飲み会帰り

2011年03月31日 21:17

本日は飲み会なり。これだけ年が離れた人達とだと、終始聞いてばかりだな。

目は相変わらず具合が良くない。

明日は父の還暦である。普段は衝突の多い父だが、お疲れ様、また頑張れと言ってあげたい。

家までは2時間弱かかる。ゆっくり眠るか。
スポンサーサイト

感謝の気持ち

2011年03月30日 18:31

今日は途中から寝れた。

一日中風邪気味。目の疲労が半端ない。過去最悪かな(汗)

会社内で部の統合が実施される。仕事が減っている。我が社にも如実に変化が起きている。

とある外注さんがクビになった。私には随分敵対的だった人だ。今日は送別会だったが、私は体調不良により遠慮した。

しかし私は今週末、現場に行く。この体調なら行くだろう。最後の判断は、どれだけそこに感謝があるかだ。

テレビの投稿された原発に対する一般市民のコメント。「まず、私たちは原発の恩恵があったことに感謝し、原発に対する教養の無さを恥じよう」。

立派だと思った。

復帰2日目

2011年03月29日 20:14

目がきつい。本格的に視力が落ちてきたような気もする。

会社内は冷房を切っている為、暑い。それを和らげようとドアを可能な限り開け放っている。内部に風を感じる。良いことだ。

仕事が少ない現在、そこそこゆったりした日々が続きそうな予感。

itune storeで購入した『愛してるって言えなくたって』と『青春の影』を繰り返し聞いている。

身体が軽い

2011年03月28日 19:46

色々書きたいが、目の疲労が酷い。というか、現場最終日に風邪を引いたので、それが長引いている。

本日から設計部に戻る。心を開けない上司に、特に誰に着目されるわけでもない建物の改修の担当となる。しかし、私は意気揚々としている。

現場を経験し、建物の仕組みがかなりわかった。だから、今は平面詳細を見るのが素直に楽しい。単純に設計の仕事に楽しみを覚えている。

また、設計部に戻ってから身体が軽い。ひとつは体力的な問題。この三ヶ月で身体は多少なりとも鍛えられ、体重も3、4キロ落ちた。

2つ目は、自分の意思を素直に発信できるということ。これは現場で鍛えられたな。多少の自信が付いたということでもあろう。

まぁ、しかし安穏とした日々が続きそうである。

現場を去る

2011年03月26日 23:21

昨日、我々研修生の送別会が行われた。仕事上、特に切羽詰まった現場であれば尚更、みな多かれ少なかれピリピリしている。昨日の席では、腹を割って話せた。とても幸福な時間だった。

送別会が終わり、皆が何となく帰り始めた頃、施工図のおじいさんに捕まる。結局お世話になった職人さんと3人で中国系のパブをはしごすることに。

そのおじいさんは普段は腰を低くしてるのだが、酒が入ると破壊的に壊れ、ただのエロジジイだった。

場合によっては軽犯罪だとも思われる彼の言動は、最初は引いていたが、最後は同情にも思えてきた。

職人さんは彼のことを悪く言わず、しかし私のことも気遣ってくれた。職人さん曰く、その施工図屋さんはとても精神的なストレスが溜まってるらしく、こういうところで発散するしかないらしい。

常に憧れをもった一番お世話になった職人さんだが、その日は惚れてしまうほど格好良かった。

結局夜3時に現場に引き返し寝る。

朝起きて、その施工図屋さんと顔が合ってもとても話す気にはならなかった。向こうも罪悪感があるようだった。

私は一日顔を合わせず、最後の挨拶も避けた。とてもじゃないが前夜の彼の言動を受け入れる気持ちにはならなかった。しかしその職人さんはいつもと同じように、施工図のじいさんと接していた。

彼のすごさを、それは職人としての能力と同格に、感嘆をもって感じた。

今日、現場を歩きながらお世話になった職人さんに挨拶をする。みな、寂しくなると言ってくれた。事務所に戻って、私は泣きそうになった。

職人さんたちは「ダイガク」「セビロ」「オフィス」をあたかも異世界の様に表現し、そこから自分たちがどう見えるかにある種の不安感があるらしい。

私は答える。現場の方がいいと。なぜからそこには個人の意思があるからだ。

もちろんそれは、オフィスワーカーが下等だという意味ではなく、どこにも「現場」は存在し、生の躍動は常に在る。

この3ヶ月を通し、私は「ここではない世界」は常に、すぐそこにあるということを確信した。

夜10時、現場のみんなに挨拶し事務所を出る。この埃だらけの床も、軋む仮設階段も、超高層の風景も、みな過ぎ去っていく。またここに来たとしても、そこにあるのは外在的な風景に過ぎない。現場は内部に入り込まないとわからない。

ただ、週末時間があるときは遊びにくると約束した。内部に入らなくとも、そこはまた別の「内部」である。

帰り道、東日本大震災によって隆起した歩道が舗装されていた。タイルを剥がし黒いアスファルトを敷かれた大地は、むしろその痕跡を物語っているかの様であった。

これから、被災地の復興は少しずつ進むだろう。見える風景は変わっても、そこにはきっと記憶が刻まれているに違いない。

きっと、そうに違いない。

走り抜いた、楽しさも、辛さも

2011年03月24日 23:01

明日で研修が終わる。今の気持ちを正直に言えば「消耗し切った」ということ。私としては十二分に働いたし、これ以上ない経験をした。しかし、現場の怖さを知ったのも確かだ。

来週から元いた部署に戻るが、同期の伝手で社寺設計の方とお話ができることになった。具体的な異動は叶うかまだわからないが、話を聞いてみるだけでも良い。話を聞いた為に、進路が断たれるかもしれないが、まぁ結果は結果だ。

ずっと内装をみていたが、社寺建築の道に進んだらLGSで壁を作ることはない。しかし、もちろん今の経験が無駄になるわけではない。

直接的に意味を見出せないことに、むしろ遠回りすることに意味があるということ。また、客観的な根拠がなくとも「なんとなく」自分の道を選ぶことができること。

今の自分には、確かに、ほんの少しだがそれらがあるように思える。

社会に出る前に大学で悶々としてた時間は、こういった些細な瞬間に意味を持ち得ている気がする。

冬のサクラ

2011年03月22日 23:32

一昨日の『冬のサクラ』は良かった。良いドラマの条件は、役者が活きているかどうかにかかっている。演技が演技を超えた時、それは真実となる。

またこのドラマの良質的な部分は「生きる」ということの答えを「愛してる」という一言に表現しきった点にある。このひとひらの言葉の為に、このドラマは存在した。

終盤、今井美樹の入院シーンが続いたが、液晶モニターを眺めながら私は、数年前に死んだおじいちゃんのことを思っていた。

そしてそれは、やはり画面の中の出来事とは、やや異なるように思っていた。

ひとつは、臭いである。端的に言ってむさ苦しい。熱気を帯びている。病床は、それほど綺麗な世界ではない。

もうひとつは、患者から見えている世界について。亡くなる数日前には、もはやこちらの言動に反応を示さなくなっていた。意識があるかもわからない。

ただ私は、おじいちゃんの病室に一泊した時、おじいちゃんからは全てのこの世の出来事が、手に取るようにわかっているのではないかと思った。特に根拠があるわけではない。ただ、そう思ったのだ。

多くの「生」に関するドラマは、この2点を描いていないように感じる。

『冬のサクラ』では、その点が朗らかに描かれていたように思う。

いいドラマであった。

研修が終わる・・

2011年03月21日 22:28

今日は職人さんに怒られた。段取りが悪い。全くその通りである。

言い訳がないわけではない。各部詳細が決まってないまま、しかも次々と設計変更が出れば、それはその都度解決するしか方法はなく、現場は常に後手後手になる。

しかし、現場の職人にそんなこと言っても言い訳にもならないだろうし、火に油を注ぐようなものである。

私が研修生であり、しかも組織の内情を多少なりともわかってくれる人なら、むしろ私に同情してくれるのだが、200人近くいる職人に、そんな配慮があるわけもない。

しかし現場の職人を見ていて、そんなずさんな仕事でよいのかと疑うこともしばしばある。当初は職長がメインだったから、みなしっかりした人だったが、後から応援にくる人たちは、指示したことを指示した通りにしかやらない人が多い。

現実には、管理者が全てを把握することは不可能である。だから、職人さんもそれぞれが公共心を持って仕事をしてもらわないと、現実にはうまくまわらない。

言われたことを言われたようにしかやらず、もしミスが出た際管理者の指導不十分とされるのなら、それは職人の地位低下に繋がる。自分の責任範囲でしか仕事をしないのであれば、それは本人のポテンシャルを低下させることに他ならない。

いろいろな事が負の方向へ向かっているように思うことがある。「建築」そのものを「善」と思ってはいけない。

でも、今日とても嬉しいこともあった。どこから聞いたかは知らないが、私の研修期間が今週までだということを、今までめんどう見てくれた職人さんたちが知っていた。

彼等はみな「なんか寂しくなるなぁ」と言ってくれた。

私のこの3ヶ月間は、決して間違っていなかったように感じる。

僅かな公共性

2011年03月20日 20:40

今週で現場研修が終わり、元いた職場に戻る。今週中に送迎会を開いてくれるらしいが実際はスケジュール的に大変そうであり、まぁ事前に若手で飲もうかという話になり昨日晩に飲んだ。2人の同期と一緒に飲んだが、それぞれ仕事上の接触はないため、この3ヶ月間のそれぞれのバックストーリーが大々的に披露され、とても盛り上がった。研修生2人の感想として、現場の楽しさと怖さ、その両方を味わったという点では共通だった。

今朝の2時タクシーでも帰ってきたが、吐きそうになりながらベッドに入り寝る。13時半に目が覚め、昼飯を食べ少しネットを眺めた後また寝て、気が付いたら19時。風呂に入り飯を食べ、21時から『冬の桜』の最終回なので、それまでの間に今日やるべきことを終わらそうと思い、今ブログを書いている。

今日書いておきたかったのは、「わずかな公共性」という話。以前にも書いたので同じ話題の繰り返しだが、現場での体験と震災での対応という点で、この考え方は見事にリンクしたので記しておきたい。

現場では、それぞれが自分たちの領域しか責任を持たないと、全体的にうまく回らない。墨出し屋は墨だけを、軽鉄屋は軽鉄壁だけを、設備屋は設備だけしか見ないと、全体で干渉が起き、現場はストップしてしまう。もちろん、現場監督の仕事はそれらを円滑にまわしていくことであろうが、実際に管理が隅々まで届かないことがある。そのために、それぞれが自分以外の領域について考えてくれると、実に円滑に全体が回転するのである。

難しいのは、その合理性は目には見えづらいということであろう。自分の領域について責任を持ってこなすということ、それは自分の職業上の義務でもあり、直接報酬に繋がる。しかし自分の領域外については、自らの報酬とは関係がない。公共性(あまりに西洋的な言葉な気がして使いたくないが・・・)とはそういうものであろう。

私はこの3カ月間、5階建ての建物の1~3階までの内装を見ていた。実際は先輩についてみる予定だったが、現実には私ひとりで見ることとなった。周囲の人はそれに感心した。研修で来た2年目が、しかも階ごとの業者が違う中でひとりで内装管理をする、それは傍から見ると「できる人」のように映ったらしい。

ブログでも書いたが、私はそう言われる度に常に訂正をした。私は管理したのではなく、現場の職人さんの意向を、できる限り円滑に、全体のなかで運営すること。私の仕事はそれであった。そしてそれを可能にしたのが、現場の内装業者さんが、少し、いやそれ以上の公共性を有していたからである。だから私は彼らを尊重し、彼らも私を慕ってくれた。

感動的なのは、そこには職業上の、立場上の関係が皆無だったということ。彼らは知っていることを私に伝えただけである。彼らは正しいことを常に述べ、間違っていると思えば相談に来た。設計部ではその職業上の関係性によって方針が決まる。彼らが「サラリーマン」を煙たがるのもよくわかる。

今回の地震において、というかこういった非常事態に際し、人間の本質的な強さが露出するように思えた。普段強がっている人もいざとなれば他人事で、普段なよなよしている人も、非常事態にはじっとこらえ、意思決定を行える人もいた。地震においても、現場においても、常に予想しえない自体が生成される環境下において、最終的に生き残れるのは後者であろう。

私の周辺でも、その傾向は顕著である。ある人には感心し、ある人には失望した。

様々な状況変化が想定される環境において(いやむしろどのような環境もそうなのであろうが・・・)、重要なのは熟慮の後の見切り発車であると私は思っている。単に感覚的であることは許されないが、最終的には(ある種の)諦めを持って方向を決めるしかない。マトリフ師匠が行っていた「勇気」というやつだ。

その見切り発車ができる限り強度あるものであるためには、やはり長い思慮が必要だ。内田さんがいう身体性とはそういうことであろうと私は思う。

風呂あがりということもあり、やや身体が火照っている。窓を開けると、健やかな風が入ってくる。今週の土曜日で現場を離れる。

春が来るということを、今私は一片の寂しさを持って迎えようとしている。

ヒトガイナイ

2011年03月17日 22:39

夜、22時過ぎに現場を出た。大規模停電が起こる可能性ありとのことだったが、結局回避されたため、キリの良いところまで仕事をした。

現場を出て、普段通りの道を歩き出すと、急に恐怖感を覚えた。

なぜかと考える。しばらく歩いた後に理解した。

・・ヒトガイナイ

首都圏大規模停電の警告が入っていたため、多くの人は早めに帰宅したらしい。歪んだ舗装のうす暗い街は、静かな恐怖を覚えさせた。

今日も余震が続いた。福島も気になる。被災地の方々はこの寒さのなかで震えているかもしれない。

こんな近くにいるのに、環境は乖離している。

私には、一生懸命自分なりに生きるしか、答えを出せない。


最新記事