風の小屋―77

2012年03月31日 23:15

昨夜深夜業にてカプセルに泊まり、早朝千葉に帰ってきたのだが、結局午前中寝てしまったため午後から施工。

今日は美容院に行く予定もあったため、施工は2時間弱。

作業としては、室内にパテを塗りまくる。天井施工したが、既製品でないため当然すき間が生じる。そこをパテ埋めする。

すき間から漏れている光がなくなると、空間は静寂さを得た。空間は、空間としての自立性を獲得した。

ミースが「建築とは空間の意志」と述べたが、まさのその「意志」を感じた。

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作業途中から大雨。しかし、小屋の中は被害なし。

雨天時も通常通りの平穏を確保できる。いやいや、これは建築の奇跡だな。

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カプセル12、13日目

2012年03月31日 18:25

連日の深夜業。平日がっぽり働き、週末は休むスタイル。とても効率的で文化的な生活。

エレベーターのなかには、改修工事の張り紙が。築40年の建物、各所にガタがくる。

段々暖かくなってきたため、朝のシャワーが楽である。

夏が来たら、きっと灼熱地獄だろうな・・・

3月28日(水)曇天

2012年03月28日 22:00

竣工間際のドタバタ。現場の、普段親切な方々も苛立っており、この変わり様は何かと思う程である。

設計内もバタバタ。自分でできることは自力でやるが、初めての事柄については、上司に聞くしかない。しかし、あまりに忙しすぎて聞きづらい・・

任されるのも大変だが、任されないのも大変。

柱をいかに細くするか。それは設計であっても建築ではない。丹下健三が述べるピロティの意味を考える。それは自律性と社会性の弁証法なのだ。

カプセル11日目

2012年03月28日 00:45

監査前の検査。感動がない。常駐していた現場は、プロポーションの悪い建築だったが、感動はあった。唯一感動したのは、踊り場。無駄な空間。

11時過ぎ、銀座の街を歩く。背の高い綺麗なお姉さんとママさん、そして顔を赤らめたサラリーマン。正直怖ぇ・・。自分とは無縁の世界かな・・

カプセルに帰る時は緊張したが、カプセル内に入ると落ち着く。

さ、寝るかな。

3月26日(月)曇天

2012年03月26日 22:04

今日はハプニング続きだった。周りからみれば大したことではないらしいが、私はヒヤヒヤものだった。

なぜその人がイライラしているのか、なぜその人がこんなに優しいのか、まったく私の文脈に乗らない。

まったく人間って奴は・・

今日は体調が優れない。週末の頑張りと、母の体調不良が重なったなこりゃ。

あぁ、彼女に会いたい。

風の小屋―76

2012年03月25日 20:35

午前中から作業・・・のはずが熟睡。勤務中はコタツでゆっくり寝られることが幸福のように思うが、実際に休日そのように時間が過ぎると罪悪感しかない。いやいや、人間とは勝手な生き物である。

午後から施工。昨日塗装した天井板を貼っていく。

まずは西側スリット窓の折上げ天井部から。もともと下地が軟弱なので、板をとめるのは困難である。ビスを打ったり釘を打ったり、思考錯誤しながらなんとか取り付ける。

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昼過ぎ、気が付くと西側スリット窓から光が射している。敷地西側は雑木林となっているため、冬の低い日光は遮られてしまうが、もう4月。雑木林の上より光が射す。このスリットを通された光を、私は初めて見た。はじめましてと、新しい仲間を迎え入れる気持ちだった。

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一通り天井を貼り終える。これから塗装、パテ処理の繰り返しだが、とりあえず内装も山場を過ぎた。ゴールデンウィーク完成予定なので、過ぎてくれなければ困るのだが、いやいやここまで良くやったものだ。

木戸を閉じ、光を感じる。淡いレイヤーを重ねたような光は、何かを問いかけているようであった。この光は、ルイス・カーンの建築で出会った光に近い。恐れ多くもそんなことを思った。

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独立柱も、なかなか良い。白いニュートラルな空間に、規律が生まれる。

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ふと気付く。北東側トップライトの折上げ天井が未施工である。元々施工すべきか悩んでいたが、現場を確認すると、やはり貼ったほうが良いと思われた。単管パイプのクランプが壁と同面くらいなので、全て被せることはできない。致し方ない、貼れる箇所のみ施工した。やはり、最後の最後で現場納まり上の想定外はある。どこの現場でも同じか。

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記録用にいくつか写真を納めながら、この建物は、やはりモダニズムであることに気が付く。機械時代に、人間の手と気迫で生み出された白亜の建築。今思うのは、あれは無機質な白ではなく、建築家の汗が沁み込んだ白であるということ。対自然的な空間は、それは最も人間味溢れる所業でもあるのだ。

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たっぷさんへ。 ―彼らはコルビュジエを知りません―

2012年03月25日 00:24

たっぷさんという方からコメント頂きましたので、ご回答というか返信致します。


はじめまして。
建築批評家で検索したら、かなり上位に表示されていましたので読ませてもらいました。
面白いですね。
アトリエ系とゼネコン系をつなぐ糸というのはないのでしょうか。
消費者からすれば、もっともっとアトリエの人が、ゼネコンで仕事してほしいのに・・・
この辺は日本組織論とかになって、現実は難しいのでしょうか。
これから会社が開放的になってSANNAのマンションとかどんどんできればいいのに・・・
山本さんのCODANは立派です

さきほどの追伸です
デザイナーズマンションといえば 京都の真ん中にたったT松Sさんのマンション
反対運動にかかわらず 建っていますが あれなんなんでしょうね
余程経営難だったのか 名前を貸しただけかもしれないけど
ああいうのは語れないところが 日本の建築界の暗闇なのか



ゼネコンに就職し、3年経ち、藤村氏に対する文章ももう2年半前のことになります。当然、私の考え方も随分変わりました(考え方が変わったというか、立ち位置が変わったと言った方がよいかもしれませんが・・・)。

今はあまり「組織系」「アトリエ系」と分類することに興味がないです。当時でさえ、藤村氏が「このように「ぼやいて」みせたところでアトリエ派の給料は上がらず、組織・ゼネコン派の仕事は面白くならず、業界全体が縮小して行くだけ」と論じたときは、とてもつまらない議論だなと思ったのを思っております(藤村氏が何を意図したのかはよくわかりませんが・・・)。

たっぷさんがどのようなお仕事をされているかわかりませんが、建築には、建築が、自ら建築として自立していく感動があると思います。それは、綺麗なアングルで切り取られた新建築の写真ではわからないことです。実際に建築の仕事に携わり、現場を経験するごとに、組織系-アトリエ系の二分法には、(それが的を得ているか得ていないかではなく)興味が薄れてきました。

私が問題と思うのは、大学の教育がアトリエ系の系列でできていることのように思います。確かに建築の歴史を構築したのはコルビュジエや丹下健三かもしれませんが、名もない設計者、技術者が建築を構築してきたのです。どうも大学教育や出版物の内容に、偏りがあるように思います。

建築批評ということに、学生時代関心がありました。文章を書く建築家になりたいとも思っていました。今でも批評性というのは重要であると思いますし、自分なりに持ち続ける必要があると思います。ただ、それを如何にアウトプットするか、それが今の私のテーマかもしれません。

例えば、私は今小さな小屋を建設しています。設計・施工、全てひとりで行います。当然新建築にも載らないでしょうし、歴史に残ることもなく朽ちていく建築です。ただ、この小屋の建設中、家を訪れる人との会話が異常に増えました。それは、常に自分が外にいることもあるかと思います。訪問者とは、嫌でも顔を合わせなくてはなりません。当然そこに会話が生まれます。

幾人かの人は面白がり、どのように建設したか、なぜ建てるのか聞いてきます。完成を楽しみにしてくれる人も中にはいるそうです。

彼らはきっとコルビュジエを知りません。僕らが彼ら近代建築家の影響下に生きていようか、彼らが知りません。でも、私の小屋は知っています。当然私のことも知っています。

この小屋にはいくつもの社会的な批評性を内包させました。しかし、彼らが感じ、また私自身が感じる建築の感動は、「ただそこに建築がある」という感動であり、何かを否定したり肯定したりするものではありません。

私はここから色々な物事をつなげていきたいと思っております。ひとつの成果として、向かいの家のご主人が小さな小屋を建て始めました。娘さんと一緒に作るのでそうです。物ではなく、一緒に作ることに意味があると言っていました。

私の影響がどうかはわかりませんが、このようなつながりが広がると良いと思っております。

この広がりの先には、きっと良い世界が待っていると、私は確信しているのです。


・・・ちなみに、いわゆるアトリエ系が良いと思うのは、師を自ら選べるところでしょうね。ここからは内田樹さんのブログを読まれた方が良いかとは思いますが、尊敬できる方の下で働けることは、何にも代えがたい幸福だと思います。もちろん、それは組織のなかでも可能ですし、私は尊敬できる上司と出会えました(そうでない方もたくさんおられますが・・・)。

そんなとこでしょうか。

空虚な映画

2012年03月24日 23:48

『グラン・ブルー』という映画を借りたくてゲオに行ったが、全てレンタルされていたので何か別の映画はないかと思い借りた。

『蛇にピアス』 主演:吉高由里子

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原作を読んでいたことと、主演が吉高由里子であることから借りた。

日本映画に求めるところは、空白の虚無感である。ハリウッド映画では沈黙さえも消費時間のなかにあるように思われるが(偏見か)、日本映画は全くの退屈さのなかで空虚がある(あまり商業映画としてはよろしくないと思われるが・・・)。

この映画も、まさに日本映画のそれだった。ひとことで言えば「退屈」な映画であった。ただ、その空虚な時間とピアス、刺青のなかに、なおさら虚無感を感じざるを得ない。

退屈だが、風景として記憶に残る。まぁそんな映画かな。

風の小屋―75

2012年03月24日 19:00

3月22日はコンペにて大阪へ。なかなかこの歳で連れて行ってはもらえないのだが、上司の計らいで同行する。そのコンペ準備のため、この10日間は深夜業も度々であり、休日が全く取れなかったため代休をとり3連休とする。

3月23日は雨であったため作業ができず、24日も午前は雨。しかし作業がかなり滞っているため、雨でも作業決行。

久々の作業も、小屋は素直に受け入れてくれる。

今日は西側スリットトップライト部の内装壁設置。金具を隠すため、折上げ天井とする。幅が100ミリ程度しかないため、手が入りづらい。両面テープで仮固定してから釘打ちを行ういつものやり方。

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トップライト北側も、板を貼るための下地を設置。どのように下地を組めば良いか悩む。

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それから垂木(梁?)部分の板貼り増し。その後パテ充填。

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トップライト東面の板を切り出してからは、もっぱら塗装作業。他の部材との取り合い部は板を外してから塗装。

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南東側の独立柱も塗装。こちらはサッシと窓枠と色を合わせる。単管パイプの質感がもろに出てしまうため、下地に何か塗るべきかなと思案中。


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室内が急に白くなり、空間は重量感を備える。段々、終わりが近くなっているのを感じる。

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18 中銀カプセルタワーマンシオン 2012

2012年03月23日 14:49

言わずと知れた、メタボリズムの旗手黒川紀章の傑作。1972年に建設され、時代情勢に応じカプセルを取り換え、新陳代謝するという思想であったが、2012年現在そのような変化は一切なく、解体か保存かで揺れている。建物内部も腐敗が進み、給湯が出ない。そのため、住民は建物外部共用簡易シャワーを使用する。しかし、それを「メタボリズムの失敗」と断言するには短絡的である。建物外部は変化しなくとも、内部は(あたかも集落のように)呼吸し、変化している。都市に突き出た未来都市は、廃墟と化した宇宙船のようであり、人の生活を保障するというよりも、生活を確保するための最小限の被覆のようである。「機械時代」が終焉(?)しつつある現代。メタボリズム建築はやっと、その「生命」を露呈し始めたのだ。

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