まあるい世界のなかで

2014年02月24日 21:34

庭に浮かぶ、ビオトープのメダカを思う。彼らは、幸せだろうかと・・・。

メダカの寿命は約一年と言われるが、飼育されたメダカは捕獲される危険性がないため、場合によっては3年程生きる事もあるらしい。

ただ、自然界とは異なり小さな水たまりに入れられた彼らの人生は、彼らから見える世界は、はたして幸福なものなのだろうか。

この閉ざされた世界のなかで生まれ生きていくのであれば、他の世界を知らないのであれば、もしかしたらそのような疑問は無意味なのかもしれない。しかし、それは事前に選択肢をなくしているだけで、根本的な解にはならない。

人間の本能のなかには、きっと「征服欲」なるものがあろう。自分の采配で、ある人間たちの生死をコントロールできるのであれば、その力に酔ってしまうことが本能的にあるように思われる。言い換えれば、小さな世界で、彼らの生をコントロールできてしまう私は、今そのような状態にあるのだ。生き物を飼育するとは、翻って言えば、そのような快楽なのかもしれない。

では、自分の人生はどうであろうか。私とて、自由な世界に生きているわけではなく、あらゆる規制と束縛のなかで生きている。彼らと何かが違うのかと言えば、違わない。同じである。

そう考えると、結局のところ、彼らが生き生きと生きられるように、できるだけ自然(≠nature)な形で、彼らと接するしかない。自分の人生だって、きっとそうである。

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距離

2014年02月24日 21:26

いつか想った人は、顔を見ないうちに、忘れていった。あの頃は、頭から離れなかったというのに、なんと人間は、いや、私という人間はげんきんなものか。

一か月もすれば、私は別の地で暮らすことになる。交通手段が発達した今なら、数時間で結ばれる場所であるが、きっとその距離は、何かを引き離すには十分であろう。

考える事も多いが、どうせ考えても何かが事前にわかるわけではないので、ただ単に、今できることをしっかりやるだけである。

しっかりと。

彼らの世界

2014年02月23日 22:52

昨日は歯医者と、今後の行く末について両親に報告すべく実家に帰った。テレビを観て、寝るだけ寝て、本日早朝湯島に戻ってきた。

本郷の『金魚坂』にて、カモンバと小石を購入する。近いうちにあるであろう引越しに備え、ビオトープの理想形をひとつ作っておきたかった。

以前構想したように、中央にヴォイドがあり、サンゴ石と流木を境界とし、森林が周囲に広がる構成。

まず、小石を敷くために、サンゴ石、流木、水草をはけ、小石を敷きなおす。その際、メダカを一時避難させるわけであるが、ガラス瓶に4匹いるはずだが、上から見るといない。横からのぞくと、彼らが大好きなインド象の下にギュウギュウで潜り込む面々。メダカは何かに身を隠す習性があるらしいが、外からは見え見えなのだが・・・

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それから、小石を敷き、サンゴ石と流木を並べ、カモンバにひとつひとつ針金を巻きつけた後、周囲に配置する。カモンバは水の深さに寄って長さをカットしようかと思っていたが、今は水位が低くなっていることと様子見を兼ね、長さ調節はしなかった。おかげで、モジャモジャの森が出来た。

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あまり美しくないかとも思ったが、夜見るとメダカ達がカモンバの下で泳いでいる。このモジャモジャしているくらいが、彼らにとっては良いのかも。彼らが良いなら、そうするが・・・

風景-39

2014年02月23日 22:38

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商業ビルの狭間に見つけた空間。ちょっと安易な気もするが、このようなスペースに小宇宙を見出す手法は、好きである。

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上野で見つけた看板。正々堂々。

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大雪の日の湯島。雪の重みで木々が道に倒れている。ちょっとした悪夢のような光景。

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本郷で見つけた、都市の切断面。歴史の流れを想起させる。

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とあるメトロ駅で見つけた「ふれあいコーナー」。なんかシュール。

今、良い本

2014年02月21日 22:25

良い本を読んだ。『舟を編む』著:三浦しをん

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何となく、そのタイトルに惹かれ以前から読んでみたいと思っていた本。ブックオフで安く売っていたので購入。

今、この時に読んで良かったと思える本。

母は、以前私は言語療法士に向いていると思っていたらしい。言葉が上手く喋れなかったからである。上手く喋れなかったから、逆に言葉に対する(ある種の)執着心がある。大学時代、言語論も真剣に学んだ。英会話よりも、「英語」という存在自体に興味があった。国語の点数は昔から低いが、言葉という存在は常に大きく感じてきた。

まじめという人は、私と同じではない。だが、どこか親近感がわく人であった。言葉の海を模索する様は、私の状況とは事なれど、感覚として理解しやすかった。

なんというか、とても私個人として、肩の力が抜けた、そんな心地よい本であった。

自分なりに生きていれば、かぐやさんのような人が現れるかね・・・?

自然

2014年02月21日 22:14

この大雪のなかで、メダカはしっかり生きていた。大雪は我々にとっては(ある意味)大惨事だが、彼らにとってはどうであろうか。自然界の出来事であるから、それこそ自然なのであろうか。まぁとにかく、生きて泳いでいる姿を見る事ができることは嬉しい。

水盤のなかで世界を考えていると、原広司の建築を思う事がある。建築は否応なく重力と付き合う事になるが、水盤のなかは浮力、まさに「浮遊」の力が働く。彼の建築は「宇宙」であると理解したとき、色々な事がわかりやすくなったが、重力が軽減されるという意味で、水の世界にも似ている。

思慮の時である

2014年02月19日 22:09

最近、どうも駄目である。仕事への集中力が散漫となっている。なぜ建築を作らなくてはならないのか、利益以外に何があるのか、わからなくなっている。

とはいっても、誰よりも仕事はしているつもりだし、それなりの評価も受けている。決して不真面目なわけではないが、自分なりの建築的理想が(仕事上)見いだせないため、極限のところで、注意を怠ってしまう。これはいけない。

思慮の時である。しっかり考える必要がある。

先日、コンペ提出前の忙しい時間に、前の上司が訪れた。以前一緒にやった仕事について、私にヒアリングしてきたのだ。その上司はとても丁寧に仕事をこなし、上司なりの理想があったため、好感を持っていた。ふとあの頃のことを思い出した。「どんな仕事か」ということと同時に「誰と仕事をするか」ということも、とても重要である。

思慮の時である。しっかり考える必要がある。

日常にある軌跡と、また輝きと

2014年02月18日 20:56

最近、ブログの更新頻度が落ちている。別に売れっ子芸能人ではないので、更新頻度を競う必要もないのだが・・・。

それは、純粋に現実の方がスリリングだからである。人生の転機である。日々、明日にはどう揺れ動くかわからない瞬間を送っているような、まぁ大げさにいえばそんな毎日である。ある意味、生きていることを感じる。自分の人生を自分で動かしているような、そんな楽しさである。

先日、彼女からバレンタインチョコを貰った。とても嬉しいことだ。ありがたいことである。

その帰り道、ふと思い私は東大前駅まで電車で向かった。原広司設計の『新書館本社』が、東大付近に建っており、いつか見たいと思っていたからである。建築そのものは、原設計としては(ある意味)控えめだった。私は、建物そのものよりも、入口に飾られた書籍に目がいった。本だ。本なのだ。私は、ささやかな希望に、胸を躍らせた。

湯島のアパートへ向かう途中、ふと小さなアトリエに出会った。『石井一男展』の文字。なんと、私が以前情熱大陸で見て以来、頭の片隅にいた彼の展覧会が行われていた。日曜日は休刊日ということで、本日仕事を早く切り上げ、展覧会へ向かった。

8万以上する彼の絵は、既に完売していた。ひとつひとつ、小さなキャンパスに描かれた絵を見ると、どこかほっとするような、そんな感覚があった。展覧会へ行く前は、絵を購入したいと考えていたが、行ってみると、必ずしも買わなくてもよいかとも思った。

それは、彼の絵が買うに値するものではないということではなく、彼が描こうとするものは(おそらく)何か手の届かない神々しい対象ではなく、日常の輝きだからである。彼の描く女神は高額で取引されるが、あの女神のほほ笑みは、この自然のなかでどこにでも見つける事ができる。

そんなことを思ったからである。

美しき自然

2014年02月11日 19:45

このところ、ビオトープとの付き合いに夢中である。久々に夢中である。

ビオトープと付き合う面白さは、美しい環境を作りたいと思っても、結局のところ人の目線で麗句的にしつらえても、メダカがそれを心地よく思うかは別、ということである。メダカにもそれぞれ性格があるようだが、どのような環境を好むかは目に見えてわかる。(もちろん、わかった気になっているだけかもしれないが・・・)

それは建築、いや都市計画に似ている。いかに機能的で美しい都市形状を作っても、そこに人の賑わいが出るかどうかは、全く別の問題である。彼らと付き合いながら、彼らと対話しながら、ゆっくりつく・・・いや、付き合っていく。そんな感じである。

最初のうち、メダカが何匹か死んでしまった。寿命ということも考えられるが、今考えると、水質が整っていなかったことと、綺麗な水盤を意識しすぎるあまり、メダカが好むような隠れる空間を用意してなかったことだと思われる。しかし、彼らと付き合うことで、生死ということがいかに身近であるということと、また、生きるとは(ある意味)ほったらかしのぐうたらの方が、良いという事を知った。

今心がけているビオトープは、中央に何もない空間があり、その周囲にサンゴ石と流木で境界を作り、その周辺にカモンバとアナカリスによる森林を作ること。まさに、風のイエの構成である。中央の空間は、冬、水底に隠れて過ごすメダカにとっては心地よい空間ではない。しかし、私はその空間を作った。心地よいだけが、美しいわけではない。

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それなりに、今彼らは心地よく住んでいるのではないかと思っているが、先週末の大雪にて、水盤上に30cm程の雪が積もり、水の中もシャーベット状態となった。正直、彼らの命が危ないかと思ったが、安易に熱湯をかけ、雪を溶かすことは避けた。急激に水温と水質が変わるからである。

今日、少しずつ雪をはけ、氷をすくい、石を持ち上げると、楊貴妃メダカ2匹が元気に泳いでいた。この石の下で、寒さを凌いだのである。後青メダカ2匹がどこかにいるはずだが、それは探さなかった。安易に石や流木を動かすことは、またしても環境を急激に変えることになる。自然と付き合うことは、待つことが重要だ。

今は決してきれいとは言えないビオトープ。でも、彼らが生きているのだから、これが美しい姿のひとつなのであろう。

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単純性と中間領域

2014年02月11日 19:28

最近、ふと手にとって見た本がある。読んではいない。

『a+uラカトン&ヴァッサル』

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フランスの建築家らしいが、何せ読んでいないため良く分からない。単純性と、サンルームのような光を取り込んだ中間領域的な空間が心地よく感じた。

暇があったら読んでみよう。



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