星と月

2011年01月31日 23:21

外に出た途端、その暗闇と寒気に包まれる。家から外に出たというのに、私はむしろ何かに迎え入れられたかのような心地良さを感じる。

それは今日に限ったことではない。

黒い幕で覆われた空は、所々小さな穴から光を覗かせるが、一日の目覚めを告げるには、まだ時が早い。

私はいつものように坂を昇る。すると、私が歩く速度に添いながら、一対の光が現れた。

星と月

星は、出来るだけ高くと背伸びして、キラキラ輝くと同時に不安気である。

月は、出来るだけ大きく手を広げ、じっと星を見つめている。

星と月は全くその距離を変えず、心の揺動はあろうがじっとこらえている。

私はその距離と、月の大きさに涙した。月は、今の私には憧れしも悲しく映り、地球からぽっかりと突き出た私の身体は、暖かくも震えさせた。

足元では太陽の頭がにじみ始めた。日の出はそう遠くない。空が明るくなり人々が活動を始めた頃、星と月は姿を消すだろう。星はその輝きを変化させ、月も形を変えるであろう。

だけどきっと、それは世界の「見え方」の問題であって、世界そのものではない。

真理はきっと、変わらずあり続けるはずだ。

もし私がそう信じ続けるのであるならば・・

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向上的努力

2011年01月30日 20:27

先日、ヨドバシカメラにて時計を買った。時計といってもただの時計ではない。ランナーズウォッチである。

SEIKO『SUPER RUNNERS』

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これまでのランニングでは、壊れたデジタル時計(ベルトなし)を使っていた。使っていたといっても、文字が小さい(というか日常用適正サイズ)ので走りながらでは文字が読めない。実際には公園の時計で時間を見ていた。

ランニング用の時計がほしいと会社就業時間内に思い立ち、昼休みにネットで調べ、早めに帰社しヨドバシカメラへ向かった。150ラップ可能で電波時計、ソーラー電池内蔵で心拍数は計れないが、まぁこのくらいが私には適当である。

今日、その時計を左手に走ってみると、なかなか素晴らしい。もともと時計がほしかったのは一定のスピードで走りたかったからで、公園をグルグル回る中ラップを刻むのはとても心地よい。

世の中は常に流動しているのである。だから、その流動する様を捉えるには、何か固定された(と少なくとも考えられる)「構造」が必要である。この時計はその点に関してはベストである。

驚いたのは、公園一周するタイムが数秒範囲で均等であったこと。自分なりに同じペースで走っているつもりであったが、これほどまでに均等であるとは思わなかった。

しかしそう思えたのも束の間、急にタイムが遅れだした。実際は同じペースで走っているつもりでも、やはり徐々に身体は疲労していくらしい。

時計に刻まれたタイムを維持するため、速度を上げる。ストロークを伸ばし、身体の上下も大きくなった。やや早く走り過ぎかと思いきや、タイムは縮まってはいない。同じペースを保つには、徐々にスピードをあげる意識が必要である。

現在の幸福を維持するためには、常に向上的な努力が必要らしい。

文章で書くことは簡単である。行動で示さなければならない。

協奏曲

2011年01月28日 21:16

午前、現場にて。取り付けるはずのシャッターが納まらないことが発覚。ドタバタな一日が幕を開ける。

午後、職人さんから墨出しを頼まれる。普通は職人さん自ら行う部分だが、良い経験にもなると引き受ける。

陽が暮れる頃、トボトボとひとりで墨を出していると職人さんが現れ、まさか職人さんも私が墨を出すとは思っていなかったらしく、えらく喜ばれた。

それからの会話は、とてもグッドリズムだった。

仕事とは不思議なものだ。単に生活の、単に給料のためなら、我々の労働に対するモチベーションは限りなく低くなるに違いない。

仕事には、他人に助けられ、他人を支え合うという、相互扶助の関係が成立しているのだろうか。ならば仕事とは、そのままコミュニケーションと翻訳することもできよう。

夜、ひとりで現場巡回。昼間、工業的な協奏曲を奏でた弾き手たちは、まだその余韻を残したまま、私に語りかけてくる。

明日、日の出と共に、再び『日常』という楽曲が始まる。

僕は一流でありたい。

2011年01月27日 23:13

先日は職人さんとの飲み会で、同僚のアパートに泊まった。彼はとても優れた人間性を有しており、夜遅くまで語り合った。

どんな組織もそうだろうが、長くいると醜い部分が見えてくる。無論、良い面を発見することもあろうが、多くの人間は表面上よい顔をするから、実情を知るにつけ、期待を損なったように感じることが多い。

彼は、話せば話すほど惹かれるものがある。こんな同年代が日本にいること事態感動するほど、優れた人間だと思う(若干言い過ぎか・・?)

それとは真逆に、会社は徐々に悪の部分を露呈する。まったく嫌なものである。

以前、私の大学の教授は、社会で生きていくために重要なのは、他人を愛することだと言っていた。

それは、自分が保有している会得物を、他人に無防備に受け渡すことだ。相手に何か見返りを期待することなく、ただ与えることだ。

誰かが言っていた。

金を残すのは三流
地位を残すのは二流
人を残すのは一流

私は一流でありたい。

我ら、開拓の民なり

2011年01月25日 21:06

午前、コンクリート検査に立ち会う。業者さんに問われる。

業者さん「ポルコさん、院卒?」
私「はい、そうです」
業者さん(無言で笑みを浮かべる)
私「別に関係ないっすよ(笑)お疲れっす!」
業者さん「うぃーっす!!」

現場での挨拶は心地よい。なぜ、ただ声を出して挨拶するだけで爽快になるのか。

私は考えた。

そうだ。アメリカで抱いた感想と同じだ。アメリカは「Thank you」と「You’re welcome」で全てが語れると思った。

なぜか・・それはかの国が人種のサラダボールだからだ。そこには、最もシンプルで感情伝達の容易な振る舞いが求められる。挨拶であり、英語であり、讃歌であり、笑顔である。

現場は職種のサラダボールだ。

みな異なる技術を持ちながら、ひとつの建物を作っている。澄み渡った青い空の下で。

その青空に誘われるように最上階に行くと、そこには新しい、白銀の大地が浮いていた。昨日、コンクリートを流したときは灰色の海だった。一日にして我々は、新たな大地を創造しえたのだ。

土工のおじさんが私に言う。

「どうだ!面白いだろう作るって。あんたも頑張ってコンクリートの建物建てな!」

「はい、頑張ります!!」

その時の感情は、決して偽りではなかった。

オリビアを聴きながら

2011年01月24日 23:34

通勤時は、最近はラジコを聞いている。今朝、寝ぼけ眼の千葉を見下ろし、モノレールを待っていたら、両耳から美しい曲が流れた。

オリビアの『カントリーロード』

我々の世代なら、この曲は『耳をすませば』のテーマ曲として連想されるだろう。

「ジブリの映画で何が好き?」という質問に「耳をすませば!」と答える人は、きっと純粋に恋愛ができる人だろうと思い、ちょっと距離を感じていた。

この映画を初めて見た少年の私は、雫と聖司に憧れた。こんな恋愛ができたらと願った。しかし、偏屈な私の青年期は、彼等の純粋さとはかけ離れていた。

今ならあの映画を素直に受け入れられる。

きっと聖司は日本に帰って、名声はなくとも良質なヴァイオリンを噤むだろう。雫は、それを美しい唄として奏でるだろう。

そんなことを、誰もいないホームの上で想っていた。

風の小屋―20

2011年01月23日 22:00

現場が本格的にスタートしてから、実家の現場・・・つまり風の小屋建設からは離れている。休みが日曜だけで、かつ日曜は前日までの疲れが蓄積されており、しかも週末は飲み会があったりするので、日曜は午前中が夢のなかである可能性が高い(しかも現場が始まって以来、夢の内容は現場のことだけである・・・)。

現場に出ない、つまり監督でも職人でもない代わりに、私は施工図屋さんになっていた。

施工図はCADに限る。以前にも書いたが、CADは編集ソフトである。故に、計画が決定し着工して以来は、工事と同時並行して施工図を書き、具体的にどう作るか整理する。

今日は材木の数量拾い。基本的に合板は900×1800だから、できるだけ要領よく割れるといいのだが、今回の計画だとなかなかうまく割れない。なるほど、経済的(かつ環境的?)であるためには、やはりグリッドに逆らわない方が良い。

いやぁ、こっちの現場もなかなか勉強になる。

1月22日(土)

2011年01月22日 23:09

早朝、鉄骨階段の組み立てに合わせ早出。5時起き7時作業開始。う~ん、現場ペースなり。

現場のお供は、ホットコーヒー、フリスクフルーツ味、ブラックチョコ。太らないかいほんま。

昼、豚の生姜焼きにて充電。

今週はフル出勤だった。明日の休みが楽しみでしょうがない。職人さんも同じ感覚だろうか。

現場と設計の人の違いは、現場を見て判断するか、人の顔色を見て判断するかの違いではないかと思い始めた。現場は心地よい。

とにかく、内部に入り込み、そこを私の時間の一部にすることだ。そうすれば、何も苦は無くなる。

明日は7時からランニング。午前中、風の小屋の施行図を詰める。午後、ランニングがてらロイヤルホームセンターにて材料把握。夜、施行要領書(?)を描く。さて、どこまでできるか。

1月21日(金)

2011年01月21日 22:41

早朝、いつも通りのラジオ体操。日常な身体の動きのなかで、いつのまにかどこかの筋肉の部位が鍛えられているのを感じる。

しかし、現場常駐前に筋トレを始めといてよかった。鉄筋を運ぶ時は、あたかもダンベルを持っている様な快感がある。

昼休み、弁当を食べながらblogを確認する。今日の内田さんの文章は、私の鋳型に私が入っていくかのように、すっぽりとはまった。内田さんの言う「なまもの」の快感を得るために、私は現場にいるようなものだ。

小説家の川上未映子さんが言っていた。自分は学校の勉強ができる人が好きだと。独創性などどうでもいいと。

無論、彼女は独創的な作家である。しかし私は、彼女の発言に共感できる。

私も、私のような人間を忌避する。自己嫌悪でもなく自分がそれほど誤った生き方をしているとも思わない。しかし、私が私自身であるためにも、私は私から離れなければならなかった。

私は私自身から離れたいと思った時、社会に出ることを決めた。それは正解だったと思う。

夜、お腹が減ったので現場そばのスーパーに行く。タイムセールで、半額になったうどんを手にとる。わざわざその時間を狙った訳ではないが、こんな楽しみを好きな人と味わえたらなんと幸せだろうか。

シュウの言う「つまらない夢みたいな夢」だな。

重要なのは、その夢が叶えられるかということよりむしろ、そんな願望を抱ける今現在に感謝することである。

1月20日(木)

2011年01月20日 22:04

早朝、水墨画の様な空だっだ。

午前、初めて仕事を任される。職人さんにトイレブースの受けスタッドの指示を出す。設計図を描くのではない。実際の位置を示すのだ。その職人さんとのやり取りはエキサイティングだった。

現場は、原寸大の模型を作っているかの様である。

昼休み、食事しながらblogを読む。食後、熟睡。

職人さんとのコミュニケーションは、先輩に脅された程恐れる事ではない。恐れなければいけないのは、理解を怠ることだ。

聞くは一瞬の恥、聞かぬは一生の恥。

研修中は恥をかきまくるべし。

午後、図面理解に励む。

現場に出ると、職人さんに話しかけられる様になった。素直に嬉しい。

夜、やるべき仕事がない訳ではないが、研修中の身として、多少早く帰ることも務めの内か。

日々、太陽の動きを感じる。とても健康的である。よい職場にも恵まれた。これからしばらく土曜出勤だが、それもよい。肉体的苦痛はあっても精神的には悪くない。

しばし、Yくんが現場について発していた言葉を自分のなかで反芻する。敬意を表しながら、自分なりの生き方を想う。


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