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掃除という教育文化 

2010年02月28日 18:25

今日、我が町の選挙があり、母と二人で行ってきた。選挙会場は私の出身小学校で、その体育館に入るとあの頃のにおいがまだ残っていた。とても懐かしい。校舎のなかを覗いてみたが、どうも思いだすのは掃除の風景である。はっきりいって授業時間(国、算、理、社)は全然覚えてなくて(図工と習字の時間はよく覚えている)、一番記憶にあるのは掃除の時間である。確か「朝の掃除」と「昼の掃除」があった。なんか面倒くさかったけど、それを6年間続けたわけだから、確かに記憶にのこるはずである。

そう考えると、とある数十分間、全校生徒が総出で掃除をするってのは、とても活気があり祝祭的なものがあるなぁ、と思う。自分が使う場所を自分で掃除する。自分が使わない場所も自分で掃除する。校長室の掃除当番だったときは、ウキウキしてやたら指紋を付けたりして遊んだが、それも「掃除の時間」だからこそ許されるものである(本当は掃除しなければならないから指紋はダメだけど・・・)。掃除は、もしかしたら学校生活のなかで、最も教育的なものかもしれない。

話が連日かぶるが『結婚できない男』の主人公桑野さんも掃除付き。何かそれに触発されて昨日、今日は自分の近辺をきれいに保持している。仕事をしていて思うことだが、後々整理しようと思っていても絶対やらない。精神の問題ではなくて、何かが終わった時には、もう違う何かが始まっているので、事前のデータは中途半端でやりっぱなしな状態になる(それを後から使おうと思った時とても困る)。だから、しっかり情報整理するなら、常に整理していなければならない。というか、それが最も効率的だと最近気付いた(なかなか実現できないのが現状だが・・・)。

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アットホームな建築家になりたい・・・?

2010年02月27日 22:02

男だからか、それとも女性もそうなのかわからないが(ちなみに母は女性も同じだといったが)、社員さんはできるかぎりひとりで会社から帰宅したい(らしい)。私自身は無論そうであるが(笑)、大抵みんな、会社とプライベートは別個に扱いたい。だから、帰宅時間になると、どうもお互いバッティングしないよう微妙な時間調整タイムがある。まぁ俺なんか新米だから、あまり深く考えなくていいのだが・・・

先週歯の痛みが悪化したため代休をとったが、その時初めて、我が家の梅が咲いているのを知った(というか母が教えてくれた)。私が別段植物に関心がないから(そうでもないけど)だけでなく、朝6時前に出勤し、帰宅は0時をまわるので、庭の植物になかなか気付かない。かつて藤森さんの思想に触発され、植物の本を見たりしていた時期もあったし、何か自分の設計のよりどころを「植物」に求めたこともあった。それから、数年前の愛知万博のテーマが「環境を大切に」といった感じだったので、「なぜ大切にしなければならないのだ。自然の方がわれわれより優位なのだ!だから、そういった考え方自体歪んでいるのだ!!」と憤慨したりしていた(弟曰く、このころの私はかなり面倒な存在だったらしい・・・)。

あれから数年たったが、ずいぶん考え方も変わったものだ。単純に植物が美しいことに感謝し、それを保持している人に頭が下がる。それに関連するが、最近見ている再放送ドラマ『結婚できない男』の主演、建築家の桑野さんが作る建築に(というかそういう行為に)今は惹かれる。彼の作る建築はいかにもアットホームで奥様に喜ばれるような建築なのだが、以前は「そんなのハウスメーカーの住宅であって「建築」ではない」などと糾弾し、そのドラマ自体(建築のシーンは)見ているとイライラするので見ないようにしていた。

人間変わるものである。ただしそれが、社会的要因によって外在的に変化せざるを得なかったのか、それとも、内在的な問題として意識的に変化したのか、その差はその当時は気付かなくとも、あとあと響いてくる。私はそう思っている。

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春風

2010年02月26日 01:03

今日は給料日。予想以上に給料が入っていたのでビックリうれしい。けど、今日の仕事量のハンパなさ(汗)。結局帰りの電車でも仕事してしまった。はぁ、こんな生活が続くかと思うとやはりぞっとするなぁ。組織をやめてアトリエ行きや独立を選ぶ人がいる気持ちもわからないではない。

明日で仕事が片付くとも思えない私は、休日出勤を思い憂鬱な気持ちになる。しっかりとした時間がほしい。しっかりとした完璧な時間。

最近体調不良で家にいる時間が長かったので、再放送している『結婚できない男』というドラマを見ている(今我が家にあるテレビは自動録画機能が付いていて、フジがやっている昼の再放送ドラマを自動でとってくれるのだ・・・問題はその解除の仕方がわからないことだ・・・)。あれもどこか、自分固有の絶対的な時間があることに惹かれる。それだけではだめなのだけれど、やっぱりそれが必要。自分が、自分だけが浸れる時間と空間。

私が建築に求めていることは、あるいは「それ」なのかもしれない。社会性、歴史性うんぬんは事後的なものだ。そのドラマの気に入っているところは、まず主人公がみな生き生きとしていること。これは簡単そうでなかなかない。どのドラマも、どこか「ドラマ」を作ろうと必死になって、安易なコマーシャリズムにはまっている。ドラマが単なる「ドラマ」でしかないなら、それはまったくもって退屈な演劇だ。

もうひとつ好きな点がある。最終回、国仲涼子がベランダで、夏の終わりをにおわすシーン。とても風流。夏が始める時と終わる時、それが日本の最も美しい季節かもしれない。

そういえば今日、地元の駅を降りたら、今川焼屋さんが店を閉じていた。一度もお客が立ち止まっている姿を見たことがないが、この陽気ならなおさらだろう。せっかく買ったバーバリーの春物コートも、今日の陽気なら、前ボタンをはずし、風にそよがせた方が良い。その方がコートも気持ち良そうだ。

そうか、もう春はそこまで来ているのだ・・・

それでも歯が痛む

2010年02月24日 12:45

今週はあまり残業をしていない。そのひとつの理由は仕事がひと段落ついたからであるが、もっと重大な理由は歯が痛くて仕事ができなかったからである。虫歯なら歯医者にいって治せばいいと思うかもしれないが、実は私の虫歯は神経に到達しかかっていて、仕事に支障をきたしていたのだ。神経に達しかけているということは、その痛みが単純に「歯」そのものだけにあるわけではないから、いってみれば顎とか骨格が、歯の痛みとともに振動しているような具合なのだ。

ここ数日は痛みどめを飲み気をおさめていたが、どうにも痛みが引かないので今日代休をとり早朝から歯医者に行った。事情を話すと「もう神経抜くしかないですね」とかかりつけの優秀な先生は話し、気付いたら歯茎に2、3本麻酔注射を打たされた。それから1時間四苦八苦し、なんとかもともとの痛みは消え(噛むとまだまだ痛いけど)、なんとか無事家に生還できた。

この治療自体は、昨年から続いていた。その根本は、多分台湾に調査にいったときだと思う。一人で街を歩きまくるので、その疲れをいやすため甘いものをたくさん摂取するし、歯磨きもおろそかになる。だけど、この状態を先生が見た時「あなたは前にも同じ状態になったけど、その時は自力で治りましたからねぇ。あまり簡単に神経を抜きたくはないんですよ。だから今回も治療をしてみましょう」ということになり、しかし長い時間を費やしたあげく、治療が身を結ばなかったので、今回神経を抜く運びになったのだ(ちなみに前回虫歯を悪化させたのはアメリカ横断旅行。いつでも同じことを繰り返しているわけで・・・)。

神経を抜く、ということ自体私のなかにはためらいがあった。やはり身体本来に備わっている機能をはく奪するわけで、それはもう二度と戻らないのだから、これまでさしたる重病にかかっていない私としては、憂鬱な気分になれないわけにはいかなかったけれど、とにかく歯が痛む前の健全な身体に戻ってほしいという気持ち、それだけだった。

いつも思うことであるし、これまでにこのブログ内で何度か書いてきたが、「健康な身体」というものは、それが「不健康」であると意識せざるを得ないとき、初めて生まれる概念である。つまり、人間は不健康を通してのみ、健康を知ることができる(まぁそうでない人もいるし、そうでない場合もあるが)。だから、歯が痛む前を懐かしんでしまうことと同時に、でもいつだって大変で、歯は痛くなくても精神的なストレスだったりとか、そういうものがあったんですよね実際は。内田樹先生曰く、人間は2つの痛みを同時に感知することはできないらしいから、この連鎖を通して、人間は「健康な身体」という幻想を抱き続けるのでしょうね。

痛みとは別だが、それは季節の寒暖についてもいえるのではないかと思う。つまり、寒い冬は暖かい夏を想い、暑い夏には涼しい冬にあこがれる(この「寒い」「暖かい」「暑い」「涼しい」の形容詞がポイントである)。何回季節を経験しても(少なくとも自分の場合は)何回もその季節がどうであったか忘れる。この対極を想う気持ち、それがエネルギーとなって季節はぐるぐるまわる。もし、客観的に夏の暑さとか冬の寒さが記憶されるのであれば、おそらく世界は一切の奥行きもない乏しい世界でしかないであろう。

常にわれわれは、自閉された、あるいは規定された共同体とその時間のなかでしか、物事を意識できない。そうであるからこそ、「ここでは何処か」を求め、われわれの日々の「希望」が生まれる。そのピストンがなければ、われわれを乗せた列車は、いつまでたっても走ることはない。

・・・とはいえ、やっぱまだ歯痛てぇな~(汗)

週末と共同体

2010年02月21日 21:53

平日がタイトであれば、当然週末もタイトになる。土曜日は午前中皮膚科と歯医者(どちらも痛い、ほんとに・・・)。午後は何週間も前に借りた本を返しに図書館に、その足でauショップへ。最近彼女との電話が増え通話料が以前の倍になったので(というか私は以前より携帯はメールばかりで、それどころかメールもしないような生活人だったので、今が平均的だというべきなのだが)、プランの変更にいった。これで来月から彼女との通話が無料!早くそうしておけばよかった。それからその足で(厳密には自転車ですが)「洋服の青山」へ。僕は消耗品にあまり金をかける気がおきないので、スーツはどうも買う気がしないのだが、今は冬物1着、夏物1着しかないので、いい加減買った方がよいと思い、2着購入。その後、また手をつけていなかった総合資格の宿題をやりにスタバへ。全然終わらなかったけど夕飯時だったので家に帰る。そのまま夕飯を食べ、風呂に入り、バンクーバー五輪を見たり建築雑誌を見たりしながら宿題を終わらす。

そして今朝は毎週恒例の総合資格。2時頃終わると、そのまま近くの喫茶店で宿題をこなす。本当を終わらせたかったのだけれど、トイレに行きたくなってあえなく自宅へ帰ってきた(私はチョイ潔癖症で、和式便所で用をたせない・・・)。家に帰ってきてから宿題を終わらせ、今ブログを書いている(汗)

今日地元駅で女子高生が「マジうち家にワープしたい」とかわけのわからないことを言っていた。いや、もちろん「今にでも家に帰りたい」という翻訳になるんだろうけど、なんか千葉の田舎で、ちょっと地方っぽい発言だなっと思って興味深かった。今になって思うが、女子高生って下半身寒くないんすかね。前の研究室の後輩の女の子に聞いたら「だから脚が赤くなってるじゃないですか~」とか答えになってない答えをもらったが、なんか聞いてみると寒くないらしいですね。

それはそうと、とはいえ真冬にミニスカートで、しかもそれが全国共通ときたら、なんとも異様な風景ですよね。以前、そんな「女子高生」という現象に興味があって上野千鶴子の本を読んだりしてたけど、特にフェミニズム的な問題ではなくて、単に変わっていると思う。なんというか、やはりあの「征服」というものが、何かをマインドコントロール・・・というか、自己規制が無意識に働くんでしょうね。共同体としての無意識というか・・・会社でも休日出勤してくる私服の上司見ていると、いつもの威厳みたいなものがないものね。休日のお父さんみたいな。

私がこのたび買ったスーツはちょっとおしゃれな感じで(製品名「フレッシュマンスーツ」だったかな・・・?)、それはそれで何かを表象するのでしょう(なんかロラン・バルトみたいになってきたな)。今は大きな共同体に属しているけど、それがいいのかわるいのか・・・その是非はともかくとして、あまり自分はサラリーマンには向いていないということだけは、最近ますます自覚してきている。

休日にアディダスのスニーカーに足を入れると、何かから解放された気分になるわけで・・・。

意識と無意識の視覚化

2010年02月20日 18:57

私は、会社のデスクを整理するのが好きである。建築の設計という仕事上、書類や図面の束が机の周りに山積みになるのが常だが、私の机は片付いている(まだそれほど書類がないということもある)。なぜ片付けが好きかと言うと・・・いや、厳密にいうと片付けが好きなのではなく、片付けしなくても、結果的に整理整頓されるシステムを考えるのが好きなのである。例えば、筆記用具はたくさん入るペン立てと、そんなには入らないが底が浅いペンケース(とでもいえばいいのかな)ふたつに分けている。すると、特に意識しなくても、自分の身体が指定した場所にペンを戻す。結果、机の上は整理される。そんな、意識と無意識の差異をコントロールするのが、なかなか面白く興味深い。そしてそれは、至って研究者的な視点であるとも思う。

それとどれほど関係あるかわからないが(意識と無意識の介在に視点を向けるなら、自分の行動と意識の関係には、絶えず監視が必要なのだ!)、昨日奇跡的に早めに会社を出て(6時半!!)丸の内の丸善に向かう。そこで一冊本を買った。

『CASA BRUTUS 達人の収納術』

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私は本棚がとても好きで、この雑誌をペラペラ見て購入を決めた。内容的には、建築家の中村好人や手塚夫妻の収納に触れていたのが良かった(とくに手塚夫妻の設計した住宅に良くある作りつけ収納の奥行きが60cmであることがわかったことは大きな収穫だった)。

本棚が好きな理由は、やはり「ざわざわ」してるから・・・なんでしょうね。意識と無意識が混在して、それが視覚的に良く分かるからでしょうか。あぁ、本屋の、本棚の真ん中にコタツを置いてそこで暮らしたい・・・。

これまで、これから

2010年02月19日 22:41

私の携帯のなかには、過去の思い出に残る(あるいは重要な)メールは「保護」し保存してある。もっとも古いのは2008年4月15日、彼女が私に送った最初のメール。ただアドレスを交換しただけだが、彼女のアドレスが男性の名前っぽかったので、彼氏がいるのかどうかがやたら気になったのを覚えている。

次に古いのは2009年1月12日、Yくんがくれたメール。当時の私としては正面からしっかり受け止められないような、思いっきり気恥ずかしい(と私が思っているだけだが)彼のメールが当時印象的だった。最近思うが、いつも彼の方が一歩先に進んでいたように思う。それに気付くのは、常に後々なのだが。

そして3つめに古いのは2009年2月19日、我が教授からのメールで修士論文の最優秀賞受賞の報告だった。そろそろ寝ようとベッドに入ったタイミングだったので、すぐ飛び起き家族に知らせた。自分の興味あることで、自分なりに頑張って、それが公に評価されたことは、その後の人生において、どれほどの励みになったことか。

つまり、あれからちょうど1年たったわけだ。あっという間、とにかく早い。だけど、それ以降のメールは、だいたいが彼女との交信で埋まっている。いやぁ、愛のある1年でもあったかな。おっと、彼女とは付き合ってまだ8カ月(誕生日(6月19日)に付き合い始めたので今日でちょうど8カ月)。これからこれから・・・

変化

2010年02月19日 00:19

1週間前だったか、2週間前だったか、平日仕事バリバリの夕方6時半ころ、何か小腹に入れたくてコンビニに向かう。その途中で大学時代の同期に会った。大学時代、それほど接した時間は長くなかったが、お互い建築思想や都市表象のようなことに関心があったので、話すときはそれなりに話した。縁あって、彼と同じ会社に入社した。今は部が違うので、ほとんど会うこともないので、とにかく久しぶりに会ったわけだ。

コンビニに行くのをやめ、喫茶店に入る。そこで夕飯を食べながらお互いの近況について話す。しかし話していくうちに、私と彼の考えには、かなりのギャップがあることがわかり始めた。まるで「さけるチーズ」がどんどん枝分かれしていくかのように、私たちは、1年前まで同じような考えを共有していたのに(実際そうでもなかったのかなぁ)、今ではまるで異なっていた。私が語った項目はざっと以下の通り。

・今の部署では仕事を任されているので、仕事は楽しいということ
・将来この部署で専門特化して人材になるのにも魅かれるということ
・でも今の会社にずっといるなら、寺社の設計の道に進みたいということ
・それを通して、博士論文が書けたらいいと思っていること
・もちろん大学にもどるという選択肢も考えているということ
・デザインによって社会を動かすことには必要以上に魅力を感じていないということ
・よってアトリエ系には今は関心がないということ
・文章はブログで書けるので、それが私にとっての「批評」の役割を持てればそれはそれでよいと思っていること
・自己の内面性の発散は、将来住むための住宅に賭けるということ
・それを増改築することで、十分満足できると思っているということ
・結婚して子供を持つ方が、建築的冒険よりも、より冒険的に思えていること
・ともあれ、建築的な思考はこれからも続けていくということ
・だからお互い頑張ろうということ

彼は半分唖然とした表情で「PORCOは変わったなぁ」と言った。確かに私は変わったかもしれない。だけどそれを、私自身は「良い変化」だと思っている。なぜって、自分なりに一生懸命生きているから。

熱風

2010年02月18日 01:12

朝6時の電車に乗っているので、家を出るのは5時45分頃。外は暗い。本当に陽が昇っていない状態で、遠くに映える雑木林の輪郭が、青白くほんわりとゆらゆら浮かんでいる。そんな黒い絵の具でコーティングしたような風景の中で、暖かく私の一日を見送ってくれる光がある。それはパン屋の光であり、お弁当屋さんの光である。

買いたてのバーバリーのコートに身をゆだね、それでも速足でないと身体がきしんでしまいそうな寒さのなかで、たとえそれが人工的な光であったとしても、そこで働く人の蒸気によって、空間は蒸され、湯気が、あたかも私を包んでくれるような幸福を味わう。

そんな些細な幸福。でも、それがあるからこそ、毎日出勤できる・・・のかもね。

誠実さ

2010年02月16日 01:05

今日、見積用の書類を一式そろえ提出。仕事にひと段落ついた。朝からてんやわんやで昼食とれたのが16時過ぎだったが、なんとか終えて、上司は早く(といっても20時くらいだけど)帰って行った。私も帰りたい気持ちもあったが、私は私でやらなければならないことがあるのと、あと部内でコンペ提出が迫っていたので、その手伝いのために残っていた。

しかし、そのコンペも資料が今日まだそれほど出来てないので、手伝いは明日(しかも徹夜・・・?)ということになり今日は早々に帰ろうとした(といっても21時過ぎだけど)。そこで、いつも厭味ったらしい人(社員ではない)に「早く帰れていいね」と嫌味を言われた。いつものことだからあまり気にしないが、とにかく面倒だ(汗)

私の直属の上司は、休日出勤しない派。私に近い先輩は、できる限り残業もしない派。残業残業休日出勤で、それがサラリーマンの幸福のように思っている人もいるし、価値観は人それぞれだ。だけど、私は仕事に集中するのはいいが、今の会社での仕事が私の人生のすべてではないので、そこに全ての時間をかけたくはない。

それでもとにかく家に帰って、ご飯を少し食べる。昨日彼女にもらったチョコも食べる(おいしい)。ふと思い出して、倉庫から昨日の朝日新聞の朝刊を持ってくる。読もうと思っていた記事『オピニオンインタビュー 川上未映子』を引っ張り出し読む。私は彼女が出演した情熱大陸を見て好きになり、さらに『乳と卵』を読んではまった。このインタビューでもそうだが、何がいいって彼女の誠実なところ。彼女の、彼女に対する誠実さ、それが素晴らしい。

社会に誠実であること、それは(苦労を耐えれば)難しいことではない。残業時間一杯に働き、残業代をさして請求しなければ、それは会社に対して誠実であることにはなる。それは簡単なことだ。だけど、自分に誠実であることは、とてもとても難しい。なにせ思いっきり素直になるしかない。それはとても怖いことだ。だけど、自分に誠実でないと、それはもっともっと怖い。自分が苦境にはまった時、自分で自分を助けてあげられないからである。

今日お昼頃、ゴミを捨てにゴミ置き場に行ったら、日経アーキテクチュアが処分エリアに置いてあった。いくつか物色した後、ひとつだけ手に取った。それには建築家堀部安嗣のインタビューが載っていた。彼もとても素直な建築家だ。それはとてもとても、想像を絶するくらい怖いことであり、暖かいことでもあるのだ。

彼女らの言葉を以下に引用

「欲求に意味があるとしたら、いいものをそこに置きたい、世界のためにもう1個増やしたい、それだけの思いじゃないでしょうか。その構図はどんな仕事でも変わらない。働きに出るってことは、誰だって打ちのめされるところから始まりますよね。大きなルールのなかでは、それまでの自分の価値観や、自意識は通用しません。自分が特別でもなんでもない、ただの労働力としての存在にすぎないということを知らされます。そこから、自分ができることとはなにか、ということから立ちあがってくるのではないでしょうか。そう、勉強といえば、こんな勉強になったことはないですね」

――川上未映子

「僕が平面プランに正多角形をよく使うのは、こう配のある屋根がきれいに架けられ、軒を出せるからです」

――堀部安嗣



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