11月27日(水)晴れ

2013年11月27日 11:42

大人になれることは素晴らしいことだが、ずっと子供でいられることも、また素敵なことかもしれない。
スポンサーサイト

小さな建築

2013年11月24日 10:37

考えさせられる文章を読んだ。青井哲人先生の、豊川斎赫先生著『丹下健三とKENZO TANGE』についての批評(感想?)についてである。

群像の貴重な証言集めた労作。私たちはその声をどう聞くか──豊川斎赫『丹下健三とKENZO TANGE』

両方「先生」なのは、学生時代、共に教えを請うた方だからである。

『丹下健三とKENZO TANGE』は読んでいないが、学生の時講義を受けていたので、何となく内容はわかる。ただ、(所謂)大きな物語の復権が謳われているとは思っていなかった。やはり、何でも読んでみないとだめだな。

青井先生が批評的に書いていることについては、学生の頃、頭では分かっていたが身体が理解していなかった。先生の本も『植民地神社と帝国日本』の方が、『彰化一九〇六年』よりも憧れがあった。本の体裁としても、前者の方がどっしりしているし・・・

青井先生がおっしゃっていたようなことが、身体に溶けていき、身体で理解できるようになったのは、ごく最近のことではないかと思う。つまり(近代的な意味での)大文字の建築のみが、世界を語ることができるのはないということを・・・。

でもそれが分かったのは、やはり自分が優秀ではなかったからかもしれない。建築も、スケジュール通りコスト内で設計を納め、法的な条件をクリアすることだけで今は一杯一杯である。逆に言えば、小さなことでも、ひとつひとつ出来ていくことに喜びを感じる(純粋に喜びを感じてしまうことに、私自身疑いの目を持っているが・・・)。

もうひとつは、やはり「人」であろう。人は、物以上に数量では測れない。これもハイデガーの教えが、今になってやっと分かるような、そんな感じである。日本国民を幸福にする国家的な建築と、ひとりの人を幸福にする小さな建築に、ヒエラルキーは存在しない。

Yくんも、読んでみると面白いかもよ。

私は設計者ではない

2013年11月24日 10:21

ここ数日、仕事がつまらない。

この一年七転八倒した案件が2つ同時に竣工し、新たに取り組むはずの巨大案件が流れた。一気に仕事がなくなると思っていたはずが、大きなコンペがあり、全く手がない状態で、作業要員として参加することになった。頭を使わず、ただ資料をつくるだけ。これが結構疲れる。

もちろん、クレイジーな現場主任から電話がかかってこないことはとてもとても嬉しいし、常に心が安定していて良いが、今している作業が自分に何も返ってこないかと思うと(実際はそんなことはないのだが)、モチベーションが全く上がらない。

最近、エレベーターパーキングの業者と打ち合わせをしている。担当者が若い女性なのだが、文字通り新入社員で、何もわからず仕事をしている感じ。機械式駐車場が好きで就職したようにも思えないが、就職できる企業に入ったのだろか・・・

ふと考えてみると、多くの人はそうなのかもしれない。私は、人生を建築に懸けたいと思っているが、そのような対象が見出せたことは、やはり幸福なことなのか。廻りの人はあまり働かないと思っていたが、単に給与を得るため、時間を消化するために仕事をするのなら、できるだけ仕事量を削減するために頑張るのだろう。

私は、もしかしたら、周囲がそのような状況にあるということを忘れていた。まだまだ若い。

時間があくと、終わった案件の整理をしている。検討ファイルを解き、必要な書類のみスキャンし後は捨てる。机が綺麗になっていくことが心地よい。

また、書類の整理も楽しい。私はやはり、資料を整理し、本にすることが好きなのである。

私は建築家であっても、設計者ではない。そういう意味では・・・

【再】風はイエ、君は大地

2013年11月22日 00:02

あれから3週間経つ。まだ、3週間しか経っていないのか・・・

でも、あれから1週間経つ。1週間・・・嬉しい1週間である。

いや、ただ前の状態に戻っただけである。本当に、ただそれだけである。

私は今、人生を棒に振ってみようかと思っている。それは、絶望ではなく、希望として、である。

何より、あれから世界が明るい。朝起きても、希望を感じることができ、建築についても未来が見える。

・・・そうなのである。建築が先にあるのではない。そういう意味で、私は建築家ではない。

風はイエ、君は大地

光の書

2013年11月17日 21:00

久しぶりに、世界が明るくなるような、そんな嬉しい本を読んだ。

『現代棟梁の設計術』著:木内修

131117.jpg

読まなければいけない本であった。そして、購入し読んだ。

今まで、何か奥歯につっかかっていた物がとれたような、そんな感動があった。

私は、今まで鉄骨造の建築しか設計したことがないが、構造と意匠が分離し、お互いが遠慮し合っているような様を見るにつけ、どうも腑に落ちない心持だった。しかも、なお納得いかないのは、ボードで構造体が覆われ、化粧がされると、あたかもそんな争いなどなかったかのように、美しく思えることである。私はこれが、どうも嫌だった。

「構造即意匠」

この本にはそう書かれている。社寺建築であれば、当たり前なのかもしれない。ただ、それはいつしかのモダニズム建築の精神でもあった。いまそれが残りうるのは、一部の建築を除けば宗教建築だけかもしれない。

もちろん、それが悪いことではない。あくまで、私の趣向である。

木内先生はその信念の元、構造設計者でもありうる。いや、意匠・構造が分離されていないから、先生は設計者、建築家なのかもしれない。

歴史的な古の社寺建築ではなく、あくまで現代において、社寺建築はどうあるべきかの書として、私は感銘を受けた。

とにもかくにも、私は幸運なチャンスに恵まれたわけだから、しっかり見て、聞いてこなければならない。

ただ、一緒にいるということ

2013年11月16日 00:12

それは、夜空の星屑が、奇跡のように輝くような、そんな光景だった。

ただ、一緒にいるということ。

そして、そこに形はなくとも、世界が、あらゆる物事が美しいという可能性があると、思えること。

それは、静かな静かな幸福である。

過去の忘却性

2013年11月15日 23:44

大型案件を担当していた。都心に立つ、大型オフィスである。

私は、内心設計の喜びを感じていた。自分で、この大きな建物を設計するということ。それは、レムコールハースの言葉を借りるまでもなく、純粋な喜びだった。

その感情について、私は注意深く観察していた。ただ、以前のように忌避するということはなかった。

ただ、急遽流れた。設計者が移ったのである。

企業としての事情であるが、そうなってみると、みなあっけらかんとしたものである。それまではやいのやいの言っていたのに、以前からあたかもそうであったかのように・・・

私は、その空気を感じながら、敗戦後の日本と、学生運動後の日本を想った。

あたかも、それは過去の出来事であり、現状とは何も無関係であるかのような、そんな(日本人独特の?)振る舞いがそこにはあった。

建物が竣工しようとしている

2013年11月15日 23:37

建物が、竣工しようとしている。企画設計から竣工まで、自分で設計監理した案件が、竣工しようとしている。

出来栄えがどうかといえば、厄介な現場監督に悩まされ、空間に興味のない施主要望を受け入れるたびに上司に怒られるような、どちらかといえば胃が痛くなるような案件だったが、やっと晴々として気持ちになれそうである。

こんな自分が、人様の建物を設計するということ。

そんなあまりにも身勝手な行為が、法的に許可され、施主から感謝の言葉を貰うことに、とても不思議な感覚を覚える。

ただ、何より今感じるのは「寂しさ」である。先輩曰く、娘を嫁にやる親の気持ちらしい。

終わりであり、始まりである。

文房具店

2013年11月15日 23:32

文房具店が好きである。

それは、書店と一体化しているような大型量販店ではなく、高級品が並ぶ老舗でもなく、ひき違いのガラス戸で、どこか古臭い匂いがする文房具店が、なぜかとても好きである。

とある地方の建設現場に行く際、吹きさらしで埃まみれの文房具店を通る。埃まみれの文房具は、10年近くほったらかしにされているようなもので、逆にいれば骨董品というか、美術品にさえ見えてくる。

批評も考察もない。ただ良い。

そう思えることは、きっと大切なことである。

参拝

2013年11月10日 21:04

今週から、朝、湯島天神に参拝することにした。いつまで続くか分からないし、義務化する必要もないが、とりあえず今週はそうした。

得がほしいからというよりも、そうせざるを得ないから。そんなに悲しい人生を歩んでいるわけでもない気がするが、手を合わせ、祈りたくなる。

そうすると安心する。誰かが、私を見てくれているのだと思える。

頭を上げ、目を開けると、本殿のなかがうっすら見える。見線の上、そして遠くに見えるその「空間」は、ずっとずっと遠く、そして、がらんどうで清々しい。

建築だと思う。



最新記事