おうちへ帰ろう

2009年11月30日 23:01

今日ははりきって残業をした。残業が苦にならなくなってきた。その要因はいくつかある。

まず仕事自体が面白い。今はS造について勉強しているが、ほんとに面白い。なるほどなぁって思う。将来設計者になるにしろ何にしろ、今の勉強は必ず何かしらの糧になる。それから、定時過ぎるとおやつ食べてもいいし(別に就業時間内でも大丈夫だけど)、電話も少ないし、グダ~とした格好で仕事をしていいから楽。

それでもみんなと一緒に夕飯を食べることは控えている。遅くなっても、家に帰って食べるようにしている。何というか、そういう習慣が重要であると思う。今は実家暮らしだからいいけど、将来(もし)結婚して、(もし)子供ができてりしたら、仕事が忙しくても、家に帰って夕飯を食べる人間になりたい。まぁ、家に帰るのを待っていてくれる人がいるかどうか、それが重要な問題ではあるけど・・・。
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世界の窓口

2009年11月29日 20:16

総合資格が終わってから、スタバで一級建築士の勉強をする。最近家では勉強ができなくなってきた。集中力が続かないのだ。もちろん本を読んだり、建築について考えたりすることはできるけど、試験勉強的な集中力がない。そこで喫茶店で勉強するようにした。その方がスケジュール管理がしやすいし、集中できる。

それにしても、喫茶店は面白い。いろいろな人がいる。大学受験の勉強をする学生、両頬に手をあて世間話をするおばさん、いかにもそれらしく外国人と英語で会話する女性、目の前に参考書を置いておきながら漫画に夢中になり、参考書を開け1ページも学習しないうちに寝てしまった男性・・・。まったくもっていろいろな人々が、まったくもって別々のことをしている。ざわざわしている。

そしてもっと面白いのは、彼らのバックグラウンドについて、私は何も知らないということだ。大学の受験勉強に励む女性は、実は女装した男性かもしれない。両頬に手をあてて話す女性は、実はもと芥川賞作家かもしれない。外国人とそれらしく話し女性は、実は世界征服をたくらむテロリストかもしれない。参考書を見るやいなや寝てしまった男性は、実はウルトラマンでついさっきまで怪獣と格闘して疲労困憊なのかもしれない。彼らがどういう人生を歩み、何か考え、どういった経緯でこのスタバにたどり着いたが、私はしらない。知りようがない。しかし、そういった膨大な背景があることは間違いない。

私たちは往々にして、目の前にいる人には、私たちが知り得ない背景があることを忘れがちである。受験生にも、おばさんにも、外国人と話す女性にも、勉強が苦手そうな男性にも、それぞれ異なる人生があり、世界がある。そして、それは比較しようのないことで、他人には、永遠に分かり得ないことなのだ。

しかし人間は、わかり得ないからこそ、わかりたいと思う

わかりたいと思うなら、「私にはあなたのことがわからない」という気持ちを、まず大切にしなければならない。

仕分けの対象にはしてはいけない「ムダ」

2009年11月28日 18:43

今日はR大の卒論発表会に行く。いやいや、質が高くてびっくりした。うちの大学とは比較にならんなぁ・・。こういうところで「偏差値」というものは影響するのだろうか?私が指導したり(されたり)した女の子もしっかり発表していて、聞いていてとても面白かった。

と同時に、大学時代を思い出す。戻りたくないなぁ~と思う(苦笑)。なんというか、明るいテンションが苦手だったなぁ。明るいのはいいんだけど、研究の話は一切なしだからなぁ。研究室での3年間に、研究室のメンバーと、研究室で、どれだけ研究の話をしただろうか。話をした人もいたけど、それは1、2人だったなぁ(苦笑)

なんでそういう状況になるのか・・・。その要因の一つは、日本の大学機関において、(少なくとも私が知っているような建築系学部では)卒論、修論に対する評価があまりに低いからである。これは学生にとっても困る。なにせ、進路が決定して、就職前、遊びたい盛りに論文を書かなければならないのだから。今、いろいろな事業の「仕分け」が話題になっているが、それなら大学機関の論文ほど仕分けの対象になるものはないのではないのだろうか。研究室に残す有用な資料など、論文を書くための全時間からすれば、おそらく50%以下の労力で済むであろう。

しかし、そうではいけないのが「教育」というものであると、元宇宙飛行士の毛利衛さんが言っていた。教育に「赤字」など、不似合いな言葉だと。内田先生も「教育場ビジネスではない」と口を酸っぱくして言っている。私もそうだと思うし、うちの教授も同じことを言っていた。

教育とは、本質的に無駄なことなのだ。効率的に上手くいくことは、それは誰でもできるということである。しかし、どんな世界でも、目の前にある事象は常に新しい事象なのだ。だから想像力が必要となる。その想像力を養うために、定められた方法以外の思考が必要となる。それは「無駄」という領域でしか養えない。

その「無駄」にどれだけのエネルギーを注ぐかに、卒論や修論の意義がある。だから、一生懸命面倒くさいことをして、就職前の有意義な時間を過ごさなければならない。そしてそれが、あとあと、じわじわと効いてくる。人生とはそういうものであると、私は思う。

風のイエ、見つかる

2009年11月27日 22:53

新入社員の年末のお仕事といえば、忘年会幹事である。幹事などほぼやったことのない私も、みんなと同様、その業務に追われている。今日のお昼、目星をつけた店に行き、予約を取る。その道中、なんと「風のイエ」を発見した。

091127.jpg

大通りから少し脇道にそれたところに、その家はあった。私が設計している「風のイエ」にプロポーションがよく似ている。私の場合は、手摺から少し内側に入ったところにガラス窓があり、サンルームになっているのだが、これは純粋にベランダ。そして、そこにはほぼ下着姿の労働者(?)がカップラーメンを食べていた。その風景が私は気に入った。

私が設計している「風のイエ」も、そういう風景を生み出したいがために設計したものかもしれない。東京の一等地でも閑静な住宅街でもなく、雑多で、人間臭い場所で生活する人々の風景。ざわざわしたなかで、それを支える「構造」としての風景・・・

「音楽」というさえない労働

2009年11月26日 23:46

『伊丹十三の本』(「考える人」編集部編)のなかに、彼(伊丹)のすばらしい詩がある(『ヨーロッパ退屈日記』の抜粋でもある)。

楽器を始めたいと願うYくんへ。


ヴァイオリンというのは実に不愉快な楽器である。
弾いていて愉しいということはほとんどありえない。
ヴァイオリンを弾くということは、不正確な音程、穢い音、不正確なテンポ、即ち不快感との絶え間のない戦いである。
この不快感は、技術が進歩して、耳が敏感になってくると一層増大するからしまつが悪いのである。
でも、わたくしは声を大にしていおう。
楽器というものは愉しいものである、と。
そうして楽器というものは三、四歳のことから習い始めなければならない、というのは最も悪質なデマである、と。
職業的演奏家を目指すならいざ知らず、自分で愉しむ程度のことなら何歳になってからでも遅くはないのだ。
それからまた、わたくしは、楽譜が読めないから楽器が習えないと信じている人たちにもいいたい。
一体三つや四つで楽器を始める子供たちに、あらかじめ楽譜を読む能力がそなわっているものだろうか。
楽譜を読める読めないなぞ何の障害にもなりはしないのだ。
二、三か月もすれば指が勝手に楽譜を読むようになってくれるものなのです。
深く楽器を愛する心と、そうして根気を持った人なら何の躊躇うことがあろうか。
思うに楽器とはその人の終生の友である。
決して裏切ることのない友である。
わたくしは心の底からそのように感じるのであります。



なんとなく、宮崎駿が言った「労働というものは、永遠たるさえない日常をおくることなんですよ」っていう発言とニュアンスがかぶる気がするのですが、いかがでしょうか?どちらも、言葉の裏に「ニヤリ」とした笑みが込められていて、好きです。

それでもなんとか筋トレを行う

2009年11月25日 23:46

疲れて帰ってきたが、なんとか日課としている筋トレをこなす。身体が解放された気分。
今週もあと二日、頑張らなくては・・・
しかし、このように週を過ごす日々が、あと何年続くのだろうか・・・

過去の上に今がある

2009年11月24日 22:06

今日、ボーナスの額を知る。正直、思っていた以上に高くて驚く。バブル期や「よき時代」からすれば微々たるものであろうが、今年は史上最悪の40万割れを起こした日本のサラリーマン平均ボーナスに比すれば、やはりこの会社にはありがたく思わなくてはいけない。

給料というものは、未だ私にとっては異質なものである。私は実家暮らしなので、生活費がかからない(家に3万は収めているが)。趣味は読書や建築について考えることなので、それほどお金がかからない。だから、「給料」という重い響きは(まだ)なく、高額なお小遣いをもらっているような感覚である。しかも、仕事はそれなりに楽しいし、自分が将来生きる上での貴重な経験となっているから、「こんなに給料もらっていいの?」って思ったりもする。

だけど、もし結婚し、守らなければならない人ができたら、状況は変わるであろう。必然的にある一定の(しかもおそらく結構高額な)額の生活費が必要となる。・・・なるほど、最近の若者が結婚を急がない理由はそこにあるのだな。昔とは違って、社会人になっても実家にいることが、恥ずかしく感じることがなくなった。そういう気風も薄れたし、子供が少ない親世代のとしても、いろいろな面で子供がいてくれた方が助かることもあるのであろう。だけど、僕はやはり、給料というものがもっと重く感じられるようにならなくてはならないと思う。その方が豊かな人生な気がする。

基本的にそれほどお金を使わない私であるが、それは決して私が無趣味であるということではなく、お金がかかることを学生時代にやってしまった(あるいは買ってしまった)ということなのだ。たとえば旅行、とにかくいろいろなところに行った。アメリカも横断したし、日本一周したし、ヨーロッパもひとりで歩いた。あと、生活の友として椅子を購入した。ヴァシリーチェア、セブンチェア、Yチェア、ラウンジ・チェア。どれも高額だが、まったく飽きのこない、大切な友達である。それから自転車も良いものを買った。だから、当分買う気はないし、壊れたら修理して使うつもりだ(一応もう非売品であるし)。

今のこういう生活があるのは、あくまで過去の自分が努力したからだ。今は休日が待ち遠しい毎日だけど、1年中休日だった学生時代の方が、僕は苦しんでいた。それが確かだ。よく頑張った!と、言ってあげたい。

「机上の空論」から「デスク上の実論」へ

2009年11月23日 22:12

このあいだ、ふと私のブログ本を読んでいたら、学生時代より引き継いだ、私なりの建築論が目を引いた。そのなかで私は以下のように書いている。「現代の建築家は二分化し、失墜した。ひとつは経済のために建物を建てる組織設計集団で、もうひとつは、建築理念を追求するがゆえに、多くは小住宅しか扱えないアトリエ系」。今から考えると、藤村龍至氏の区分とそっくりなのであるが、まぁ当時はそう考えていた。そこから、いかにして「建築」を復権させるかが、私なりのテーマであり、それゆえにコールハースにはひどく惹かれた。

あれから幾分時は経った。私の考えは変わった。変わったというか、まったく異なる位相で物事を考えている。それは、端的にいえば宮崎駿の言葉のとおり「半径3mから考える」ということにあると思う。以前は、まず全体の枠組みから捉えて、そこから「個」へと移行する流れであったが(しかし実際には個へは収束しえないというトラップを孕んでいたが)、今は逆、「個」(=自分)から始まる。以前はこの考えが自己中心的だとも考えていたが、まったくもって私の思考方法は変化したのだ。

その理由はいくつか見つかる。ひとつには、学生時代は何をやっても「空論」でしかなかった。それを自覚していた私は、あえて机上の空論にひた走り、現実をどこか捨象したところに世界を見ていた。それが、現在は現実的に「建物」を設計している。この差は(就職前から予想していた通り)大きい。

もうひとつは、やはり彼女ができたことであろう。世界を幸福にすることよりも、目の前にいるひとりの人間を幸福にすることの方がよっぽど大変に思える。大変に思えると同時に、より深遠な世界を感じる。

書物のなかに住む

2009年11月22日 22:31

原広司への関心が続く。金曜日、3連休を前に丸の内の丸善へ。住宅特集で連載されていた原広司の自邸の特集を読む。内容は、建築家の堀越さんとその研究室の学生、それから執筆関係の人(だったかな?)らのインタビューであるが、私はこの特集のなかで意外な事実を発見した。「原邸」は、小住宅であったことだ。

私は以前より、反射性住居としては「原邸」より「粟津邸」により関心があった。模型も作ったりしていたから、「粟津邸」の大きさはよく知っていた(デカイ)。それに原自身、著書の中で反射性住居は、ある程度の「長さ」が必要であると論じていた。確かに、都市が住居のなかに反転するのであるから、都市としての要素をちりばめられる大きさが必要となる(原氏のすばらしいところは、それを単なる「ミクロコスモス」なる概念として提示しただけでなく、現実的に「大きさ」が必要であると指摘した点にあると私は感じる)。だが「原邸」は小さい。建設当初はコストをかけられなかったため、材料や工法自体も、できるだけ安く収めたという。

そんなことを思いながらしっかり「原邸」のプランを見てみると、確かに動線が短い。「粟津邸」は3階建てで、一層分の階段が3つある。しかし、「原邸」はステップ的な小階段を連ね、全部で一層分としている。写真で見ると、もっとも階段が長く見えるように撮っているので、いかにも長軸が強調されるが、実際は普通に短いのであろう。

そういった点に気付いた時、私は「原邸」に行って、実際に空間を体感したいかと聞かれると、少し悩んでしまった。実際には、書物のなかにあった「原邸」の方が、私の理想に近いように思えたからだ。そしてもっと困ったのは、そういった事実に対しても、私自身、別段気にならなかったことだ。つまり、実際の建築より、書物のなかの建築の方が優れていても、それでよいと思えたのだ。

私は以前、建築設計で生計を立てることを放棄したとき(現在は、サラリーマンとして設計をし、給与をいただいている身ですが)、私は「本のなかで建築を建ててみせる!」と友人に語った。その場での思いつきであるが、ある意味確信をついていたと現在では思う。ただ、それは「ドローイング・アーキテクト」ではなく、あくまで執筆家としてである。いわば「ライティング・アーキテクト」とでもいうのだろうか・・・。

理論と現実は異なる。だから、理想的な建築理論などあっても、理想的な建築が作れるわけではない。しかし、私は、活字のなかに、ほんわかと建っている建築に温かみを感じる。たとえそれが、「現実」ではないとしても・・・。


追伸(Yくんへ)

確かにYくんのブログが見やすくなりました!。そういう些細なことで、大きな変化があるのだと実感します。
今日は研究室同期の結婚パーティでした。とても良いパーティで、そこに私が呼ばれたことに、とても感謝しました。
ラピュタのなかの登場人物としては、やはりあの盗賊団のおばあさん(名前がわからない)かなぁ。ああいう人に出会いたいし、ああいう人になりたいかな?昨日のワイドショーで野球の野村監督がサッチーとともに、花婿・花嫁姿で映画のPRをしてたけど、記者が野村監督に「奥さんの花嫁姿見て惚れ直しましたか?」と聞かれると「いつも惚れているから」と答えていたのを思い出した。そういう人って、みんな愛に満ちていてすばらしい人間だと感じるよ。
ちなみに来週の土曜日はR大の卒論発表会に行ってきます。すごく楽しみ。

注射修行

2009年11月21日 23:16

午前中、足の裏のイボ治療のため皮膚科に行く。もっと早くに手を打っていればよかったのだが、ノンノンと時間が経つうちに、僕のイボちゃんはちゃくちゃくと成長を続け、気付けば、足の裏に筋肉注射を打たなければならないほどに大きくなった。2週間に1回皮膚科で注射を打ってもらうのだが、これがなんとも痛い。もともと注射嫌いなのだが、足の裏の筋肉注射ときたら、そりゃ信じられない痛さなのである。

だけど、注射が終わると身体が楽になる。単純に考えて、痛みからの反動であろう。内田樹先生は「人間は2つの痛みを同時に体感することはできない」という話を以前していた。元来、「修行」というものは、何かひとつの「苦」を経験することで、それ以外の煩悩から自由になれるということなのかもしれない。ならば私の皮膚科通いも、そういった修業的な要素があるのかもしれない。

医者に行くたびに思うことだが、患者として医者に行くと、いつものように先生が待っている。実際にはこの2週間のあいだに、膨大な数の患者を診察してきたわけだが、患者であるかぎり「先生~聞いてくださいよ~、こないだ先生がいっていたとこ、やっぱり痛くなっちゃいましたよ~、それでね・・・」(私ではないよ)といった感じで、あたかも先生が「自分の先生」であるかのように感じる。それは先生が「このあいだ治療したところ、どうなりました?」という感じで、あたかも自分の病気をずっと心配していたように聞いてくださるからだ。

それが医者の仕事であるわけだけど、そういうのって、とてもありがたいことのように感じる。だから私も、不平を言わず、先生の指示に従う。先生曰く、「皮膚科は小さい子を相手にするでしょ?だから子供に嫌われるんですよ」なんて苦笑いを浮かべながら言っていたが、確かにそうかもしれない。でも、そんな会話をしてくれたときは、なんというか、「患者―医者」という関係を逸脱した感じて、ちょっと嬉しかった。


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