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11月28日(月)

2011年11月28日 23:05

今日、施工図チェックにて過去の打合せ記録を見直したのだが、相当昔に打合せしたと思われていたことが、実は3ヶ月前だった。

この数カ月、精神的にはかなり疲労し、それは鉄と鉄がこすれ合う様な決して心地良い疲れではなかったが、ただ、この間の成長は著しく、それは右肩上がりの勾配ではなく、ジャンプアップするように時間が過ぎたように思う。

しんどい日々での、かすかな光を感じた。
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建築についてのぼやき

2011年11月27日 20:35

先日、上司の発言に落胆した。私は監理中の案件で現場要望を設計に持ち帰ったのだが、その人は「現場の意見だから嫌だ」といい、その考えの良し悪しではなく、誰かに自分の設計を変更されること、そのものを拒んだ。

確かに、設計者にはそのようなタイプの人がいる。つまり、現場は自分が引いた線の通りにやればよい。もっと毒っぽく言えば、現場のくせに設計に手を出すな、という蔑んだ感覚である。

私はその人達が大嫌いである。彼らはそれが「設計者」であるという。ならば私は設計者になどなりたくない。

内田樹さんの言葉の引用か、あるいは自分から発された考えかは忘れたが、サラリーマン社会では(それ以外でも?)、自分の優位性を確保するために、自身が努力向上するのではなく、周囲のレベルを落とし、自分が相対的に優位に立つといった手法をよく目にする。なぜ周囲のレベルを落とせるのか、それはもちろん縦社会だからである。部下は上司に従うのがルール。そして、部下の評価は上司によって決定される。

私は建築家として、或いは人間として、やはり誰しもに親切にし、誰にでも受け入れられることが素晴らしいことだと思う。しかし社会で生きていく上で、そのような方法が無効化されてしまう状況にしばし出くわす。相手がわかってくれないのは自分が劣っているからだと思っても、たとえ自分が精進したところで状況は好転しない。そのような絶望的な現実を突きつけられる場所がしばしある。

私はよりよく生きたい。そのために、周囲の環境を選ぶことは愚劣なことだろうか・・・。

学生時代、私の考えを共感してくれる、そういったコミュニティのなかにいても自分は成長しないだろうと思い就職を選んだ。その考え方はまことに正しかったのだが、やはりそういうことになるのだろうか・・・。

昨日『世にも奇妙な物語』を見ていたら、「じゃんけん」についての物語が放送されていた。とある建設系若手社員がじゃんけんが弱いため、じゃんけん道場に通い、じゃんけんが異常に強くなる。そしてそのことに気がついた上職者(社長?)が彼を呼び出し、次の入札に出てほしいと要請される。なんでも、実は昨今の入札は金額ではなく、じゃんけんで行われていると言い、入札をとるためにはじゃんけんが強い人が必要なのだと。

結局その人はじゃんけんで勝利し入札を勝ち得るのだが、最終的には総理大臣が彼のもとを訪れ、彼を黒い車に乗せともにどこかへ向かう、というシーンで終わる。つまり、そこには社会風刺が込められているのである。

政治と建設、それは最終的にはじゃんけんにて方針を決めている。現実にはそうではないだろうが、そう思えてしまうところが上手い、というか笑けてくる。

それとはまったく関係ないが、今日母との会話。都会に住むとしたら、1階がセットバックして駐車場となっているタイプになるかなぁと話すと、「あれは家らしくないからダメ。家は1階が大きくて、2階がセットバックしている形でしょ」という会話になる。

1階がセットバックしピロティ状になっている住宅は、もちろん土地が狭いから否応なくそうしているのだろうが、元を探れば、きっとル・コルビュジエの発明ということになるように思われる。「都市型住宅」という意味で、建築に携わる者ならば当たり前の形態なのだろうが、やはり一般の方には異様に映るのか。

建築というものについて、この2日で色々考えた。常に考えているけど、良く考えた。

んん、結論がないぞ・・・まぁ、ぼやきだからいいか。

風の小屋―58

2011年11月27日 19:55

今日も午前中買い出し。サッシ枠の色がなかなか定まらない。もともと外壁は木の質感を生かした塗料を使用していたが、サッシはパテを使用するため、下地の材質がなくなるものでなければならない。昨日2色試したが、合わなかった。事前に頭のなかにあったイメージと、実際に塗られた色は、比較すると同じ色なのだが全く別ものだった。やはり現場、というか、それそのものの「環境」を如何に感じるかが重要。

まぁそんあ複雑な話でもないのだが、本日は濃い茶色を2色購入。ブラックチョコレートとチョコレートの2色のうち前者に決定。内装の白とコントラストをなす、日本建築の濃い茶色に近い。あれは漆塗りとか年月の経過によるものだろうが、今回はそれを「ブラックチョコレート色」で実現しようとするのは、違和感というか、なかなか面白いなと自分で思った。

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それから網戸についても同様の色で塗る。今回サッシ製作については、具体的にどのような施工方法であれば物として成り立つのかわからなかったため、とりあえず製作していった。そのため、本来は部材が接合される前に塗装するべき部分が、塗装されぬままサッシとなってしまったため、製作後に塗ることに。すると当然、塗り分けの必要がある。熟練した職人でもなんでもない私がやると、やはり綺麗に仕上がらない。結局入り角部分は薄い材(木のフラットバーのような)をあてることにした。

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サッシひとつでずいぶん時間を要しているが、今回計画のなかで一番詳細が求められる箇所であるためしょうがない。それに、実際の業務でも塗装サンプルを作成するのには、現場経由で業者に頼み、あがってくるのに1週間くらいはかかるのだから、ひとりで、かつ週末施工なのだからそれくらいはかかるのだろう。

窓まわりは板を合わせ全体の形状を形作るため、どうしても木と木の継ぎ目がでる。それを埋めるためにパテを塗り、ヤスリがけし塗装で仕上げる。

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もう1箇所、外部とツーツーな部分にもパテをあてる。シール変わりのつもりだが、これで大丈夫だろうか・・・

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最近は日入りがめっきり早くなったため、作業は16時半前で終了とし、17時から1時間公園を走る。走るといっても、右足に痛みが出るので、最近は40分程度走り、その後歩いているのだが(とにかく1時間は運動し続けることが大事)。

今日は寝違えたため首が痛く、公園を走るのは難があるため、家にあるウォーキングマシーンでの運動とした。室内でできるためテレビを見られる。今日は久々に藤森照信のNHKドキュメンタリーを見た。大学2年の冬だから、7年近く前のビデオ・・そう考える、時間が経つのは早いものだ。

何を隠そう、私はこのドキュメンタリーに出会い小屋建設を構想したのである。改めて見ると、当時の自分の夢が現実になっている点に、不思議な感動を覚える(実際に作業をしていると、作業の大変さに頭を悩ますことが多いのだ)。そして、作業をしている映像を見ていると、そこにあるであろう木の匂い、感触が伝わる。これは自ら建設作業を経験しなければわからなかったことだ。

とりあえず私は、かつての幸福のなかにいることを感じた。引き続き頑張ろう。

風景-20

2011年11月26日 20:53

三鷹の方でたまたま見つけたファサード。伊東豊雄設計の雰囲気が漂う。

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晴れた日。地下から地上へあがる階段。光に筋が美しい。

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夕時、テナントがいなくなった空白のビルディング。純粋な構造体と透明なガラスによるシンプルな構成。

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交差点際に設置されたコンテナ群。レンタル倉庫というのかな。いつも佇まいが綺麗だなと思って見ていた。いつかはプレハブの即物的で端的な建築に惹かれていた時期があった。

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過程-4

2011年11月26日 20:45

風のイエ」を論じるための指標たち。これは風のイエだと感じたが、ただその根拠は明確にわからないので、とりあえず記録しよう、というもの。

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たまたま見つけた、古い町屋風の建物。夏を心地よく過ごせそう。

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人の住んでいない平屋。おそらく物件的には安値だろうが、端正で心地よいプロポーション。いつかは「この感覚」から如何に逸脱するかを考えていたが、今は、その建築の「佇まい」に惹かれる。

風の小屋―57

2011年11月26日 18:48

午前中買い出し。午後施工。

網戸製作。施工手順が安易だったため、剛性がとれない。これについては反省。
外側にL字の金物を設置し、固定する。室内からは見えないが、やはりこういうことを想定していなければならない。

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東側のアクリ窓の枠は、あらかじめパテ処理してあったため、やすりをかけた上で塗装する。塗装は2色試し買いしたが、どちらもうまくない。明日別の色を試すことにする。

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「普通」との距離

2011年11月25日 23:12

先日ワイドショーにて、子供の婚活をする親達を特集していた。最近、そういう人が急増しているらしい。

その際、好まれる男性像、女性像が興味深かった。

男は経済的に安定し、転勤がない、つまり公務員が人気があり、女は家庭的で清潔感があって、院卒は敬遠され短大卒が好印象だという。

それがどれ程スタンダードかしらないが、私の感覚とはかけ離れている。

会社生活のなかでも、いくつもの「普通」とのギャップを感じ、その度に挫け唖然とするが、それでも私は、その「普通」とやらにはある程度の距離をとっていたい。

特に批評的な観点ではない。単に「普通」にまみれることが怖いのだ。自分が消えてしまう気がする。

だから私は、学生時代「普通」ではないことに没頭した。社会に出たら否応なく普通化していくのだから、事前に距離をとった。そして、普通化の過程との軋轢こそが、自分の成長になれると信じた。

そういう意味では、私は今目論見通りの成長の日々を送っている。まぁ、そういうことになる。

12月頭に、東大でシンポジウムがある。青井先生が公演される。しかも、以前にお世話になった方も公演するらしい。

行かなくては・・

11月24日(木)

2011年11月24日 23:26

大きな案件を任されつつある。といっても、客観的に考えて、入社3年目では無理(に近い)。

日々、凍った湖の上を歩いているような感覚。そこは歩けるのか、それとも氷が薄く落ちてしまうのか、歩いてみないとわからない。

先日の研修で、とある設計者は言った。「設計者にとって重要なのは、わからないことは聞くこと」当たり前のことなのだが、これがなかなか難しい。

でも今はできる。それは、分かることが増えたこと、それと、自分の仕事に自信が出てきたこと。

私は、常に自分は「底辺」だと思っている(これは大学時代の同期の言葉)。故に、自分の思考に対して圧倒的に自信がない。

それは今まで、私の「業務」の足枷になっていたように思う。

今日は仕事が円滑に進んだ。色々良くなっていると思う。

でも、やはり私は自分が「底辺」であると思い続けるだろう。それは、私が「より良く生きる」ための術なのだ。

・・明日は三島由紀夫の命日か。

世界についての本

2011年11月23日 21:27

以下2冊読む。

『バックミンスター・フラーの世界 21世紀エコロジー・デザインへの先駆』 著:ジェイ・ボールドウィン・梶川泰司

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社内コンペの参考にと借りたが、実際はコンペを終えてから読み終えた。フラーについては『宇宙船地球号』は読んだことがあったが、それ以外はなかった。カナダのモントリオールを訪れた際、大雪で半透明な風景のなかに、あの球体が「発生」している様は、まさに建築的感動であり、フラーについての関心はそこに起因していると思われる。

風の小屋を作っている時、それはまさに「施工」の段階に入ってからだが、フラーが頭のどこかにあった。言葉では説明できないが、私は身体のどこかが、あのバックミンスター・フラーに接続されているような感覚があった。

本を読んでみたが、まぁ正直物理的な数式等は良くわからない。ただ、この本を読むと「私が世界のために何ができるか」と、壮大な思考に陥ってしまう。フラーの言葉は、脳みそをこじ開け、新しい回路の接続先を模索できるような期待感を覚えさせる。

私は学生時代「世界」という言葉を好んだ。今でも変わらない。ただ、以前考えていた世界は抽象的なものであったが、今は「手の届くもの・こと」にある(宮崎駿の言葉でいえば「半径3m以内」である)。フラーの考える世界と、私が今関心を持つ世界とは若干ニュアンスが異なる(時代認識の違いといった方が明快かもしれない)。ただ、脳内に風穴をあけ、開放的にしてくれるには十分な本であった。


『東日本大震災の教訓 都市・建築編 覆る建築の常識』 編:日経アーキテクチュア編

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製図試験が終わった日、その足で本屋に行き買った本。「ほしい!」と思える本がなかなかない中で、やはり建築に携わるものとしては、震災については知識を得ておく必要があると思い購入。結局読むのに1カ月程要した。

これはあくまで「知識」として読む本であるため、やや仕事と直結しているように思えたが、やはり知っておくべき事柄であり、読むに値する本であったと思う。

風の小屋―56

2011年11月23日 21:07

今日は祝日。勤労感謝の日であるので、自宅現場にて働く。

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午前は網戸の製作。ガラス戸(というかアクリル戸)や板戸であれば「面」としての物体があるため施工しやすいが、網戸は「網」なため、枠のみで自立する必要がある(当たり前だが)。その当たり前のことが素人には難しく、さらにサッシを綺麗に納めようとするから枠が細い。思考錯誤の上、形にする。まだ形にはなり切っていないから、今週末金物を買って固定する。

午後は窓枠回りと板戸の製作。図面を描いたのは一年近く前なので、なぜこのような納まりにしたか悩む。施工しながら「あ、こういうことか」と過去の自分の考えに納得したりする。


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図面でイメージしたことが形になるのはやはり楽しい。私は今設計者であり施工者である。実務で言うならば設計・監理、施工管理、施工の工程を全て行っていることになる。それが系列だって行われるのではなく、常に自分のなかで設計者なり現場監督なり、職人なりが顔を出し意見を言う感じ。この感動を味わうと、オフィスで図面を引いていることが貧相に思えたりする。ちなみにこのような建築家像を私に提示してくれたのは、他ならぬ黒板五郎だが・・・。

時間をみて塗装を試す。どうも合板に白塗装だと綺麗な白にならない。おそらく合板によっても色に違いが出るだろう。下地に壁紙を張り、その上に塗装という手もあるが、壁紙のように自然に還らない素材はできる限り使いたくない。そう考えると、ニュートラルな白とはやはり「不自然」なものなのだな。

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塗装する度宮脇檀の言葉を思い出す。「塗装は好きな色で塗ればよい。気にいらなければ、塗りなおせば良い。」

戸が付き始めると、急に「家」の様相を帯びてくる。感動的だが、違和感も覚える。作業が終わり、小屋内の道具を外に出してから、入口の戸を閉める時、なぜが小さな寂しさが舞い降りた。本格的な冬の到来とともに、色づいた葉が屋根に着床する。もうじき壁・天井を張りだすと、遂にこの景色ともお別れである。

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建築は常に、新たな出会いと別れの場なのである。



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