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フィールド上の「孤独」

2012年11月24日 22:35

『ジダン 神が愛した男』 

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最近ジダンのプレーをYoutubeで観るのだが結構好きであり、やはり身体の質の違いというか、そんなものを感じたりしていた。

今日は社内旅行の疲れがあり、時間に余裕もあったため、何か映画を観たいと思いレンタルショップにて借りた。

以前から何となく観たいと思っていたが、内容については全く知らなかった。ドキュメンタリーなのかとは思っていたが、内容はやや異なった。

ただジダンを追う。それだけのフォルム。しかしその追い方がハンパなく、ピッチにこすれるスパイクの音から、ボールが足に触れる際の衝撃音、さらには呟きまで、どうやって記録したのか分からないが、とにかくピッチにいるかの如く、ジダンに肉薄している。

私は30分程度観た時「なるほど」と気付き、一瞬早送りしてみようかと思ったが、ここは彼の90分を体感するものだと感じ、じっと観ることにした。大して音楽があるわけでもなく、時々ドキュメンタリータッチの言葉が入るのみなので、静まり返った部屋の中で、私はジダンの音を聞いていた。

いくつか感じたことと言えば、フィールド上では、主体となっている時間は本当に短いということ。中田英寿が、90分間でボールを触っている時間は2分程度、と言っていたように思うが、本当にそうである。全体のチームワークが問われるということになるのだろうが、逆にとても孤独に思えた。

プレーで言えば、トラップのすごさ。あれ程早いボールをピタッととめるのは、やはり素晴らしく思えた。

私は少年サッカーに入っていたが、あまり好きになれなかった。フィールド内にいても、覚えている風景はサッカーの風景ではなく、周辺の緑や、グラウンドから見える幼稚園の時計。プレーについても、自分とは無関係に行われているボール取りの風景であり、私は馴染めなかった。

ジダンがどうであるかは、私には到底検討もつかないが、どうも彼の躍動感というよりは「孤独感」が伝わった。そんな映画だった。
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日常風景を切り取った本

2012年11月24日 22:17

『八日目の蝉』 著:角田光代

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以前ヒットし、映画化された小説。角田光代は好きな作家であるが、どうもヒット先には手が伸ばしづらく、さらには部屋の本棚が一杯なため、本の購入を抑える昨今であり、今回図書館で見つけたため借りた。

やはり、良い小説だった。

何が良いかというか、「日常風景の記述」ということだろう。何気ない日常を、何気ないように切り取る、その才能においては、やはりこの人はすごいと思える。それから子供について。姪っ子が生まれてから、子供という存在が僕にとっては大きくなっている。角田氏の表現と相まって、「子供を奪う」ということが、決して不自然な行為ではなく思えたから、小説の力は怖い。

図書館で読み終えたとき、外を見ると家々が夕日に照らされ、軒下に陰影をつくっていたが、その風景がやたら不安定で美しく見えた。彼女はきっとこの世界に生きていて、今も生きているのだと思った。

「住居内参勤交代」の勧め

2012年11月24日 22:03

『日本人はどう住まうべきか?』 対談 養老孟司 隈研吾

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隈研吾という建築家は、どういうわけは以前よりあまり関心が向かない。養老孟司は、私が尊敬する方々と面識があり、よく話の中に出てくるため、好印象は持っていた(ただし昆虫はやはり苦手)。本屋で何度か目にしたが、対談集はあまり買う気にはならなかったが、図書館にあったため、軽い読み物として借りた。

内容は結構面白かった。結局のところ、日本国の体質として、形式的に全国一律に同じことをやるのではなく、「だましだまし」個々にやっていくこと、それが重要であるという、まぁそんな内容である。確かに、日本は異常なくらい「日本は」という主語が成り立つ。「中国は」という主語は、多分成立しない。それくらい日本は均質であり得る。これは日本国、或いは日本国民の長所でもあるが、無論それによって不可能となることも多々あるということ。

以下いくつか印象に残った文章について。

養老孟司:私はコンクリートの打ちっぱなしというのが好きではない。あれはあれでいいのだろうが、特別に見たいというものではない。コンクリートだけで作るなら、原発の建物で十分である。そうかといって四角四面の建物も気に食わない。ガウディほど曲げろと言うつもりはないが、もうちょっと、何かあってもいいではないか。

こういう「一般の方」の御意見が私は好きである。この感覚は重要である。

養老孟司:建築家はどうなんですか。
隈研吾:建築家は、建築の格好のことしか考えられない変人だから、アミーゴじゃないです。「先生」とか適当におだてられて、その外側にいます。

これについては、私は結構賛成です。そういう状態は、何度か「建築家」の方に問うたことがありますが、だいたいはノーリアクションが逃げを打ちます。

隈研吾:だって絵を描くと、先生から必ず何か言われるじゃないですか。でも、今の学生は、先生から「これは君、ちょっと違うよ」とか絶対言われたくない。否定されるのが大嫌い(笑)。だから、最初からすべての批評を回避したような、つまらない絵を描いてくるんです。

これは私についても当てはまるので反省しなければなりませんが、周囲を見ていると、なおさら思います。

隈研吾:でも日本社会だけは、設計者の9割以上がサラリーマンですからね。そういう人が都市を作っていると、退屈なゴミしかできません。

コルビュジエの建築を「コンビニ建築」といい批判していますが、まぁそうであるような、でもそうではないような、そんな感じです。コルビュジエについても、隈さんがざっくばらんに切るので、それはそれで良いような気もする。

養老孟司:じゃあ、面白い住み方はどうやったら見つけられるんですか、と聞かれたら、僕は「参勤交代です」と一言で答えますよ。

この「参勤交代」というのは、最終的な結論のようになっていた。確かに、住まいが固定化されたのは(主に)戦後のことであるし、移動することにより、無駄なエネルギーがそぎ落とされるような気がする。

実は、風のイエ、及び風の小屋は、主な居住スペースは2階なのだが、1階に土間的な空間があり、夏はそこで過ごすことを想定している。夏における土間の心地よさは、身体で経験しているからである。

ならば、土間にもキッチンを置いて、季節によって居住スペースを入れ替える、いわば「住居内参勤交代」をすれば良いのではないかと思った。住居は2倍の季節感を得、身体感覚は豊かなものになる気がする。さらには、「引っ越し」の際、片づけを行うことになる。すれば、家の中も機能的に納まる。

この「住居内参勤交代」を発見したことは、私にとっては大きな収穫であった。

半径3mより

2012年11月24日 21:28

内藤廣氏の著書を読んで以来、環境について夢中である。具体的に始めたことは、携帯式温湿度計を購入し、常に持ち歩いている。お恥ずかしい話、正直これまで温湿度について真剣に考えたことがなかった。このような計測を行う動機となったのは、環境を読んだ建築を作ることは難しいことで、建築的テーマに据えることに、充分意義があることだと教わったからである。

温湿度計はビックカメラで店員に聞きながら購入したが、当初は瞬時に温湿度を感知するものがほしかった。ただ、店員に聞く限り、それは量販店ではなく、むしろ専門的な計測器の分野になるのではないかということで、とりあえず2000円程度で購入。確かに数値が出るのに時間がかかる(というか、常に数値が動くため、どの時点を「決定」と見なすかは自分の裁量となる)。

しかし、結果的にはこれでよかった。ひとつには、数値が変化するため、自分のなかで数値の「読み」を行うこととなる。それは、単に表記された数値を鵜呑みにせず、自分のなかで温湿度の感覚を持つこととなる。結果的に、自分の身体が環境に敏感になる。

さらには、数値がある程度落ち着くまで数分かかるが、その間色々なことができる。部屋の片づけであったり、ピアノを弾いたり、ちょうど良い時間なのである。最近「待つ」という感覚が乏しくなっているが、こうした時間は実に重要なものである。

温湿度計測に加え、以前から構想していた家のなかの収納量の実測、さらには、植物の調査。植物について、社寺建築の道に進み、日本の森林の間伐、及び国産樹木を用いた建設等考えているくせに、自分は植物について全く知識がない。これはまずいのではないか、という動機よりは、本質的に知りたいと思ったことから、実家の樹木について調べる。といっても母から教えてもらうことなのだが、とにかく半径3mから始めるべし。

11/18に実測を行い、とりあえず本日、ひとまず記録になったのでここに記録する。

温湿度について分かったこと。

1階より2階の方が、日が射すときは暖かい(4度程度違う)。さらに直射日光に当たるところは、8度程度温度が上昇する。1階は2階より湿度がやや高い。北側は温度が低い。外よりは温度が高い(風を遮断し、密閉された空間のなかで発熱が起こるからだろう)

実にそんな当たり前のことが分かったのだが、身体感覚とリンクするものなので、実に楽しい。寒くて居づらい状態だと、逆に温度を図ってみたくなったりして、これは結構良いのではないかと思っている。

それから収納量の実測。とりあえず家の中の収納量の合計は35立方メートルということがわかった。これは天井高さ一杯の家具(あるいは収納)に置き換えると、14.5平米の収納となる。4.4坪だから、畳9畳程度だけど、通路を考慮すると14畳くらいでしょうか?まぁ、確かにたくさんあるな。

これについては、もう少し収納の分類化を行い、今後の住宅設計に生かす予定。

あとは植物の記録だが、これは始めたばかりなのでまた具体的な結果は出てない。ただ、ふと植物を見ると、これは何と言う植物か気になるようになった。そのように考えると、この日本は無限の考察対象(=フィールド)のように思え、ワクワクする。ひとつずつ、学んでいく。

とりあえずブログのカテゴリーとして、around 3m とした。「3m以内」という意味合いだが、正式な英訳ではありません。

身近なところから、少しずつ学んでいこう。

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モダニズム、風、環境、風景、理想郷、構成・・・はがき

2012年11月21日 21:52

現在設計している案件が日立市であり、本日は役所折衝と現地視察。考えてみると、茨城は隣の県であるのに、ほとんど足を運んだことがなかった。

早朝日立市役所へ。快晴のもと訪れると、明らかにモダニズムの趣ある外観が出迎えてくれた。どうも私は、2階が浮いた建物が好きである。どこからなかに入るか悩んだが、守衛さんに案内され引き戸を引いて中へ。モダニズム建築の簡易性と合理性を感じ、嬉しくなった。

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ただ、この建物だと思うのだが、震災の影響があり建て替えの計画となっている。残念な気もするが、「歴史的な建築」を個人的な感情で保存したいとは思わない。そこに人々の想いがあれば別だが・・・。

駅に向かう途中、公園の隅に不動尊を祭ったお寺を見つける。佇まいが美しく、風が抜けていく。
御参りをした後、隣接して市民会館のような施設を見る。方形屋根だがRCのため、どことなくカーンの建築を想起させる。なかを覗くと、とても合理的な家具レイアウト。小住宅の見本のよう。美しい建築はどこにでもあるのだな。

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駅に戻ると、次の移動まで少し時間があったため、日立駅のレストランへ。
駅についたとき、バッと海が開け爽快感があったが、どことなく現地の人ではなく、外来のデザインによって海の景観を切り取っているように見えた。駅を歩き「妹島チェア」を発見し納得。

家に帰り調べると、妹島和世監修とのこと。ただ、妹島氏自身日立市出身とのことなので、外来というわけでもないみたいだが・・・。

私は美しい海の景色に目をやりながら、眼下に見える住宅群を思った。彼らの方が、より海を感じているように思った。というか、海に対し抵抗せず、共存しているように感じたのだ。

空中に跳ねだしたレストランは、極上の空間体験であったが、内藤氏の本を読んで以来「温度・湿度・輻射熱・風」が自分の関心となっているため、空調設備によって成立している空間(外部から通風はとっていたが)は、やはり気が乗らない。でもタコライスはおいしかった。

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それから現場視察。やはり行ってみないと分からない。想像とは異なった。
よりヒューマンに、平素につくる必要があるな、と感じる。

ただ、どうしようもないことに、多くの設計者は竣工写真のことばかり考えており(まぁ、自分たちの「所有物」は図面と写真しかないからしょうがないのかもしれないが)、建物そのものの存在論については言及する人が少ない(というか「いない」に近い)。私は、建築が建築として自立し、建築として生きられるよう設計したい。

用事は終えたが、会社に戻るには遅くなったため、せっかくだからと水戸により、磯崎新の水戸芸術館を見に行くことに。
駅から歩き、小道を入ると、あの塔が見えた。これは良い印象だった。まず無意味なのが良い。そして、大きいこと。それはやはり建築家の野心を掻き立てるものであることは、否定できない。
建物群は、スケールを抑え市民に開かれているようで、とても印象がよかった。全体構成はショーの製塩工場のように、人工的な楽園というか小宇宙みたいで、アスプルンドのような古典回帰的な形態もあれば、ライトのような回廊と庇もある。また宙に浮いた石は、表象としての日本文化を記号的に表しているようであった。

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塔のなかにはエレベーターが通っており、地上80mに展望台がある。エレベーターで登る途中、内部の鉄骨加構を見ることができるが、無骨な風景と対照的に、館内にはクラシックが流れる。意図的かはわからないが、この高揚感の演出は、如何にも磯崎らしく思えた。

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磯崎の建築は高価な素材を使用するため、公共建築としての存在感があり、一般市民にも案外受け入れやすいのかもしれない。つくばは「虚構ですら虚構でしかない」ことを感じ、虚無感すらあったが、水戸は民主主義的で、結構良かった。

家に帰りポストを開けると、とあるはがきで私は幸福に包まれた。私がもっとも思いを寄せる日本の建築、その住み人から手紙が帰ってきた。来年の四月には出会うことができるかもしれないが、なぜ四月なのか。それはきっと素敵な理由があるのだと、私はワクワクしながら来年の春を待つことになった。
 

働く意味と意義

2012年11月19日 23:10

今の部署に移ってから、私は「働く人」になった。
部署の雰囲気もあるし、仕事量が減りつつあることもその要因だろうが、周りから見ると心配されたり、呆れられるくらい、私は働いているらしい。

働く理由は何かと、時々思う。

それはやっぱり、許してほしいからではないかと思う。

ひとつには、建築を必要とされにくい時代に、建築を建てるということ。オフィスは1割が空いており、家は7軒に1軒が空き家だ。

そんな時代に生まれる建築だからこそ、人々に愛されてほしい。

また、業務上のミスや要望を許容してほしいからということもある。私の経験上、人はデザイン性や空間の美しさでは動かない。人が動くのは、やはり人によってである。

自分の時間を犠牲にすることで、プロジェクトが円滑に動く。勇者に必要なのは勇気であり、設計者に必要なのは、前に進むための意志である。

あとは、宮崎駿の真似事だが、やはり自分自身を許してほしいということが、やはりあると思う。

私が他人に喜んでもらえるとすれば、やはりそれは建築を通して、なのである。

最近、設計者として意識していること

2012年11月17日 22:01

最近設計を進める際、意識していること。

やはり図面は原動力であるということ。それはコルビュジエおじさんが言ったような歴史性、あるいは時代性においてではなく、一対一、人との関係においてである。
絵を描いたとき、初めて自分の認識は客体化される。問題点も見いだせれば、逆に、既成の事実がなぜそのような成り立ちを帯びたのか、一瞬にしてその過程を経験できる。

常に先行すること。後れをとると、途端に崩れる。常に先手を打つことが重要。

素直であること。意匠的な工夫で、建物の化粧を整えることも重要だが、それがあくまで化粧でしかないのならば、本質を(それが化粧そのものであることも含め)しっかり見極めることが大切。

世界の断片を知るための「きっかけ」

2012年11月14日 23:55

会社の帰り道、ビックカメラに寄って温湿度測定器を購入。携帯式なので、常に持ち歩き、測定を試みようと思う。

数値によって世界を知ることはできないが、世界の断片を知るための「きっかけ」を探ることはできる。

そして、それらをかき集めることで、無色透明の数値に模様がつく。その波紋を感じ取れれば、風の行き先を察することができるように思う。

とりあえず、現在私の部屋は16.6度、53%。やや寒いが、そこそこ快適な範囲であろう。

世界を知るきっかけになるかと思うと、とてもワクワクする。

身体を動かすための前述、としての本

2012年11月13日 23:56

ひとつ感動的な本を読んだので、簡単に記録する。

『環境デザイン講義』著:内藤廣

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環境(私の場合これは「風」と要約されるが)について学びたかったため購入し読了。
間口をぐっと広くし「あとはそれぞれ自分の身体で確かめること」といっているような本。

内藤廣という建築家は、学生時代距離を置いていた。ひとつは正統的(?)な建築家であること。また、Yくんがよく語っていたことが主な理由であろうか・・・。

私は、Yくんが語っている事項とは一定の距離を保ち、後々こそこそと個人的にはまるというのは、いつものパターン。ただ、私のこのミーハー的な感覚は、個人的に結構信頼している。(当然のことながら「温湿度風速計」を必死に探した。)

海の博物館に魅了され、それ以来どことなく気になる存在であったが、今回少しだけ分かったような気がした。
下記、記録すべき言葉たち。

なんにせよ、これから建築家になって奇妙な建物を設計したいと思っている人は、それだけリスクを背負うと覚悟してください。自然の摂理からそれだけ離れるわけですから。勇気ある人たちですね(笑)。ただ、ひとつだけ付け加えておきたいことがあります。その形をどうしてもやりたい、その形こそが時代を切り開くものだ、と確信できる時もあるかも知れない。その時には、やむを得ず性能より形を優先させることもあるかも知れない。その覚悟と必然性があれば許しましょう(笑)。

・・・そのためには水盤が必要です。鏡のような静かな「水」が、四角い広場の真ん中に無意味に存在している。もちろん、水が空気をクーリングしてくれるという機能もあるけど、それ以上に、この無意味に、というところが大切なのです。

・・・でもそのなんとなく、というのが大切なのです。脳の反応は、なんとなくというところに大きく作用されるからです。


う~ん、どれもYくんから既に聞いていたようなそうでもないような・・・。さらに別の本ですが、内藤氏はルイスカーンのキンベル美術館を見て、建築に再起をかけたそうですが、これは確か聞いたはず(笑)。

内藤廣さんという方は、本当に信頼できる方のように思えた。

ここから私のひとつのプロジェクトが生まれた。温湿度風速計はとりあえずにしろ、まず温湿度測定器を買い、実家の内部を計測する。それを日時を変え、いくつかデータをとってみよう。さらに風の小屋についても行う。

風のイエと言いながら、現実的な風の観察については全く勉強不足なので、まずは温湿度から考えてみる。それから、前々からやろうと思っていた、家のなかの荷物量の実測。とりあえず身の回りのことから観察する。

でも、風のイエはまんざら「ハズレ」ではなかったと、内藤廣氏の本を読んで感じた。これからしっかり風を感じるよう、身体を働かせるべし。

歳をとらせて頂ける幸せ

2012年11月13日 23:32

今日はとまちゃんを抱っこした。しっかりと生きていて、とても暖かかった。
銀座の文明堂でお祝いを買い、病院を向かった。行く途中、鏡に映る私の顔は老けてみた。しっかり歳をとらしてもらえたようで、とまちゃんと姉夫婦に感謝である。


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