京都・梅田の旅

2013年08月16日 18:34

夏休みを有効利用し、京都・大阪(梅田)を旅した。

入社1年目以来、初めて一級建築士試験から逃れられた夏休み(1年生は学科が受からなかったため、夏休みはあった)。梅田スカイシティをみたいということと、京都で働く大学時代の同窓生を訪ねた(残念ながら同窓生には会えなかった)。

早朝5時起きにて、一路京都へ。9時前には着くが眠気が覚めず、京都駅にてフローズンカフェオレを購入。490円だったが、通常の生活ではこのような値段を払って購入しない。旅は、非日常であることが重要だ。

鴨長明の方丈レプリカをみるため、下鴨神社へ。しかし、ガイドブックを見ていると、色々と見てみたい建物が・・・。結局ブラブラ建物を見ながら下鴨神社を目指すことに。

まずは、『Time'sⅠ・Ⅱ』(設計:安藤忠雄)へ。ずっと前から知っていたが、さほど興味をそそるものでもなかった。実際に訪れると、なかなか素晴らしい。まず素材感。安藤特有の打ち放しコンクリートではなく、コンクリートブロック(?)仕上げが良い。素材感はざわざわしている方が、基本的に私は好きである。それから内部空間。水辺に対し迷路のように入り組んだ構成となっており、水辺との“出会い”を安藤が想定していることは間違いない。頭では「そうだろうな」と理屈的に理解してしまうが、実際に体験するとなかなか良い。

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続いて、近くにあった『先斗町のお茶屋』(設計:高松伸)へ。昨年高松建築巡りをしたが、その際この建築は見ていなかったため訪れる。幅2~3m程度の小道にあるため、ファサード全体が見えないが、どちらかというと全体が見えなくてよかったように思う。道幅が狭く、軒も低いため、人と人との行き交いがとても劇的に思えた。京都らしい道。

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それから『京都ホテル』(設計:清水建設)、『京都市役所本館』(設計:武田五一、中野進一)、『旧京都中央電話局上分局』(設計:吉田鉄郎)を見ながら北上。鴨川沿いは、水か、或いは柳のせいか、結構涼やかだった。

地下鉄に乗ったり歩いたりで、賀茂御祖神社(下鴨神社)へ。参道で古本市が開催されており、それを横目に歩く。途中休憩所で梅ジュースを飲み一息入れてから、参拝へ。社寺で行く日はだいたい天気が良いが、この日も晴天。おのおの願いを込め参拝する。建物としては、やはり楽堂(これもそのようにいうのかな?)が好きである。一段上がった何もない空間、誰もそこには入れない境界があり、かつ、人の手によって作られている。

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方丈レプリカは下鴨神社ではなく、南に行った河合神社にあるらしく、来るとき歩いた参道とは別の道にて返す。河合神社内の方丈は、とても興味深いもので、説明文によると、方丈の小屋が切石の上に土台が乗っかっているだけなのは、下鴨神社の式年遷宮に鴨長明が着想を得たのだとか。それは、瞬時に「風の小屋」を想起させた。ただ、風の小屋はビスをはじめ金物で作られているため、実際に動かすのは難しい。社寺境内と、茶髪ミニスカートの若い女性組。このミスマッチ(?)もなかなか乙。

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それから円通寺へ向かうため、バスと地下鉄を乗り継ぐ。北山から円通寺方面のバスが出ているが、少々時間があったため、近くに建つ『Ining’23』(設計:高松伸)を見る。京都には高松伸がたくさんあるが、この建築はファサード建築に近い。ただ、良く見るとエントランス部分がセットバックされており、通りに面しているのに陰惨な前庭のような空間があり、面白かった。近くにあったはずの『SYNTAX』(設計:高松伸)は、既に得た情報通り、消えていた。

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バスに乗り円通寺方面へ。バス停で降りるが、そこからしばし歩く。辺境にある意味については後ほど理解することになるが、とにかく炎天下のなか歩いた。お寺に着き、案内にそって中に入る。まず中庭が素晴らしかった。坪庭と言った方がよい大きさで、庭を斜めに横断する踏み石や、軒が抑えられた縁側など、とにかく美しい。中庭を鑑賞しながら借景庭園へ。これが感動的であった。風景が層(レイヤー)になっており、浮世絵というかアニメ的。これは西洋的ではない(人為的な)日本の風景ではないだろうか。とにかくこの作法に驚いた。興味深いのは、この自然の風景を「風景」として規定するために、垂直、水平の直線がその役割を担っているということ。これは「建築」だ。しばし眺め、寺を後にする。

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バスを乗り継ぎ北山へ引き返す。矢継ぎ早に『京都コンサートホール』(設計:磯崎新)、『B-Lock北山』(設計:安藤忠雄)をみる。共に外観のみだが、京都コンサートホールは磯崎らしいというか、しめしめと思いながら設計しているのが目に浮かぶようであった(いい意味で)。B-Lock北山は、安藤特有のカーブについて、その効力をみたかった。想像していた以上の効力はありそうだったが、どうもデザインが複雑(?)で、歯がゆい印象であった。

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それから龍安寺石庭へ行こうと考えており、『京都府立陶板名画の庭』(設計:安藤忠雄)受付の女性に聞くと、京都人らしく(?)快活に答えてくれた。バス出発まで時間があったため、京都府立陶板名画の庭を鑑賞。都市に対し開けているのは好感を持てたが、内部構成はあまり感心しなかった。図面や模型では良いのかもしれないが、(生意気ながら)安藤建築が陥りそうな罠にはまったような感覚である。

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バスを乗り継ぎ龍安寺へ。この庭は以前にも見ていたが、再度見たかった。私のなかで、かなり重要な「建築」なのである。内部は人でごった返していたが、縁側に座ると、庭は私の眼の前に広がった。この庭の魅力(魔力?)のひとつは、まず広さである。縁側からだと、全体を捉える事ができず、ひとつひとつの対象に意識が移ろい、絵画のように庭を納めることができない。ひとつひとつの石が磁場を形成し、意識が移ろうことで、文字通り枯山水の庭ができている。「何かがある」ことによって「何もない」空間を生み出す手法。やはり素晴らしい。やたら外人さんがいるなかで、これだけ観客がいると、まるで何かのショーみたいに思える。庭は一向に動かないのに、不思議な光景である。

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それから近くに建っている『衣笠山の家』(設計:増田友也)をこっそり鑑賞し、バスに乗り京都駅へ。ちょっとしたきっかけがあり高松伸設計事務所を見に行く。外観はやはり高松伸らしいが、何となくおとなしめ。歪な平面形状だが、増築したのだろうか。色々想いながら外観を見、ホテルのある四条へ。

ホテルにチェックインすると、軽装で河合町へ。歓楽街をぶらぶらする。店には入らないが、このような界隈を見るのは嫌いではない。手頃な飲食店を見つけ、名物にしんそばを頂く。ちょっとスカッとしたかったため、生ビール中ジョッキを注文。ひとりで酒を飲むのは、ほぼ初めて。やはりあまり美味しくない。いや、美味しいのだが、酒は誰かと飲むから美味しい(私はね)。店を後にすると、一杯でほろ酔い気分。鴨川沿いには風流ある座敷で宴会が行われていたりと、夏の京都であった。ホテルに戻ると、コーヒー牛乳で酔いを覚まし、読書の時間。『パン屋の手紙』(著:中村好文)を読み始める。すぐにこれは良い本だと気付くが、この日は途中まで読んで就寝。

当初の予定が変更となり、京都観光が一日で済んだため、2日目は朝から大阪へ。となると、貧乏性の私は朝から動きたいわけで、結局6時過ぎにはチェックアウト(本当はもっと早い時間を想定していたのだが・・起きられなかった)。特急にて大阪へ。京都と大阪は近い。駅を降りると、駅前の富国生命ビル等を見ながら、『梅田スカイシティ』(設計:原広司)へ。元々関西へ行きたいと思った要因。直線距離では行けないらしく、蛇行しながら歩く。

遠くから見えるスカイタワーは、やはり良いものであった。大学2年の一人旅で遠くから見て、就職3年生のコンペ出張にてやはり電車から眺めて以来だが、しっかり構築物である点が、やはり良い。空を映し出している点も、結構うまくいっていると思われる。どんどん近付くと、いよいよ超高層のそれを呈してきた。巨大建築だ。「中自然」側から挿入。これまた人為的な自然で、どうしたって京都との連想になるわけだが、蝉の声がせわしくなく、生物が息づいているように思えた。中自然を囲むホテルやアネックス棟等は、ものとしての感動はなかったが、設計同業者から見ると、その格闘ぶりが良くわかった。

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いよいよスカイタワーの足元へ。反射ガラスに移る「虚構のファサード」は、あまり美し過ぎない点が良い。フォリーを眺めながら中庭へ。またエントランスに入ってもみる。内装は、あまり感動的ではなかった。労力がかなり注がれているが、やはり原広司はその巨大スケールにおいて感心する(というか、内部についてもそのスケール感で作られているため、吉村順三的な心地よさがない)。屋上庭園は10時開場のため、「花野」を通り、施設内設置のカフェへ。昨日読み始めた中村好文氏の本を読む。感想は後ほど記すが、良い本である。ただし、中村氏の建築思想と、目の前に聳え立つ巨大建築物はかなり異質で、その差異は面白かった。中村氏が言うように「建築は機能的であることの表れ」であることは否定することではないが、スカイタワー内部の動きのある(ような)石張模様や、明らかに直接的な「旗」表現等、作為的に、無意味に作られた表層も決して否定されるものではないと私は思う。人間は、機能を体現化した美のみでは、決して語り得ないからである。

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10時になってから、屋上庭園を見にエレベーターへ乗る。これが爽快と言うか、なかなか恐い。真っ暗な筒から、宙へ投げ出される感じ。この建築における最もエキサイティングな体験。そして空中エレベーター(これは鉄骨ピッチが細かいせいか恐くなかった。ピッチが倍だったら、かなり恐怖感があったろうが・・・)にて、屋上庭園へ。庭園自体は回遊するのみで、別段感動的なものではなかったが、そこに至るまでの経路は確かに宇宙船へ移動するような風景であった。どことなく仮設的なエレメント(エレベーター、エスカレーター等)が、尚更その感を高めている。

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エレベーターにて地上に降り立ち、スカイシティを眺めながら、大阪駅へ。切符を購入し昼過ぎの新幹線にて東京へ。最大3日程度想定していた旅は、1日半で終了。友人に会えなかったこともあるが、私なりに建築的目標を再発見した。その些細な具現化のために、早めに帰ってきた。

それから、連休明けの仕事を考えると、やはり休日出勤した方が得策かと思えた。可哀そうなサラリーマンではあるが、今回の旅と、それに纏わる学ぶのなかで、仕事の重要性というか、愉しみのようなものを知ることができたように思う。とりあえず、まずはこの日記を書き切ることで、夏休みの宿題をひとつ終わらせる。

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ダッカ・コルカタ・東ブータンの旅

2013年05月12日 10:56

ページをひとつ戻すと、130103のメモがある。バンコクを発った飛行機内でのメモである。ブータン帰国してからのメモ。
あれから4カ月。私はまたブータンへ行こうとしている。今度は東ブータン。ダッカ・インド経由である。前回のような高揚感は正直ない。昨今のもろもろの出来事(具体的には、例えばH邸の訪問)により、私の心は、もっと自分の足元に近い位置にある。数ヶ月前のブータンでの興奮が夢のように・・・。
今回ブータンを訪れるのは、ブータンという国そのものよりも、“人”によってである。ここ数カ月で出会った、素敵な人たちが語ったブータンについて、私自身の目で見たいと思ったからだ。建築、都市、文化、歴史といった大義名分のない旅は初めてであり、かつ、これほど短期間で2回同じ国へ行くのも初めてである。
このようにわざわざ自分の感情を書き記すのは、私の感情が変化するからである。すぐ変化する。そして忘れる。忘れることは仕方ないとしても、その軌跡は残したい。
羽田空港国際ターミナルは初めて利用した。最近できた空港だが、空間の感動は成田の方が大きい。コンパクトな空港だ。江戸を模したストリートは繁盛していたが、あまり好かない。キッチュさに欠けるが、端正でもない。空港は私にとって無国籍であってほしい。無色で、捉えどころのないような。
しかし今、私はある種の解放感に満ちている。仕事から数カ月ぶりに逃れられたからである。日本にいると、どうしても頭に残るし、作業を考えると休日出社してしまう。幸か不幸か、仕事から逃れられない状況が続いていたのだ。
(130426 22:20 Haneda Airport in Japan)

東ブータンは、いってみれば“よりブータン”ということらしい。ブータンの伝統文化が残るということ。田舎ともいえる。農業というものが、今の私にはまだ関心の範疇にある。何を私は感じるのか。それは静かな期待である。
ダッカは、オールド・ダッカの喧騒と、カーンの建築が目的となる。ダッカは一度訪れてみたかった。カーンの建築は“名建築”という関心ではない。むしろ、素材を積み重ねて作った、その痕跡を探るためである。最近“建築の名声”には関心がなくなりつつある。もはや、ないのかもしれない。・・・ということは、やはり今まではあったのか。
羽田空港は、深夜に繁盛する。23時15分現在、喫茶店には列ができる。皆が旅をする目的とは何であろうか・・・。
私の旅は、これで終わるのだろうか。いや、むしろ、既に完結しているのだろうか・・・。
(130426 23:10 Haneda Airport Tokyo Sky Kitchen in Japan)

羽田空港にて、そろそろ搭乗ゲートに向かおうかと思っていると「ブータンに行くんですか?」という女性の声。振り向くと、熟年夫婦4人組のテーブルには、目がぱっちりとした女性が座り、こちらを向いていた。「はい、そうです。」と答えると、その女性もブータンに行ったことがあり、とても良い印象だったため、話しかけてきたのだとか。
彼女はアメリカに行くとのことだが、わずか数分の間に、ずいぶん打ち解けて色々な話をした。ここ最近ずっと考えていたことだが、「ブータン」というキーワードは、どうも人をつなげる。ブータンつながりで落胆したり、破たんしたりすることはない。この女性は快活で聡明な印象で、例えば同じ高校生であったら、大して話をしていなかったのだと思うのだが、ブータン、いや、旅というものは不思議なものだ。
今回の旅の意味など考えていたが、こんな出会いでそんなものを一瞬で飛んでしまった。私のfacebookを教え、メールすると伝え、互いに3階の搭乗フロアに降り、「旅行楽しんでください」と別方向に別れた。
飛行機は日本時間でいえば0~7時。しかも金曜の夜。さすがに寝た。映画もほぼ見ず、トイレも行かず、ただ寝た。
早朝のバンコク空港は、やや蒸し暑かった。4カ月前に来たので、中はだいたいわかる。既に自分のテリトリーのような、不思議な感覚だ。人がまばらな空港一角のスタバに座る。4時間程度時間がある。まったくのからっぽな時間。今回の旅でも、色々な出会いがあると良い。
(130427 5:57 Suvarnabhumi International Airport in Bangkok Thai)

スタバを選んだのは、ただ寝たかったからだ。タイらしい美味しいものとか、冒険心よりも、明らかな眠気のため、通常使用する別段発見のない店を選んだ。アイスカフェを選んだが、日本と全く同じ味で驚いた。内装も同じだが、椅子が思いのほか軽く、利用人数によって、簡単に配置換えできることに面白みを覚えた。日本の「設え」という文化であり、かつ戦後住宅にて建築家が意図したもののひとつだ。
私はその合理性をH邸で確かめたかった。つまり、その“ユニバーサルスペース”は寒いのではないかと。実際にそうだった。忘れてはいけない。ユニバーサルスペースは均質な温湿度管理によって実現される。
ダッカ行きの搭乗ゲートにくると、ほとんどがベンガル系の人々。日本人もほとんど見られず、欧米人はなおさらいない。ブータンの時は日本人ばかりだったが、結構な違いである。
ヘルムット・ヤーン設計のバンコク国際空港は、複雑な曲線の組み合わせだが、しっかり雨漏りしていた。バケツで水を受ける写真が、今回最初のカットとなった。
椅子に座り、曲面ガラスを見ていると、雨が各所にドボドボと流れる。複雑な形状をしているので、当たり前といえば当たり前だ。H邸ご婦人は、屋根から雨が落ちるのが綺麗だと言った。それは切妻屋根の一定とした形状だからだ。屋根がもつ意味について、またひとつ考えさせられた。

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(130427 9:38 Suvarnabhumi International Airport Gate 10 in Bangkok Thai)

ダッカに降り立ってからは、旅行ガイドブックにならい出国手続き。どうもこちらの英語はわかりづらい。なんとか答え外へ。何人ものバングラディッシュ人が、A4程度の紙を見せつけてくる。私の名前を何とか探し、何とか発見。私より小柄で、ひげを生やし、日本語を話すMishuさん。Mishuさんに連れられ、3000円分タカに両替し、外へ。
唖然とした。そして、やはりガイドを雇っておいてよかったと思った。柵の向こうに誰を、何を待っているのかわからないが、人の群れ。群れ。本当に、野生的な何か。柵越しに人々がこちらを見るため、尚更そう見える。
Mishuさんと私を乗せた車は、一路オールド・ダッカへ。Mishuさんのバングラディッシュに関する説明を聞きながら、また、こちらから質問しながら、車は進む。途中、車窓越しに、女性が何かを話しかけてくる。何かは良くわからないが、とりあえず無反応を決め込む。
ダッカは、人と車で溢れていた。車の間を、人が縫っていく。インドで見た風景に似ている。しばらくすると、ポツ、ポツと音がし、すると急に大雨。大粒の打つような。外を見ると、人々は雨宿り。特に気にせず歩く人や、リキシャをこぐ人々。
土曜日であるが、この人達は余暇を楽しんでいるのかとMishuさんに聞くと、特に娯楽というものがバングラディッシュにはないらしく、基本的に働くことが好きで、それ以外の時間は家族と過ごすのだとか。
だいたいの人々は買い物等のため歩いているとのことで、仕事なのだとか。本当かなぁ・・・。
車のほとんどはトヨタで電化製品も日本製が好まれているとのこと。バスは常にぎゅうぎゅう詰めで、上部に乗ることは許されているのだとか。
この大雨では外に出られないため、観光できないかと思っていると、オールド・ダッカに着く頃、急に雨がやみ、光が射した。何かに祝福されているかのようだ。
まず着いたのはショドル・ガット。ブリゴンガ川をはさみ、対岸をつなぐ港だ。対岸には小さな工場があり、その商品を運んでくる船と、単に交通のための小船。数時間かけ長距離を進む船も。船のなかに入ると、スイカを積んでいた。やたら見られる。ガン見である。隣の船を見ると、小さな子供が食事をしている。何かを聞けば、彼らは働き、田舎の両親に仕送りをしているのだとか。小学校低学年だと思うが、学校には行けず、生きるために仕事をしているのだという。
ダッカは現在、就職難らしい。教育にも、色々な課題がある。私の最近の発想は、そういった“金”という概念が希薄だ。建築は経済であってはいけないと思うが、経済について、生きる上で欲している人がいることを忘れてはいけない。
船に乗って写真を撮ってもらおうとすると、子供たちが近寄ってきた。撮ってあげようかと聞くと、しっかりピースをし、画像を見せると興奮していた。どうもバングラの子供はそうらしい。そして、日本人のことが好きらしく、「Japan!」といって握手を求めてくる。写真をとってあげると、一気に人が集まりなぜか集合写真をとることに。皇族か、芸能人にでもなったみたい。
それからアーシャン・モンジールへ。かつてのダッカ領主、チワブ家の住居。内部は博物館となっており、Mishuさんが、とても良いテンポで説明してくれる。娯楽の場がないダッカの若者によっては、ここはデートスポットのひとつ。何をするわけでもなく、話をしたり、歩いたりしている。
それから渋滞の雑踏を抜け、オールド・ダッカ中央部へ。ダッカ料理を頂く。まず、水道で手を洗い、チキン料理を注文。タイ米の上にカレーとチキン。カレーというか、果物を炒めた甘いたれのようなものだが、これはおいしい。現地の人にならい、手を使って完食。16時の食事だが、通常昼ごはんは14時頃で、夕食は22時だとか。14時にこの量食べたら、夕食食えん。
それから、食堂向かい側にあるスター・モスジッドへ。Mishuさん曰く、なぜかはわからないが、星をモチーフとしたモスク。まずトイレを借りたが・・・ちょっと絶句。大をしろといわれたら・・・どうやって・・・?
それから靴を脱ぎ、モスク内へ。とても小さいが、タイル装飾がなされていて、熱帯地域らしく、開放的で涼しい空間。御祈りする人と寝ている人。特に厳格な規制はないらしい。御祈りは1日6回。時刻はデジタル表示で、しっかりと刻まれる。
それからラールハゲル・ケッラへ。インドの廟に似ている。ここもデートスポット。中を見学しながら、イスラム文化についてお話をする。
イスラム女性が、目以外を隠すのは、御主人以外に顔や身体を露出させず、性的な衝動を起こさせないためだとか。う~ん・・・美しい眼だけなら、逆にエロティズムを喚起しそうだが・・・。
車に乗り込む前にアイスクリームを食べる。ビニールに入っているタイプだが、中は若干無惨。日本は、ある意味特殊かもしれないが、それをスタンダードとしてはいけないのかなぁ・・・。
車に乗りホテル方向へ。まだ時間があるというので、ダッカ最大のショッピングモールへ。中が吹き抜けで、天井が巨大ステンドグラスのトップライトとなっており、壮大な内部。やたら洋服屋が目立つ。サリーのマネキンの前で、なぜかクリップを持たされ写真撮影。
ショッピングモール外で車を待っている間、結婚の話になった。Mishuさん曰く、結婚したら絶対離婚はしてはいけないのだとか。なぜなら、人は先達を見て自分の行いを決定するから。そして、何より両親を大切にすること。
車に揺られホテルへ。ホテル内部は流線型にデザインされているが、施工が雑。表面だけ何とか仕上げたという感じ。日本ではNGと思う。
6階ラウンジへ行き、wifiをセット。Facebookに羽田空港で出会った女性から友達リクエストが来ていたので、承認。それから、御返事をする。
部屋に戻り、風呂にお湯を入れ、コーラを飲んで、日記を書く。書ききれず、お湯であったはずのぬるま湯につかり、また、サッカー中継を見ながら日記。約一時間かけ一日をまとめた。あと9日。大丈夫かな・・・。
とりあえず現状においても、一日だけでもダッカに来たのは正解だった。

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(130427 19:35 HOTEL BEST WESTERN LA VINCI in Bangradesh)

昨日は21時半に寝て、今朝は6時に起きた。全身シャワーを浴びて外へホテル近くでマーケットが開かれる。毎日のことらしいが、行ってみると、そのエネルギーに驚かされる。イスラム強国だからか、ほとんどが男性。やたら見られ、声をかけられ、写真を撮るとついてくる。でも、そのエネルギーはやはりすごい。バングラに惹かれる理由も良くわかる。ただ、においはややキツイものがあり、野菜くずなど地面もぬかるんでいた。ホテルに戻り食事をして、日記を記した。

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(130428 19:35 HOTEL BEST WESTERN LA VINCI in Bangradesh)

9時になり、チェックアウトを済ませ、外へ。国会議事堂見学が10時からとのことで、ホテル向かいのcafé(?)にて休憩。ミルクティとケーキ。市民がよく食すらしい。小さい子供が店員だったが、大人が周りでぼーっとしていた。ミルクティもケーキもともに美味しく(というか日本のそれに似ている)ゆっくり休めた。ダッカは、やたら纏わりつかれたり、物乞いが多いだけで、基本的にはゆったりできる。アメリカやヨーロッパでそのような状況になったら、命の危険を感じるだろう。
それから車を20分走らせ、国会議事堂へ。やがて車窓から見えてきた議事堂は、思ったより小さく、ヒューマンな印象だった。もっとドデカく、力強いかと思っていた。
検問を通り中へ。事前に予約していたため内覧が可能。議事堂へ至る回廊はアーチの連続で、まさにカーンの建築だった。アーチが生き生きとしている。煉瓦がそうなりたいと言ったからだろうか。川越しに見る議事堂は、より機械的な何か、いやシステムというか、構成的。幾何学の表皮を持つ近代建築。

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(130428 16:00 in Airplane Dhaka - Kolkata)

ブリッジを渡り中へ入ると、重厚なコンクリートの荘厳な空間。洞窟のような、遺跡のような。まず1階の図書館に通された。この建築に唯一ある柱と16本の梁。イスラムに関する書物がたくさん保管されている。
それからライトコート。幾何学の開口と室外機。また中に戻り、回廊を歩く。円や円弧に穿かれた孔と光。なぜ円なのかとMishuさんに聞くと、議事堂のガイドに聞き「特に意味はない。Louis I Kahnさんのデザイン」と答えた。
また、この建物は使い易いかとMishuさんを通して聞くと、働いて間もない頃は、自分がどこにいるのかわからないのだとか。どこも同じ印象だから。冬は寒いか聞くと、寒いが空調が効くから大丈夫なのだとか。
それから建物内にあるモスクへ。ハート形の光。手前にはしっかり手足を洗う場所が用意されていた。巨大な回廊について「これは廊下か」と聞くと、「ベランダ」といった。光と風が内部へ誘われる。中にいても外にいるような感覚。それから議会へ。上部はコンクリートとは思えないシェルで覆われていた。今日は曇っているが、晴れていると光がきれいなのだとか。
内部の見学を終え、対岸へ。公園越しに全体を眺めた後、正面へ。スケッチをする。スケッチしていると、色々な人が覗いてくる。もうこの状況に慣れてしまったので、気にせずスケッチ。
この建築は不思議なのだが、中に入ってから外を見ると、とても大きく感じる。中に入らないと、その良さがわからない。また、やはり人の手によって積み上げられた建築は、ただそれだけで美しい。発展途上国の建築は日本程の丁寧さがなく雑だが、素材そのものが露出していて良い。昨今の日本の建築は、若干疲れてしまう。
それから北部にあるアユブ病院へ。これもルイス・カーンの設計。複数の円弧による重厚なレイヤーを持つ建築。病院というにはあまりにも人が多い。全て病院に来ている人かと聞くと、そうなのだとか。ここは国立病院で、貧しい人も来るのだとか。裕福な人はprivateな病院へ行き、もっと裕福な人は海外へ行くらしい。
中庭を囲み回廊が続く。ここもベランダなのだとか。ベランダは病室がいっぱいのときに話をする等に使用され、また貧しい人はここで寝るらしい。病室までは外気が入る。衛生環境が良いとはあまり見えなかった。ここでも、色々な人に「Japan!」を声かけられ、写真をとってあげた。
それから車を走らせショッピングモールへ。屋台村といった感じで、色彩豊かで楽しい。ここでコーランを読むための木の台を購入。中には魚売り場、マトン、鶏等々。結構、生々しい状況である。生死が、私が住んでいる状況よりもはっきりしている気がする。
その後近くのレストランへ。昨日と同様にカレー風味のご飯。今度はマトン。今回はスプーンで頂くが美味。カーンは建設中ダッカにいてもバングラディッシュ料理は口にしなかったらしい。確かに、毎日はキツイが・・・。
食後は空港へ。疲れと、安心感で眠りに落ちる。渋滞の中、気付くと空港。
Mishuさんとお別れ。昨日言ったこと忘れないようにと、紳士でお別れ。とても好感を持てるガイドさん。Facebookに連絡するよう話し、私は空港へ。
まずチケットの発券なのだが、ひとり男性がギターを荷物に預けたがらず、ごね、手続きが全く進まない。ギターを出し「This is my life」なのだとか。あまり時間がないので困る。他の列に並び直しチケット発券。搭乗手続きに行くが、持ち物検査にやたらひっかかる。鞄の中身を全て出し、厳しくひとつひとつチェック。向こうは4~5人がかり。結局、電池とメジャーと鍵(ロープ付き)が没収。そしてコーラン用の木台も。「あなたのreligionは何?」と聞かれ、「No religion.Maybe・・・buddha」と答えると「Oh no・・・」と笑いながら答えられる。「これはコーランを読むためのものだぞ!」と「知っているよ」と答えるが、結局没収。発展途上国故か、宗教的な考え方か。何となくしこりが残った。Modern Countryとはやはり違う。
飛行機は飛び立ち、上空からは国会議事堂が。遺跡と思われ、戦中も標的にならなかったとか。
とりあえず無事インドコルカタへ。車の出迎えでホテルへ。途中街並みを見るが、ダッカのようなエネルギーがない。今思うと、ダッカはエネルギーが平等に満ちていて、発展途上国でありがちの貧富の差がなく(感じられず)、街が部分的に死んでいなかった。全体的に貧しいと言い換えることができるかもしれないが・・・。
ホテルはゴージャスだが、窓の外を見ると、作りかけの都市。二重サッシもモルタルのかけらのようなゴミがやたら目立つ。食事は19:30~、明日は4:30集合。日記を書き、食事をし、シャワーを浴び、早く寝よう。

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(130428 17:45 HOTEL PRIDE in Kolkata India)

朝4時に起き、1階フロントへ。両替をしてもらおうと思ったが「Not enough money」とのこと。「How about Airport?」と聞くと、大丈夫とのことなので、両替は空港とする。待っていた車を走らせコルカタ空港へ。結構モダンな空港である。
まずチケットの発券。そしてMoney Exchangeへ。しかし人がいない。近くの人に聞くと、5時になったらくるとのこと。現在4:55。朝食も食べていなかったので、近くの喫茶店へ。ドルしかもっていないので、ドルでもいいか?と聞くと、問題ないと言ったが、いざ揚げパン(のようなもの)を購入し、ドルで払おうとすると、10ドル紙幣を見て不思議がる。受け取りづらそうだったので、Money Exchangeしたら払うと伝え、両替しようとするが、時間になっても人が来ない。Boarding Timeが5:30だったので、そんなに待てず、結局5:07まで待ち、搭乗口へ。インドでタダ食い・・・国際的な犯罪ではないかと思いながら歩くと、さっきの店員につかまる。「Money Exchangeに誰もいない」と伝えると、3ドルでよいとのこと。では、と3ドル払い搭乗口へ。搭乗ゲートが変更となったりしたが、とりあえず飛行機に乗れた。
飛行機に乗る前、階段を登る列に並んでいると、バックパックとショルダーバックだけ持ち、自分の足で立っている自分がとても自由に思えた。全くの空白。今それを味わっているのだと。
機内で自分の席を探すと、皆がこっちを見ている気がする。私はすっかり気にしなくなったが、時々鏡で自分の顔を見ると、あまりに白くさっぱりした顔に驚く。バングラ、インドと来て、随分環境になれたものだ。
飛行機はとりあえずガウハティに着いた。インド国内線。ガウハティはブータンへ行くための国境の街だが、まさにその通り。何もない。空港前の小さなロータリーは「TAXI?」と詰め寄るインド人でごった返し、「違う違う」と、私の名前が書かれたプラカードを探す。これで見つからなかったらどうすんねん・・・。
やっと目つけ、車へ。インド語(ヒンドゥー語?)しか話せないため、良くわからないが、とにかく「サムドゥプ・ジョンカルに行きたい」と伝え、車は走る。その最中、インド人ドライバーから携帯を渡され、英語で担当者と話す。私もそれほど英語がわかるわけではないのだが、とにかく「サムドゥプ・ジョンカルへ行ける」ということは確かめ、車を走らせる。
それからどれくらい走ったのか良くわからない。時々眠っていたこともあるが、国境の街は、まざまざとその空白感を露呈していた。やたらVodafoneの文字が目に付き、サリーを着たインド人が往来。川で身体を洗ったり、国道でも作るのか配筋工事をしたり、まぁどんなところでも都市は生まれるのだと実感した。
国境近くに来たのか急に車が止まり、またしても携帯を渡される。よくわからないが、しばらくここで待機し、その後警察が連れていくとか・・・。とりあえず、今自分が何をしたらよいかを聞きだし、とりあえず待つ。この時間は奇妙だった。何のための色々な人々が行き来し、私は疲労で左目が重く、とりあえずカロリーメイトと目薬をさす。このままほったらかしにされたら、どうすんべ・・・。
30分くらいしただろうか。気付くと前にライフル銃を持った警察の乗った車(というかトラック)に先導され、また車は走り出す。妙な恐怖感はあったが、とにかく走る。国境近くなのか、小さなオフィスがあり、パスポートをもってドライバーは行った。
戻ってきたらまた走り、しばらくして門を超える。気付くと、ゴを着た男性。門もブータン建築。雰囲気も、ゆとりが出る。緊張感が一瞬にして消える。ブータンに入ったのだ。小さなオフィスに通され検査を受ける。するとPORCOさんですか?と日本語を話す男性。この人が今回のガイドのサンゲイさん。サンゲイさんに導かれ、諸々の手続き。そしてドライバーと車へ向かうが・・・どこかで見たことがある。「そうだ。(前にブータンに来た時)ティンプーでゴを着せてもらった人だ」と気付き、その旨話すと「そうそう」と向こうも覚えていてくれた。懐かしさと安堵感。その人はダンリンさん。今回のドライバー。
3人で近くのレストランで昼食を済ませ、6時間のドライブへ。トラベルミンを飲んで、準備完了。色々話をしながら車は進むが、私は完全に眠りにおちていった。普段薬を服用しないからか、効きを良すぎた。しかし、時々見た風景はまさに雲の上にいるようで、あの世の風景のように思えた。確かに、西ブータンとはちょっと違うように思う。しばらくしてワンムロン村に着く。小規模だが、とても感じが良い。ダンリンさんの故郷なのだとか。喫茶店でミルクティとクッキー、インスタントラーメン(!?)を頂く。おいしく、ほっとする。隣の室では小さい女の子が食い入るようにドラえもんを観ている。TVがブータンに与えた影響についてのドキュメンタリーを観たことがあるが、どうだろうか。確かにTVを観る顔は、日本のそれとは変わらない。
休んでから、また車へ。今日は永遠と移動。コルカタからタシガンまで行くのだから。途中写真をとるために車を止めてもらったりしながら、タシガンホテルへ。ホテルというかコテージ。キャンプファイヤーみたい。
夕食を頂き、部屋へ。2つあるベッドのひとつは寝る用、ひとつは荷物用とし、今日の日記をまとめている。犬の吠える声と、虫の音がする。
話が遡るが、ダッカの国会議事堂を見た時、カーンがなぜ三角や丸といった図形を建築に組み込んだのかわかった気がした。カーンは建築に図形を与えたのである。煉瓦は、おのずと何かになろうとするが、その道筋というかヒントを与えないといけない。それが、より大きく、純粋で、示唆に富んだもの。
カーンは与えたのだ。

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(130429 21:30 HOTEL DRUK DETJUNG RESORT in Trashigang Bhutan)

バングラ、インド、ブータンとくると、国と国を結んでいる感じで、世界一周する快感が分かる気がする。特に、バングラからインドは、まさに線としての国だった。世界を一周してみたいという願望はなくはないが、今率直な感想は、日本で働き、住みたいということ。H邸御夫婦に直前にお会いしたことやプライベートな出来事が起因しているが、以前のブータンと異なり、今回は日本を想っている。しかし、ブータンを再訪することにどれほど意味があるのか、出発前に思ったりもしたが、今は率直に来て良かったと思っている。
(130429 22:39 HOTEL DRUK DETJUNG RESORT in Trashigang Bhutan)

6時に起き、シャワーを浴びる。温水が出るという話だったが・・・やはり出ない。ここら辺はブータン慣れしてしまっている。この時期なので冷水でもとりあえず何とかなる。水を浴び、シャンプー、身体をふく。
それから外へ。ホテル(というかコテージだが)のテラスへ行くと女性が寛いでいた。イスラエルから来たのだとか。このコテージは外部空間の使い方が上手だな。
今日はそこそこ晴れていて、気温もちょうど良い。半袖で心地よい程度。日焼けや虫などもろもろの問題があるため、長袖を着る。
ホテルで出て坂を下る。本当に自然が美しい。美しいというか、大きい。とても大きい。
近くに病院があり、そこからスケッチ。最近のスケッチは最後まであきらめないことをテーマとしている。ホテルに戻り、朝食。パンとオムレツ、コーヒーにジュース。ほっとする。屋外空間がとても気持ちよく、屋内がややじめっとしているため、外で日記を書く。

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(130430 8:00 HOTEL DRUK DETJUNG RESORT in Trashigang Bhutan)

心地よいテラスでスケッチを描く。仕事で何でもなく、ただ描きたいから描く。とても素敵な時間である。
本日は平日。弊社における私以外の社員はおおむね出社しているはず。正直、仕事に戻る気がしない。何度か夢の中でも仕事をしていた。ブータンで働きたいと、この年末年始ブータンを訪れて思った。しかし、今は薄れている。日本の社寺について考えたい。そして、そのための状況が私の会社にはある。やや弱腰に思えるところが気に食わないといえばそうだが、最近は人との出会いのなかで考えればよいと思っている。ブータンで働きたいと思えばブータンの人と話せば良い。社寺をやりたいと思えば、社寺の人と話せば良い。ひとりで考えることはこれまでしっかりやってきた。良い意味で、花を咲かせていると思う。そう願う。

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(130430 8:40 HOTEL DRUK DETJUNG RESORT in Trashigang Bhutan)

車にて、今日はモンガルへ。東ブータンの旅は、とにかく移動に時間がかかる。車に揺られ、途中でフルホースホンビルというめずらしい鳥に遭遇したり、休憩しながら、昼頃モンガルへ。
ホテルは東一の設備というだけあって、広いロビーと中庭。Wifiが使えるため、空港で出会った方からのメールを確認。返信。その他いくつかメールを処理。お昼はいつも通りというか、とりあえず美味しく頂く。お腹がすぐ減るが、少し食べると腹が膨れるという状態。食事してからはベッドで休憩。本当に疲れている。
その後車で近くのモンガルゾンへ。ゾンの形はだいたい同じなので、見なれている。逆に、簡単な比較ができるくらいである。中でとても貴重な仏像を見せて頂く。これを見られるということはとても幸運なことなのだとか。サンゲイさん、ダンリンさんと共に礼拝を済ませる。
予定でもモンガルはゾンだけだったのだが、確かにそれ以外は見るところがないらしく、とりあえずぶらぶらする。地元の人のための雑貨屋に入ってみると、土地の空気が伝わってくる。店にいるおばあちゃんに何か話しかけられたので、僕が話せるのは「カディンチェラとクズサンポー」だけだといい、笑い合った。「写真を撮っていいか?」と聞くと「こんなところ?」という感じで、応じてくれた。それから近くの野菜市場の見学をし、とある男性がやってきた。
サンゲイさんの友達らしく、水力発電所で働いている。水力発電はブータンの主要産業で、2020年までに水力発電事業を完成させるのだとか。今回は幸運にもその施設を見学させてもらえることに。

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(130430 18:30 WANGCHUK HOTEL in Mongar Bhutan)

車を走らせ、施設直前、男性は制服に着替えるため彼の家に寄り、それから施設へ。彼の英語はとても難しく、そして私が英語をあまり聞きとれないこともあって、結局サンゲイさんに通訳してもらう。日本でもこのような施設見学したことがないので、貴重な体験だ。
それから彼の家へ。一般的な旅では行けない、一般家庭。玄関を入るとすぐリビング。椅子が並び、壁には国王様の写真。オレンジジュースを頂き、寛ぐ。これもまれなこと。今日は貴重な日だ。
それから車でホテルへ。途中サルに出くわす。馬や牛など、とにかく色々な動物と直に会える。東ブータンの魅力だろうか。ホテルでは夕食を済ませ、今ベッドの上。今日はシャワーを浴びず、もう寝たい。
本当に疲れきっている・・・。
〈追記〉
彼の家は家賃8000円で、それが重いと言っていた。
(130430 19:57 WANGCHUK HOTEL in Mongar Bhutan)

昨夜は20:30にベッドに入り、何回か目を覚ましながら、5:50まで寝る。目が覚めた時も何か切迫感があった。日本での慌ただしさが、ブータンに来ても残っている。車に乗り過ぎているせいか、下半身の筋肉が硬直している。
ホテルはお湯が出た(!)ため、ありがたくシャワーを浴び外へ。昨晩雨が降ったためか、霧が立ち込めている。モンガルを探索するが、6時には街が動いている。何をしているのか、旧市街には人々がたむろしている。マニ車の鐘の音と、鳥の声、犬、静かな街は、自然の音色に満ちていた。
高台に登ろうと階段を上がっていくと、急に雨が降ってきた。私はマニ車の下に座り、雨をやり過ごすことに。ふと、目の前にチョルテンがあったので、スケッチする。何でもないこのような時間が、とても幸福に思う。
スケッチを終えても雨はやまなかったため、小走りでホテルへ。服を着替え、朝食へ。昨日から一緒だった女性と会話を交わす。彼女はシンガポールから来たと言った。彼女といい欧米系といい、皆熟年ばかりである。若い人は見当たらない。しかし、皆とても楽しそうにしている。旅を純粋に楽しんでいるようである。私にとって旅とは、どちらかといえば考えるためのものである。少なくとも、そうであった。生きることについても同様に、私はそこに意味を考えてしまう。意味などないとわかっていても。
昨日の水道局で働く彼とサンゲイさんは、とても楽しくじゃれ合っていた。私においては、もう少し肩の力を抜くことも重要なのかもしれない。
〈追記〉
ブータンは、現状経済状況がよくないため、ブータンで仕事をし生活することに不安を覚えるサンゲイさん。海外へ働き、金を貯め、ブータンに戻ってくることを考えているという。
※至極個人的な日記については省略

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(130501 7:50 WANGCHUK HOTEL in Mongar Bhutan)

車を走らせ、一路タシ・ヤンツェへ。言われていた通り、東ブータンは車の旅だ。だが、風景が連続しているため、“線”として物事をとらえることができる。雨上がりのためか、ブータンは雲がかっていた。途中、雲の上(!!?)で作業をする女性に出会ったり、驚く程美しい風景に遭遇したりと、車の旅も楽しんでいる。
“線”として捉える、という意味では、バングラディッシュ、インド経由はとてもよかった。“すき間”は、最も“ケガレ”を要する。
12時頃、路上ピクニック。タシ・ヤンツェまでは食堂がないため、持参して頂いたサンドイッチ、ゆでたまご、鶏肉のから揚げ、ポテト、バナナとマンゴージュース。美しい風景を見ながら食べると、本当においしい。
また、今回の旅の途中、トイレに行きたくなったが「Not toilet in forest in Bhutan」とのことで、ダンリンさんの言う“青空トイレ”を実行。何年ぶりだろうか・・・。
車中では色々な話をしたが、良いのか悪いのか、一番盛り上がったのは「MBA(=Married But Available)」と「夜這い」についてであった。夜這いは最近では一部の村を除きなくなったとのことで、サンゲイさんも昔はやっていたとのこと。なくなった理由は、携帯電話とのことで、要は携帯があればわざわざ夜這いしなくても、連絡が取り合えるからよいのだとか。
そんなこんなでタシ・ヤンツェ手前の寺院に着く。いつも通りの礼拝。何もなくて、心地よい。空気も冷えていておいしい。
さらに5キロ程車を走らせると、タシ・ヤンツェに着く。思ったより大きい、というか、家屋が分散していて、ストリートというものがない(地球の歩き方にも地図がない)。
通されたホテルは、決して設備が整っているとは思えないが、光がとてもきれい。計画的に作られたとは思えないが、至極の空間だ。14時半着で16時までフリーとのことで、部屋の前にあるスペース(リビングスペースというべきか、これがとても気持ち良いのだ)で紅茶を頂き休憩。
それから外へ。とりあえず坂を登っていくと、小学校らしきものが。中に入ると(入っていいのか分からないが)子供たちが体育の授業をしている。関さんが勤めていたのは、この学校だろうか。ふと気付くと女の子2人がこちらを見ている。手を振ってあいさつすると、ひとりはにっこり、ひとりはもうひとりの影に隠れてしまった。
それから「こんにちはー」という男の子の声。また「さようならー」とも。朗らかである。もう少し坂を登ったところで雨が降ってきたので引き返す。この時期は雨が多いのだとか。これはこれで悪くない。

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(130501 15:35 HOTEL LENKHAR RESORT in Trashi Yangtse Bhutan)

16:00より、車で街の中心に行くという。3分程で到着。チョルテンにて参拝。マニ車を回しながら、3回廻る。確かに、東ブータンの人々は西ブータンの人とは顔が異なるように思う。田舎に近いというか。
それからBarへ。かわいらしい女の子が店員だったが、ビールを2瓶、サンゲイさんと飲む。店員さんは関さんやモモさんのことを知っていた。
ゆっくりBarを楽しんでからホテルへ。夕食が19:00なので、ホテルの実測を行う。実測といってもダッカ空港でメジャーは取られてしまったから、感覚的に測る。でも、その感覚こそが重要なのだ。途中、ホテルに勤める男性から「Architectか?」と聞かれ「そうだ」と答えると、色々な話をしてくれた。彼も関さんのことを知っているらしく、JICAの人について色々な話をしてくれた。Architectがこのホテルにいるというが、今日は会えないとのこと。残念。でも、タシ・ヤンツェはとても良い印象だ。それは、接した人が良かったからだ。
もし私がダッカで建築家になったならば、想像的な建築を建てたい。もし私がブータンで建築家になったならば、何もなかったかのように毎日が過ぎるような、そんな建築を建てたい。

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(130501 18:40 HOTEL LENKHAR RESORT in Trashi Yangtse Bhutan)

夕食をサンゲイさん、ダンリンさんと過ごす。途中、ミス・サンゲイさんとTELで話す。とてもつたない英語だけど、笑いながら楽しく話をした。とても良い時間だ。一度部屋に戻ったが、またLivingにやってきた。このリビングはとても素敵だ。大きさは5×7m、天高は3.2m程度だろうか。これだけゆとりがあれば、確かに良いリビングになるのかもしれない。ただ、中心にある暖炉がそれを可能にしていることを忘れてはいけない。普通に、日本でこれをやったら、冬場は寒くて仕方ないだろう。
そう考えると、風のイエは実に的を得ているように思う。単純な発想だが、大きな空間があって、それを襖で分割する。何の不思議もない、日本古来の方法である。ただ、2階のヴォリュームを大きくするのは正鵠を射ているだろうか。H邸で見たように、やはり構造的負担は、そのまま部材形状に反映される。それこそ、ブータンの様式のように、2階のみ装飾でヴォリュームを持たせるのはとてもあり得ると思われる。さらに良いと思われるのは、このホテルの良さでもあるが、素材を少なくし、単純、質素に仕上げること。これは風の小屋に近い。私はもっと風の小屋を活用すべきだな。
このホテルについて、これほど学ぶとは。話の本筋からそれているが、これこそ旅の本筋だ。
〈追記〉
デジカメの写真の一枚目は、試し撮りした私の家の廊下である。不思議なものだが、日本では技術があがり“木っぽい”仕上げ材が生産可能となった。このホテルが坪いくらかしらないが、技術の向上により“木”から“木っぽい”に変化したことは、滑稽と思えてならない。何となく藤森氏の建築を思い出すが、やはり日本の建築はわざわざ袋小路に追い込んだように思えてならない。
〈追記〉
無論、それが単に無利益でないことはわかっている。日本の現代建築は、震災による法改正によって見事にステップアップしただろう。実際ブータンでは今でも火事が絶えないという。それがわかっていて・・・なおさら・・・なのだ。

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(130501 19:51 HOTEL LENKHAR RESORT in Trashi Yangtse Bhutan)

5時に起き、シャワーを浴びる。シャワーといっても、バケツに水をため、それをすくって浴びる。それでも温水が出たのでありがたい。完全日本育ちの私としては、やはり温かい風呂が好きである。いやはや、習慣というものは恐ろしい。
今日も曇り空。タシ・ヤンツェという街は(も)、とても小さく、昨日何となく見てしまったのだが、何となくぶらぶらする。昨日と同じく小学校を歩きだすと、私の右にひょろっと背が高いが童顔の青年が並行して歩いている。クズサンポーと挨拶すると、挨拶を返してくれて、どこから来たのか?と聞かれ、日本と答えた。関という人を知っているかと聞くと、知っているといい、学校を案内してくれることに。彼はとても熱心に、かつ、語尾には「sir」を必ずつけ、学校中を案内してくれた。関さんと生徒がつくった公園もあった。彼はこの街や学校のことが好きみたいだ。握手して、お礼をして学校を出る。街を歩き、行き交う人々に挨拶すると、にこやかに挨拶してくれる。はにかんだ笑顔は、他国にはなかなか見られない。私がブータンにおける最も好きなことかもしれない。
車中、日本の音楽やポップミュージックが流れていたが、ダライラマのスピーチや御経(?)も流れた。ダライラマの言葉は録音、ポータブルミュージックプレイヤーで時々聴くのだとか。国が統一する上で、しかも近代化するグローバル社会を情報として知っている彼らが、彼らの国(小学校には「GREEN BHUTAN」と記されていた)を想うことは、いかにして可能か。それはひとえにチベット仏教ということになるのかもしれない。宗教は、不特定多数の人との意志統一をする、人類史上最も有効は手段のひとつだろう(それゆえ、紛争も起きている)。日本はNo religionに近いが、それでも、これほど安全な国として、国家を形成出来ているのは、やはり稀有なことといわざるを得ない。極東の一角。自然の厳しい国に生きる我々は、既に重要な教えを知っているのだろう。ブータンに来てから、ブータンで働きたいという気持ちが薄らいでいる(もちろん日本に帰って仕事をすることも憂鬱さを覚えるが)。おそらくそれは、ブータンで働くことは何もSpecialなことではないということ。極論を言えば、日本もブータンも変わらない。人と自然も。
日本に帰ったら、日本の森林について考えたい。

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(130502 6:42 HOTEL LENKHAR RESORT in Trashi Yangtse Bhutan)

このリビングの美しさは、室のヴォリュームと素材性、家具の配置によっていると考えられる。梁形状が露出していることもその美しさのひとつだが、何より窓の効用が大きいだろう。どうもこの窓は風を呼び寄せやすい。スクエアな窓と異なり、角がないからだろうか。床の板も素晴らしい。これほど大きな板敷であれば、日本だと高価になりそうだが、やはり美しい。どことなくアアルトの家を思い出したりする。この空間の天井がジプトーンであったり、窓がアルミサッシであったり、床が長尺シート(今私が設計している仕様!)であったりすれば、きっと空間は死んでしまうだろう。現代の空間とは、建築家の意図や風土、国民性ではなく、社会的生産システムによっていることを、しっかり認識しなければならない。

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(130502 7:16 HOTEL LENKHAR RESORT in Trashi Yangtse Bhutan)

朝食を食べていると、ひとりの女性に話しかけられる。彼女は少し日本に住んでいたため、日本語がわかるのだとか。色々おしゃべりして、アドレスを教えてもらった。今度来るときは、事前に連絡くれれば、旅行の手配をしてくれるとのこと。彼女は日本が好きらしい。
タシ・ヤンツェに来て、随分色々な人と話をした。人との距離が近い。そういう言意味で、やはりティンプーは都会だ。本当に、どこも何も変わらないように思う。でもそう思えるのは、彼ら、彼女らの優しさあってこそだ。
(130502 8:30 HOTEL LENKHAR RESORT in Trashi Yangtse Bhutan)

朝一でタシ・ヤンツェゾンを見学。それからタシ・ヤンツェを出る。少ない時間ながら、色々な出会いがあった。名残惜しい。とても良い街だ。
それから車はタシガン方向へ。途中ドゥクスムの集落に寄る。集落とは、本当にその通りで、低層の街並みが現象的に出てきている。私はこれはとても美しいと思った。そして、多くの日本人なら(SONAMさんが言っていたように)100年前の日本というかもしれない。東ブータンはそれほど観光化されていないため、ローカルショップに入ると、地元の雰囲気がわかる。布を織っている女性を見かけ、部屋のなかに入ると、日本にもかつてあったような古いミシンを使っていた。光と女性がとてもきれいだった。
車をしばらく走らせ、ゴムゴラへ。瞑想の洞窟という意味だとか。確かに川に抱かれ、深い地中に入っていくようなお寺。庭(ではないのだろうが)が、とても綺麗だった。ひとつひとつ丁寧な説明を聞きながら進む。途中、登るとPalaceに行けるという岩に出会い、サンゲイさんとダンリンさんがTry。ダンリンさんのみ成功するが、日本の男性ならそうすんなり岩を登るだろうか。彼らにそんなに食べて太らないのかと聞くと、ブータンの仕事は身体を使うから太らないのだとか(前田さんはブータンの人は太っていると言ったが)。
それから、車は一路タシガンへ。
(130502 18:43 HOTEL DRUK DETJUNG RESORT in Trashigang Bhutan)

タシガンに着く頃、すっかり眠りに落ちていたが、起きると最初に来た街、タシガンであった。屋外の気持ち良いテラスで昼食。日本では蚊に悩まされることが多いが、このような屋外の使い方は海外の方が上手。風のイエでは、それを網戸を全面に使用することで考えているが・・・。
ホテルに13時過ぎについて、15時までは休憩。熟睡。それからタシガンゾンへ。私としては、今回最も美しいゾン。中庭が空虚感に満ちていて、空と繋がっているようであった。中の回廊が美しい。
それから歩いて、街中へ。途中アーチェリーを見学しながら、タシガンの街を歩く。先ほどのレストランテラスで、サンゲイさん、ダンリンさんとビール休憩。なにせ、東ブータンはそれほど見るところが多くないため、このようになる。ただ、このビール休暇はタシ・ヤンツェの方が良かった。かわいい店員さんと、良く話すママさんがいたからだろう。
それから車でホテルへ。夕食は19時からだが、まだ16:40。ちょっと休んでから街へ。適当に歩いていると、女の子がこっちを見ている。手を振ると振り返してくる。遠くに面白そうな小屋が見えたのでそちらに歩くと、女の子と男の子たちが仲良く遊んでいる。女のことが「Where are you from?」と聞くので「Japan」と答えると、皆一斉にこちらへ。皆小学生だと思うが、どうも日本人に興味津々である。「じゃ、写真とってあげる!」というと、何人かが隠れてしまった。いつもながらの現象。彼女らと別れ、街を下る。建設現場や街のショップに入ったりすると、本質的に日本とあまり変わらないと思った。よりブータンらしさが残ると(停電にて、しばし中断。今日少なくとも4回目か)される東ブータンに来て、そう思うのは私の心情によるところもあるのだろうが、彼らと多く接したからだろう。
ホテルに戻る途中、また彼らに遭遇。ペン(インクのみ)をもって、自らの手を差し出し、あなたの名前を書いてくれ、とのこと。書いてあげてから写真を撮ろうとすると、女の子が「手を撮るの!?」といって、とても恥ずかしがって、おどけていた。それから「your phone number」と言ったので、名前「漢字」と、メールアドレスをあげた。たぶん電話はつながらないだろうから、Eメールを送ってくれと言ったが、通じただろうか。
もしこれで彼らと連絡がとれたら、とても素敵なことだ。今回は、本当に子供たちから良い出会いを貰っている。
ホテルに戻り夕食。いつも通りの食事。サンゲイさんとの会話のなかから、ブータンで食す米の半分はインド、バングラからの輸入だとか。これはちょっとイメージと違った。また、女性はmake a faceをするかと聞くと、最近の女性はしているのだとか。ふむふむ、なんか日本と変わらんなぁ・・・。
〈追記〉
タシ・ヤンツェのホテルで出会った女性は、ボディガードと一緒にいると言っていたが、どうやら偉い人だったらしい。そのことをサンゲイさんに言うと、ブータンでは会社の上下関係は会社の中だけの話で、外では皆平等とのこと。私もできるだけそうするよう努めているが、とても良いことだと思う。確かに、あの女性もクタクタのシャツを着て、下着をつけていなかったなぁ・・・ん?

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(130502 19:58 HOTEL DRUK DETJUNG RESORT in Trashigang Bhutan)

いつも通り5:10起き。ホテルによるが、熟睡できるホテルと、何度も目を覚ますホテルがある。このホテルに泊まるのは2日目だが、良く目を覚ます。
今日ブータンに来て初めて晴れた。
身体が疲れていたが街へ。昨日だいたい見てしまったが、また同じ場所を歩く。ガイド付きの旅行では、このような自由時間が貴重である。特に朝、夕は人が動く時間でもあるので、その土地の生活を感じやすい。
タシガンを歩いて思うことは、山岳都市としての風景の豊かさ。建築が風景装置として機能している点も興味深い。ゾンは設計図(サンゲイさんは「地図」と言っていたが)は大工の頭の中にしかないらしいが、この街も、計画学的にできたわけではないだろう。
それから玄関の設え。植物の供え方と軒下、バルコニー下の使い方。屋外。これも計画学的ではないだろうが、とても美しい構成を持っている。途中見つけた美しい店舗住宅をスケッチ。風のイエの良い参考になるだろう。

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(130503 7:34 HOTEL DRUK DETJUNG RESORT in Trashigang Bhutan)

晴れ。暑いブータンの一日。今日は車で北へ。まずランジョンへ。小規模だが、美しい街だ。このような風景をずっと見ていると、何かしらの感覚がマヒしてくる。東京の生活には嫌気が射しているが、ではブータンで生活するとしたらどうだろうか。まず私の好きな本屋はない。・・・それ以外は、何も変わらないか。いや、自然や植物の多様性はある。しかし、まぁ、なかなか難しい問題だ。ランジョンではお寺の見学。サンゲイさんに丁寧に教えていただく。とても良く理解した。
人間の罪が描かれているが、「ではMBAは?」と聞くと「ほんとはよくないね」と笑って答えた。それからポンメへ。車中は既に見なれて普通になってきたが、棚田をはじめ、美しい風景と動物。
ポンメでは、お寺に参拝した後、街を歩く。それからサンゲイさんの友達の民家に入れてもらうことに。コンクリート造りで、素地仕上げ。絨毯が敷かれ、TVが置いてある。玄関扉は開け放しなので、ハエが常にたかっている。日本では「良くない風景」が、ここでは「普通の風景」である。民家にて、ガイドさんが持参した食事を頂く。ブータンは人工70万人のため、どこに行っても誰かしら友達がいるらしい。それから尼僧院へ。旗の感じと装飾が、お寺と趣が異なる。
さらに車を走らせ、先ほどの民家の方のお姉さんの家にお邪魔する。仏間に通され、あげた米とパン菓子、バター茶と酒(卵入り)を頂く。家のなかで一番豪華な部屋と言うことだが、床にはビニルシートが張ってあった(というか敷いてあった)。なんか・・・いいのかなぁ・・・。酒を飲んでいるとき、サンゲイさんの身体の傷の話になり、子供の頃ナイフで切った、切られたとか、木から何回も落ちたとか、随分傷が残っているらしい。私も今思うと、随分危険な遊びをしたと思うが、それが禁じられる現在は、とても可哀そうである。
16:30にホテルに戻り、19:00まで自由時間。寝て、ちょっとスッキリして、日記を書いて、外に行こうかなぁ・・・。
(130503 16:52 HOTEL DRUK DETJUNG RESORT in Trashigang Bhutan)

外に出たものの、疲れていて目がかすむ。何かお土産と思い、ショップに行くが、特にめぼしい物はない。もし自分がブータンに住むことになったら、と考えてみる。ここに並んでいる商品で生活するのだなと思う。日本は、物に溢れているが、私が必要とするものは、そう多くない。ブータンの店に並んでいる程度で、おそらく足りるだろう。
ちょうど小学校の下刻時間。目が疲れているため、彼らの表情を見ることはできないが、ブータンだから人がいいとか、そういうことではないなと、当たり前のことに気づく。
帰る途中、昨日の少女に出会った。「Hi!」と声をかけられたが、「Hi!Bye」とお別れを言ってしまった。向こうも遊びに夢中だと思ったからそうしたのだが、「Hi!Byeだって」と言って笑って去った。今日記を書きながらも、もう少し話をすればよかったと後悔しているが、あの歳の女の子である。すぐに私のことは忘れるだろう。ホテルのテラスで、『アンネの日記』を読む。彼女の孤独と自分のそれが重なる。ゾンを見下ろす雄大な自然は、静かに何かを語っているようであった。
18:30頃日が暮れてきたので部屋に戻る。明日一日でブータンとお別れだ。そう思うと、急にさびしくなる。外も暗くなってきた。もうあの女のこと会うこともないだろう。
話を飛ぶが、風のイエの中庭について考えていた。自分なりに的を得ていると思ったのは、それが“二度と到達できない場所”として、計画したことである。旅をしていて思う。
私たちは決してそこには到達できないと。

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(130503 18:38 HOTEL DRUK DETJUNG RESORT in Trashigang Bhutan)

部屋の前のテラスにて、照明の光で日記を書いている。中庭では、政府で働く方々の食事会が行われ、ゾンカ語の和やかな会話が聞こえる。向かいには英国風のおばさまが、同じく寛いでいるが、特にこちらに話しかける気はないらしい。欧米人がみな話し好きということでもないだろう。
今この時間がとても心地よい。色々な人が楽しく会話をする中で、ひとり距離をおき、自分の時間を過ごす。物心ついた頃からこの時間が好きだった。
ゆっくりする時間を楽しむのは久々である。日本にいると、常に時間を有意義に使おうとせかせかしてしまう。今は仕事がなければ、資格勉強の教材もない。インターネットは曇っているから使えない(!!?)し、本も残りあとわずかで読み上げてしまう。お腹は満たされ、わずかな眠気で、気温は25.6度、湿度31%、微風。とても心地よい。
そういえば、ブータンでは私が日常的に心がけていること、例えば読書とか運動とか、そういったことが見られない。そのかわり、日常的な御祈りがある。時間というものの不可思議さ。結局私はぼーっとすることができず、日記を書いている。誰のためでもなく、自分のためにである。アンネが日記冒頭に「親愛なるキティーへ」と書いた心情が、とてもよくわかる気がする。私は“隠れ家”にいるわけではない。世間的には大企業で、日本全体から見れば高収入で、一応健康体。不満は溢れる程あっても仕事の楽しさを知っている。
でも、隠れ家なのかもしれない。アンネと違い、私は社会的に隠れることを要請されているわけではない。自分で隠れているだけだが・・・。
(130503 20:07 HOTEL DRUK DETJUNG RESORT in Trashigang Bhutan)

21:00頃には部屋に戻り、寝ようと思うが、眠れない。ホテルの中庭で行われている宴もそうだが、外では犬たちの協奏曲。頭がガンガンする程。21:30頃、結局眠れず、起き上がり読書をする。アンネの日記を読了。色々な意味で孤独を感じているからか、妙に想いがリンクしてしまう。アンネは送還される時、どう思っただろうか。そして、留置場にいるときは?日記だからこそ、第三者が描いた物語ではないからこそ、事実は生々しく浮かんでいる。彼女の平和のメッセージは、確かに胸を打つものがあった。
22:30頃、寝ようと思っても犬は泣きやまない。街中の何十匹が泣いているのだろうか。少しでも眠りに集中するため、部屋を真っ暗にし、トイレットペーパーで耳栓をつくり、耳につめこみ、iphoneのイヤホンでpodcastや音楽を聴く。爆笑問題のラジオが、実に現状と乖離していて面白く、また辻井さんのピアノが身体を軽くした。しっかり何かを考えたい気持ちだ・・・が・・・、犬は泣きやまない。結局0時頃、少し声が小さくなり、その瞬間眠りに落ちた。
翌日、日の出を見ようと4:00頃目覚ましをかけ、断続的に起きて、外を見るが曇っていて、また山岳地帯なので、地平線から浮かんでくるような風景は期待できず、5:45頃起床。
昨晩寛いだテラスの椅子と、ホテルの全体配置図をスケッチ。優れたものは、常に意識しない場所に存在するのだ。
6:40から10分程度で朝食。そして出発。今日はサムドゥプ・ジョンカルへ向かい、途中で観光地に寄る。といっても、今日はMさんが以前赴任していた場所を追う。
走っている途中、いつものような車を止めてもらい写真を撮る。この風景とも、今日で最後である。完全に見なれてしまったが、私の日常にはない景色である。
まずカンルンに着く。カンルン小学校を訪問すると、サンゲイさんの働きあってMさんを知っている先生と会えた。彼女は今までの日本人で最も優れた先生だったと言った。現在はRさんという方が来ているといったが、その方には会えなかった。また彼女にメッセージをお願いすると、結婚した報告を前に受けたので「幸福に」とのこと。それから何と校長先生がいらっしゃった。分かりやすい英語で話をして頂く。君はボランティアに来ないのか?と聞かれたので、ArchitectとしてI hope soと返した。一緒に写真を撮ってもらい、とても良い人格者だ。
それから朝の瞑想の時間。全校生徒が集まり祈り、スピーチをするが、なんと全校生徒に対し、校長先生が私を紹介してくださった(!)とても恐縮です。それからお別れの挨拶。アドレスまで書いてくれた。なんという優しさ・・・。
それから近くのヨンプラ空港へ。ブータンの人はここでピクニックをするらしいが、今はしっかりとした空港。ただし週一便程度で、かつ高額のためブータン市民はあまり使わないとか・・・。
それから近くのお寺へ。礼拝をするのは、個人的に好きである。
そこから車を走らせ、カリンへ。織物の街。織物学校を見学させてもらうことに。皆恥ずかしがってくすくす笑ったが、私はその空間の涼しさにひとり驚いていた。外気のコントロールか、それとも板敷にあるのか。
観光ツアーとしてはこれですべてだが、サンゲイさんの計らいで、ダンリンさんの村であるワンムロン村へ行くことに。ブータン初日でいった街だが、ワンムロンというのは広域で、ダンリンさんの村はもっと離れた場所にあるのだとか。
車を走らせ、走らせ、砂利道を走り、走り、やっと着く。大きな山に囲まれた一角。小学校が建っている。グラウンド、というか野原だが、なにせそのままな感じ。ダンリンさんのおばさんと義理のお姉さんがピクニックスタイルで、バター茶と酒を持ってきてくれた。校舎の一角(というか仕切りはあまりなさそうだが)で芝に座り、頂く。少し飲むと注いでくれるのはブータンスタイル。しっかり飲み干す。ダンリンさんの義理のお姉さんに500ヌルタル渡し、村を離れる。ダンリンさんも3回しか来たことがなく、2,3年ぶりだとか。
「こんな旅行あまりできないですね」と話すと、「あまりではなく、絶対無理」とサンゲイさんは言った。お客さんが親切だったから手配してくれたのだとか。とてもうれしい。ブータンでの全日程が終わったからか、皆リフレッシュモード。サンゲイさんのスマートフォンから色々な音楽を流し、あれこれ話が盛り上がる。「そう言えば昨年日本のアーティストが来なかったか?」と聞くと、「トキコカトウでしょ?私が案内した」といわれ「えー!!?」ということになる。何人かで案内したようだが、結構ビックリした。彼はその時加藤登紀子さんが歌った唄の歌詞を持っていて、それは平和の歌だった。
遂にサムドゥプ・ジョンカルに着く。雰囲気が違う。インド人が多いせいだが、街の雰囲気も、東ブータンの牧歌的な雰囲気は薄い。ホテルは警察署の前なので、比較的安全そうだが、部屋の中は無駄に広い。私ならこの半分でよい部屋をデザインできる。久々のTV。やっぱりかけてしまう。魔法の箱だ。
日本に帰ったら、もっと外気を浴びるように心掛け、電子媒体との関わりを再考せねば。それから、風の小屋だが、あれば自分ながらよい発明だ。活用せねば・・・。
ブータン旅行をほぼ終えた今、旅の意味は全然消化できていない。これからするかもわからない。ブータンという国が伝統とか文化とか経済とか、そういった意味で優れているかどうかはとうに頭になく、ただ単に「友達が多い国」になった。ブータン人は「一度あったら友達」のようだが、随分と友達ができた。
もちろん、彼らとこれから連絡を取り合うか、ずっと交友が続くかは分からないし、それはどうでもよい。今回の旅で友達ができ、それがうれしい。そういうことだ。

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(130504 17:31 HOTEL MOUNTAIN in Samdrup Jongkhar Bhutan)

昨夜はいつも通り19:00に夕食。いつもはサンゲイさんだけだが、本日はダンリンさんも一緒。最期のブータン料理。話は弾む。自分のメールアドレスを渡し、時々はメールしようと話す。また友達が増えた。それから一週間分のチップを渡し、お別れ。良いガイドさんたちだった。
部屋に戻ると、少しサッカーを見て、歯を磨いたら就寝。こうして、ブータンの一日がまた終わった。
今朝は5:00起床。平日、仕事に行く時に起きている時間である。夢のなかでも仕事をしていた。そのせいもあってか、いつも朝は憂鬱である。
※以下至極個人的な文面のため省略。
(130505 5:27 HOTEL MOUNTAIN in Samdrup Jongkhar Bhutan)

朝食を頂き、車でガウハティへ。ブータンとの国境を越えると、私はインドにいた。車2時間半程度、ずっと外を見ていた。ブータンではずっと山の風景だったが、ここでは地平線が見えるかのよう。平らに続く田畑。見なれてきた、落ち着く風景。途中の家々は、実に興味深かった。矩形の家が中庭を囲むように配置され
(130505 9:54 Airport in Guwahati India)

とても構成が美しい。中央には藁(?)でできた球体が据えられ、何かの象徴物のようであった。サムドゥプ・ジョンカル~ガウハティまでの車窓は、変化の連続であり、中庭型住居の後は、テラスというか、半屋外空間のある平屋。そしてコンクリート積層住居へ。皆、何を思うのか、ぼーっと立っていて、何かを見ている。やることがないのか。コンクリート積層住居は、ほとんどが建設中で、まさにドミノシステム。純粋なスラブには植物がたくさん飾ってあったりして、面白い。本当に、建築の豊かさというものは、経済的に貧しい地域の方が見出しやすい気がする。
途中コーヒーブレイクを挟み、空港へ。3ドル渡し、運転手とお別れ。
車を出ると、またバックパックを背負った、ひとりの人間となった。この感覚はやはり好きである。何もない、というこの感覚。これが味わえるのも、もうそろそろ最後かもしれないが・・・。
国内空港だけにほとんどがインド系。ほとんど慣れてしまった。美しい人もたくさんいる。美しい人は、世界のどこにでもいる。

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(130505 10:26 Airport in Guwahati India)

空港の中は、インド人でごった返す。それはそう、なにせドメスティック空港だから。それゆえか、出発便案内も便を示す電光掲示板もなく、全てアナウンスによる。英語とヒンドゥー語(?)のアナウンスだが、聞き逃すと不安なので、事前に係の人に聞きながら便を待つ。遂に便名が呼ばれ、係の人にどのゲートかと聞くと、「あれ」と指さされたので、そちらにいき、集団のなかで「to Kolkata?」と聞くと、そうだというのでそのまま流れていったが、なんと別会社。あわてて下のフロアに降りるが、出発時刻20分前・・・ヤバイ・・・が、何とか最後の列に滑り込み、コルカタ行きの便に乗れた。
コルカタ空港を降り出口ゲートを出ると、ダッカ、インドではいつも通り、たくさんの方のお出迎え。これは何回やってもやはり恐い。ドライバーとガイドさんを見つけ、車に乗りコルカタへ。30分強か1時間か、その程度で街に到着。街中は日曜ということもあり、ひっそりしているように見えたが、しばし走ると、人の生活が見えてきた。何というか、そのまま色々なものが露出している。上半身裸で路上に寝る人。休憩し、寛ぐ若者。物乞いの女性、小便する男性に、路上で水浴びする人々。今回は半日時間があったのでコルカタ観光を強引に入れたため、車での駆け足観光。
まず国立美術館。これはイギリス統治時代の英国風建築。温暖な気候の洋風建築は、台湾の植民地時代を思い出させる。1階はガイド付きで、2階はひとりで見て回った。インドで最初にできた博物館ということだが、一番目を惹いたのは動物のはく製。久々に見たが、純粋に美しいというか、恐いというか・・・。生き物というのは、ただそれだけで力を持っているのだと感じる。
それからまた車にて、ジャイナ教の寺院へ。宝石が全面に貼りつけられたような寺院。このゴテゴテ感は本当にアジアである。3つ目の観光地は、ヒンドゥー教の寺院。車から降り、しばし歩いたが、これはすさまじかった。寺院に行く前に路上で寝そべる人達と、熱気。人の群れと音。寺院に入ってはさらにそのすさまじさは増し、若い女性と子が合わさって、何人も境内で寝ている。物乞いも永遠とついてくる。信仰の熱と人間のにおい、すさまじい。
それから車でメインストリートへ。もともと希望していたからか、ひとりで街をぶらぶらすることに。ガイドさんと待ち合わせ場所を決め、1時間15分後集合。命の危険はないが、声をかけられてもついていかないこと。無視するのがよいとのこと。
ショルダーバックを腰の前に据え、私は歩きだす。おどおどせず、じっと人を見ず。前へ前へ。日本人もあまり来ないらしく、欧米含め観光客があまりいないためか、私は随分と目に付くらしく、色々な視線を感じる。ダッカ、ブータンでも感じたが、それとはまた別の類。獲物を見るような・・・というか。1時間以上時間があるため、おのずと足は奥の道へ。危険なように思えたが、やはり、興味の対象である生の生々しさは、裏に潜んでいるものなのだ。期待にそぐわず、というかそれ以上というべきか、とにかくすごい。五感全てを刺激する。物を差し出し売りつけてくる人、商品をたたき、大声をあげ客引きする若者。裏道のスラムは悪臭に満ち、公衆トイレも少ないため、水浴び場に人がたかる。散髪をする老人男性に、果物売りの男性。生のエネルギーの爆発は、若者をも引き付ける何かであり、建築の都市計画などくそくらえ状態である。歩いていても声を掛けられるが、止まっているとなお目立つため、とにかく人ごみの中で進むしかない。止まることができない。写真を撮ることも、自分が日本人であることを照明しているようなもの。シャッターも一瞬で切る。
だがそんな中余計なことを考える。女性はきれいである。そして、コルカタで出会ったもっとも美しい女性。私はこの女性の顔を見ていないが、きっと美しいに違いない。そう感じさせる何かがあった。
壮絶な1時間15分を過ごし、ガイドと合流し食事へ。インド料理と中華料理があると言われ、一瞬悩んで中華に。以前インドに来た際、日本に帰って腹を下し、二週間再起不能であった。明後日は会社である。ちょっと無理はできない。食事はやはり美味しかった。日本で食べる味に近かったが、やはり食事は日本食が良い。外に出ると雨が降ってきた。空港への道中、さらに雨を強まっていった。コルカタの夜は冷めないようであったが、私の旅は、しっかり終息していった。ガイドさんと途中で別れ、ドライバーと一緒に空港へ。他愛もない話を英語で交わすが、彼はあなたの英語はとても美しいといっていた。今回の旅でも英語のつたなさは痛感したが、とりあえずそういってくれることはありがたい。
再びコルカタ空港へ。数ヶ月前に竣工したとドライバーさんは言った。またお待ちしていますと挨拶され、別れる。出入り口でチケットとパスポートチェックを受け終わるまで、ドライバーさんは待っていてくれた。私は手を振って、最後の別れを済ませた。

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(130505 8:59 Airport in Kolkata India)

夜2時発の飛行機を待つため、iphoneで音楽を聴いたり、『方丈記』を読み過ごす。
飛行機は無事バンコクに着く。終始寝ていた。今、バンコク空港C3ゲートでは、成田行きを待つ日本人の群れの中にいる。雲のなかに、朝日を確認することができる。まるで、私に向かって光を放っているようである。
前回、ブータンからバンコクに戻ってきた際、バンコクにいる人々を均質化した顔とし、ブータンと差別化する意識が(無意識だが)私の中にあった。今、周りにいる日本人を見ていると、私たちも十分異質だ。なんとも捉え難い、ある種前近代的なものを感じる。
今は、ダッカ、コルカタ、ブータンのことを思い出すのは難しい。これらの国を短時間で移動する度、如何に人間は忘却的で、如何に人間は順応的な生き物か知った。
旅から戻ったら、まずお世話になった方々にお礼のメールをしよう。随分と増えた。また日記をまとめ、頭の中を整理し、想いを言葉に、吐き出そう。
明日からのどうしようもなく平凡で、スリリングな日々のなかで、ひとつひとつ、ひとつひとつ。
(130506 6:35 Suvarnabhumi International Airport in Bangkok Thai)

ブータン行きで随分とお世話になったタイ国際航空にて、成田へ。機内では映画を観る。『東京家族』。行きの飛行機で途中まで観たので、その続き。ほのぼのした「ザ・日本映画」かと思ったが、時間の速度を速めることなく、ドラマティックで情熱的な映画だった。後半は終始涙が出た。
成田空港に着き、外を眺めると、満面の日差しは、これからの未来にあらゆることが可能であると思えるような、暖かい希望の光だった。いつもの電車に乗り、夕暮れ前の退屈な住宅地や田畑を見るが、とても輝いて見える。とても美しく、色ひとつひとつ、葉ひとつひとつに生命を感じる。
ダッカ、ブータンを案内してくれたMishuさん、サンゲイさん、ダンリンさんは、外国語で自分の文化を紹介してくれた。同世代の3人。皆、自国を良い国だと想っていると感じた。サンゲイさんとダンリンさんは、今度日本に来られるかもしれないと言った。私が案内すると言った。私に日本が案内できるだろうか。日本について知っているだろうか。彼らと同じことができるだろうか。
今はできるとは言えない。私は、批評的に自己を見てきたつもりだが、自分の周りのことをほとんど知らない。しっかり勉強しなければならない。身の廻りのこと、ひとつひとつ。
しかし、どうして車窓から見えるこの世界は、こんなに美しく、涙がこみ上げてくるのだろうか。
(130506 16:12 Soubu line in Train Japan)

〈完〉

世界旅行地図

2013年01月23日 21:38

何となく、自分が旅行した都市を世界地図にプロットしてみた。

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実際にはもっと多くの都市を訪れているが、このスケールだと描ききれないため、主要都市のみ。

北半球がほとんど。結構旅行したような、していないようにも思える。

こうやってプロットすると、やはり真っ白な大地を走ってみたいという願望を抱くが、薄く手を広げる気は今はない。

でも、客観的に記すと、位置関係が視覚化されてよい。

まだブータン

2013年01月09日 23:13

日常業務が始まった。基本設計図書提出前だが、体調を崩したため無理はしていない。私は疲れが身体に出やすい。ブータンの旅は、それなりにヘビーだったということだろう。

昨年一級建築士に合格した今、実はあまりやることがない。いやいや、ブータンに関する本は3,4冊未読として机の上にあり、カプセルの実測などやること、やりたいことはたくさんあるのだが、切迫感がないというのは事実。

私の会社は建設業である以上いつ潰れてもおかしくはないが、ただ、それでも安定した企業であり、サラリーマンである以上、個人的に奮起し仕事に邁進したところで、給与は大して変わらない。自分の希望が通ることも、そうはない。試験を通ってしまうと、日本企業の(優れた?)特徴である、終身雇用の平穏な生活が待っている(ように思える)。

それもあってか、やたりブータンで働きたい。何をしたいと言われてもよくわからないが、あの国について知りたいと言う欲求が沸騰している。

今日ネットでブータンについて調べたら、ブータンで公務員生活をしていた御手洗瑞子さんという方を見つけた。本も書いてらっしゃるそうだが、ある方面では有名人らしい。ツイッターをやっておられるので、ブータンについて質問すると、ものの数分で返事が!・・・びっくり。

ブータンで働くことは難しいかを聞いたのだが、一般的に渡航は制限されるので、やはり難しいらしい。

でもそれは、私にとっては良いニュースのように思えた。できないからこそ、一層魅力的である。

ブータン料理も日本で作ってみたいと思っているし、ゾンカ語も知りたい。知りたいと思った言語は初めてである。なぜなら、言語はその民族の「顔」を形成する。良い顔をしている人が多かったブータン。ゾンカ語にその秘密があるのではないか、と見ている。

それから伝統的住居についても、もっと良く知りたい。農家に泊まらせてもらった時、ある建築家の言葉が浮かんだ。「住宅は住むための機械である」。この住宅は「前近代的住居」であるはずだが、1階に納屋を持ち、上階で生活する農民の暮らしは、とても機能的に思えた。

ブータン帰国後、他に目移りがしなくなった。何か、とても幻想的で美しいものを見たからだろうか。
御手洗さんの本は、そんな幻想をより楽しく現実的なところに着地してくれそうなので、今度是非読んでみよう。

ブータン以後

2013年01月06日 10:32

ブータンから帰ってきて2日経つ。まだ、旅の意味を消化し切るには時期尚早である。
あくまで気持ちの問題である。記しておきたいから記す。後になって気持ちが変わろうが、気にしない。

飛行機内で記したメモ

・一時間の運動 = 礼拝
・車イスがいない Non handicapped city
・省エネではない 大量のエネルギーを循環させる
・均質ではない ざわざわしたものへ

礼拝の心地よさ。そして、日常の動作が、反復されることによって精神を形成する。私は信仰対象がない。アニミズムということかもしれないが、ならば、身体を動かす。私は公園をぐるぐる走っている。逆時計回りだが、同じ風景を繰り返し見る。これを私の信仰としようか。

思うと車イスというものを見なかった。山の国、谷の都市。これはどういったことなのだろうか・・・。

私が泊まった農家は、省エネではないように思えた。薪ストーブはとても暖かく、エネルギー量としてはかなりのものだと思われるが、色々な事象が循環し、使い捨てでないように思える。省エネとは、使い捨て前提の思想。私たちの設計している建築とは、とても表面的で非機能的な建築に思える。学生の頃ブータンに出会っていたら、やはり建築設計などできなかったのではないだろうか・・・。

「均質」とは、原広司の言葉だろうか・・・。この言葉を、ブータンを出て以来強く思う。これほど私のいる世界が均質であるとは、正直思ってもみなかった。ざわざわしたものは、生物多様性といった意味でも、元来我々がそうであるという意味からも肯定できるが、一番はその方が美しいから、楽しいからである。それでよいのではないかと思う。


メモ以外での、ここ数日の経験。

寒さに強くなった。というか、寒さをそのまま受け入れるようになった。
お風呂の蛇口から出る水を見た時、この水がどこから供給されているか気になった。
特に日本に対する幻滅とか、仕事としての設計業務に辟易しているわけではない。ただ「違う」とは、やや思う。


今考えていること。それは、あの農家の方々に何かできるのかどうか。すべきなのかどうか。
日本に帰りブータンについて調べると、人口密度は日本の約18分の1、平均年収が15万だとか。他国よりも農業従事者が多いだろうから、この数値をどのような解釈してよいかよくわからないが、しかし、経済の面ではとても差がある。
この数値をそのまま鵜呑みにすれば、確かに海外渡航は難しいのかもしれない。

たまたま私は経済的に豊かに国に生まれ、たまたま彼女らはそうでない国に生まれた。優劣ではないが、もし彼女らが海外に足を運びたいと思っているのであれば、その可否の差は、私にとって重要な問題となる。

もし日本に朽ちてしまったら、私はブータンに行きたい。幸福の国だからではない。建築家として、自分にできることがあるように思うからである。日本にいて、もちろんないわけではないが、ブータンの方が、より明確にあるように思う。

私が今考えていることは、手紙を出すことである。
私のスケッチを添え、いつでも日本を案内しますと、手紙を出すことである。

相手の住所もわからないし、相手にとっては迷惑なだけかもしれないが、それが今の私の自分勝手な野望である。


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