計り知れないことばかり

2011年10月30日 23:56

今日は朝から関内へ向かう。彼女と、彼女のお母さんが歌の演奏会に参加し、それに招待されたからである。

早めに横浜に着き、そごうで簡単なプレゼントを購入。

演奏はとてもよかった。歌手もいたが、サックスが多かった。やはり、こういう場にいると楽器をやりたくなる。とりあえず私はピアノが少々できるから、そちらを継続することだな。

彼女のお母さんと別れてから、彼女と二人で横浜デート。みなとみらいを行ったり来たり。

いつか家族でみなとみらいに来た時、これからの私の将来に、女性とふたりでこんなデートスポットを歩くことなどきっとないものなのだと思っていたが、それが今実現されていることに、とても不思議な、ささやかだけど大きな喜びを感じる。

家に帰り、食事をし雑務をこなす。きっと、明日は大変な一日になる。

情熱大陸で重松象平さんを特集していた。OMA・NY支社代表。学生時代設計に魅力を感じなくなり、設計事務所に就職することに希望をもたなくなった時も、OMAは私のなかであこがれの場所であり、そのなかで当然重松氏のことは注目していた。

今回帰りが遅くなることを想定し録画までしていたが、内容自体はあまり面白いものではなかった。

というのは彼の仕事が、他人より卓越した、特別な仕事ではないということを再認識したからである。建物を大きさは尺度で表せるが、どれだけ人に感謝されるか、何かのために建っているかという基準は数値では表せない。そのことを改めて思った。

それから、取材陣自体、彼あるいはOMAの面白さを捉え損ねているように思えた。というか、それは我々(?)建築に夢を見る側と、「世間」側とのギャップなのかもしれないが・・・。

今日は日本の森林環境、林業、そして木材を使った建築空間、木の特性について考えていたが、それはそれで壮大な世界。地球と会話しているような感覚。それは測れず、計り知れない。

夜、明日の天気予報で背景にみなとみらいの夜景が映った。ついさっきまで見ていた観覧車のネオン。夢だけど夢ではない、美しい時間と景色。これも計り知れない。

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設計者は意地とプライド。

2011年10月29日 22:09

今日は休日出勤。午後からなので、午前は神保町へ向かう。

まずはブログ本の製本。

それから、いくつか本を物色。

ひとつは木について。樹木についての本と、林業・森林のデータ白書を買う。

日本の森林・林業については、比較的答えが見えやすい問題だ。しかもそこに建築的な解決策があるなら、建築に携わるものとしては、やる気になる。

後は篠原一男についての本を探した。彼の建築のディテールがわかる資料。

最近、木造の詳細を描いているのもあるが、やはり物の納まり・詳細に関心がある。

以前は1/100図面に理想を見たが、詳細・矩計を見ると、その建築家の本音・実情が分かる気がする。

篠原一男のあの「崇高な空間」は、どのような現実的所作によって実現されたのか。

そういう興味は、やはり仕事で身についた。

しかし今日、上司の仕事を押し付けられ、あっぷあっぷの一日。ほんとに実施設計図発行大丈夫だろうか。

設計者は意地とプライドだ。

今日は一日、まじめに生きることを目標に生きた。

木についてのお勉強

2011年10月28日 00:17

ここ数日、木について学んでいる。「木の空間」をテーマとしたコンペに友人と参加するためだが、単に「美しい空間」を作るのではなく、社会的拝啓を踏まえ、真面目に木について考えるつもりだ。

当然のように行き着くのが、国産樹木の活用。輸入材がシェアを占め、日本の樹木は高齢化する一方、アジアのそれは乱獲される。その悪循環を是正したい。

問題はコストだ。日本の木は金がかかる。ただ、それは「製材」として加工するのが前提となる。加工せず、むしろ木の持つ「くるい」を活かせれば、サイクルが好転するように思う。

反TPPというわけでもないが、社寺をやる上でもしっかり考えたいデーマ。

何より、今はリサーチが楽しい。

10月26日(水)

2011年10月26日 22:15

先日、久々に宮脇檀のパースを見た。学生時代憧れたパース。やっぱ、かっこいい。

最初に無垢に惹かれたものは、やはりいつまでも残るだと思った。

今日、竣工した建物の見学会があった。パースでは誰もいない空間をイメージするが、どうも化学塗料の臭いがする、小綺麗な建物は好きになれない。というかどれも同じ気がするのだ。

躯体があがって、ボードが施工され始めた、吹きさらしの風が通る空間。あれが好きだった。

無論、現場の苦労を感じずにはいられなかったが。

なんとかの病

2011年10月24日 23:13

日常化すると、偉ぶって批評してみたりするが、外に出ると、その日常が特別なことのように感じる。

何度も何度も、同じく繰り返し。

トートロジー。

これを、なんとかの病とかいうんだな。

風の小屋―49

2011年10月23日 19:22

今日は午前中から買い出し。午後施工。

早朝までの大雨にて、小屋のなかは雨漏り。勾配が浅い分、雨漏りの可能性がでる。いまさら納まりを変更できないので、とりあえずさらにもう一枚波板を載せる策に出る。波板を購入したが、まだ雨が残っていたため、晴れた日の週末に行うことにした。なかなか苦労が絶えない。

そろそろ外回りは終わるので、内装に入る。まずはサッシだが、施工していたら金鑢がないことに気がつく。以前施工中に紛失したのだった。

施工できる箇所のみ施工し、今日は1時間ほどで作業を終える。しかし雨上がりの蚊がすごい。長袖長ズボンにも関わらず、パンツのなかまで蚊に刺された。施工はほんとしんどい。

それから駅前の工具販売店に金鑢を求めて行ったが、店の親父に「そんな都合のいいものは置いてねぇ。ホームセンターに手ごろなやつがあるだろうから、そっちに行きな」と半ば説教される。まぁ確かに、内装に入るため丁寧な作業が求められることも確か。ちょっと工具を改めて見直すか。

矛盾と、表象の肉体と

2011年10月22日 18:50

『三島由紀夫と戦後』 編:中央公論編集部 を読む。

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読むといっても全て読んだわけではない。三島由紀夫自身の文章と、彼にまつわる信頼できる作家の文章だけである(信頼できるかどうか、というのはあくまで私の偏見でしかないが)。

もともとこういう(ガイドブック的な?)本は最近読まないようにしていた。やはり、何か薄さを感じるのである。ただしこの本については三島自身の文章が多く掲載された点と、(特に)石原慎太郎のインタビューが面白かった。

石原慎太郎は「三島さんは結局全てフィクションだった」と語った。最期の決起についても否定的な感想をもっているが、彼がいなくなって日本はつまらなくなった、という言葉は感慨深かった。おそらく、その時代感を共有していなければ、この言葉の雰囲気は感じられないに違いない。

三島自身の文章で面白かったのは、彼が革命は太っていては不可能だということ、そして近年の小説家がブクブクと太り、怠惰な身体になっていることを嘆いていた。石原氏の発言に照らして言えば、その一言も「小説家」という一般論ではなく、あくまで自分自身の肯定論に近いものであったのだろうな。

ただ、三島由紀夫のどうも関心が向いてしまうのは、彼がそれを自覚的に行っていたかのように見受けられる点である。人間の美しさと醜さ、強さと弱さ、それを両立しているのではなく、あくまで矛盾を内包した関係性のなかで、その弱い身体に強靭な筋肉を纏ったかのように思われる。

もう少し彼の小説を読んでみるか。

10月21日(金)

2011年10月21日 23:05

今週はよくはたらいた。

週末は、用事がなければ小屋を作りたかったが、どうやら雨だ。

それに走りたい。

まぁとはいえ色々やることはある。

とりあえず、充実した週末を。

若いな。

2011年10月19日 23:35

同期と、ひょんなことから飲むことになる。そして、一緒にコンペやろうと意気投合する。

アメリカ帰りの彼は、アメリカとは関係なく、しかしその文脈で物事を語る。

思い切り脱線することも良いであろう。

ただ、明日の客先定例を前に、キーを打てる自分が不思議なほど、酔っている。

若いな。

10月18日(火)

2011年10月18日 22:20

定例でちょっとミスをした。

現場の人が、どうも冷たい気がする。

上司の方針に従っていてはダメな時は、自分から覆さんといかん。難しいけど。

Yくんのブログが変わっているとは気がつかなかった。やはり句を詠むのだな。

ひとつの冒険のように思えた。


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