ブータンの伝統住居考察

2013年01月31日 21:56

ブータンの伝統住居について、時々考えている。
まだ全然整理できていない。供給と分配の流れもわからないし、彼らにとって仏教が何を示すか、それがまだまだわからない。

現状、何となく考えていることをメモとして残す。

私が以前構想した風のイエは、ブータンにあった。しかし、よくよく考えるとそれは全く異なり、風のイエをより広大なスケールと循環のなかで、土着的に浮かした建築、今思いつくフレーズだとそんなとこだろうか・・・。

ブータンの伝統住居に最も感激したのは、早朝、納屋から動物が周囲に散って行ったことである。家畜の放牧である。それを見た時、この住居は周囲の自然とのネットワークのなかに生起することを知り、とても風のイエでは及ばないと思った。
ブータンの伝統住居は1階が納屋であり、2階の住居部分と循環(人の排泄物は家畜の肥料となり、家畜は人に食料を与える)があるが、風のイエは分断されている。

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〈ブータンの伝統住居〉

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〈風のイエ〉

半屋外空間として、屋根が浮いているが、これはモダニズムを超えた(?)コルビュジエの発想に似ている。人の思想も常に循環している。

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〈コルビュジエ・センター〉

また旗について。ブータンのダルシンは仏教の教えを流布させるためにあるが、私はどうも旗が好きである。風を表象するからであろうが、如何様にも造形を変化させながら、しかし圧倒的に軽く透明感があることが良い。不在の建築ともいえようか。

例えばフィンランドのミュールマキ教会や磯崎新の都庁舎コンペ案。また、私の学生時の設計課題も、今考えると旗だったのかもしれない。不在の建築によって、既存の古びた建築を纏う。皆には既存建築の破壊だとか、デコンだとか、まぁ色々言われたが・・・。

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〈ミュールマキ教会〉

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〈磯崎新の都庁舎コンペ案〉

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〈学生課題川越計画〉

まだまだわからない。より深く考えたい。

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どこでも、既に旅

2013年01月31日 20:15

『旅。建築の歩き方』 編:槻橋修 を読む。

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前にざっと立ち読みしたが、図書館にあったため借りた。
以下、記憶に残った言葉と思ったこと。

原広司「ひとつの集落を見て100書くことと、100の集落を見てそれぞれひとつずつ書くということはまったく同義です。」

石山修武「ヒマラヤには事務所のみなやクライアントと一緒に行ったんですが、帰国してすぐ事務所のやつが仕事を辞めたんですよ。「石山さん、こんなものつくってなんになるんでしょうか」とまともないい質問するんですよ。とてつもなくでっかい山という変なものを見てしまうと、日本の生活がバカバカしくなってしまうんですね。」

松原弘典「歴史的な視点で建築を見ていくと、こいつはあいつの真似しているだけだとか(笑)、だんだん小姑みたいになってくるんです。でもそんなことはどうでもいいんですよ。ものを見て「これすごいな」と言えることが、建築家にとっていちばん大事なことだと思う。どこまでポジティブに目の前のものを「すごい」と言えるか。そういう感覚を訓練するには、旅はとても有効な体験だと思います。」

読んで思ったことは、ガルダイヤが多々言及されていること。コルビュジエが絶賛した都市、多くの建築家が訪れたらしい。
旅行できるか調べると、30~40万のパックで行けるらしい。場所的に大丈夫か不安だが、一度行ってみたいように思う。

また、コルビュジエのマルセイユのユニテ・ダビタシオンも結構言及されている。私としては、あの建物は想像以上の感動はなかった。感動したことと言えば、泊まったホテルのシャワー室と作りつけ家具、ベッドの関係性。実測したが、あれば抜群だった。

読んでみると、中銀はあれはあれで興味深い集落だなと思った。今日のメールで、より面白い方向に動けば良いが。

そしてブータンについての言及がないこと。行きづらい国ではあるが、行けない国ではない。建築家としてはあまり興味の対象にならないのだろうか・・・?

何にしても、もう一度読み返すと全然違う印象を持つものですね、本て。

カプセル57日目

2013年01月31日 07:29

久々カプセル。やはりカプセル泊すると仕事が進む。

寒さも峠を越えたか。

カプセルシーズン。

今日一日

2013年01月27日 22:01

今日は朝から休日出勤。実施設計もなんとか粘って、「建築」をつくりたい。
私としては、これが最初で最後の「作品」だと思っている。今後どうするとか、そういうことではないが、企画設計から最後まで担当できることはまれなので、なんとか粘りたい。

昼は代々木上原にあるブータン料理Gatemo Tabum(ガテモタブン)へ。日本唯一のブータン料理屋だとか。
店内は狭いながら雰囲気のあるお店で、私はAランチを注文。

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日本の方向けにメニューが作っているらしく、「干し豚肉と大根の炒め煮」以外は辛くなく、米も日本米だった。
ただし、この炒め煮が辛い。私は途中悶絶し、でもとてもおいしく頂いた。

食後の茶碗を見ると、日本米が木の茶碗にこびり付いている。ブータンの木の茶碗は、やはりパサパサのブータン米だからこそ成立する気がする。
外で出ると、身体はポッカポカ。また来よう。

代々木上原から新宿紀伊国屋へ。
最近、集落や旅について気になっている。当然ブータンに行った影響なのだけど、そんなんで世界一周旅行の本を立ち読み。
「一週間で行ける世界一周」とかあるので読んでみると、ほとんど飛行機移動。飛行機の世界一周なら1泊2日で可能ではないか。私は「線」として世界を経験したいのだが、そうすると後は南米、アジア、アフリカ等。なかなか大変そうである。
しかし、バックパッカーの旅にブータンが含まれていないのはちょっと小気味よい。バックパッカーでは入れないはずだからな。

原広司の「集落の教え」と建築家の旅についての本を立ち読み。原広司が、「100の集落に行くのと、1の集落で100を語るのは同じ」と言っていたこと、またフラードームに感動した話は、結構嬉しかった。

家に帰ると、姉の子供が待っている。まだ2カ月半なので私を認識しているとは思えないが、ミルクをあげたり抱っこしたりと、できるだけ触れさせてもらっている。
私は何歳で子供を持つか、あるいは持たないかもしれないが、いつでも抱っこしたり走ったりできるよう、運動は継続して行おう。

昨日姉の友達が1歳半のお子さんを連れてきたが、最近随分子供に触れることができるようになった。前は無防備な自分を出すのが嫌だったし、笑顔を見せるのも嫌だった。「世界に不満を持っている」ということが、唯一自分の存在証明のようなものだったから(というか、そう勘違いしていたから)。

段々世界が広がっているのを感じる。まだ半径0.5mとかそんな範囲ですが・・・。

トランスヒューマンス

2013年01月26日 19:08

トランスヒューマンスという習慣がブータンにはある。これはブータンに限ったことではないらしいが、私にはブータンに行ってそれを初めて知った。
それは、季節に応じ住み家を変える、ということ。夏は涼しい標高の高い場所でジャガイモ等を栽培し、冬は暖かい標高の低い場所は麦などを育てるらしい。合理的なシステムである。

私が合理的と思うのは、引っ越す度に整理整頓が行われる(のかなぁ)ということ。つまり、1年に2回リセットする機会があるということである。特に、不要な情報で肥満化した我々には重要なことのように思える。

この話を知った時、風のイエを思い出した。実は風のイエと風の棲みかには、1階に土間空間があり、夏場を涼しく過ごせるよう配慮してある。夏場に田舎の農家を訪れた時の経験から生まれたものである。風の小屋でも、ピロティ下が涼しいことを(当たり前ながら)発見し、何か夏用の場所を計画しようか考えたくらい。

今、私の部屋でもトランスヒューマンスが起きている。大したことではなく、ただ座る椅子を変えただけ。窓側にYチェアがあり、普段はそこにいるのだが、冬場は寒い。なので、本棚側のセブンチェアにパソコンを向け、常時いる場所にした。

ものすごく当たり前のことであるけど、最近の我々の生活や建築は、ひとつの空間で全てを養おうとするので、実にエネルギーを無駄にしているように思う。もちろんトランスヒューマンスは2軒住まいが必要なため、土地が細分化された日本では贅沢なものとなるが、でもそれこそ本当のスマート(脂肪を落とす意味も含めて)ハウス、ではないかと思ったりする。

なんか社説みたいだな・・・

ブータンの本

2013年01月26日 15:32

Photobackで作成したブータンについての文庫本が届いた。

経緯としては、ブータンで撮影した写真はデータ保存するには不適と思い、しかし400枚の写真を現像するのもうまくないと思ったので、写真集にしてしまおうと考えたのである。

内容は写真を整然とならべただけなので、特に凝ったものではないが、あくまでブータンの雰囲気が残せればよかったので、問題なかった。

文字も全て英語にした。ブータンの人がみても理解できるように。

唯一、最初の2ページだけは写真ではなく、ブータンと日本の比較表を載せた。位置関係、人口、面積、人口密度、標高。なんでもやってみるもので、視覚化するとわかることは結構あった。

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ブータンと日本の人口は70万人と1億2千600万人なので180倍の差があるが、面積は38400k㎡と37800k㎡と10倍の差しかないため、人口密度でいえば18倍の差がある。
都市レベルで見るともっと分かりやすいのは、首都ティンプーの面積は東京都とほぼ同じで、人口は私が住む町とほぼ同じ。人口密度にすると東京都とティンプーでは143倍の差がある。
標高について考えたことがなかったが、ブータンと比較すれば私は千葉育ちの海の民。標高も海面すれすれ。
また、ブータンはティンプー以外の都市がwikipediaに出てこない。とても良い。

どれも当たり前のことかもしれないですが、視覚化する意味をとても感じた。

また、姉の帰省中にこの本が届いたため、姉が興味を持ち、Yくんが以前作成したものと私の「風のイエ」も合わせて見せたのだが、中を見ながら「あんたら60代か」と言ったことが面白かった。

60代・・・なんとなく納得してしまう数字。60代と言われてことは、今後の興味深い思考テーマとして持っておこう。

メールありがとうございます。

2013年01月26日 11:52

昨日、ブータンの方宛にfacebookでメールを送った。旅行中お世話になったガイドさん宛てである。
日本からブータンまで、というか、パロからティンプーまでかなり山道を通らないと辿りつけないのに、ネットだと一瞬で繋がってしまうのだから、やはり不思議だ。

メールを送り終えると、私宛てにメールが来ていることに気がつく。もう一カ月以上前に来ているが、私はfacebookをほぼ使わないため、システムが良くわからず見落としていた。

心温めるメールだったが、Yくんの研究室の先輩とのことで、私もその方の記憶がある。
しかも、私のブログを読んでいたりするらしく、とても恐縮な気持ちである。

ブログで繋がることは、私にとっては嬉しい。ブログは、私にとっては正直に、誰とでも話ができる場であるため、このフォールドでの繋がりは、嬉しく思うのである。(もちろん、本音が言えない(ハイデガー的な)「世俗な世界」での対話も、最近とても面白いので、ブログの世界を「本来的な世界」とは今は思わないが・・・)

先日、業務中外観意匠検討資料のためネットで「ポツ窓」と検索したら、風の小屋の窓が出てきてビックリした。どうも、意外なところからの繋がりがネットにはある。

ただ、風の小屋の記事では、雨が「ポツポツ」と屋根を鳴らし、その音を聞いた時の感動を書いた日記だった。
ポツ窓の「ポツ」はこじんまりとした感じですが、風の小屋のポツは感動的なものでした。

世界旅行地図

2013年01月23日 21:38

何となく、自分が旅行した都市を世界地図にプロットしてみた。

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実際にはもっと多くの都市を訪れているが、このスケールだと描ききれないため、主要都市のみ。

北半球がほとんど。結構旅行したような、していないようにも思える。

こうやってプロットすると、やはり真っ白な大地を走ってみたいという願望を抱くが、薄く手を広げる気は今はない。

でも、客観的に記すと、位置関係が視覚化されてよい。

ブータンのチーズスープ

2013年01月20日 20:45

今日は革命的な一日であった。私が料理をした。学生時代ひとり暮らしをしていたので、食べるものは確かに作っていたのだが、その料理の味に惹かれ、自分で作って食したいと思ったのは人生初。母にアドバイスをもらいながら作った。

ブータンのチーズスープ。

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家族で頂くが、とても美味。なんとかあの農家で頂いたスープに近づけた気がする。
作って食べてみると、色々分かることがある。
この料理は、やはり寒い山岳地方に適する。チーズにバター、唐辛子、塩の味付け。農家のスープはもっと土臭かったが、日本唯一のブータン料理店「ガテモタブン」さんが提供したレシピだけに、やや日本的な味付けになっているのであろうか。今度食べに行ってみなければ。

私の今の日常的な目標は、あの農家で生活できるようにすることである。自分が理想とした建築は、牧畜と農業によって形成されたものであった。ならばまずやることは、デザイン力をあげることではなく、自分の身体力をあげることである。

パロのマーケットで乾燥唐辛子買っておいてよかった。

世界を実測したい

2013年01月20日 20:33

実測調査は学生の頃行っていた。日本建築史研究室だったため、民家や寺社がメインだったが、旅の途中泊まったホテルの実測なども行っていた。
今、実測が個人的に沸き立っている。といっても、実測の方法は無数にある。そして、(Yくんも卒論が論じていたが)その記述は、記述者の恣意性抜きにはありえない。故に「記述」ということそのものが考察の対象になるのだが・・・。

思想的な意味も捨象してはいけないと思うが、実測に興奮するのは、やはり自分の身体と記述(主体と客観)の不一致を修正(必ずしも良い方向のベクトルだけを意味しないが)していくことにある。

カプセルの実測、というかその表記は結構恣意的なものである。というのは、この実測の目的は、ざわざわしたカプセル内の状況を、ざわざわさせながら下部構造は均質に表現する(フィールド調査は一般的に全てそうだと思うが)ことにあるからで、そうすることで比較が可能になるからである。
下記、自省の意味も含めカプセルの記述法を記す。

①カプセル内の実測。1/30図面に手書き。カプセルの大きさは決まっているため、躯体だけはCAD化しておいて、その上に描く。

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②CAD化。今回は家具も実測させて頂いたので、展開図もおこす。実測図だけで補えない部分は、写真を見ながら描く。

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③CAD上で透視図をおこす。描くのは躯体だけ。収束点を他のカプセルと合わせることで、カプセル間の比較が容易となる。

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④印刷したものに、手描きで下図を描く。写真を見ながら、見えるもの全て描く。配線やコンセントを確認すると、カプセルがどのように稼働しているかわかる。

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⑤トレーシングペーパーにて黒ペンで線をなぞる。手書きとすることで、ざわざわする。学生の頃、手描きが印象が良いことに疑問を感じ、安易に手描きを使いたくなかったが、最近その意味がわかった気がする。手描きが良いのではなく、均質化したCAD図が不自然なのである。

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⑥⑤をフォトショップで白抜きし、イラストレーターで色付け。色も他のカプセルと合わせることで、下部構造は統一させ、完成。

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今、もうひとつの実測の野望は、ブータンの住居・都市を実測することである。数十年かけ実測し、図面化する。
そう思ったのは、私が理想とする建築がブータンにあり、しかしそれはあくまで伝統的なもので荒廃している面もある。遺産として残したいわけではない。私がやりたいのは、自分が(少なくとも今現在)理想とする建築・都市の「設計図」を描くことである。

「近代」というプロジェクトは、五百年の時をかけて世界を一枚の地図に描き上げ、世界の側をそれにそっくり似せて作り上げていったのである。

上記は、私が修士論文に載せた若林幹夫氏の言葉である。「伝統」とか「遺す」とか、そのような視点は地図(それは物理的な地図にはとどまらない)が描かれなくては生まれない。故に、その文化を捨て去るか継続するかは、あくまで地図的な視点によって行われる(もちろん微視的なそうでない現象はいくらでもあろうが・・・)。

私が行うのは、「今あるものの実測」であり、逆に言えば、図面なしに生まれた現象の設計図を描くことである。

そんなことを想っていると、ふと田中裕也氏のことが浮かんだ。ただひたすらとガウディの建築を実測する人生。ガウディの建築はガウディによってつくられたものであろうが、ガウディは模型で建設を指示したため図面がない。田中氏が初めて図面を起こしたなら、ガウディ建築の設計は田中氏が行ったことになる。

まぁなんだかんだ言っても、要はあの国の変化が見てみたいということ、それだけである。実測し、考察し、建築的思考に飛躍させ、建築を設計するとか、そういうことではない。ただ知りたいのである。



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