34_某寺(愛知県名古屋市北区)

2014年06月29日 21:05

大通りに面して建てられた、小さなお寺。一般住宅のような建物に付随している。こんな小さく、由緒のないようなお寺も共感を覚える。

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33_久国寺(愛知県名古屋市北区)

2014年06月29日 21:04

境内の梵鐘は、名古屋城の鬼門除けとされ、芸術家岡本太郎によって昭和40年につくられた。

本堂自体は、おそらくRC造でいつも通りの感想である。梵鐘は、本当にこれでよいのかと思うほど、岡本太郎的だった。

社寺建築を訪れることが最近好きになっている。というのは、誰もいないからである。誰もいないか、祈る人だけがいる。それも含め、何もない場所を感じる。

今日「あれ?まだ誰もいな~い」と言って、小さな男の子が走ってきた。岡本太郎の鐘をしばし見ていたが、どんな風に映るのだろうか。

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私にとって、重要な建築になった

2014年06月29日 20:43

『白井晟一の建築Ⅲ 虚白庵と雲伴居』 

今日見つけ、今日購入し、今日読破した。読破と言っても、文章は簡単な解説とエッセイしかないため、ほぼ写真集と納まり集である。

虚白庵については、当然既に知っていたが、枝垂れ桜とコリント式柱の柱頭の対峙した庭の写真を見た時、改めて衝撃を受けた。西洋の白が太陽を浴びているという点では、三島由紀夫邸の庭と類似するが、そこにある虚無感と空白感は、建築的なそれであった(三島由紀夫は文学的なそれだったが・・・)。見ていて、スカーっとする。私が求めている「何もない場所」に近いように思えた。

既に取り壊されているため、見ることは不可能であるが、そうであるが故、私としては、とても重要な建築になった。

趣味の本

2014年06月29日 19:43

『すばらしきインドア大自然 水草水槽のせかい』 著:タナカカツキ

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アクアリウムの作り方、楽しみ方について分かりやすく書いてある本。純粋に、写真を見ているだけでも楽しい。

『所ジョージの世田谷ベースvol.15 所さん的カスタムスタイル』

私はコレクター気質が少しあり、玩具などを見るのも嫌いではなく、雑多な風景も好きな為、世田谷ベースは以前からちょっと気になっていた。ただ、何回か手にとっても購入する気にはならなかったが、ブックオフで安く売っていたため購入。

この号は車のカスタムを特集しているのだが、私は元々車には興味がなかったが、最近ちょっと気になっているため、ちょうど良い号であった。ちょっと思ったことには、世田谷ベースは鉄骨造の無骨な小屋で、既製品の部材で出来ている(おそらく)。それゆえ、建築的にカッコイイかと言えばそうとは思えないが、この建物そのものはカッコイイ。矩形の箱のおもちゃ箱と言う意味では、イームズハウスにちょっと近いかもしれない。サッシを薄く見せることも大事だが、本当に建築として重要なことは何か、あまりに我々は思考停止になりがちなように思えた。

車ということでは、本日豊田の博物館に行った。繊維業と自動車業の歴史展示館。名古屋に来たからには一度見ておくべきかと、足を運んだ。目が疲れていたため、ちょっと見るのに苦労したのだが、得た大きな感想としては、やはり車には興味がわかないということだった。ただ、その理由がわかった。

車は、様々な機械をボディでくるむ。専門家ではないのでよくわからないが、どうも筋肉の周りにダボダボの服を着ているような、そんな印象を覚えてしまう。構造即意匠が最近素晴らしいと思う私は、これがどうも腑に落ちないのである。故に、ボディを剥いで行くと、どんどん惹かれる。オープンカーはカッコよく思え、さらにはレーシングカー、特にマリオカートのような、スケスケボディの車には惹かれるものがある。

車より、飛行機の方が惹かれるが、それは、形態が機能を帯びている(かのように見える)からかもしれない。

遠くを見ながら

2014年06月28日 22:45

今日は、人生初のマッサージに行った。名古屋の友人が営んでおり、友人付き合い兼興味により、伺った。

自分の筋肉について、初めて知った。私の筋肉は柔らかい良好な筋肉らしい。お世辞もあるだろうが、ずいぶんと褒められた。

猫背の私は、「まず遠くを見ること」と教えられた。近くを見ていると、段々とうつむきがちであり、悩み事をしているとなおさらそうなるのだとか・・・。

視力がどんどん落ちているこの頃、そして仕事上の悩み多きこの頃、ちょっと遠くを見ながら、歩いていこう。

循環系小宇宙

2014年06月28日 21:53

一か月程前だろうか、急に室内でもメダカを飼いたくなった。個人的な事だが、人工的な環境のなかでメダカを育てることには、個人的に抵抗があった。ただ、今100匹を超えたであろう稚魚達は、私の水鉢で生まれ、育ったということで、それが私にとっての免罪符になり、多少私の欲望を行使してもよいであろうと思うようになった。

実際に飼ってみると、とても上手くいった。彼らにとっては、快適かそうでないかはわからないが、少なくとも、日々元気に泳いでいる。元々は、外に置いた水鉢の縮小版ということで、小石を敷き、水草を浮かべていたのだが、その泳ぐ姿を見るのが楽しく、大き目のガラス瓶を100円ショップで購入し、そちらに移した。

当初、水草を入れず飼育していたのだが、見る見るうちに水が濁っていった。理由はその時はわからなかったのだが、水草を入れたら、数日でかなり透明になった。要は、メダカのふんやえさの食べ残しを、水草によって繁殖したバクテリアが食べてくれるのである。小さな生態系が生まれ、水が透明化した。

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私はこの魅力を覚え、もっと美しく、水草を飼育したいと考えた。色々調べた結果、ろ過装置やCO2を機械的に与えず飼育できるウィローモスを使う事にした。小石も辞め、ソイルを敷きつめた。

今日、その水槽立ち上げを行った。今はまだ水が濁り、水草もまだらだが、水草水槽は数カ月のスパンで楽しむもの。ゆっくり付き合っていきたい。

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以前とは、メダカの動きが異なる。ずいぶんと、底の方でも泳いでいる。以前は、水面に集まっていることが多かった。メダカ用ソイルのおかげだろうか・・・?

メダカがどう感じているかはわからないが、このアクアリウム(?)という世界は、なかなか面白い。でも、色々な機械をコンセントで繋いでまでやりたいとは、今は思わない。普段でも電気コードまみれなのだがら、自律的に、閉鎖された世界のなかで循環系の小宇宙が出来ることが、今の楽しみである。

何となく思ったこと

2014年06月28日 21:29

今一緒に仕事をしている上司は、もうそろそろ定年退職の年齢である。元々図面屋さんだったため、恐ろしくディテールについて詳しいのだが、全体的な図面チェックはあまりしてくれない。支店ならではのものかとも思うが、入社して以来、上司が図面の細かい点をチェックすることを拒否する様は、幾度となく見てきた。口々に言うのは「歳を取ると集中力がなくなる」である。

上司は私より歳をとっているのだから、それに対し「そんなはずはない」とは私は言えない。「お前もいずれわかる」で終わってしまうからだ。「ではそうならないための努力をあなた方は何かしているのか?」と問いたくなることもあるが、私も結局は平凡な老年期を迎えそうな気もし、面白くない気持ちになる。


あまり脈略はないが、先日サッカー日本代表がワールドカップから姿を消した。なかなか、プレイヤーもサポーターも、ショックは大きいようである。期待し過ぎなのか、実力不足なのか、たまたま運が悪かっただけなのか、私にはよくわからないが、個人的には、これまでのワールドカップとは別の印象をもった。

これまでは、世界との実際の実力差は、結果としての得点以上のものがあるのではないかと思えたが、段々と、実態が結果に追い付いてきたように思えた。受験勉強始めたての頃は、問題のひっかけにはまるため、逆に点数が落ちると言われるが、それに近いものがあるように感じた。

それにしても、建築家と異なり、選手としての寿命が短い彼らにとって、4年という時間は、とてもずっしり重いものなのだろう。建築に関して言えば、大プロジェクトであれば、竣工まで至らないものもある。時間の価値は、各々異なる。

サッカーについて、元サッカー日本代表の.宮本恒靖氏が技術委員長に就任だとか。どのような役職かよくわからないが、37歳という年齢は、ちょっと興味深く感じた。この前までは、現役だったからなぁ。

あまり結論のない、ぼやきでした。

三十路の空

2014年06月25日 22:34

静岡のYくんへ。

葉書ありがとう。千葉経由で、名古屋に届きました。

ブログは、やはりいつかの(他人である)自分宛てに書いているような気がしています。それゆえ、いつかの私が、かろうじて当時の様子が思い出せるように、自分の想いを暗号化しています(笑)

お子さんもずいぶんと大きくなったと思います。ぜひ会いたいですね。

姪がたまに実家に来るだけのために、我が家は冷暖房完備になりました(笑)。私の風のイエ思想には相反するものですが、人間としては間違っていないように思ったりしています。御殿場同様(?)、名古屋も車社会ですが、それが誰かと誰かをつなぐなら、近代化も悪くないかなと思います。

夜空に映る、マンションの灯りを見ながら、物思いにふける、独身30歳でした。

未来へ

2014年06月22日 22:21

「ついに30になっちまった俺は・・・」というのは、『北の国から 2002 遺言』で、純が吐くセリフである。当時私は10代だったから、30歳というのは、やはり遠い未来のように感じられた。

多くの人が抱く感想同様、それは普通に訪れた。ただ「もう30か」というショックはない。今まで必死に生きて来たので、過去に戻りたいとも思わないし、むしろ「30代一年生」ということで、若返ったようなそんな気持である。

また、それは多くの人に祝福してもらったことが要因かもしれない。金曜日、名古屋の女友達2人に祝ってもらい、とても良い夜になった。土曜日は家族でお祝い会。いつも通りの宴会。姪も来ていたが、彼女の目からは、この家はとても大きく見えるのだろうな。私は小さい頃祖母の家に行く時は、それはそれはとても大きな家に思えた。

実家に帰った土曜日、午前中神保町に寄った。そこで、3月に会社を辞め、広島で勤め始めた元先輩と遭遇。その先輩は、実は名古屋に来るはずだった。金銭的には困窮しているらしいが、生活は充実しているらしい。とりあえず、元気そうでよかった。

しっかり、着実に、明日からも生きていこう。

幸せが何か分からない時に読むと良い本

2014年06月15日 20:49

『1歳から100歳の夢』著:日本ドリームプロジェクト を読む。

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以前本屋で見かけ興味が湧いたが、その時は買わず、結局ブックオフで半額で売られていたため購入。ほぼ一日で読了。

思ったよりも重要と言うか、意味のある本だった。各年齢の100人の方々が、夢を語るのみなのだが、1歳から100歳まで一気に読むと、100年というか人生を懸け抜けたような、そんな感覚がある。

そして、どんな夢も、また夢がないことも、全てが並列に、優劣なく語られていることは、とても嬉しいことであった。そんなこと当たり前なのだけれども、語ってもらう事で、再認識させられた。

幸せが何か分からない時に読んでみると、きっと良いと思える本。



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