サクサクな日でしたが

2010年09月29日 01:04

今日は気持ちがいいくらいサクサク働いた。最近思うが、私は設計者より現場の方が好きかもしれない。常に、ある種の合理性に基づいている。気持ちいい。

と言いつつ、製図試験12日前。仕事にハマるのもマズイ。

明日は代休。美術館設計しよ。
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氷点

2010年09月28日 01:12

飲み会はいつものように私の気分を憂鬱にさせた。とある上司曰く、帰るのが早いらしい。早いって、22時30分ですけど・・・

そもそも実家通い自体ダメらしい。一級前に早く帰るのもダメらしい。休日出勤しないのもダメらしい。そんなのはダメダメらしい。

もちろんみんなの総意ではない。ただ、それが大方の意見なら、私は従わない。喜んで辞める。今度の面談で部署変えを申し出よう。どっちにしろ、今のままじゃ論文は書けない。

配属して一年、岐路に立っている。私には向いていた。ただ、まだ早い気がしないでもない。いや、もう26だ。何をするにも、もう若すぎるということはない。

支離滅裂にも、上司は言った。もう建設業に未来はないと。仕事は減る一方だし、途中で転職できるようにしろと。

スイッチは、もうすでにセットされている。

・・・常に思うが、こんなブログを書いている自分をカッコ悪い。

敬遠はクセになりそうだから

2010年09月26日 19:34

総合資格での製図模試が終わる。うまくいった!・・っと思ったら面積不足で失格。とほほである。

明日は会社(当たり前だ)で送別会(そういう時期だ)。完全たる憂鬱。部の飲み会は好きじゃない。サラリーマン的な会話が要求される。もはや、愛想笑いしかない。

火曜日は外出で水曜日は代休。木、金出勤土日休み。来週も金曜日代休希望。仕事が中途半端で嫌だ。

ただ、それが終わったら製図試験。一年前から通った総合資格から脱出。この一年日曜日というものが存在しなかった。週に2日自由な日がある。デカい!

試験が終わったら、仕事にも精を入れる。他部署希望でも、今の仕事を頑張りたい。それは経験や、社会的責務だけではなく、精神の問題だ。

自分に向いていないから辞める。

それが決して自分勝手ではなく、正統的なものであったとしても、それは「クセ」になりそうで怖い。

『タッチ』で達也が、新田に対し敬遠しなかったとき、その理由を監督に対し「敬遠はクセになりそうだから」と言った。

「嘘」や「逃げ」はクセになる。それはきっと、予想異常に身体と精神を蝕む。私はそれが怖い。恐ろしい。

だから、今の仕事もしっかり頑張ろう。

そう思うわけです。

拝啓・・・

2010年09月25日 22:03

普段、ipodで曲をシャッフルしかけている。時々、ドキッとする音楽に出くわす時がある。一瞬戸惑うが、いつもその正体はすぐわかる。彼女の歌声である。歌手を志している彼女の声は、「一般的な」歌手と異なり、生々しい温もりと緊張感を持って私に接する。テレビをつけていたら、誰かが急に、テレビを飛び出し自分に話しかけているようなそんな感じであろうか。こういう感覚は、なかなか味わう人はいないように思う。どんな「素晴らしい」歌も、そういう意味では抽象的な「音」である(もちろん人によって感じ方は様々であろう)。だが、彼女の音は「肉声」である。生きている。そして、これからも生きている。

彼女のことは、基本的にブログには書かないようにしている。私はなんでも文章にしたいが、それは、言葉によって描けない世界が世の中には無数にあって(ていうか全て描けなくて)、だからこそ語りたい、語ることによって、語り得ない何かを感じたい。そう思っている。

そうであるから、彼女についてはそう語らない。彼女については語り得ないから。

それは私が、建築を通してずっと追ってきたものでもあるのだ。

・・・と、最近音信が途絶えがちな彼女宛てにブログを書いてみた(汗)

常にマイノリティであるということ

2010年09月23日 18:56

中学2年の頃だったか、冬のマラソン大会を前にして同級生が「どうしようかなぁ、風邪が治らないなぁ」と、マラソン大会出席の可否について悩んでいたので「風邪なら先生にそう言って休めばいいじゃん」と言ったら、彼は「そうしたら一年間マラソン大会の話題に乗れないじゃん」と言われ、唖然とした。

当時の私にとって、マラソン大会など、ただ疲れるだけであり、確かにそのお祭り的な雰囲気は必ずしも嫌いではなかったが、決して必要なものではなかった。しかし彼にとっては、その参加は重要だった。それはマジョリティであることを意味する。彼は、自分がマイノリティにならないことを、何よりも気にしていた。

先日、社内で部の方々とお昼ご飯を食べていたら、上司が「お前、同期と合コンとかするの?」と聞かれ、「している人もいるみたいですよ」と答えたら、「お前彼女がいるからって断っちゃだめだよ」と言われ、これまた唖然とした。26年生きてきた経験からいって、そういう場に私が行っても誰に対してもメリットがない。というか、全然行きたいと思わない。人にもよるだろうが、マジョリティであることの誘惑は、常に無意識的に強制力を効かされているようである。

社会(会社?)においては、組織として生きていく上では、「優秀」であることよりは「みなと同じくらい優秀」であることが望まれる。必要以上の知識と言動は、いつの間にか「マイノリティ」とい銘打たれ、隅に追いやられる。

社寺建築部署を希望した理由のひとつとして母に、自分は常にマイノリティでいたいという願望があるという旨を話すと「あんた昔からそうだったじゃない」と言われる。

母が教えてくれたエピソードとして、小学校低学年の頃、私は母に「お母さん、授業参観でぼくが手をあげなくても、それはみんなと同じ答えしか言えないからで、みんなと違う答えのときだけ手をあげるからね」と伝えたらしい。小さい私なりの母への気遣いでもあったのだろう。とにかく私は、みなと同じことをするということに、理由のない不快感を抱いていたに違いない。もっと小さい頃、母に「お母さん、今日は遊ばなくていい」と聞いた(聞いてしまった)のも、「外で遊ぶ」という模範的な社会が作った子供像に対し、そうはできない自分なりの悲鳴だったのだろう。そう考えると、あの頃から私は、社会が要請する「正しさ」に対し、常に相反する自分を客観的に見るという習慣がついていたのかもしれない。

時々、周囲の状況に合わせ、愛想笑いを浮かべている自分を、くしゃくしゃに潰したいという衝動に駆られる時がある。もちろん、まわりはいい人ばかりである。ただ、その「いい人」がマジョリティである限り、私は常にそれに反する欲求が生じるらしい。

マイノリティであること、それが私の建築の原点だとすれば、社寺建築は当該性が高いかもしれない。現代社会において、実質的な生活からは完全に遮断されている。しかしそうであるからこそ、社寺における行事は祝祭性をもつ。

今日、雨が降る中気温がぐっと下がった。空気が冷えると、私は懐かしい感触を覚える。小さい頃、雨が降り注ぐガラス戸を眺めながら、コタツに入り、ブロック遊びをするのが幸福だった。それは「自然」という絶対的な存在感を前に、マイノリティであることを宿命づけられた「人間」としての幸福であり「許されべき時間」であった。

明日もまた冷えるらしい。

しかし、マイノリティであることに快楽を見出した瞬間、世界が崩壊することも、私は知っている。


追伸(Yくんへ)

墨出し、しっかりね!(笑)
最近、私が担当した案件が着工しました。竣工が再来年なので、全体像が現れるのはまだまだ先ですが、それが立ち上がったとき何を想うか、それは楽しみですね。
サッカーで鍛えたことも、必ず野球に生きるはず。だから、とりあえず今を頑張るだけなんだけどね。
頑張ろ(汗)

革命序論、ないしは前進

2010年09月22日 19:09

昨日、配属希望先に「社寺建築」と書いた。書いたと言っても、第4,5希望くらいのニュアンスである。しかし、弊社の設計部内とはいえ、社寺建築は他部署とあまりに異なる。

それは例えばプロサッカーチームに所属していて「君、どこのポジションやりたい?」と聞かれ、「う~ん、やはりフォワードですかね~。あ、でも右の攻撃的なミッドフィルダーもやりたいですね、今の経験が生きますし。まぁ、ただ最近の会社の流れだと、ゴールキーパーが足りないって言いますからね~、ちょっとやってみたいとも思っているんですよ実は。あ、あとあまり積極的に考えているわけではないですけど、ピッチャーもやってみたいですかね、あ、いや、そんなに深くは考えてないですよ」というようなものである。

上司がどう受け取ったかは知らない。今度面談があるから、そこで聞かれるかもしれない。それなりに正直に話してみるつもりでいる。

これが革命の序論なのか、どうかはわからない。実際には、会社のプログラム上、まったく考慮されないのかもしれない。

しかし私の中では、ふっと心の中に、小さな炎が燈ったような気がした。私のなかでは、小さな「前進」だと感じている。

「いまのままではお前はダメだ」

2010年09月19日 23:47

一級建築士製図試験が終わったら、家を作ろうと思っている。思っているだけでなく、とても実現性が高いものとして、スケジュール化されている。

具体的には私の実家の駐輪場を撤去し、そこに一坪の小屋を建てる。姉と弟が出ていったため、駐輪場がもはや不要となり、周辺の道路整備が始まるこの段階で、私の提案が家族に認められた。

その具体的な計画はいつか書くとして、今日はその参考として、ある本を開いた。

『黒板五郎の流儀』

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わからない人にはわからないだろうが、黒板五郎とは『北の国から』の田中邦衛氏のことである。私は高校時代より北の国からにはまり、大学1年の時、初の一人旅として富良野を訪れた。その際に購入した本。当時は「北の国からガイドブック」として購入したが、今になり、北の国からは単なる人生ドラマでも哲学的映画でもなく、黒板五郎という建築家のための、ひとつの指針として私のなかで再生産されている。

いってみれば、五郎さんのような建築家が、現代において最も美しい姿ではないかと思い始めているからである。自分のために、そして自分の好きな人、好きな環境、好きな時間のために家を建てる。ビジネスではなく、都市の象徴でもなく、思想でもなく、ただ、好きなものを求めて家を建てる。自分で建てる。修理し続ける。

そういった精神的なよりどころとしてだけでなく、この本には、実際に家を建てる方法を書かれている。北の国からは、実に建築的要素が多い番組であり、81年の連ドラの丸太小屋に始まり、家を建てる、ただその「営み」を刻々と追っている。それは、現代において、その光景が失われたからであろう。倉本聰はきっとそう考えたに違いない。

しかし、今日私にこのブログを書かせる衝動を起こさせたのは、本に書かれたドラマの1シーンだった。以下に示そう。


和夫(中畑のおじさん 地井武男)「お前・・・あの家で、ねてて寒くないか」
純(黒板純 吉岡秀隆)「寒いです」
和夫「そうだ。そりゃ寒い。だけどこごえていない。そうやって生きてる。なぜだかわかるか」
純「……」
和夫「父さんが毎晩ストーブの火を絶やさないように、なんども起きて薪をくべてる。だから二階はうンとあったかい」
純「……」
和夫「そういうことをお前は知ってるか」

語り(純)「知らなかった」

和夫「それにくらべてお前はダメだ。父さんの手助けを何もしていない」
和夫「女の蛍よりも働いていない」
和夫「東京とちがっていざとなったら、ここではだれにもたよっていられない。もうじき本当の冬になったらわかる。そういうとき、もしも父さんが倒れたら、その日からお前が一家の柱だ」
和夫「わかるか。男は子どもでも柱だ。それが家ってもンだ。ここではそうだ。いまのままではお前はダメだ」

語り「おじさんのいうことがビンビンひびいた」

語り「拝啓、恵子ちゃん。おじさんのいったとおりです」

語り「ぼくは男なのにいつも女々しく、力仕事はできるだけさぼり。そうしてずるがしこく頭だけまわり」



純の境遇と自分のそれが重なり、情けない気持ちになった。純も自ら選んで麓郷に来たのではない。現在の境遇に対する不信感があり、そこから抜け出したい。そこにいなければならない理由はなく、大人の事情によって毎日が動いている。

しかし純は、やがて東京に帰らず、富良野にとどまる決心をする。純自身、それがなぜだかわかっていないが、富良野で生活している内に、東京にはない、何か大切なものに気付き始めたからに違いない。

私は、日々東京で働いている。純と同じような境遇にあるように思う。中畑のおじさんと同じようなことを上司に言われたこともある。反論はいくらでもいえる。しかし、それは哀しいだけである。

今日、情熱大陸を見た。8カ月で脱サラし、動物写真家になった方のドキュメンタリーだった。世界的な評価を受けている現在でも、生活は裕福ではないらしい。しかし番組では、本当の豊かさは別のところにあるとし、番組の構成を立てているように思えた。

どんな生き方が正解かなんて、みなわからない。常に悶々としながら生きている。その葛藤をなくしたらもう終わりである。

とりあえず、日々悶々としている自分を鑑み、それでもまだ正常かなと思ったりもする。

富良野の秋が、もうそこまできていた・・

2010年09月15日 01:04

今日は、現場にて打ち合わせ。なんだかんだで19時までかかる。

担当案件の工事が着工し、これからは工事監理が始まる。デザインの話より、現場の話の方が面白い。そこには合理性がある。これから可能な限り吸収しよう。

来週は休日が重なる。一気に製図やらなければ、ほんとに落ちる。誰も配慮などしてくれない。自分でスケジュールを作るしかない。

今日の健康診断にて、視力が結構落ちた。やだなぁ(汗)


追伸(Yくんへ)

試験が終わったら、また話そう。ねちねちとね(笑)

追伸(ゆみこへ)

お互い頑張ろうね

タイトル修正中

2010年09月13日 23:49

北欧に関心を抱いたのはいつだろうか。セブンチェアとYチェアの購入日から推測するに、大学1年半ばから2年の頃までだろう。

まで・・というのは、大学3年からは「北欧」という暖かい響きとは無縁な生活を送ったからだ。Yチェアに座り、机の向うに対峙するセブンチェアに足を掛けながら、私は、ニヒリズムに浸っていた。

最近、純粋な美しさや心地良さを、素直に認められるようになった(これは彼女のお陰だ。ありがとう)。

Yくんが紹介してくれたminaさんのブログを、昨日休日出勤中に見た。以前にも少し見たことがあったが、今回はどっぷり見た。

私は研究者肌なのか、物事を包括的に把握したいので、まずスウェーデンの日記を総覧。総覧するにはもったいないことに気付き、ゆっくり読む。不思議な、暖かいブログだった。

ただ、私は北欧については「椅子」を通して発見した。ウェグナーでありフィンユールであり、ポールケアホルムである。アアルトでもアスプルンドでもなかった。今でもそうである。アアルト、アスプルンドは、私にとっては「難しい」。

Yくんが北欧に関心を持った時、ムムム・・と思った。何ともいえないけど、そう思った。

しかし最近、母と二人で北欧に行こうなどと計画を立てている。海外に行きたいという願望は最近失せているが、北欧にはいってみたい。就職してから、Yくんの関心に、多少近づいているのを感じる時がある。


追伸(Yくんへ)

KーSの話は、初めて聞いた時、びっくりというか気恥ずかしい気持ちであった。自分自身、毎日生きるのがやっとなので正直あまり深くかんがえてないのですが(笑)、でもYチェアの上で自分に閉じこもっていた期間にわかったことがあります。それは「理論はあくまで脳であり、身体はまた別にあること」「社会は、結果を出さないと認めてもらえないこと」である。

私の尊敬する人の多くは、身体について語る。三島由紀夫、内田樹、勝間和代、コルビュジエ、角田光代、宮?駿・・

「理論派」ほど、感覚的に生きている。それが分かったのは大発見だった。

また、思想に耽ることに対する鬱屈した気分も覚えた。本当に能力があるなら、結果だって残せるはずだと思った。その意味で、就活で大手に内定することと、修士論文で1番になることは、私にとっては重要だった。

学生時代考えていたことは、どこかYくんとは平行線を辿っているように思えた。恐れ多くも例えれば、それは八束先生と丸山先生とのような関係かと思っていた(どういう意味か、どっちがどっちかは言わないけど(笑))

最近の私のブログは、仕事のグチがほとんどだった。それと平行して、Yくんは仕事の快活さを語っていた。

それはおそらく意図的ではないだろう。ただ、Yくんはいつもそうであった。 私の問いに、直接的に答えない。それは私に、再考する契機を与える。

ふと、アメリカでの、会話にならない会話を思い出す。


再追伸

悲しいかな・・Yくん、あれがわたしが見つけた唯一の言い方なのだよ。若い尊敬する先輩ならまだしも、私の上司には、それは無理なのだ。

神風

2010年09月12日 00:13

明日も出勤である。

しかし、昨日今日とうまく働けている。うまく・・というのは、つまり上司のリズムを覚えたということだ。

(私が知っている)サラリーマンの9割は、皆自分のやり方が正しいと思っている。その勢いでデザインを語り出すのだからたまらない。いや、実に滑稽だ。

自分はデザインのセンスがある・・と思っている人が嫌いである。だから、大学時代も設計は内々でやっていた。「そういう人たち」のなかで、建築について語りたいとは思わなかった。

社寺建築の部署に異動したい旨を伝える際「デザインに自信がないから」「やっぱりもともと設計じゃなかったので、みなさんみたいにうまくデザインできないんですよね」と言おうと今日思い立つ。

そうしたら上司は「これから少しずつ磨いていけばいいじゃないか」と言うだろう。しかし気分はさほど悪くないはずだ。なにせ「いやぁ◯◯さんには叶いませんよ。いままで目標にして頑張ったんですけどね」と言っているのだから。

ただ、もし後輩が仕事について何か聞いてきたら、ポジティブな返答をしなければならない。しかし、今のぼくにそれが出来るだろうか。

以前私は「大人」の勝負どころは、子どもの前で何を語ってやれるかであると考えた。今でもその意思は変わらない。しかし、今の僕では、何も有益なことは語ってやれない。そういう意味で、最近のブログの内容は最低だ。

我が社から見る昼の東京は、黄色の光に包まれ、とても幸せそうだった。しかし実際に「そこ」に行っても、暑さで気だるくなり、ジーっとしてなんかいられない。しかし、それは記憶に残る。ガラス越しの東京は、すぐ忘れてしまうであろう。

私の「闘い」は、そこに開口を穿ち、風を呼び入れることだ。

まず、何をすべきだろうか。


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