える。

12月28日(日)

早朝、新幹線で滋賀・京都へ。お寺を方々廻る。午前中、名古屋の女性からメールの返信を貰う。
夕方、京都の女性と待ち合わせをする。夕方18時から翌朝6時まで、4軒はしごし飲み続ける。

12月29日(月)

6時半頃ホテルに着き、8時半には起き朝食を食す。重い身体を引きずりながら滋賀県へ。方々お寺を廻る。
夕方、電車にて名古屋に戻る。疲れにて21時就寝。

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108_石塔寺(滋賀県東近江市)

2014年12月30日 11:48

滋賀県東近江市にある天台宗の寺院である。山号は阿育王山(あしょかおうざん)、本尊は聖(しょう)観世音菩薩(秘仏)。「石塔寺」の名のとおり、境内には、阿育王塔と呼ばれる石造三重塔を中心に、数万基の石塔や石仏が並ぶ。

タクシーを乗ること数十分。西明寺、百済寺、石塔寺と廻ることで、一万円以上のタクシー代を払うことになった。境内は、文字通り石塔・石仏が並ぶ。数多の仏がいるという意味では、引接寺と似ている。この世には、生命の数だけ神がいると考えると、それが具現化した姿なのかもしれない。最寄駅までの道中、私はぽっかりと空いた空を見ていた。その空は、どこまでもどこまでも続いていて、私は涙が出そうであった。

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107_引接寺(滋賀県東近江市)

2014年12月30日 11:47

信長の焼き討ちにより無縁仏となったお墓を、何百と集め極楽浄土を願うためのお寺。その、純粋に仏が並ぶ様は圧巻と言うか、爽快さすらある。ひとつの想いも、何百の想いも、きっと変わらない。それに、いつだって変わらないのだと思う。

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106_百済寺(滋賀県東近江市)

2014年12月30日 11:46

滋賀県東近江市にある天台宗の寺院。山号を釈迦山と称する。本尊は十一面観音、開基(創立者)は聖徳太子とされる。金剛輪寺、西明寺とともに「湖東三山」の1つとして知られる。

とても静かなお寺だった。古の繁栄を想うような、そんなお寺だった。しかし、展望台から琵琶湖と比叡山を眺めた時、なぜ聖徳太子はこの場所を選んだか、納得がいく思いであった。

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105_西明寺(滋賀県犬上群)

2014年12月30日 11:46

滋賀県犬上郡甲良町にある天台宗の仏教寺院。山号を龍応山(りゅうおうざん)と称する。本尊は薬師如来、開基は三修上人である。金剛輪寺、百済寺とともに「湖東三山」の1つに数えられる。西国薬師四十九霊場第三十二番札所。

最寄駅からタクシーにて到着。石段をゆっくり上がり、本殿へと行きつく。住職の親切な説明も心温まるものだったが、本殿に至るまでの苔をはじめとする植物の喚起と匂い、空気が素晴らしかった。そして書かれた一言。「この寺は西明寺が好きです。大事にしましょう」

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104_仁和寺(京都市右京区)

2014年12月30日 11:45

京都府京都市右京区御室にある真言宗御室派総本山の寺院。山号を大内山と称する。本尊は阿弥陀如来、開基(創立者)は宇多天皇。「古都京都の文化財」として、世界遺産に登録されている。皇室とゆかりの深い寺(門跡寺院)で、出家後の宇多法皇が住したことから、「御室御所」(おむろごしょ)と称された。明治維新以降は、仁和寺の門跡に皇族が就かなくなったこともあり、「旧御室御所」と称するようになった。御室は桜の名所としても知られ、春の桜と秋の紅葉の時期は多くの参拝者でにぎわう。徒然草に登場する「仁和寺にある法師」の話は著名である。当寺はまた、宇多天皇を流祖とする華道御室流の家元でもある。

曇天の冬の仁和寺は、憂鬱さを讃えているようであった。個人的には、白書院を取り巻くお庭の構成に、至極惹かれた。どこか禅の庭のようでもあったが、優美さと壮麗さは、それとは異なるものであるように思えた。

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103_神護寺(京都市右京区)

2014年12月30日 11:43

京都市街の北西、愛宕山(924メートル)山系の高雄山の中腹に位置する山岳寺院で、紅葉の名所として知られる。清滝川に架かる高雄橋から長い参道を歩いた先の山中に金堂、多宝塔、大師堂などの堂宇が建つ。神護寺は空海が東寺や高野山の経営に当たる前に一時住した寺であり、最澄もここで法華経の講義をしたことがあるなど、日本仏教史上重要な寺院である。寺号は詳しくは「神護国祚真言寺(じんごこくそしんごんじ)」と称する。

京都駅から1時間程度バスに揺られたどり着く、渓谷に面したお寺。もみじが散り、枯れ葉の絨毯のなか、肌寒さと湿気に包まれ山道を歩く経験は、いかにも社寺探訪の魅力であり、非日常的な感動である。建築的な感動としては、本殿の奥にひっそり聳える多宝塔が美しかった。どの場所からも、よく見えないのである。近くに寄っても、周囲を囲った格子の隙間から、その様子をうかがうことしかできない。私はそれに、えらく感動し、しびれた。これこそが神の空間であり、建築を超えた何かである。私はその感動を、ひとり静かに感じていた。

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102_三尾神社(滋賀県大津市)

2014年12月30日 11:43

貞観元年(859)卯の年、圓城寺の開祖である智証大師円珍が琴緒谷に復興の後、室町時代、応永年間に足利将軍が現存の本社を復興された。慶長年間には、太閤秀吉が社殿の修理を加え、若干の朱印を下附せられた。本社が現在地に移ったのは明治九年五月十二日のことであり、明治十四年に郷社に加列され、明治二十二年には内務省古社保存資金下賜、明治四十三年に県社に昇格している。

三井寺のついでに立ち寄ったため、由来も何も知らなかったが、鳥居から拝殿に至るまでの参道が、少しパースが効いているような遠近感があり、神社的な思考とは異なるが、小さくも劇的な空間であった。

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101_三井寺(滋賀県大津市)

2014年12月30日 11:42

天智・弘文・天武天皇の勅願により、弘文天皇の皇子・大友与多王が田園城邑を投じて建立され、天武天皇より「園城(おんじょう)」の勅額を賜わり、「長等山園城寺」と称したのにはじまる。俗に「三井寺」と呼ばれるのは、天智・天武・持統天皇の産湯に用いられた霊泉があり、「御井(みい)の寺」の厳儀・三部潅頂の法水に用いられたことに由来する。長い歴史の上で、当寺は再三の兵火にあい焼失したが、豊臣氏や徳川氏の尽力で再興され、現在も国宝・重要文化財・名園など貴重な寺宝を数多く伝えている。

山の形状がそのまま境内のような、そんなお寺である。建築的な伽藍の美しさよりも、起伏に富んだ景観と、境内を掃除する若い人たちの熱気がごちそうであった。

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100_長等神社(滋賀県大津市)

2014年12月30日 11:41

天智天皇が大津京鎮護のため、長等山の岩倉に須佐之男大神を祀ったのが始まり。その後、智証大師円珍が日吉大社を合祀し、貞観2年(860)に園城寺(三井寺)の鎮守とした。本殿は正面五間の構造で類例の少ない社殿であり、市指定文化財の楼門は明治38年(1905)の完成だが、中世の古い様式にのっとった見事な造りとなっている。

三井寺参拝口に隣接しているため寄った。小さな神社だが、社の配置が美しく、正月の準備で大忙しであった。家族の生活が映し出されるのは住宅かもしれないが、人々の生活が映し出されるのは社寺であるようにも思う。

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