2月28日(月)

2011年02月28日 22:45

早朝、体調は程々である。

午前、雨養生に追われる。あまりの忙しさに段々元気になっていく。

午前、上司にものを聞いたら怒られる。正確にはパンクしてた感じだが、不愉快な気持ちにはさせた様だ。

怒られる時はどうしたって怒られるから、できるだけ怒られる度合いを減らすよう考える。怒られることを恐れていると、大穴にはまる危険性がある。

昼、いつもの三分の一ほどしかお弁当を食べられない。

午後、みぞれ混じりの極寒の中現場で動く。

夜、現場内談笑にて時間が過ぎる。体調不良の月曜日、早く帰るべき日であったのに・・

一日一部位の筋トレをしようと思い、昨日は肩を鍛えた。今日は可能だろうか。
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風の小屋―23

2011年02月27日 16:45

先週はYくんたちと建築談義をしており、今週は体調不良により工事ができなかったため、実に3週間工事中断ということになる。そんなに早く進めなくてもいいのだが、ほっとくとそのまま風化していきそうな不安がある。

今日は結構体調も元に戻ったので作業着を着て現場に出てみるが、ここ数週間の雪や雨、さらに側溝の工事が相まっていくつか問題点が発生していた。

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ひとつは床板が反りかえってしまっていた。もともとビス止めしていなかった箇所であるが、雨のせいで歪んだものと思われる。一応雨養生としてブルーシートをかぶせていたのだが、それが逆効果で雨を集めてしまった。結果的に木の乾燥が遅れ、建物自体にダメージを与えたように思う。その反省から、とりあえずブルーシートは剥いでしまった。木は乾燥するから良いが、問題は接合部の金物である。あれは自然の摂理からは程遠いモノのように思えるからなぁ・・・

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もうひとつは地盤沈下。これは側溝の工事と、もともと地盤が緩い場所に建てたことが原因だと思われる。近所の家でも土間コンにひびが入るなど症状が出ているらしいので、まぁしょうがないと言えばしょうがないが、とはいえ家が傾くのは困る。

この家は基礎は設けないこととしたから、要は土の上にチョコっと置いてあるだけなのである。もろもろ考えた末この構法(?)に決めたが、まぁ地盤の影響はもろに受けるわけで・・・。

しかし床梁を持ち上げると、そのまま柱も持ち上がる(笑)。ひとりの人間の力で建物が宙に浮くのである。だから、地盤が沈下したら、また持ち上げればいい(笑)。

倉本聰が『北の国から』を書いていた時、北国の人の手の打ちようのない危機的な状況に追い込まれた時、笑っている姿を見て驚嘆したという話を聞いたことがある。それが彼らの強さであると感じたらしい。

黒板五郎という人間は、おそらくどうしようもない人間であるのだが、しかし彼には「諦め」という大いなる寛大さがある。

もし現代に於いて、建築が社会的な革命性を持てるのなら、それは危機的状況における「諦め」を保持することではないか。もういちど「建設」という社会生産的な行いを、再生産することではないだろうか。

それからもう一つ、自然を家の内部に呼び込むこと。私はそれを端的に「風」と表現したが、最近現場にいながら、やはりそれは「人間」にとって正しいように思うのである。

とはいえ、隣の家に倒れる前に、なんとか手を打たねば。来週末だな。

事件は現場で、会議室で起きている

2011年02月27日 14:04

現場に来て、実にストレスなく過ごしている。しかし、設計部にはなかった緊張感はある。現場では、職人さんとの意思疎通が中途半端であることでミスが出る。それにより手戻りが生じることがある。実際に目の前でモノが作られているのを目の当たりにしていると、それを壊すということはとてもショッキングなことなのである。

現場に来て思う。職人さんの発言はいつも正しい。

設計部にいるとき、常に上司の発言には警戒心を示しており、実際に彼らはシチュエーションによって発言内容を変えた。現場の職人さんの発言は常に変わらないし、誰に対しても同じように話す。

以前職人さんに「事件は現場で起きてるんだよ」と言われた。全くもってその通りと思うと同時に、それだけではないと思った。

事件は現場で起きていると同時に、会議室でも起きている。しかし事件の種類が異なる。現場では「解決すべき事件」が、会議室では「解決すべきではない事件」が起きている。

前者について説明する必要はなくても、後者については説明が必要である。

サラリーマン(現場の職人はそれを「リーマン」と言っていたが)は月ごとに定期的に給料をもらう。会社によって差はあろうが、仕事量とは別に一定に給料が支払われる。極論を言うと、一カ月働かなくても、会社に在籍してさえいれば給料は同じ額支払われる。

サラリーマンにとって重要なのは、そのペースから離脱しないことである。ひとり孤軍奮闘しても、自分だけ昇給するということはまれであり、完全縦社会であるならばそれは皆無である。ならばペースを崩さず、一定の報酬を得ている方が得なのである。

そういったシステム内で働いていると、何か問題が起きた時、彼らはその問題を必ずしも解決しようとはしない。その組織の平穏が保たれるならば解決するが、組織に亀裂が入る恐れがあるならば、解決を先延ばしにした方が良い。

例えばこうだ。ある建物のデザインを上司とタッグを組み行っているとして、もし私が誰もが納得してしまうような素晴らしいデザインを瞬時に描けたら、それは上司にとって不愉快に映る場合がある(少なくとも私の経験上そういう上司は多かった)。だから、もしその組織に順応しようと思ったら、即座に解決せず、決定を先延ばしにした方が利口である。

現場では逆である。できるだけ瞬時に、適切な解決策を描くことに全力が注がれる。そのうえで、上下関係はなくなる。

つまり、現場では「事件を解決する能力」が求められるが、会議室では「事件を先延ばしする能力」が求められる。

今の日本の政治家を見ていて、ため息を吐いたり日本の終わりを謳う批評家達を私は良くは思わないが、この状況の重要な点は、誰も与党に立ちたいとは思っていないという点ではないかと思っている。民主党は与党としての政治的な発言は発せれど、内心は野党に戻りたいと思っていて、自民党もその他の党派も、実際に与党に立ちたいとは思っていないように感じる。

それは政治家としては(ある意味)有能であると同時に、人間的には不健康なことであると思う。

「現場の職人さん達の発言は常に正しい」と言おうと思っただけだったが、つい長々と書いてしまった。

2月26日

2011年02月26日 22:15

今週の水曜日夜、急に吐き気をもよおし木曜日は午後帰宅。金曜日は就業時間はなんとか働けたが、残業はせずに帰宅。

土曜日、一般的には休日だが当然現場は動いているわけで、一日休むと手遅れになる工程があるため出たかったが、今日朝起きて万全ではなかったため休みをとる。今日一日気だるかったから、やっぱり休んで正解だった。

先ほど、数日ぶりのお通じにてテンションが上がる。

体調を悪くすると、少なくとも悪いとは感じず生活していた時間が、とてもいとおしく感じる。

とにかく健康が一番である。現場ではなおさら。

しかし本日は2月26日、我がイームズ・ラウンジチェアの誕生日である。先ほど母に写真を撮ってもらい、自分でもとる。

いつも思うが、写真で撮られた室内と、その室内の中にいる私から見える風景とは異なる。

一概には言えないが、写真は現実の風景をとらないからこそ意味があると思う。その写真は、Yくんのいう「合理性」と例えることができるだろうか・・・?

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・・結局現状維持(汗)

2011年02月25日 18:16

電子端末ツールの交換を考えている。現在使用している媒体は以下の3つ。

・携帯(au・4年前に購入)
・Ipod Touch
・Pocket Wifi

携帯は通話、メール、路線検索。Ipod Touchは音楽と写真、動画閲覧。Wifiを用いて、ブログの更新と少々のインターネットとラジコ視聴

携帯料金は4000円強であり、Wifiに月6000円かかっている。

現在の問題はIpodではブログが多少書きづらいということ。それから月一万円強という出費。

それが改善できるかと思いヨドバシカメラに行ったが、結局以下の感想を得られた。

・スマートフォンは所持するのに8000~10000円かかるということ。
・スマートフォンでも基本的には操作はIpod Touchと変わらないので、操作性は改善されないということ。しかし音楽、ブログ、通話、メールを一括できるのは魅力的だということ。
・Ipadは画面が大きいだけに操作性は良いが、逆にさほどポータブルではなく、重量も何げにある。
・WifiはIpodにてラジコを聴く際に必須であるということ。
・Wifiは6000円の定額からミニマル2500円の二段階プランに変更し、4000円のWimaxに入るという選択肢がある。しかしネットスピードはこれ以上必要ないので、Wifiの2年契約がなくなってから契約変更した方が得。

結局諸々考えると、Wifiの契約が一年残っている現状を鑑み、現状維持かな(汗)

あぁ、なんか春風だな。気持ちいいが、少し寂しい。

半歩前

2011年02月23日 22:22

先日、東急ハンズにてマジックグッズを購入した。「曲がるスプーン」と「宙に浮かぶ千円冊」。商品名とパッケージからは夢のようなアイテムのように思えたが、開封し説明書を読むと、それは至ってシンプルな仕組みだった。

これらのマジックの種は、要はみながイメージする動作を「一歩」手前で済ませておくことである。そうすることで、見ている人の認識を置き去りにする。

話はやや反れるが、私は仕事をする上で、常に「半歩」早く行動するように心がけている。それは上司に叱られるなかで自分なりに編み出した作法である。

「一歩」前だと周囲との関係がうまくいかない。「半歩」前なら先導できる。

以前、メッシのプレーを見た時、その「半歩」前を感じた。それは時間と空間を歪ませる行為だった。

その躍動が、現場には必要だ。

負のスパイラル

2011年02月23日 20:01

「かつて」はどうであった知らないが、今私が所属する現場はストレスに満ちている。

その原因を自分なりに考えてみる。

まずは職人さんたちの不満であろう。彼等が不満とするのは監督の段取りの悪さと手戻りであろう。それが何に起因するのか。監督の要領もあろうが、工期が短すぎる。だから、設計側もまだ所々の事項を決定できずにいる。

では設計者がいけないのか。そこで思考を止めてはいけない。彼等が物事を迅速に決定できない、或いは客先からの設計変更を許容せねばならないのは、或いは工期を短く提示して仕事を取らなければならないのは設計者の、もしくは建設界全般の力のなさがある。

客先も、いつでも設計事務所をかえてやるぞと強きにでる。

しかし、現代の日本において建設業の仕事の絶対数が少ないのは必然であり、解決のしようのない問題である。

この状況下でどのような振る舞いをすればよいのか。

ひとつはフィールドを変えることである。つまり海外進出である。今の建設界の主要な流れであろう。

もうひとつは、仕事が少なくても生きていける組織を作ることである。コンパクトシティがその代表格であろうか。

私は「積極的に」後者をとりたいと最近考えているが、どうだろうか。

ただ、その負のスパイラルのおかげで、みながストレスを抱えており、誰しもが幸福でないように思えてならない時がある。

今の時代の建築家必要な資質のひとつは、建築の社会的な価値を、自意識過剰的に信用しないことである。それが、逆に建築家を苦しめる。

一度その枠組み疑うことが重要である。

Yくんが言っていた「死ななければ」というフレーズが頭のなかでこだまする。

弟が旅立った一日

2011年02月20日 23:49

早朝、7時からランニングを始める。今日は公園一周2分10秒で走る。走りながら、哲学を感じる。

午前9時30分に家を出る。今日、アメリカに旅立つ弟に挨拶し、駅へ向かう。

電車のなかでは熟睡。平日の仕事の疲れと、ランニングのそれが同時にくる。

昼前、有楽町のハンズにてマジックグッズを購入。現場の打ち上げで一発芸をふられた際の対策とする。

昼、学生時代思い出の有楽町マックにて食事。北欧の本を読んだが、やはり喫茶店にて本を読むのは気持ちが落ち着く。

午後1時30分過ぎ、Yくんと会う。1年半ぶりである。スタバにて現場の話や私生活の事など話す。

午後2時半頃、白井晟一展に行く。木で作った模型が良かった。あと、屋根のかけ方も良かった。

新宿に移動しサイゼリアにて軽食しながら話す。建築家の堀部さんや、風の小屋の話など。

午後7時前、新宿西口に移動。居酒屋にてFくんと共に語り合う。久々に、学生の時のような建築談議。学生の自分と今とを比較し、「何かわからないもの」に無根拠な信頼を寄せることができることに、確かな一歩を感じる。

現在、千葉へ向かう電車にて、一日をふりかえる。

弟よ、是非アメリカの地をしっかり踏みしめてほしい。

記録の空白、空白の記録

2011年02月19日 19:53

一週間の仕事が終わる。今週はあまりブログを書かなかった。

文章を書く際、良くも悪くも理想論になりがちである。あたかもニュースキャスターが、自分は正義であるかのように振る舞うのと似ている。

論理を語る際、実直に自分の内部から語る場合と、自分を鼓舞するためにあえて大義を語る場合がある。大体その二通りだと思う。

つまりそのどちらに当てはまらない場合、私は文章を書かない。文章で何かを語ること自体に後ろめたさを感じるためだ。

今週はそんな一週間だった。

だから、書かなかったことが重要な記録になる。もちろんそれは、「常に書いている」ということが前提となっているが

「ガルシュの家」について語りたい

2011年02月16日 07:29

大学3年の冬、僕はヨーロッパを旅した。西洋の建築を見たいという欲求はあった。しかし、それ異常に「今までに自分自身が出会ってないもの」に会いたかったからだ。

旅立つ前に、2つやっておくべきことがあった。

ひとつは英語の学習である。もちろん旅行者としてだが、短絡的というべきか若気のいたりというべきか、当事の私は現代日本の建築に希望を見出せずにいたので、イタリアで建物修復の仕事につきたいと思っており、そういった海外思考もあった。

もうひとつは、コルビュジエの住宅の模型を、1/100スケールで作ることだった。これに関しては特に目的は想定していなかった。ただ、そうすることで何か得られるのではないかという期待はあった。

完成した模型は収納ボックスの底だが、「ガルシュの家」だけは、未完成であるが故、吊棚に置いてある。

その棚はトイレの正面にあり、要を達した後、かならず視界に入る。

未完成の「ガルシュの家」は、スチレンボードで躯体が作られただけで、サッシ等は入っていない。

しかし私は、むしろそうであるからこそ、この建築の美しさにしばし溜息をつく。柱とスラブと壁、水平と垂直に構成された複雑なドミノシステムは、むしろその本質を、ありありと語っている。

ガルシュの家は実際に見たことがある。もちろんファサードだけであったが、ピクチュアリスクな感動はあったが、建築的な衝撃は薄かった。

私の中でこの建築は、コーリン・ローの論文のイメージが強い。かの「透明性」の論文である。

私が今の会社にいて、ガルシュの家について、ましてはその透明性について語ることは一生ない様に思う。会社の問題というよりも社会的なことかもしれないが、この美しき住宅が業務時間内の上司の口から出てくるとは思えない。

もし私が研究者であるならば、ガルシュの家について語ることができる。生きた問題として語ることができる。

研究者に成りたい理由は、そんなことかもしれない。


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