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危機と余白

2013年08月25日 22:21

hhstyle青山店に行くと、建築関係の人なら、必ずもう一つの建築を意識するだろう。谷口吉生のフォーラムビルである。細く厳格なグリッドで構成されたこの建物は、おそらく多くの建築設計者を魅了しただろう。

ただ、私はそうではなかった。

昨夜再び見ても、感動はない。いや、その凄さはわかる。わかる・・・というか、納まりの美しさやコストのかけ方を考えると、正直見ていて疲れる(これは職業病かもしれない)。

感動がない、というのは、やはり静止していて余白はないように見えるからである。そういう意味で、私は谷口吉生の建築に別段興味がない(建築設計者だと興味ありありの人が多いため、私としてはちょっと困ることがある)。

こういった建築をみて改めて認識するのは、原広司の存在である。彼の建築は静止を拒んでいる。常にざわざわしている(いや、ざわざわするための「意志」がある)。もっと言えば、谷口の建築は「成功」しているが、原の建築は常に「失敗」している。その意味で、原の建築には余白がある。


ちょっと話は反れるが、この2日間休日出勤だったが、体重が2キロ落ちた。ストレスか何なのかよくわからんが、結構重い2日間だった。そのなかで、私は繰り返し聞いている曲がある。正確には動画を聞いている。ブータン写真家関健作氏による「Happiness from Bhutan」である。関氏によって切り取られた現地の人々の言葉もさることながら、バックミュージックとしての「祈り」(馬頭琴奏者美炎氏による)が素晴らしい。私がこの地上にいる喜びを、語ってくれるように思えるからである。

また、辻井さんの曲も心に染みた。涙が出てくるほど。

そんなことを思うと、どうも心が気付いているときは、何かを補充してくれるものよりも、心の在り方を優しく示し導いてくれるような、そんな余白が私には必要なようである。歌詞のある曲よりも、ピアノや琴の方が、余白がある。


そこで、前述の建築論とリンクする。ざわざわしている建築の方が、何かを一方的に語っているように思えるけれど。実はそこには幾重にも窓があり、入ることができるが、谷口や、もっとさかのぼればミースのような零度の建築は、誰も立ち入れない。

風のイエで目指す「何もない場所」はそこではない。静止した空間ではなく、静止したと同時に移ろっていく空間である。

何でもそうだが、希望は危機的な時に必要となる。常に美しいものよりも、危機的な時にほのかな温かさで救ってくれるものの方が、私は好きだ。
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北欧の灯り

2013年08月24日 21:35

曇天の休日を過ごしながら、やっと照明が届いた。ポール・ヘニングセンPH3/4。

天井に設置し、スイッチを入れると、驚くほど明るかった。

明るい理由は、元々の部屋が暗かったことと、照明位置が低いこと。この照明は、机上面からの高さを650とした。メーカー推奨は600らしいが、日本の場合北欧よりテーブルが小さいからか、700程度がよいと家具販売店の店員さんは教えてくれた。この部屋は天井高が2300と低いため、空間が変わっても使用できるように700-50とした。

照明を付けてから、しばし灯にあたっていた。そう・・・灯なのだ。

この照明が「北欧の灯」である意味がわかった。この照明は人間の近く、すぐそこにあり、暖かい。これは「火」の延長、「灯」である。部屋の照度を確保するのではない。手をかざすように、灯りにあたるのである。

風に当たって、ゆっくり揺れるのも、またそれである。

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10月23日(金)スコール

2013年08月24日 18:44

昨夜体重計に乗ったら、1キロ体重が落ちていた。何でかなと不思議に思うと・・夕飯食べてなかった。

精神的に重いと、お腹も空かないのね。

落とし穴

2013年08月23日 21:17

あたまが痛い出来事が続いている。私は個人的に最大限働いているつもりだったが、最近落とし穴があることに気付いた。

私は、他人に対し何かを決定づけることができない。それは、よくよく考えると(以前から分かっていたことではあるが)設計者として致命的である。

結論は、私の口から発されるものではなく、おのずと生まれるものである。それは、あたかも以前からずっとそうであったかのように・・・。ただ、じっと待っていても、その結論が出てきてくれるかわからない。だから、可能な限り建築と向き合い、耳をすませる。

ただ、これで問題が起きた。決めなければいけない時を、逸してしまった。仕事上は、現実的な時間がある。

もちろん言い訳は腐るほどある。でも、それは言い訳である。結局私は他人に愚痴をはかず、それが逆に他人の怒りを買う。

最近は、笑顔がない。静かに、迅速に仕事をしている感じである。

他人に対し笑顔を振りまき、やさしい人の方が優秀なのは分かっているが、それほど私は出来た人間ではない。

旅に際する、いくつかの本

2013年08月18日 21:40

この京都・梅田旅行をはさんで、いくつか本を読んだので記録する。

最近何か焦燥感というか倦怠感というか、どうも自分がなにふり構わず熱中することがないように思え(というか生活が安定しており)、一般男性なら酒、車、女、ギャンブル等、何か金をはたいてスカーっとすることがあるのだろうが、私の場合基本的にそれらは当てはまらないので、本を買おうと思った。最近はネットで様々な文章が読めるので、あまり本を購入する必要もないようも思えていたが、読書は立派な娯楽なのだと思い直し(しかも、かなり低価格で楽しめる娯楽である)、面白そうであれば買ってみようと思った。

『新建築増刊 SK+ ル・コルビュジエの住宅と風のかたち 2013年 04月号』

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コルビュジエの住宅を題材にし、風のながれのシミュレーションをまとめた本。学生の論文に近いものがあるが、何より「風」というモチーフを実証的(コンピューター解析的)に行っていることが逆に興味を引いた。

このようなシミュレーションは、どちらかというとプレゼン的な要素が強く、実際の風を捉えることは不可能だときいたことがあるが、この本では、要素をかなり限定することで論述を立てている。

シミュレーションにより得られた結果は実に当たり前の事項なのだが、その当たり前の事実がわかったことがとてもよかった。風のイエを設計する際、私の頭のなかにあったシミュレーションも、決して大きく外れてはいないように思えた。


『空中庭園=連結超高層建築1993 「新梅田シティ」の記録』

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手にしたのは相当前で、購入したのも数ヶ月前。会社のデスクに置いており、CGレンダリング中など見ていた。

事務所を担当する部署に異動したとき、日本でもっとも自分を魅了した事務所ビルは何かと考え、梅田スカイビルを思い立った。その当時は、大阪に行った際遠くから見たにすぎなかったが、それでも頭の中に残っていた。

この本が面白いのは、いわゆる建築家作品集ではなく、施主側、共同設計側、施工側からの視点がかなり盛り込まれており、建築家の妄想だけを語っていない点が良かった。そのおかげで、私の日常業務との連関も感じられ、とても意味深い本になった。

この本を読み、実際に建物を見て今思うことは、この建物は今現在においても、ある建築の臨界点を示しているように思えるということである。デザインと現実、イメージと具現化、施主と設計と施工、社会背景、場所性等。原広司自身が対談の中で述べていたが、何か新しいことを具現化するための気風が、当時はあったのではないか。同業者としても、コスト面がなんとかなったとしても、この密度で設計行為を行うことは、相当な時間と犠牲が伴うように思えた。それが嫌なのではなく、そうしてでも、何か新しい建築ができるのではないかという希望が、この建築には感じられる。

この建築は「希望の建築」(それは実際に上手くいっていない点も含め)であり、しかしそれは、建築が少なからずもつであろう、必須条件である。


『それでも彼女は生きていく 3.11をきっかけにAV女優となった7人の女の子』著:山川徹

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旅の帰り、新大阪駅の小さな本屋で購入した。最近は安易でもよいので、ドキュメンタリーが読みたかった。抽象的な哲学思想よりも、現実に生きている人々の肉声が聞きたかった。

風俗やAVというものは、個人的に関心がある。それは、私が決して立ち入れない領域だからである。自分とは真逆の世界、それを知ることによって、自分自身を客観的に知ることができる。

内容については、あまり深く入り込んだわけではない。そのような人々がいて、今もたくさんいるということ。その事実を知った。ひとつ興味深かったのは、被災地では風俗店が繁盛したということ。単純にサービスを受けたいというだけでなく、生身の人間が恋しくなってのことなのだろうか。慰安婦問題が取り立たされているが、どことなく共通点を感じないわけでもない。

AV女優になることは、今では一流大学に合格するより難しいらしいが、やはりこの業界は経済状態と密接にリンクするらしく、就職が難しい現在においては、なかなか動向が激しいらしい。

御徒町にも歓楽街があるが、近くでもそのような時代の流れがあるのだな・・・。

素材の応答

2013年08月18日 19:35

このアパートは築年数がそれほど経っていないにも関わらず、床が軋む。床はアパートでよくつかわれるビニル床シート仕上げだが、その下板が凹む。実際の木であれば、軋む様子が分かるだろうが、表面にシートを貼っているため、たんにシートが「伸びる」だけで、その実際の様子はわからない。現代建築の矛盾・・・。

週末は床の水拭きをしているが、この時、もっともこのビニルシートという素材の安っぽさを知る。拭いても、磨いても、それに対する応答がない。それは当然。木目調ビニルシートのため、正確に言えばビニルシートとしての磨きはでても、木目は生きようがない。

応答がある、という点において、やはり本物の素材を使いたい。ビニルであれば、ビニルらしく使いたい。

建築家とパン屋さんの振る舞いについて学べる本

2013年08月17日 20:02

京都・梅田の旅に合わせて、一冊の本を読んだ。

『パン屋の手紙』著:中村好文、神幸紀

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中村さんの本には、これまで結構お世話になっているが、なかなかぞっこんできないところがあった。それは、私のひんまがった性格によると思われるが、この本は結構ぞっこんできた。

中村氏と北海道でパン屋を営む神氏との往復書簡を追うことで、建物づくりと対話について描かれているが、建物そのものもよいが、その対話が良い。

私も日々似たような対話をしている。施主、現場との対話。うまくいったり、いかなかったりであるが、中村氏は暖かく、そして鋭く、緩急つけた文脈で建築を語っているように思えた。

具体的には、以下の2点に惹かれた。

ひとつは、「これが正しい」と感じたことについては、施主に対しきっぱりと述べること。
そして、説明した内容を変更せざるを得ないときも、すっぱり正しいと思う道へ方向転換するということ。

これは、実際自分の仕事の上でも勉強になった。

中村氏は大規模建築は(意図的に?)関与しないらしいが、彼の建築家としての幸福は、この本でとてもよくわかった気がした。

就寝作法

2013年08月17日 20:00

たきさんより質問頂いたので、下記回答致します。

夜寝るときは、テーブルの下に布団を敷きます。これは、学生一人暮らしの際、自分なりに考えた作法です。布団を机の下に敷くことで、朝起きたら必ず布団をたたみます。なぜなら、畳まないと朝ごはんが食べられないためです。これがひとつめの理由です。

それから、寝具はどうしてもスペースをとってしまうため、テーブルと寝るための空間を重複させることで、スペースの有効利用を図っています。

さらに、これは個人的な趣向ですが、私は柔かく囲われている空間を好むため、テーブルに覆われていると結構安心感があります。

10年前に考案したものですが、今回部屋を決める際も、この作法が可能かどうか確認(CAD図面にて寸法確認を行いました。)の上、決定しました。

ちなみに、筋トレの際はテーブルを端に寄せ、ヨガマットを敷きます。真ん中に大きな空間ができるため、誰かが泊まりに来た際も、このように対応します。

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【就寝時】

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【筋トレ時】

そんな感じですかね。

湯島の部屋

2013年08月16日 22:48

がらんどうの湯島の部屋に最初に入った時、地に降りていくような、そんな重力を感じた。具体的には、室内に段差があり、居間側が一段下がっていて、かつ庭はさらにレベルが低く、その庭が寺に囲まれた井戸のような空間となっているためである。

ただ、それを私は知りたかった。風のイエとは異なる「地」の感覚。それを知るために実測調査を行った。

出来るだけ詳細に家具なども記録したが、細かすぎると「絵」にならないため、それは今後の作業としよう。

なかなか「地」の感覚を図面ができていない。あくまで簡易的であるが、最初のステップとして残そう。

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方位、縮尺忘れた・・・

京都・梅田の旅

2013年08月16日 18:34

夏休みを有効利用し、京都・大阪(梅田)を旅した。

入社1年目以来、初めて一級建築士試験から逃れられた夏休み(1年生は学科が受からなかったため、夏休みはあった)。梅田スカイシティをみたいということと、京都で働く大学時代の同窓生を訪ねた(残念ながら同窓生には会えなかった)。

早朝5時起きにて、一路京都へ。9時前には着くが眠気が覚めず、京都駅にてフローズンカフェオレを購入。490円だったが、通常の生活ではこのような値段を払って購入しない。旅は、非日常であることが重要だ。

鴨長明の方丈レプリカをみるため、下鴨神社へ。しかし、ガイドブックを見ていると、色々と見てみたい建物が・・・。結局ブラブラ建物を見ながら下鴨神社を目指すことに。

まずは、『Time'sⅠ・Ⅱ』(設計:安藤忠雄)へ。ずっと前から知っていたが、さほど興味をそそるものでもなかった。実際に訪れると、なかなか素晴らしい。まず素材感。安藤特有の打ち放しコンクリートではなく、コンクリートブロック(?)仕上げが良い。素材感はざわざわしている方が、基本的に私は好きである。それから内部空間。水辺に対し迷路のように入り組んだ構成となっており、水辺との“出会い”を安藤が想定していることは間違いない。頭では「そうだろうな」と理屈的に理解してしまうが、実際に体験するとなかなか良い。

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続いて、近くにあった『先斗町のお茶屋』(設計:高松伸)へ。昨年高松建築巡りをしたが、その際この建築は見ていなかったため訪れる。幅2~3m程度の小道にあるため、ファサード全体が見えないが、どちらかというと全体が見えなくてよかったように思う。道幅が狭く、軒も低いため、人と人との行き交いがとても劇的に思えた。京都らしい道。

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それから『京都ホテル』(設計:清水建設)、『京都市役所本館』(設計:武田五一、中野進一)、『旧京都中央電話局上分局』(設計:吉田鉄郎)を見ながら北上。鴨川沿いは、水か、或いは柳のせいか、結構涼やかだった。

地下鉄に乗ったり歩いたりで、賀茂御祖神社(下鴨神社)へ。参道で古本市が開催されており、それを横目に歩く。途中休憩所で梅ジュースを飲み一息入れてから、参拝へ。社寺で行く日はだいたい天気が良いが、この日も晴天。おのおの願いを込め参拝する。建物としては、やはり楽堂(これもそのようにいうのかな?)が好きである。一段上がった何もない空間、誰もそこには入れない境界があり、かつ、人の手によって作られている。

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方丈レプリカは下鴨神社ではなく、南に行った河合神社にあるらしく、来るとき歩いた参道とは別の道にて返す。河合神社内の方丈は、とても興味深いもので、説明文によると、方丈の小屋が切石の上に土台が乗っかっているだけなのは、下鴨神社の式年遷宮に鴨長明が着想を得たのだとか。それは、瞬時に「風の小屋」を想起させた。ただ、風の小屋はビスをはじめ金物で作られているため、実際に動かすのは難しい。社寺境内と、茶髪ミニスカートの若い女性組。このミスマッチ(?)もなかなか乙。

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それから円通寺へ向かうため、バスと地下鉄を乗り継ぐ。北山から円通寺方面のバスが出ているが、少々時間があったため、近くに建つ『Ining’23』(設計:高松伸)を見る。京都には高松伸がたくさんあるが、この建築はファサード建築に近い。ただ、良く見るとエントランス部分がセットバックされており、通りに面しているのに陰惨な前庭のような空間があり、面白かった。近くにあったはずの『SYNTAX』(設計:高松伸)は、既に得た情報通り、消えていた。

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バスに乗り円通寺方面へ。バス停で降りるが、そこからしばし歩く。辺境にある意味については後ほど理解することになるが、とにかく炎天下のなか歩いた。お寺に着き、案内にそって中に入る。まず中庭が素晴らしかった。坪庭と言った方がよい大きさで、庭を斜めに横断する踏み石や、軒が抑えられた縁側など、とにかく美しい。中庭を鑑賞しながら借景庭園へ。これが感動的であった。風景が層(レイヤー)になっており、浮世絵というかアニメ的。これは西洋的ではない(人為的な)日本の風景ではないだろうか。とにかくこの作法に驚いた。興味深いのは、この自然の風景を「風景」として規定するために、垂直、水平の直線がその役割を担っているということ。これは「建築」だ。しばし眺め、寺を後にする。

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バスを乗り継ぎ北山へ引き返す。矢継ぎ早に『京都コンサートホール』(設計:磯崎新)、『B-Lock北山』(設計:安藤忠雄)をみる。共に外観のみだが、京都コンサートホールは磯崎らしいというか、しめしめと思いながら設計しているのが目に浮かぶようであった(いい意味で)。B-Lock北山は、安藤特有のカーブについて、その効力をみたかった。想像していた以上の効力はありそうだったが、どうもデザインが複雑(?)で、歯がゆい印象であった。

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それから龍安寺石庭へ行こうと考えており、『京都府立陶板名画の庭』(設計:安藤忠雄)受付の女性に聞くと、京都人らしく(?)快活に答えてくれた。バス出発まで時間があったため、京都府立陶板名画の庭を鑑賞。都市に対し開けているのは好感を持てたが、内部構成はあまり感心しなかった。図面や模型では良いのかもしれないが、(生意気ながら)安藤建築が陥りそうな罠にはまったような感覚である。

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バスを乗り継ぎ龍安寺へ。この庭は以前にも見ていたが、再度見たかった。私のなかで、かなり重要な「建築」なのである。内部は人でごった返していたが、縁側に座ると、庭は私の眼の前に広がった。この庭の魅力(魔力?)のひとつは、まず広さである。縁側からだと、全体を捉える事ができず、ひとつひとつの対象に意識が移ろい、絵画のように庭を納めることができない。ひとつひとつの石が磁場を形成し、意識が移ろうことで、文字通り枯山水の庭ができている。「何かがある」ことによって「何もない」空間を生み出す手法。やはり素晴らしい。やたら外人さんがいるなかで、これだけ観客がいると、まるで何かのショーみたいに思える。庭は一向に動かないのに、不思議な光景である。

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それから近くに建っている『衣笠山の家』(設計:増田友也)をこっそり鑑賞し、バスに乗り京都駅へ。ちょっとしたきっかけがあり高松伸設計事務所を見に行く。外観はやはり高松伸らしいが、何となくおとなしめ。歪な平面形状だが、増築したのだろうか。色々想いながら外観を見、ホテルのある四条へ。

ホテルにチェックインすると、軽装で河合町へ。歓楽街をぶらぶらする。店には入らないが、このような界隈を見るのは嫌いではない。手頃な飲食店を見つけ、名物にしんそばを頂く。ちょっとスカッとしたかったため、生ビール中ジョッキを注文。ひとりで酒を飲むのは、ほぼ初めて。やはりあまり美味しくない。いや、美味しいのだが、酒は誰かと飲むから美味しい(私はね)。店を後にすると、一杯でほろ酔い気分。鴨川沿いには風流ある座敷で宴会が行われていたりと、夏の京都であった。ホテルに戻ると、コーヒー牛乳で酔いを覚まし、読書の時間。『パン屋の手紙』(著:中村好文)を読み始める。すぐにこれは良い本だと気付くが、この日は途中まで読んで就寝。

当初の予定が変更となり、京都観光が一日で済んだため、2日目は朝から大阪へ。となると、貧乏性の私は朝から動きたいわけで、結局6時過ぎにはチェックアウト(本当はもっと早い時間を想定していたのだが・・起きられなかった)。特急にて大阪へ。京都と大阪は近い。駅を降りると、駅前の富国生命ビル等を見ながら、『梅田スカイシティ』(設計:原広司)へ。元々関西へ行きたいと思った要因。直線距離では行けないらしく、蛇行しながら歩く。

遠くから見えるスカイタワーは、やはり良いものであった。大学2年の一人旅で遠くから見て、就職3年生のコンペ出張にてやはり電車から眺めて以来だが、しっかり構築物である点が、やはり良い。空を映し出している点も、結構うまくいっていると思われる。どんどん近付くと、いよいよ超高層のそれを呈してきた。巨大建築だ。「中自然」側から挿入。これまた人為的な自然で、どうしたって京都との連想になるわけだが、蝉の声がせわしくなく、生物が息づいているように思えた。中自然を囲むホテルやアネックス棟等は、ものとしての感動はなかったが、設計同業者から見ると、その格闘ぶりが良くわかった。

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いよいよスカイタワーの足元へ。反射ガラスに移る「虚構のファサード」は、あまり美し過ぎない点が良い。フォリーを眺めながら中庭へ。またエントランスに入ってもみる。内装は、あまり感動的ではなかった。労力がかなり注がれているが、やはり原広司はその巨大スケールにおいて感心する(というか、内部についてもそのスケール感で作られているため、吉村順三的な心地よさがない)。屋上庭園は10時開場のため、「花野」を通り、施設内設置のカフェへ。昨日読み始めた中村好文氏の本を読む。感想は後ほど記すが、良い本である。ただし、中村氏の建築思想と、目の前に聳え立つ巨大建築物はかなり異質で、その差異は面白かった。中村氏が言うように「建築は機能的であることの表れ」であることは否定することではないが、スカイタワー内部の動きのある(ような)石張模様や、明らかに直接的な「旗」表現等、作為的に、無意味に作られた表層も決して否定されるものではないと私は思う。人間は、機能を体現化した美のみでは、決して語り得ないからである。

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10時になってから、屋上庭園を見にエレベーターへ乗る。これが爽快と言うか、なかなか恐い。真っ暗な筒から、宙へ投げ出される感じ。この建築における最もエキサイティングな体験。そして空中エレベーター(これは鉄骨ピッチが細かいせいか恐くなかった。ピッチが倍だったら、かなり恐怖感があったろうが・・・)にて、屋上庭園へ。庭園自体は回遊するのみで、別段感動的なものではなかったが、そこに至るまでの経路は確かに宇宙船へ移動するような風景であった。どことなく仮設的なエレメント(エレベーター、エスカレーター等)が、尚更その感を高めている。

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エレベーターにて地上に降り立ち、スカイシティを眺めながら、大阪駅へ。切符を購入し昼過ぎの新幹線にて東京へ。最大3日程度想定していた旅は、1日半で終了。友人に会えなかったこともあるが、私なりに建築的目標を再発見した。その些細な具現化のために、早めに帰ってきた。

それから、連休明けの仕事を考えると、やはり休日出勤した方が得策かと思えた。可哀そうなサラリーマンではあるが、今回の旅と、それに纏わる学ぶのなかで、仕事の重要性というか、愉しみのようなものを知ることができたように思う。とりあえず、まずはこの日記を書き切ることで、夏休みの宿題をひとつ終わらせる。



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