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普通

2013年06月29日 22:24

駅からの帰り道。「風に立つライオン」を聴いていた。随分遠い歌に聞こえた。

この歌を繰り返し聞いていた頃は、1回目のブータン帰国後である。もはや日本での経済的な生活には興味がなかった(正確に言えば、「興味がない」と気取っていた。)。

ただ、今はその気持ちがほぼない。日本で生きていこうと思っている。色々な要因が考えられるが、今日まったく当たり前の要因を思いついた。

この4年間を通して知ったことは、私は至って普通の人間であるということである。それは「まっとうな」ということではなく「平凡な」ということである。

普通の幸せ。それをしっかり想う。

少し気になるのが、最近歴史家や批評家のブログを読む気力が薄れているということ。仕事で気持ちが急いているということが大きな要因であろうが、あの頃は彼らの言葉なしには生きていけなかったのだから、やはり明らかな変化がある。

批評的であること。それはどんな生き方をしようが重要なことである。

普通であるためにも、常に批評的でなくてはならない。

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地上におります

2013年06月27日 13:35

7月中旬をもって、カプセルを離れることになりました。

今後は、文京区湯島のアパートに引っ越す予定です。

このブログをご覧の方で私のカプセルを見たい方は、御連絡下さい。

以上

2013年06月23日 18:25

今日は出だし好調で走りだした。走りたい気持ちだったからだろうか・・・。

でも、途中で身体の異変を感じた。力が入らない。それは、仕方がない。

一度止まり、また走り出したが、結局また歩いた。

でも、一度止まってもまた走れるし、走れなかったら歩けばいい。

そんなことを思った。

家に戻ってから、風の小屋に入った。何もない空間は、私と呼応した。

何もない空間は、危機的な状況で私を救ってくれる。そこには何もがないがゆえに、全てがある。

家(≒イエ)は、まず閉じていなければならない。

2013年06月16日 20:17

今日、また当たり前のことに気が付いた。

イエは家でなくてはならない、ということである。

風の小屋を設計しわかったことは、家は外部から“まず”遮断されなくてはならないということ。どこかの建築家が言っていた気がするが、そんなに日の当たる空間が好きなら、外で出ればよいのである。

人が家をつくろうとしたとき、それは外部からの防御であったのではないか。それが家の始まりではないか。

だから、まず家は閉じていなければならない。そして、そこから開かれなければならない。原広司の「孔」の思想についての解説と同じである。

風のイエは、それを縁側のダブルスキン(長手)と、収納等(短手)によって形成し、そこから窓を開けることとなる。
本当に当たり前のことだが、それが始まりである。

人が家をつくろうとしてとき、それが外部からの防御であったと述べたが、では、何か得体のしれない想いが形を形成したとしたら・・・?

その役割は「イエ」が語ってくれるであろう。

名前はツピタンサスです。

2013年06月16日 18:54

部屋に植物を置いてから、とても気持ちが良い。なんか、多様性に満ちた同居人がいるようである。

彼が揺れていると、風の合図であり、彼が向いている先が、陽の合図である。

ふと眼を離すと、本当に窓の方に向いている。

名前はツピタンサスです。

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モダニズム以降のとある建築家

2013年06月16日 18:47

Youtubeで、建築家を検索していると、高松伸と原広司のインタビューが出ていた。両者とも、少なくともある時期熱狂した建築家で、それほど肉声を聞いたことがないため、聞いてみた。

とってもわかりやすい。
高松伸については、正直とても親近感を覚えた。

彼の建築の原型は夕暮れの伊勢神宮だそうで、その機能や性能等をはるかに超えた、“建築そのもの”に惹かれたのだとか。そして、施主に恵まれ(施主は「とりあえず作れ。使い方は作られてから考える」と言ったそうだ)、織陣を建てた。その狂気的な形態を纏った建築は、敷地隣にある神社にお参りに来た人が、ふと手を合わせてしまったらしいが、彼の建築の発想がそんな場所にあったとは思わなかった。

私は、彼の建築に風を感じていた。いや、正確に言うと建築ではなくドローイングにである。幾重にも重ねられた線は、重厚な形態の柔らかさや滑らかさを感じさせた。
ふと考えてみると、彼の建築がCGパースで描かれていたら、私はまったく興味を示さなかったかもしれない。

今の彼の仕事の大半が台湾での集合住宅だそうである。他人の思考について文句は言わないようにしているが、彼の仕事の変遷は、自然なものか、否応なしか、何となく考えてしまった。

原広司について言えば、「真なるものがあり、その周辺に現象がある」のではなく、ある種現象(=様相)のみがあり、その様相が取り巻く地平に真実(のようなもの)がある、といった発言。とても納得できた。今書いてみると、前者が構造主義で、後者が現象学のようなもんでしょうか?

それから、「窓はn次元的」という発言もとても好きです。

これからは、しっかり窓について勉強したい。

昨日も今日も、明日からも・・・

2013年06月16日 18:33

いつも通り走っているつもりでも、時計を見るととても速い。今日はしょうがない。

序盤のハイスピードを抑えつつ、最期まで走り抜く。

ペースの変化はあったとしても、最期まで走り抜くことが大切。

昨日の出来事も、今日も、そして、明日からも。

カプセル90日目

2013年06月12日 07:29

1時半に会社を出て、2時就寝。

ああ、素晴らしきカプセルライフ。

日常の光について

2013年06月09日 18:42

先日、食事をしている時急に電気が消えた。おそらく、誰かがスイッチを押してしまったのではないかと思うが、その途端、外が明るくなり、涼しげで爽快な気持ちになった。

作業する上では、750lxなり必要かもしれないが、食堂であれば、もっと暗く、静かな空間にしてもよいのではと思った。

休日家にいるとき、最も幸福を感じる時間のひとつは、夕方ランニングを済ませ、電気を付けずに風呂に入ることである。外に薄暗い光のなかで入る風呂は、とてもすっきりした気持ちになる。

陰翳礼讃ではないが、光について我々はもっと良く考えるべきかもしれない。

多様性を纏った同居人たち

2013年06月08日 21:15

先日、屋上緑化ユニットの現物を視察しに、某企業に伺った。説明を受け、サンプルを頂き、会社に戻る。

客先に提示するまで、しっかりとみていなければならないため、デスク上に起き、水をやる。

とても和む。葉に、水分を感じることで、生命の喜びを感じる。
周囲にいる上司も、とても和むらしい。

今日、駅前の花屋で観葉植物を購入した。名を忘れてしまったが、今の私の生活スタイルにあった植物である(つまり、平日ほぼ締め切り状態でも育つ強く植物)とのこと。

部屋に帰って置いてみると、とても良い。同居人が増えたような、そんな楽しさである。イームズのラウンジチェアとも合う。これはきっと、椅子の素材うんぬんではなく、イームズ夫妻の人柄によるものだろう。

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なんか最近、ほんとうに植物が好きである。

屋上緑化のキリンソウは、アアルトの花瓶に入れようか。とりあえず日光吸収中。

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