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給料と幸福の相対的関係性とは

2009年03月31日 20:27

今日は学生(すでに卒業したから学生じゃないけど・・・)最後の日である。

でも家族は海外旅行中であるため、家でひとりで過ごす。一級建築士の勉強をするが、一日中集中力が利くわけではないので、こうしてまたブログを書く。テレビを見たりするより、こうして能動的に文章を書くほうがリラックスになる。宮崎駿は「仕事に疲れて発散したくなったら、それをアニメーションのなかではらさなくてはならない」というようなことを以前言っていたが、それなら僕は物書きに向いているのかな・・・そんな都合のよいものではないか(苦笑)

昼時、なんとなくネットを開き、なんとなく年収を調べた。そうしたら自分の勤める会社は建設業の上位だった。なんとなくうれしかったけど、でも他の業種と比較したら、全然低かった。建設業ってそんなもんかと思っていたら、夕飯時テレビでネット難民のことを特集していた。漫画喫茶に長期滞在し、住民票を得て、職を探すらしい。給料・・・というか人間の幸福って何なんだろう・・・?給料の比率と幸福の比率(そんなものないだろうけど)との関係とは一体・・・?

まぁこんなこと考えている自体、なんとなく自分の状況に不安を感じているからなんだろうから、自分は幸福ではないのかな(苦笑)。最終的に幸福とは相対的なものではないだろうからね。

とりあえず明日からその実態を肌で感じ、調査してきます。

現代社会に興味がある私にとって、企業に就職し働くことほど面白いテーマはないからね(笑)。明日から研究開始です
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現代社会を、スルスルっと生きるには

2009年03月30日 23:46

本日は千葉に用事があり、その際本屋に寄った。元々は、就職ブルーを解消(いや別にブルーではないな)するために、「建築学生のハローワーク」という本を読んでみたかったんだが、書店には置いてなく、でも何か読みたいな・・・と思ってたらこの本が目に付いた。

「新しい郊外」の家 著:馬場正尊

cover.jpg

である。

最近は一級建築士の勉強が忙しいのもあり、哲学とか思想とか、ちょっと頭を痛めるような本が遠慮しており、(いい意味で)簡素明快なものがほしかったし、前日、10+1webwsiteで「南洋堂店主の一押し本!」に紹介されたいたので、なんとなく買ってみた。

お昼がてらマックでコーヒーをすすりながら導入部を読み、その後家に帰ってから読破した。

なんというか、いい本だったなという感想。

まず、著者である馬場さん(これ以前は正直知らなかった。本は知ってたけど・・・)の「現代的な」生き方には、若干共感というか興味を覚えた。非常に(おそらく馬場氏自身が意識しているように)「現代的」だからである。以前情熱大陸で、「現代的」という称されるものはすべてくだらないと、とある現代芸術家がいっていたが、彼がくだらないと卑下するもの(大文字の建築とか芸術でもなければ、批評性もないような)の間を、ヒョヒョイとすり抜けていく感じがいい。それを「不動産」という仕事に適用している点も「頭がいいなぁ」って思う。

だけど面白いのは、彼が大手出版社をやめて独立したがために、ローンを組めないという奮闘記と建築家に住宅を設計してもらうということの困難さ。僕が大手に行くからじゃないけど(じゃなくもないな)、それは素直に面白かった。現実社会の仕組みがわかったし、どうして建築家が建てる家がもっと評判にならないかがよくわかった。詳しくは本を読むのがいいのだけれど、簡単にいうとハウスメーカーとかは、住宅が担保となる前の段階で、お金を貸してくれるんですって。だから、施主は頭金だけでなんとか住宅を購入しようと決断できる。それが、アトリエとかだと、そうした資産がバックにあるわけじゃないから、頭っからお金を全額用意しなければならない。だから、アトリエの建築家に住宅をお願いできるのは、貯金上手か金持ちかどちらかということであって、デザインの問題ではないということ。著者同様、私にとっても目からウロコだった。社会ってそういう仕組みなんですね(建築家のハローワークで知りたかったことが少しわかった。馬場氏に感謝)。

でも逆にいうと、そういった社会的保障がバックにあれば、もう少し自由に都市を歩ける(生きれる)ということでもあるよね。どっちがいいかはしらないけどさ。

でも、馬場氏はコーポラティブハウスみたいに、幾人かの人々が集団で街づくりを行うことを推奨し、楽しんでいるけど、すごくうらやましく思う反面、それがどこまで浸透するかは見守っていきたいと思いますね。だって、馬場氏が奮闘している間に、(資本を背景にもつ)ハウスメーカーがバンバン住宅を建てていくわけでしょ?馬場氏は、その間隙を探り、楽しむかのように設計を行うんだろうけど、それって常にマイノリティなんではないのかな・・・?マイノリティだから面白い気もするけど、それだったら小山の大将と変わらないし、大企業に勤めて、ためた金で田舎に広い土地買って何かやるのとあまり違わない気もするし・・・

別に否定したいわけじゃなくて、実際どうなんだろうってことね。でも、楽しみながらやられているということなので、全然いいことだと思うけど。

とりあえず良い本に出会えたことと、著者である馬場氏に感謝

休息

2009年03月29日 15:46

一級建築士試験の勉強につまり、またブログを書き始める・・・

このブログを書くのに、大体一時間ほどかかったりする。もちろん、私はあまりタイプ打ちが早いほうではないので、それが理由となっているようにも思うが、頭のなかにあるものを形にするのは、それがどういった形式であれ、それなりに大変なものであるということを実感する。

10+1websiteの「建築ラジオ」で、建築系学生の就職について論じていた。私は院に進んだのち就職を選んだ組であるが、もし就職に失敗し(というか受かったこと自体奇跡に近いが)、ほかの道を選んでいたら、どうなっていたかという想像はしなくもない。

多くの人がそうであるように、私も設計に憧れ、建築学科に入った(今だって憧れているし、将来的には・・・という気持ちは常にもっている)。ただ、学部後期より日本や海外を旅するうちに、建築そのものの感動とは別に、建築(というか建築家)が社会や歴史より取り残されている気がして、単純に設計を志す気にはなれなくなった。もともと私の関心が「社会」とか「歴史」といった抽象的で大きなものであったためだが、安い給料で設計行為に埋没する気には私はなれなかったし、たとえそれが楽しくても(というか実際にプランを書いたり、模型を作ったりするのはそれだけで楽しいものなんですよね僕にとっては)、社会が、人々が喜んでくれない気がしたのである

結局私が選んだ道は都市計画(というか開発)に加担する側で、設計思想や、理想ではなく、利益を最重視した企業であった(別にそれを否定しているわけではない。むしろそういった考え抜きに建築理想論を語っている人に対して、私は若干の違和感を覚える)。もちろんそれが正しい答えだと思っているわけでもない(もしそうなら、こんなぼやきなど必要ない)。あくまで、自分はそうであった、というだけである。

ただ、以前友人のY氏とも議論したことだが、建築家が建築を志向する際、そこに「生活」が介在すると、たいていの場合、建築はチープになってしまう。でも、現実的には、設計者は設計で飯を食っていかなきゃならないし、何よりアトリエ系(というひとくくりはまずいけど)の最大関心事は「飯が食えるか」「保障はあるか」ということになっているようにも思えるし、それでは本末転倒だとも思える。「それでもいいよ、楽しいから」といわれたら、それでこの議論は終わりだし、まぁ金かコネがあれば食べていけるんだろうから、そういった人に何かを論じる必要はないんだけども・・・

でも、私は内心としては、こういった議論を頭のどこかで行っている人としか、私は真剣に討論したいとは思わないのである(だから友人が少ないのである)。「現代において、建築は不要なのではないか?」という、不安を胸に秘めいている人でなければ!(なんかハイデガーみたいになってきてやだけど)

もちろん建築家は楽観的であることが必須条件であるし(そうでなければ自分が使わない建物なんて設計できないでしょ。自然破壊だし。日本において建築の数は十分足りているし)、明るい人じゃないと建築家にはなれないし、だから別に暗くなれって思うわけじゃないけど、単なる楽観主義者では建築家にはなれないと思う。・・・というか優秀な人ってのは、常にそういった人材であると私は考える。ちなみに「私はまさにあなたのいう人材です!」って思った人はおそらく優秀ではないので安心して下さい(笑)しっかりどこかで生きていけます。

作家(=人間)は作品を執筆する以前は作家でもなければ、自分がどういった人間であるかさえわからない。

だから、私はこうして、文章を記すことで、初めて私がどういう人間であるか知るのである。今日知ったことは、こうして執筆したことが、将来出版され何かを得ることになるとしたら、この休息はとてつもなく有意義なものになるな、ということかな。それがお金であるか、幸福であるか、それはわからないけどね。


八畳の家 -not the Last House-

2009年03月28日 12:38

1.jpg

この作品は私がこの一年間、論文を書く際の鬱屈した気持ちのはけ口として設計していたものである。膨大な設計期間に比べて、この住宅はあまりに小さい。八畳である。

model interia

もともとこのような設計を始めたのは、鬱屈した自身の環境を打破するために、いや、むしろその感情をモノとして表現し、自身から排出するために行った(私にとってものづくりとはそういう面が強い)。当初は「最期の家」という名称であった。それは自身の最後の設計であり、かつ、現代のおいて、もはや設計は自身のための自慰行為としてしか成立しない!という心持から、自身のピリオドとして(あるいはそうはならないようにという願いを込め)計画したものである。

しかし、この一年で自身の鬱憤は晴れ、「最期の家」である必要はなくなった。そのため、自身の「プロジェクト」として発信したいという気持ちが高まり、この3月に最終形とし完成させた。

実際に建設可能というのが最低条件であったから、最初はもっと小さい4畳であった。しかし、エスキースを進める中で、この規模では「空間」が成立しないことに気づき、その後、ル・コルビュジエのカップ・マルタンの休暇小屋に学び、結局8畳に納まった。

cg.jpg

空間は幾何学的に分割され、ルイス・カーンの建築がもっているような、普遍的なユートピアを志向した。建設地が決定してしないこともあり、住宅プランは周囲に対し閉じられ、逆に世界に開かれていなければならない。光はトップライトからとり(これは初期の伊東豊雄の作品に影響をうけたと思う)、また通風を考慮した。私にとって住宅内部で「風」は重要な要素であり、日本の美しい建築には風の道があるように感じる。

2.jpg

全体の空間構成としては、空間にリズムをつけるように大小、明暗のバランスがある。ワンルームの方が物理的な容量は多いが、空間の分節することで、8畳の空間を小旅行するような建築を目指した。これには(建築の意味論的な意味では別だが)篠原一男の「白の家」の影響を受けた。

jikigumi.jpg

具体的にこの作品は建設可能であるため、是非とも実現したいが、これはある種のプロトタイプであるため、この作品をもとに(全否定を含めて)建設したい。

建ててほしい方は一報を

現代の都市的建築について

2009年03月27日 00:07

本日は田園調布に用事があったので、ちょっと足を運び、高円寺を訪れた。
高円寺にいく目的はふたつあって、ひとつはBUILDING Kという建築家藤村龍至氏設計の複合施設、そしてもうひとつは座・高円寺という伊東豊雄氏設計の劇場であった。

BUIDING K

まず向かってのはBUILDING K。細い商店街の中間に位置する。ぱっと見の印象は悪くない。その理由は、商店街街路からセットバックしていること、そして、各ヴォリュームが不均等にセッティングされている点であろう。この点において藤村氏の設計は正鵠を得ている(私自身それにはちょっとおどろいた・・・もっとうまくいってないと思ってから・・・失礼)。もうひとつは面白いのは、藤村氏自身が述べているように、普通の、そこらへんにありそうな材料を使っている点がよい。この「よい」というのはあくまで建築家目線であって、一般人ではないという点に留意したい。つまり、一般的にみれば「なんだが工場みたいねぇ」的な感想で終わってしまいそうな気はするが、とはいえ、自分はそういった手法が嫌いではないので好印象であった。

もうひとつ興味深いのは、この建築がコアシステムを採用し、(少なくとも建前上は・・・?)設備的観点より設計が進められたという点。これは先日書いた「山梨文化会館」と似た構造をもつことになる。ただ、なんというか山梨が「すげぇ!!」って感じだったのに対し、BUILDING Kは「うまいねぇ(現代を表現しているという点で」)といった印象。なんというか、何かを超越しているって感じではないね(もちろん藤村氏自身それを望んではいないのだろうけど)。

でも、都市的建築という点においては、評価できる気がする。何か「これから」が少しだけ見えてくるような感じがして・・・

GAIKAN.jpg

NAIKANN.jpg

次は座・高円寺。これは近年の伊東氏の傾向だけれども、う~ん・・・どうなんでしょ。
外観はテントのような側物感は確かに出ているように思うけど、それ以上にこの施工大変だったろうな(笑)って感じの印象を受けてしまった。それは決してゼネコン目線になったわけではなくて(まだ就職してないからね笑)、即物性を生み出すために、多くの技術、物資が投入された感じで、なんとなく重厚な感じがした。まぁそれは伊東氏が「せんだい」以降意識している点でもあるんだろうから、失敗ではないんだろうけど。

でも、内観は「まつもと市民芸術館」と同じ感じで、なんというか良くなかった。以前「まつもと」に弟を連れて行ったら「気持ち悪い」って言っていたが(ちなみに僕自身は感動的だったんだけど)、それに似た印象を一般人は受けるんじゃないかな?劇団のテントってより、あやしいバーみたいな印象。

外観を都市的な建築としてみようとすると、なんかその土地をゲリラ的に占有した感じ。悪いわけではないけど、今後の模範とはならない気がするんだけど・・・その点、BUILDING Kの方がよかったかな(もちろんプログラムの差異とかはあるけど、この議論に関してはそういう問題意識ではないのはわかっていただきたい)。

KOKU-N.jpg

その後、ふと思い立ち新宿のコクーンタワーをながめにいった。なんか、新宿の街をレイプした感じですよね。単にヴォリュームの問題かもしれないけど、なんというかこっちの方にも魅せられてしまうのはコールハースの「Bigness!」という雄たけびが聞こえるからかしら。まぁなんにしても、この建築を賛美している(私・・・というより社会が)時点では、建築家は都市には介在できませんね。時代の切れ目を見定めるくらいしか、することはないかも。

こうやって「都市的な建築」を見比べると、おそらく人によって好む作品は違うんだろうね。でも、その好みが収斂されて、何か思想にならないと「都市」は語れないのだろうな。多様性が重要視される時代(?)だけど、でもこれだけ多様な(?)建築が都市に林立している姿に共感するのは、その関係者だけでしょ?やっぱりこれじゃ、今後まずいよね・・・

でも、逆にいうと、こういった都市に対し、何かしらのインパクトを与えれる建築を設計する権利を与えられたのは一部の有能な(?)建築家だけなのです。だから、まずその土俵にあがる努力をしなきゃいけないですね。

理想と現実と

2009年03月25日 12:01

今日は一級建築士の勉強に励む。励むといったって、集中できてないから、またしてもブログを書いているわけでが・・・まぁ働いたらそんな時間もないだろうし、それもいいだろう。

ただ、自分が暇つぶしにテレビを見るわけでもなく、漫画を見るわけでもないのは、自分が文章を書くのが好きだからであり、かつそれによって自分が生きているということを実感するからである。別にそんな不幸な人生を歩んでいるわけでもないし、とある人々(とくに深い意味はないけど)から見れば、一生つぶれない企業に就職できた自分は幸運というべきであろう。とはいえ、人の幸福とは他人との比較によって評価する(される)ものではないから、結局自分が「幸せ!!」と思えれば、それでいいのだとは思うけど・・・

企業に一級建築士の勉強を強要され、まぁそれはそれで幸福なことではあるんだけど、なんとなくアトリエ系の設計をやる人や、企業に束縛されずに生きている人に嫉妬したりしなくもない(ないものねだりだということはわかっているけど・・・)。元々ブログをはじめたのは、自身が生きていることを実感するためでもあるし、将来的に執筆をやりたいからである。どんなピンの職業もそうであるが、その職業名を主張したときには、もうすでにその職業を得ているのだと思う。たとえば、私が「私は執筆家だ!」と宣言した瞬間に、私はすでに執筆家となっているわけで・・・

だから、この文章を読んでいるあなたは、すでに執筆家である私と話しているわけである。だからなんだ、といわれればそれだけのことなんだけれど、でも職業ってそういうものなんだろうね・・・って思うわけです。

でも以上の話は社会的保障とか責任を捨象した場合であって、現実にはそうはいってられないから、みんな企業に就職するんだよね。自分も就職組だけど、社会のなかに埋もれてしまうのだけはやだから、こうしたぼやいているわけだけどね(笑)

理想を語りながらでなんですが、一級建築士学科のいい勉強法知ってたら教えてください。

あと、アトリエ系事務所のこと、あるいは会社に勤めて働きながら別に設計をやっている人がいたら何か情報ください。

山梨文化会館そびえる

2009年03月24日 21:24

yamanashi.jpg
先日、丹下健三設計の山梨文化会館を見学した。
日曜日だったためが内部見学はできなかったが、外観だけでも相当把握できたように思う。
山梨文化会館は1967年竣工で、丹下のメタボリズム建築の代表例のように挙げられる作品で、なにかと重要度は高い。
私は丹下(というか日本の近代建築)の活躍期(それっぽくいうと建築が社会に対してイデオロギーを正統的な意味で保持していた時代)は1955年(広島平和公園)~1964年(代々木体育館)までと思っているが、確かにその時代と比較すると、「なんかちょっとな~」という感もなくない・・・

その理由としては、メタボリズムの理論がやや専攻しているためではないかとも思う。建築は、あくまで言説を超えたものとしてあるべきで(というのが当時の建築理想論で)、広島や代々木よりやや見劣りするかな・・・

とはいえ、甲府駅の雑多な(失礼)風景の前にあれが聳え立っていたら、やっぱり「いいなぁ」と感じた。都市的な建築が不可能になっているこの時代に、ああいった建築は、もういちど見直す対象となるのだろうな、と思う。

初ブログ

2009年03月24日 00:28

どうも、はじめまして・・・といっても誰がこの文章を見ているかわからないし、誰もみていないのかもしれないけど・・・

来年の(というか一週間後)就職を前に、自身の意思(思想?)が社会のなかに埋没しないよう、自身の健康維持のためブログを書くことをはじめた。

書きたいことはそれなりにあるのだけれど、とりあえずブログがどんな(おそろしい)ものかということを知るためにも、とりあえず今日はここまで。


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