建築はざわざわしていなければならない(成らない)

2011年04月27日 18:21

残業せずに会社を出ると、なぜか全く働いていない気分になる。いかんいかん(汗)

今日、図書館にて篠原一男著『住宅論』とその続編を借りる。

以前から篠原には魅力を感じていた。建築そのものの空間に感動があるかは別にして、彼の論理は美しい。

パラパラめくっていたら「住宅は美しくなければならない」という表題が目に入る。これはアフォリズムとして理解すべきなのだろうか。

ならば私は「建築はざわざわしていなければならない」と警報を述べたい。

建築のなかに「醜さ」を見出したのはレム・コールハースが最初だったのだろうか。少なくとも作家歴としてはそのように思う。

あと彼に惹かれるのは、(私が知っている限り)全ての作品が、建築史を考察する「素材」として非常に優れているからである。

建築としての素材、空間としての素材

歳を増すにつれ、手塚夫婦は偉いなと思う。
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彼らと私

2011年04月26日 20:21

新建築の最新号を読む。

唯一関心を持ったのが、「ネオダダ」についてと、小住宅の仕上げについて。

先日足を運んだGAギャラリーでは、建築家による最新住宅の展覧会が行われていたが、唯一良いかなと思えたのは、手塚夫婦の作品だった。(「いつも」と同じようには思えたが、それは彼らが「建築家」であるか「住宅作家」であるかの問題だ)

建築学生はあの模型やCGを見て興奮するのだろうか。

建築に携わる者として、彼らと私とでは、どちらが正しいのだろうか。

そういえば、八束はじめさんの都市リサーチに対する展覧会があるらしい。ほんと楽しみ。

意味のある建築

2011年04月24日 21:53

ちょっと所用にて東工大に行くことがあり、そのついでに篠原一男設計「東京工業大学100年記念館」を見学する。

いつかは見てみたと思い、でも見なくても良い建築とも思っていた。篠原一男自体、個人的に非常に関心のある建築家であるが、どうもあの時代(第何の様式かはわからないが)からの篠原は、やはりアフォリズム的傾向が強すぎて、どうも見ていて気持ちがよくないように思える。

実際に見てみると、やはりその予想は的外れではなかった。そこに建築があること、それそのものには感動がなかった。どちらかと言えば「なぜ私はここに建っているのか」と自問しているように思えた。

しかし、それが建築の重要性を損ねるとはまた違う、建築の強度がそこにはあった。「単純な幾何学の衝突」という現象は、実際見てみると非常に巧みなものである。それは気持ちよくはないが「美しい」。私は設計者としてではなく、あくまで歴史研究者としてこの建築を見ていた。

レンズから覗くと、そこには抽象的な美学が広がっていた。伊東豊雄の影響も強く感じられた。

見に来て良かった。

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北欧の本

2011年04月24日 21:36

今週から北欧を旅するので、その前に下調べ。私は学生時代、北欧の建築家に特別な感情を抱かなかった。ウェグナーやヤコブセンには熱中したが、アアルトやアスプルンド等建築家については、ちょっと入りこむのが恐い気がしたのだ。

恐いというのは、ひ弱な自分では、一度そこにはまると出てこられない、或いは、自分が建築を設計する際、単なる模倣に終わってしまうように思えたからである。

コルビュジエやミースの建築には「欠点」が見出せる。それは近代建築史上のアヴァンギャルドだったから。しかし彼ら北欧の建築は、純粋に良い。だから、それゆえに恐さがあったのだ。(歴史家として批評性が見出せないことに、自分の存在意義を見出せなかったのかもしれないと今ふと思ったが・・・)

しかし今回アアルトもアスプルンドも見るので、事前勉強。以下、とりあえず2冊読む。

『建築巡礼 18 アールトとフィンランド 北の風土と近代建築』 著:伊藤大介

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久しぶりに、何というか、建築の形態論というか、大勢した作家のストーリーというか、最近ではちょっと離れがちだったテーマにどっぷりはまった感じで、学生の時分を思いだす。すんなり読めたが、こんな本も時には良いな。素直に建築の夢とか、希望とかが見える気がして・・・

『SD選書 140 北欧の建築』 著:S・E・ラスムッセン 訳:吉田哲郎

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実はあまりよくわからなかった。焦点を当てた時代が、作家でいうとアスプルンド以前であり、近代化(モダニズムではなく)の最中である。実に興味深い時代であり、描き方も濃厚で、個人的に好きな構成というかタッチなのだが、まぁ知識不十分というか、そこまで入り込めなかったのが実情。

だが、なんとなく「北欧」の雰囲気が感じられ、特に内容が分からなくとも、読んでいて楽しい本であった。

とりあえず今回の旅には、『シャルロット・ペリアン自伝』と『佐藤可士和の超整理術』を持っていこ。

風の小屋―29

2011年04月24日 21:14

今日は午後より施工開始。東面の外壁施工を行う。これにて、四角形のヴォリュームの輪郭が出てきた。外から見ると、それはウキウキするような感動があって、いやいやこういうのを建築的な喜びというのだな。

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しかし本日は資材不足にて作業は2時間でストップ。震災の影響でホームセンターに在庫がないのである。

今週から1週間北欧に行くため、その間に地盤沈下し倒壊等ないよう、手作りジャッキにて沈下部分を支えておく。父曰く、この傾きをどうにか直してほしいらしい。もちろん最終的には是正するつもりだが、やはり一般的には「斜め」というのは良い印象を与えないようである。住宅の床がフラットでなければならない理由など何もないのだが・・・(まぁ屁理屈かな)

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作業中、思わぬ風景に遭遇するのが建設の喜び。今日は私が施工したスリット窓より、美しい光が射していた。つい先日まではなかったように思える。陽が高くなってきたのだ。

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最近、日本における良い建築とは、周辺環境を最大限に取りいれ、しかし最低限人間が住めるよう、いや、よりアクティブな言い方をすれば環境がすぅーっと内部に流れ込むよう、屋根・壁・床によって最小限に構成された建築ではないかと思う。この小屋も、そんな建築でありたい。

ちなみに開口の輪郭が出てきたことで、具体的にどのような風景が見えるか確認できる。計画中は庭に見える木(何の木だったかな?)が目標だったのだが、ある日父親が強引に切ってしまった。だからちょっとさびしい風景になっているが、まぁ仕方ないかな・・・

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とある飲み会の席にて

2011年04月22日 22:01

先日、上司と飲んだ。その上司は個人的には好感を持てるのだが、建築家として「創造的」な部類ではない。

上司と「どんな建築が良い建築か」という話になり、上司は饒舌に語った。

「お前はどんな建築が好きなんだ?」と尋ねられ、「う~ん」と悩んでいると「そこですぐに答えられなきゃ駄目だなぁ」と言われる。

結局私は例によって、キンベル、ロンシャン、代々木、フラードームを挙げる。

すると上司も、学生時代ロンシャンに行ったらしく、あまり感動しなかったと感想を述べた。

あの上司がわざわざロンシャンに行ったとは想像だにしなかった。

ただそれだけなのだが、なぜかそのことが、私にとってはとても興味深いことに思えたのである。

くりかえしはしる

2011年04月19日 23:05

休日は、しっかり1時間ランニングをこなしている。

360mの公園グラウンドを2分で走る。それを30周繰り返すと10km強となる。もしこれを4時間継続すれば、42.195kmに到達する。

最近は身体つきが変わってきた。ふとした時にその変化に気がつく。日常的に身体がよく動く。今は身体を動かすことが、日常の底辺になっている。

走っている時、20分くらいまでは時間がスムーズに進む。30分くらいまではやや疲労を感じ始め、40分までが一番しんどい。

当初爽快に湧き出た汗が、その頃から冷え始める。やや寒さを感じながら50分を目指す。調子が良ければランナーズハイを味わえる。

疲れが溜まっているとタイムが遅くなる。2分1秒、2秒・・

ややストロークを長めに走ることを常に心掛けているが、それに加え回転を早める。こんなに早く走っていたかと驚く程、精一杯走る。

常に2分で走る事で、世界が動くのを感じる。

日々同じ時間に散歩をしていたカントを思い出す。コペルニクス的転回は起こせなくとも、同じ時間で走ることはできる。

それは哲学的な冒険だ。

どこでもニーチェ

2011年04月18日 23:03

先日夜遅く、社内にて若手が上司に怒られていた。するとそばにいた人が「なんか部長みたいだなぁ」と笑い、檄を飛ばしていたその人は狐につつまれていた。(意識的誤字)

本人は意識しないだろうが、私たちは無意識的に権威を援用しようとする。

不可視の力、権力者への意志。

「自分こそは大丈夫」と思っている人程、その罠にはまる。ニーチェが打破したかったのは、その近代的な自意識過剰的自我である。

あぁこわいこわい

風の小屋―28

2011年04月17日 20:43

本日は午前中総合資格に行き、午後から施工開始。

まず構造の変更。主要構造部だから計画変更となり、もし「建築物」ならば分厚い書類作成が求められるが、私の建築はその点自由であり、構造の変更も単に「その方が多分よさそうだから」という感覚的な理由である。でも実際に建物を建てていると、どこにどれくらいの構造が必要か感覚的にわかる。だってそれをしないと倒れちゃうから。本来的には「構造設計」とはそういうものであった気もするが・・・

具体的には、単管パイプの梁を一本中央に付け足した。これにて構造的な安定感は得られるだろう。

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それから下部構造と上部構造の是正。下部とは単管パイプによる主要構造部で、上部とはその上に乗る木造の箱。実はこの建物、単管パイプを組んだ上に木の箱を乗っけているだけ。だから、ところどころずれが生じていた。

今回はそのずれを是正する。それをしなければ、木とパイプ部分での接合部がおかしなことになる。今回の修正を次回さらに修正し、多分是正は完了するだろう。

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それから外壁下地合板の施工の続き。下地には普通合板(耐水)t5.5を使用しているが、昨日ホームセンターに行ったら一枚しか売ってなく、店員に聞くと、やはり今回の震災で合板は品薄になっているとのこと。この板をもっと必要としている人がいるのだから、是非そちらに持って行ってほしい。その方が建材も喜ぶであろう。

外壁ができるということは、開口が穿かれるということでもある。これまでの作業によって2つのスリット窓が姿を現し始めた。作業休憩中、小屋のなかで寝そべっているといい風が入ってきた。この風をどう呼び込むかが重要なテーマだ。そしてそこから切り取られた風景。ひとつは道路を、ひとつは隣家の庭を向いている。とても美しい。

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一応窓からどんな風景が見えるか計算して設計したわけだが、実際にそれが建ち現れると、とても感動的である。

本日は17時で作業を終えたが、いつもどおり反対側の道路からの写真を撮りに行く。「線」が「ヴォリューム」になってきた。反対道路から見ると、まるで小さな箱が宙に浮いているように見える。足がフェンスの背後に消え、その上にひょっこり顔を出す家、いやいや笑える。

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今日となりのおばあさんに「完成を楽しみにしている」と言われた。すごく嬉しかった。

風の小屋―27

2011年04月17日 20:23

我が家の玄関にはセンサー付きの照明があり、夜、仕事で疲れて帰ってくると、ふぉわっと灯りがともり迎えてくれる。

その時必ずすること、それは風の小屋を見ること。夜その照明がついたときだけ、風の小屋は姿を現す。見るというか感じるに近い。自分が何を作っていて何を作りたいのか、それを感じるのである。時には小屋の上にあがって、月を観察したりする。

先日家に帰ると、いつものように小屋を見て、感動した。感動したといっても、多分私以外の人にとっては全く意識外のことであろうが・・・

私の小屋が、その壁が、玄関の光を受け、輝いていた。

突如、当たり前のようにルイス・カーンの言葉を思い出す。


光は、壁に当たったとき、初めて自分が光であることを知る。


実際は単なる薄い合板であるが、その壁の存在論的意味、それに私は感動し、0時過ぎの我が家の庭で、私はしばらくその光を観察した。

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