風景-43

2014年05月25日 20:35

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常滑で出会った旅館(?)。ハウルの動く城のように、様々なパーツがプリコラージュ的に構成されている。素材感が一律なためか、意匠的に破たんしていないのが面白い。今にも動き出しそう。

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純粋な小屋。そこらへんの高級住宅より、よっぽど美しく思える建物。

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同上。

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アールデコ調というか、どこかレトロな建物。何か歴史があるのだろうか。

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瀬戸物のアトリエ。純粋に、形がよかった。本当に実用的な建築は、やっぱり美しいと思う。

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風のイエに似ている。RC造の架構で宙に持ち上げられたヴォリュームと、空洞ブロックとサッシの構成。素材感が現れている点も好感が持てる。

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駅の構内で見つけた青空。何かの広告かと思いきや、何も文字がない。純粋青空。

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街中で見つけた、簡易石庭のような空間。もう少し構成の仕方があるように思えるが、都会のなかにこのようなスペースがあることは、良いと思える。

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名古屋の夕日。夕日はどこでも美しい。

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マンションエントランスの独立壁。視界を制御するのだろうが、純粋な壁であることは、美しかった。

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何てことない民家の車庫なのだが、この空白感と、向こうに見える庭の構成が良かった。

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小さな医院。鉄骨造のグリッドで、2階が住居スペースと屋上庭園になっていると思われる。純粋な形態と素材の使い方が、素直に素晴らしいと思える。

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28_塩竈神社(名古屋市天白区)

2014年05月25日 20:05

安産と虫封じの神様として敬われている。境内には市の保存樹で樹齢百余年と言われる藤の老木があり、見事な薄紫の花を咲かせる。

平入りの大社造。起りも照りも一切なく、直線的な神社。そもそも好きな形式であるが、階段をあがり、その姿を見たときは、ぞわっとした。感動というよりは、何か神秘的なものに接したような、そんな感覚である。
一般住宅街のなかにひっそり建っているのだが、小さいながらに、丘状の土地を生かした境内も、素晴らしく、非日常の空気に満ちていた。

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27_針名神社(名古屋市天白区)

2014年05月25日 20:04

尾張氏の末裔尾治の針名根連の命を祀る神社。約1100年以上の歴史を有し、境内は広大な森で覆われている。

本殿はRC造だが、付属建物は木造(最近建てられたと思われる)。建物そのものの感動はなかったが、参道の構成が素晴らしかった。
鬱蒼とする森のなかを、緩いカーブを描きながら歩き、突き当たりの車廻しを左へ向くと、楼門の先に本殿が現れる。
社寺ならではの、ドラマティックな演出。

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26_秀伝寺(名古屋市天白区)

2014年05月25日 20:02

1498年創建らしいが、本堂はRC造のため、あきらかに近年に再建されていると思われる。
歩いていてたまたま見つけたのだが、保育園が併設されている点がとても興味深かった。
園児たちが、境内の空白を共有していることを考えると、何か彼らの成長にも、ほんのちょっと影響を与えそうな気がする。

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25_寶泉寺(愛知県瀬戸)

2014年05月25日 20:01

建築としては特質するお寺ではないが、門が変わっていた。専門的な表現がわからないのだが、母曰く「竜宮城みたい」とのことだった。

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24_天理教瀬戸分教会(愛知県瀬戸)

2014年05月25日 20:00

瀬戸散策の際、出会ったお寺。
RC造なので、社寺建築としての伝統建築的価値(?)はそう高くないだろうが、RCの多宝塔は初めて見たため記録。
純粋に、多宝塔の形状は美しく、コンクリートそのものの材質も(ある意味)素直に出ているから、印象は悪くない。
実際、現場打ちだと思うのだが、型枠大工が大変そう。

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本物であること。本物であるということ。

2014年05月23日 22:08

今日、某市役所を訪れたのだが、久々に建築的空間の感動を感じた。

狭いエントランスを抜けると、奥に明るい空間があった。劇的にではなく、厳かに、向こうに見える。誘われるように足を運ぶと、そこには、吹き抜けに降り注ぐ光によって、厳粛に、明るい空間があった。

何がこの感動を生んだのか、しばし考えていた。

まず、空間の相互介入が素晴らしい。まさに、ヴォリュームの戯れ。
しかし、ふと気がつく。この素晴らしさは、彼らによるのではないかと。

それは、矩形のヴォイドに多様性を与える石と、造花ではなく生きた植栽。そして、聖母ではないかと。
もし、彼らがみな疑似的なものであったなら、この感動はなかったに違いない。

本物であること。それは、ある固有性を標榜しながら、多様性をはらんでいるということ。

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素材-構造-意匠

2014年05月23日 21:27

先週より、石山寺多宝塔の模型を作っている。Woodyjoeという、木の模型を販売する会社より購入。目的としては、社寺を学習する際、そのプロポーション感覚を手を通し知りたいと思ったからである。なかなか社寺模型を一から作ることは難しいため、3万円で購入した。

まだ基壇部の途中までしかできていないが、快感である。純粋に模型を作ることが好きなのだろうが、木の感触が良い。においも良い。社寺は、材質そのものが構造となり、構造そのものが意匠となるため、積み上げていく感覚が、純粋に建築的なのである。

今日、現場に行く際、タクシーから社寺建築を見た時、まさに自分の手の感覚で、その建築を捉えている自分に気がついた。まだまだ稚拙なレベルだが、少しずつ、あせらずに、しっかりと学んでいきたい。

それにしても、これからこの基壇の上に社寺が浮かぶかと思うと、とても不思議と言うか、ウキウキする。

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待つ

2014年05月18日 19:59

今週は、じっと待った。特に向こうから連絡が来ないこともわかったので、逆に、私も待ってみようと思ったのである。

これまでの経験上、私は自らのその意志を、簡単に放棄する。いわば、そこには理屈がないのだから。

それでも、待っていることがあるということ。それはとても幸福なことである。

21日後。

どんな形であれ、幸福なものであってほしい。

日常の答えのない、永遠の問い

2014年05月18日 19:56

いつも、どうも悩んでいることがある。悩んでも答えがないことだけはよくわかっているのだが、考えてしまう。

ユートピアは、やはり実現しないからユートピアなのか、ということ。

三島由紀夫の金閣寺を読み、その問いについて、また考えてしまったのだが、頭を悩ませてしまうのである。
今、社寺の勉強をしているが、それにて、かなり精神的に満たされていることを感じる。社寺とは、何かを得るというか、感じるものであると考える為、決して建築家がその神ではなく、そこに訪れる人ひとりひとりが、各々の建築を想像するのである。無論、どんな建築だってそうだろうけど、社寺建築は(ある意味で)民衆の為の建築ではないため、逆説的にその趣が強いと感じられる。つまり、社寺という理想が彼岸にあるのならば、日常を生きることができる。考えたら、社寺設計に進めたところで、そこで共に汗を流す人々に、建築の理想がなければ、結局は落胆に終わってしまうかもしれない。

このGW、石井一男の絵を探しにギャラリー島田へ行った。もともと事前連絡で、今は見ることができないことは知っていたが、それでも時間が余ったこともあり、足を運んだ。石井さんの絵は、以前文京区で見ることができた。そして、特に感動も何もなかった。しかし、あれから時間が経ち、今その風景を思い出してみると、とても美しく思えてしまうのである。ギャラリー島田では、石井さんの作品集を購入した。購入してから気づいたが、なかに石井さんのサインがあり、このサインを書いている石井さんの姿を想い、初めてサインというものに感動を覚えた。

太田光が、金閣寺について批評しているYoutubeがあった。聞いてみると面白い。自分の感動と似ているところもある。ひとつ、全く違ったのだが、彼は金閣寺という「現在でも美しいはずなのに、どうしても美しくみえない金閣寺」を焼くことで、金閣寺の美しい過去や未来と共に、平凡な日常を生きることを決めたのだと言っていた(多少私の解釈が入っている)。

一番面白かったのが、相方の田中が、安易に同意することだった。この感じは、私も学生の頃感じることがあった。他人に理解されたいという欲求もあるのだが、安易に認められると、違和感を覚えた。太田がえらいところは、彼は「結局面白くなければテレビじゃない」という、俗世間的な世界に身を置くことであろう。その意味で、私は爆笑問題はとても興味深く思えるのである。

爆笑問題・太田光が、三島由紀夫の代表作「金閣寺」をぶった斬る!


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