「ここではないどこか」は何処か

2009年09月30日 00:17

今日は飲みがあった。毎回思うことだが、やっぱり何か「面白いこと」を言わなきゃいけない空間って苦痛ですね。やっぱり興味関心が違うからなぁ・・・まぁ面白いことを言えない言い訳だけど・・・

今自分がいる現状が、自分にとって最適解ではないと思ったとき、そこではないどこかへ、もっと自分が生き生きできる環境へ移りたいと誰もが思うであろう(内田樹先生のブログで「そんな「世界」などなく、現状より少しずつ意識改革するしかない」というような指摘があった気はするが・・・)。私は最近よく思う。週に一度くらいは結構真剣に思う。でもそれが「自分が生き生きできる環境がほかにあり、今の環境に来てしまったことがミスジャッチだった」のか、それとも「今の環境からただ逃げたいだけ」なのか。その問いに立ち止まり、私は結局現状に戻る。

私の周囲で、心の弱い人間は、実際は後者であるのに、前者と勘違いする人のように思う(まぁあくまで判断は自分自身ですが・・・)。特に建築系はそれが多い。私はそういう人を見るにつけ、後者の意識を強く警戒するようになった(おかげで就職できたし、半年経っても働けている)。

でも今日部署変えのため机の掃除をしていたのだが、いろいろあった半年、はっきりいってこのデスクにそれほど良い記憶があるわけではないのだけど、なぜが離れるとき寂しさが込み上げた。マザーハウスの山口絵理子さんの著書で、高校時代の柔道部での経験が綴られていたが、苦悩ばかりの部活生活であったが、それでも体育館を後にするときは涙が出たという。自分にとって心地よい環境より、心身摩耗された環境の方が、その空間への愛着というのは湧くのかもしれない。いやいや、プラスであろうがマイナスであろうが、そこにどれだけの執着があるかということだろう。いい意味ではないが、この半年間、とりあえずこのデスクに執着したのだ。

書いてみて思う(いつもそうだ)。「自分が生き生きできる環境がほかにあり、今の環境に来てしまったことがミスジャッチだった」のか、それとも「今の環境からただ逃げたいだけ」なのか、という問いに関しては、その空間を追体験したとき、感情がこみあげてくるかどうかである気がしてきた。ただ単に生暖かい環境に戻りたいだけなら、そのような感激は一片もわかないはずだ。

それが判断基準になるのなら、やはり日々、良くも悪くも執着して生きていこう。サラリーマンの95%はストレスでできているのだ(バファリンとは大違いだ)。だから、それすら感激に変えられるほどの執着を見せなければ、後々何も残らないであろう。もちろん、悪い顔にならないように注意しながらね・・・。


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サラリーマンのルール

2009年09月28日 22:39

今日はサラリーマンのルールについて学習したのでご報告。

昼に組合の会議があった。そこでは普段温厚な社員さんたちが怒りをあらわにし、現状の労働環境と賃金についてのアンバランスについて吐露していた。そして昨年の経済危機のあおりを受け、(私にはいまだよく理解できていない点であるが)昇給のタイミングが変わるらしい。そうすると、私の先輩社員たちは、基本的に喜ばしくない状況になる。それについて不満をもらしていた。

だけど、私としては、そりゃ建設界が衰退するのはおかしい話ではないし(歴史的にはむしろ説明がつく)、それで人員削減できない(なぜなら社会主義的に終身雇用制を作ってきたから)社会構造なのであるから、そりゃ給与はカットされるでしょう、どう考えたって。それを組合に対し叱責しても、社会全体の問題だからなぁ・・・。なんて思っていたのだが、でも彼らはこれまで会社に尽力し、これからもこの会社にいようと思っているのだろう。それに彼らの多くは家族がいる。だから、家族を養っていかなければならないと考えると、確かに給与カットは大問題だ。私の身体は会社にあっても、私の頭と利き腕は外にある。だから、あたかも他人事のように、この風景を私は眺めていた。

昼過ぎ、コンペのプレゼン。普段見ていただいている上司のさらに上司(具体的な役職は控えます)にプレゼンしたのだが、いつも上司に言われていることと真逆のことを言われて唖然とした。上司はいつも「うちの会社以上のことをやるな。上が理解できないから」といい、今日の上司の上司は「今の段階でうちの会社がするような仕事してどうするの?君たちはまだ型にはまらなくていいんだよ」と言われる。私はこれで、サラリーマンの構図が(今まで分かっていた以上に)よくわかった。

つまり上司は、己の保身以外に何も関心がないのだ。だから、波風立てたくない。何かアクションを起こさなくても、終身雇用制の日本企業は、時間がたてば上にあがれるのだ。だから、ヘタなマイナス点はいらない。しかし、もしわれわれが頑張り、上司の上司に認められたら、それは上司の手柄になる(実際はそうではないだろうけど、あたかもうちの上司はそうであるかのように振る舞う)。勝間和代氏の言葉が思い出される。日本の企業のトップは基本的に能力がないらしい。なぜなら、リスクをできるだけ避けられた人が上にあがれるからだ(まぁ実際はそう単純ではないだろうけど)。だから、独創的な発想をすれば、すぐに潰される。出る杭は打たれるのだ。

それから配属先にあいさつに行く。これが思ってた以上に優しそうな部長。なんとなく部の雰囲気もよかった。はっきりいって、仕事は人である。いい人、信頼できる人とならそりゃ何時間だって働きますよ。

・・・そうなのだ。これもサラリーマンのルール。給与とか昇進とか、そういうことが社会的な評価と豊かさであることは間違いのないことだけど、結局は人なのだ。数値では評価できない「優しさ」なのだ。

私は大学時代、とても優しい人に出会い続けた。しかし、環境が変わればまたわからない。これからも優しい人と出会いたい。そのためにも、優しくしてあげたくなる人にならなければ・・・(上司に楯ついてるような自分では難しいかな・・・汗)

匿名性へ

2009年09月27日 19:39

「匿名性と有名性」についてYくんからコメントをいただく。これに関しては、正直耳の痛い話ではある(汗)。

私は建築の有名性に関心があった。大学時代、日本を旅して建築家の無力さを思ったが、結局それを救ってくれたのも建築家だった(レム・コールハースとかね)。思想的転換!・・・それが学生時代追い求めたことであった。ニーチェ、ハイデガー、フーコー・・・たいしてわかったわけでもないが、それらの哲学にすがり、ニヒリズムの論理より地上への生還をもくろんだ(だからこんな言い方が身に着いた(恥))。

もともと理屈っぽいことが好きだった私は、「設計」より「文章」にドライブした。私としては、自分の理念を思い通り語れる「文章」が、もっとも心地よいツールとなった(そして何より、軽いところがいい。データも軽いし、即物的でもある。だから、社会のなかで移ろいやすいわけだが・・・)。

修士論文を書いている頃、有名性への懐疑は当然あった。だけど、建築家の言説にまだ私は酔っていた。カッコ良かった。だから、修論では可能なかぎり(意図的に)建築家の言説を引用した。それが時代遅れだと思われようが、私にとっては、その方が楽しかった。

修論が完成し、いろいろな先生の評価を受けたが、すぐに私の気持ちは冷めた。建築家の言説に酔うということは、他人の論理で世界を語ることだからだ(自己弁護すれば「われわれ固有の言葉」などもはや存在しないということが私の当時の心境でもあった。ならば、可能な限り引用し、コラージュによって生まれる何かにすがっていようとした)。

今はどうかといえば、まだ有名性には惹かれる点がある。「名のあるモノ」には否応なく評価が下るが、「名のなきモノ」には評価が下らないという危険性があるからだ。

書いておいて思うが、上の理屈も建前だね。現実には、私が昔から抱いていた虚無感、というか、いつも居心地の悪い服を着ているような、そんな心象風景がまだあるのである。基本的に、私は孤独だったので、どこか自分にそった世界へ移住したいという気持ちがあったに違いない。

三島由紀夫に惹かれたのは(そして今でも惹かれるのは)その点だと思う。彼は(おそらく)世界に愛されなかった。すくなくとも彼はそんな孤独とともに生きてきたように思う。だから、内在的に美を創りだした。彼の住まいは、完全に孤独な美の世界によって作られている。

だけど、私は最近、無名なものに惹かれる。これは、私が孤独ではなくなったからだ。それにはいろいろな要因があるが、私は明るくなった(会社仲間とはそんなにつきあってないけどね(汗))。「A ba(u)t architecture 」もそういったところに出自がある。

てなわけで今回の収穫物

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これは東京駅前にたったプレハブ。東京駅の駅舎工事のための事務所だろう。敷地形状に合わすためか、雁行配置されている。三菱地所が仕掛けた超高層に見下ろされ、まったくもってスケールアウト(どっちが?)だが、何か洪水の中取り残された島みたいで面白かった。

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神保町のとある本屋。とても心地よかったので店員さんに了承をいただいて撮影した。本に囲まれている空間が私は好きである。そして、何かスケール感がよかった。単純に棚が白いのが良かったのかもしれない。

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実家近くの線路際。以前は銀杏並木だったが、管理上の問題かなんかでひとつ残らず伐採された。前は植栽がぽつぽつあるだけだったが、いまは鬱蒼としている。ふとみたら、緑の真ん中で黄色い点が揺れていた。コスモスかな?植物に関する知識がゼロなのでわからないけど、何か不思議な光景だった。僕の届かないところにきれいな世界があるような・・・ね。

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これは千葉駅まえの商店街へとおりる階段。古代ローマ時代の遺跡を想わせる。少なくともこういうものって「外来」だろうな。そう思うと、このなんの変哲もないモノが、西洋の古代文明とつながる。まぁ、だれもそんなことに関心はないかもしれないけど・・・。

「かわいい系」の功罪

2009年09月27日 01:09

昨日、設計課題のことで上司に怒られた。理由はいろいろあるが、(そして不条理なことも多々あるのだが)なるほどと思えるウィークポイントもあった。ただ、その「なるほど」というのは設計者としてではなく、あくまで歴史家としての認識である。

それは何かというと、最近の建築学生(もちろん私も含まれるが・・・)は、小手先で設計をする。建築のプログラムとか構造スパンとか素材とか、そういった現実的ファクターを通り越して「庭」とか「光」といった「建物外」の現象が優先事項となる。そりゃそうだ。SANAAみたいな絵の描き方が流行りなのだから(以前他大学とのオープンスクールでコンペをやったのだが、私以外のみんなが「妹島パース」を描けることにびっくりした)。

それがなぜか考えてみると、今の時代、建築では社会が動かせないという直感があるからではないだろうか。正統的な建築論に社会が反応したのは大阪万博ぐらいまでじゃないかと私は考える。それ以降って(こういう歴史の語り口自体反省しなければならないのだけれど、でもこう簡略化しないと説明できない・・・)、やはり正統的イデオロギーが失われた時代だと考えられる。つまり、「空間」を語ることで、社会とのコネクションを確保できなくなってしまった(あるいは単純に(狭義の意味で)近代的な建築に飽きてしまったのかもしれない)。

最近の建築は「かわいい」ものが多い。丹下さんの全盛期に比べたら、びっくりするくらい世界が違う。過去において建築は「国家」や「民衆」のものだったが、現在では「女子高生」とか、サブカル的な民衆のもののように思う(現在の日本の市場は、もはや女子高生抜きには語らない)。

僕らの上司の世代では、木の配置やホトショで入れる人などあくまで副次的なものでしかなかった。でも今ではそれが主要プロパガンダだ。何か小難しいことをいう人より、ちゃらちゃらしてウケをとる人間の方が求められているのかもしれない。

僕はウケをとれない人間なのでなんともいえないのだが、でもしっかり芯がないと、後々残らないとは思うな。その点に関しては、腹の立つ上司の言い分もわからないではない。

サラリーマンの憂鬱

2009年09月26日 02:37

今日は12時まで残業。終電はとっくになかったが、偶然父親と同じ電車だったので、タクシー代はういた。家に帰り飯を食べ、風呂に入ってこの時間。あぁ・・・ああ・・・。

残業の内容は、なんというかいつもの通り。ぼやくことを目的としたブログであるとはいえ、そんなことをぼやきたくはない。

明日、明後日は多少時間がある。自分のやりたいことをやろう。

いや、しかしこのような生活をしていると、仕事を辞めたい気持ちも、辞められない気持ちもよくわかる。サラリーマンってのは、それらの板挟み人生なのだろうか?

まぁいい、僕の人生だ。徳に尊敬できる人がいなくても、自分は生きていける。支持してくれる人もいる。頑張ろう。

くたくたの身体で、幸福な知らせをきく

2009年09月25日 00:56

今日は10時まで残業。あぁ・・・(ノーコメント)

家に帰って母が用意してくれていた夕食を食す(いつもながら母に感謝)。そしてお風呂に入る前に携帯を見たら、研究室の同期のIくんからメールで、近々結婚するらしい。そして来年にはパパになるらしい。いやいや、うれしいことである。彼は人がいいので、周囲の人も彼の幸福を祝福するだろう。

当たり前だが、私が何かしらの思いを込めて生きているこの日常で、みんなそれぞれの意志で動いている。彼も大学卒業してから、いろいろあったのだろう。

他人の幸福で自分が温かい気持ちになるのだから、私は今幸福なのであろう。正直そうではない時期が長かった僕の人生。その点、将来僕のお嫁さんになるかもしれない彼女には感謝感謝です。

Yくんにも通知が行きましたか?11月22日にパーティーをやるらしく、なんか友人同伴大歓迎らしいので、会うとしたらその頃はどうでしょうか?たぶんYくんの友人もたくさんくるだろうし・・・まぁ、また連絡待ってます。


Houses in 1:100

2009年09月23日 23:48

私は、自分自身に興味がある。なぜなら、私は私以外の人から世界がどのように見えているか皆目見当もつかないからだ。だから、世界とのコネクションは私自身によって行われる。だから私は私自身に興味がある。

興味があるというのは、決してナルシストということではない。自分自身を把握できないから、いわば、「私」は私にとっての他者なのだ。だから、他者である「私」に私は関心がある。

私は、私を分析の対象とする。これは建築や都市についても同様である。建築は自分がどのような建築であるか知らない。都市は自分がどのような都市であるか知らない。そしてそこに住んでいる人も、そこに暮らしている人も、何も知らないで暮らしているのだ。

なぜ何も知らないで暮らしているのか、それは、何も知らなくても暮らせるからである。住宅は、その住宅がいかなるプロセスを踏んで設計されたかを知らなくても、生活に全く支障がない。だから、知らなくてよい。

しかし何も知らないと、「何か」が起きた時に対処できない。たとえば耐震偽装問題。それはまさに「何も知らない」ということが起こした人災だ。そうした袋小路にはまらないために、できるだけ多くの知的選択権を持っている必要がある。知っていれば回避できる。回避できなくとも、準備ができる。準備ができなくとも、心にゆとりが持てる。だから、選択枝を幅広くもっていることは、とても大切なことだ。

そんなこんなで、私は自分に対する関心事のひとつとして、これまで設計してきた(それは大学の設計授業でもだれに頼まれたのでもなく、自分が「趣味」として、自身の建築的憂さ晴らしのために行ってきたものだ)住宅を、1:100スケールでまとめようと考えた。つまり、自身の建築的関心を外在化し、言語化する。それによって、私は「私」を知ろうと思ったわけだ。とりあえず、まず1つ目。どこまでいけるかわからないけど、とりあえず1つ目。

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追伸

Yくん。今日母校に遊びに行ったのだが、やはりあの研究室に戻ろうという気にはなれなかったよ。なんというか生暖かい感じがして、たとえ戻っても図書館に避難している自分が想像できた。あと私なりには少しショックだったのだが、Y研でK設計事務所に行ったMくんがクビになって研究室に帰ってきたみたい。アトリエ系はどこも厳しいらしいけど、なんかすこしショックだった。こういったことも知的選択権(要はそういった生き方をする人もいると知ること(造語))として持っておくと、自分が働く上での精神上のゆとりになる気がするね。
じゃ仕事がんばりましょう~

Urban Research Y-CITY

2009年09月22日 23:50

新しい建築や、新しい知的冒険によって社会が動くとき、その発端となるものは意外に、あっけないほどに単純だったりする。そしてそれは「なぜ、みんなこれをやらないんだろう」っていう感じで、どんな人でももっている些細な感覚である気がする。才ある人が道を切り開くのは、そういったもやもやした感覚を具現化し、実行し、言語化するからだと思う。だから、なんとなくやってみたいことはできる限りやってみる方がよい。

ということで、私は新しい研究を始めた。私が育った地元のアーバンリサーチ。名づけて『Urban Research Y-CITY』である。

このリサーチ(研究)の目的は、静的に見えてしまう都市の変容を、一点に収束しない様々なベクトルを介して、ざわざわっとしたその様相を視覚化することである(もろ青井哲人先生の影響である)。具体的に説明すれば、我が郊外住宅地では、ここ数年で中心に巨大なスーパーが現れ、20階建のマンションが竣工間近である。500戸入るらしいから、1戸に平均2人入るとしても1000人が移住する計算になり、それにともない都市の周辺機能も変化するものと思われる。我が辺鄙な街における、未曾有の大変化なのである。

そういった「大きな水滴」が水面に落ちた時、周辺にはどういった水面が形成されるか。その変化を知るということが関心事だが、単純に自分が住んでいる町を視覚的に表現したいという動機もある。特別な愛着があるわけでもないが、それでも私が育った街。それが研究者としても恩返しでもある気がした。

とりあえず地図の作成を始める。やはり、なかなか大変である。しかもこれから働きながらやるのか・・・(汗)。

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でもやはり面白い。もしこれができたら、私の研究の武器になる。だから頑張らなきゃ!

シルバーウィーク分

2009年09月22日 11:53

シルバーウィークで撮りためた分

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え~と、まず木場公園そばのテナント(?)。相田武文さんの積木の家を思わせるフォルム。きっと80年代~90年代初頭にできたんだろうね。名建築といわれると、なんかそう見えてくる感じがする。まぁ、それくらいポストモダンの建築論は怪しいものだったということだろうか。

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これはとある地方都市の駅前。夕焼けが紫色に、空を覆っていた。どんなに高く積み上げても、あの空には届かないんだろうね。すっごく大きくて、きれい。空の輝きにそそのかされて、建物群もネオンを燃やしている。ぼんやり浮かんだ夜の街。

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これは西馬込のとある庭(?)。たぶん私有地なので勝手に撮ってはいけないのだが、この空間がすごく不思議に感じた。なんというかね、空間があるように思えたのかな?もしくはプロポーションが美しいか・・・。わからないけど、どことなく意志がように思う。こういう感覚は大事にしないといけないと思うね。

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中延駅のフォーム。壁から階段(?)が突き出している。なんかトマソンって感じですね。路上(じゃないけど)観察学会だったら、なにかしら言い当てるのかしら。もともと歴史的になにかあったのかな?よくわからん・・・

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これは戸越の商店街にあった住宅(だと思う)。鉄骨の人工地盤の上に、まるで何事もないかのように一軒家が座っている。いやぁ、なんか合成写真みたいだね。鉄骨のフレームは上に家が乗っていることを知らず、上の家は下が鉄骨で支えられていることを知らないんだろうなきっと。大高正人氏もびっくりの人工地盤建築

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九段下駅の階段。たぶん地下工事で地盤上の影響だろうけど、階段が屈折している。80~90年代に名建築家がやってそうな階段。実際使っててなにも違和感ないのだけれど、下から見上げるとけっこうおもしろい(写真をとろうと思ったのだが、ミニスカートのお姉さんがいて、誤解されては困るので控えた)。


父の家、母の家

2009年09月22日 00:25

このシルバーウィークにやりたかったことはいくつかあり、そのうちふたつが三島由紀夫の家を訪れることとマザーハウスに行くことだった。

昨夜、三島由紀夫の家の住所について調べる。住所は『三島由紀夫の家』という本に乗っている写真の表札に書いてあり、ネットで検索したらすぐに出てきた。場所は馬込、東京の下町である。ネットで調べていたらもっと面白いことがわかって、実はこの土地はかの文豪たちがこぞって住んだ場所だった(三島と関係の深い川端康成も住んでいた)。それを知らないこと自体恥ずかしいことにも思えたが、将来物書きで生きていく私にとっては、この地は訪れておかねばと感じ、Google Mapで馬込の位置を探すとさらにびっくり。最寄駅は西馬込なのだが、JRでは大森。以前住んでた街ですよYくん(知ってた?)。そしてその近辺に戸越の文字。確かマザーハウスの2号店は戸越では・・・と思い調べるとやっぱりそう。おぉ、なんかいろんなものが一瞬でつながってしまった。

そして本日、早朝より西馬込を目指す。私の勤務先にも近いこの地に、まさか三島の家があるとは。9時頃に西馬込に着く。三島の家をめざし歩くが、いやぁ、なんていい街なんだ。まず大通りから一歩隔てているので閑静。子供の声が聞こえ、風がそよぐ。道は起伏に富み、人々の往来が愉しい。神社の境内や公園もいい。何から何まで気に入ってしまった。駅に着いてからなんとなくチェックした不動産では、6畳一間ならだいたい5,6万で住めるらしい。私は決めた。もし実家を離れるならここに住む。数時間歩いただけで、この街は私になじんだ。いま文章を書いているこの瞬間も、あの街に帰りたいという欲求がある。こんな感触は初めてだ。

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そんなことを考えながら、三島邸に近づく。近づくにつれ、ある種の恐怖心が襲ってきた。やはり興味本位で見に来てはいけない場所のようにも思えた。

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・・・そして、三島の家に着く。・・・恐ろしい。建築を見てこれほど恐ろしさを感じたものはない。おぞましく、とても美しい。強い、それが怖い。まるでそこに磁場があるかのように私は引き寄せられ、しばらく家を眺めた。

この家の厳格さは、やはりウィトゲンシュタインの「ストンボロウ邸」に似ている。誰も寄せ付けないがゆえの美学。精密さ。私は写真を数枚撮り、そこから離れる。普段の町が厳然とそこにあることに、私はとてつもない違和感を覚えた。世界は変わってしまったのに、誰ひとりそれに気が付いていないような、そんな感じだった。

それから電車で中延駅へ。駅から徒歩数分でマザーハウス戸越店へ。店に入ると、明るい雰囲気がすぐに感じられた。思っていたより手作り感があって(お店はスタッフが手作りしたらしい)、ブランドという(作られた)イメージとは少し違った。商品がしっかりしていて、かつ店員さんのサービスも心地よかった。何気なく足を運んだのだが、ブックカバーがかねてからほしかったので購入。そして、あまり使う機会はないけど、レターカッターを購入。形とロゴの入れからがカッコイイ。店員さんとはバングラディッシュのこと、革のこと、近くの商店街のことなどいろいろ話させていただいた。ほんとうに心温まるお店で、なぜかこっちが「ありがとうございます」と何度も口にしていた。お店を後にした後、店員さんが教えてくれた商店街を歩き、東京の下町のにぎわいを感じた。

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その後電車を乗り継ぎ某大学へ。19時まで研究のお手伝いをして帰宅。なかなか疲れたけど、とても温かい一日だった。なぜ温かいと感じるかというと、西馬込も中延も(近いので同じといえば同じだが)、私の故郷のように感じられたからである。実際は私は郊外のベッドタウンで育ったので、東京の下町とは全然違うのだが、私が何かを学ぶ上で見てきた風景、その源泉に近いように思え、心地よかった。

とはいえ、両者は全然違う。三島邸はもう二度と近づきたくないように思うが、それゆえに惹かれる。マザーハウスは温かく、商品を買わなくてももう一度行きたい。

仰々しく言えば、前者は「父の家」で後者は「母の家」であった。母は常に温かい。父は、近寄りがたくも避けがたい。しかし、ともに故郷であることは変わらない。




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