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風のイエと、コルビュジエさんの住まい

2014年04月13日 21:39

この寮に暮らして、2週間が経った。約20年前に建てられたというこの建物は、明らかに当時の建築界の流行に倣っており、歪曲しながら登る吹き抜けの大階段や、アール形状の屋根の吹き抜け共用スペース、ビリヤード等が置いてあるプレイルームに、当初は麻雀ルームまであったらしい。

鉄筋コンクリート造4階建ての4階に住む私の部屋からは、地方都市の静かな夜景が見える。しばらく東京に住んでいた反動か、田舎育ちの私にとっては、心地よい風景に変わりつつある。

風のイエの主階も上階にあるが、やはりその方が風を受けやすいように思う。プライバシーも程良く確保できるため、窓もあけっぱなしである。

今日感じたちょっとした違和感は、あまり掃除をする必要がないということ。それほど部屋にいないという事もあるが、何より埃がない。地上面より10m程上空にあるため、埃が入ってこないのであろう。掃除機をかけたが、床拭きをする必要はない。湯島の部屋とは、大きく異なる。

この部屋は、明らかに風のイエとは異なるが、それでも、ここに住むことに快楽を感じている。共用スペースも、最近寮民はあまり活用しないとのことで、逆に私は悠々と使っている。朝ごはんもおいしい。

何となく、コルビュジエの都市計画を想った。コンクリートにより、建築の造形は自由となり、人間は地上の排気ガスから逃れ、上空へ住む。超高層の住まいにすることにより、都市内の建築面積は劇的に減り、大方の面積は緑地帯となる。

今をもってしても未来的で、誰もが非人間的と揶揄しそうなそのビジョンは、それでも、全く間違っていたわけではないのではないかと、地方都市の夜景を眺めながら、私は思った。
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都市の陰圧

2012年01月21日 22:15

コンペの最中であるが、上司の気遣いで週末休みを頂いた。小屋を作ろうとも車がなく、さらには小雨降る肌寒い週末。あまり乗り気ではなかったら先輩に誘われた社外コンペの現地視察をし、さらに以前から見たいと思っていた建物を見に行くことにした。(朝カメラを手にしたら、液晶が漏れている・・・また修理か・・・)

社外コンペとはUR団地の再生。場所は足立区花畑。うちからはほどほど遠く、10時過ぎに現地着。

概要をあまり把握せず来たのだが、どうやら何期かに分け団地は作られたらしく、古い区画をバリケードが囲い、既に誰も住んではいなかった。改修か建て替えかどちらかだろう。私は今回対象となる建物を探しに団地を歩く。

団地生まれの私は、郷愁ではなく、根に刻まれた、あまり幸福とは言えない記憶がある。悲しいかな、記憶とは暗いほど濃く残る。

目的地を見つけた。そばに公園が造成されるようで、それも加味した提案ということだろうか。

現地写真を撮った後、駅へ戻る最中、再び人気のない団地へ入った。工事範囲なので関係者以外立ち入り禁止なのだが、バリケードのなかはかつての空気感が満たされていた。何も無い空間。ただ、いつかの子供たちの声だけが木霊する。

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谷塚から上野に戻り、浅草田原町へ。ここに白井晟一設計の「善照寺本堂」がある。いつか行きたいと思っていたが、社寺設計を志すものとしては一度見るべきだろう。

雪が降る中、田原町駅から徒歩10分。浄土真宗東本願寺の目の前にその建物はあった。建物を臨み、近づくが、中に灯りが・・・。ちょうどお葬式が行われていた。建築見たさと寺院の本来性に挟まれ、どうしようか悩んだが、とりあえずお葬式が終わるのを待ってもう一度来ようと駅へ戻る。

ジョナサンで食事をし、もう一度お寺へ。まだ式は終わり切っていない。こんな時、建築的な興味でなかを覗くわけにもいかず、駅へ再び引き返す。これがあの建物の本来的な姿なのだ。

それからメトロを乗り継ぎ、神谷町へ。東京タワーの麓にもう一つの目的地「ノアビル」がある。深く考えていたわけではないのだが、これも白井晟一設計。白井の建築はいままでひとつも見ていないが、本日は白井建築探訪となった。

神谷町駅から東京タワーへ歩くと、緩やかにカーブする道の先に、その建物は起立していた。なるほどこの建築は都市に建っているのだと、私はその瞬間確信した。無表情な建物は、都市的な開かれた場に穿たれていた。

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近づくと、低層部は荒々しいタイル張り。上層部は石張りの基壇。西洋風であるが、西洋の古典絵画に出てくるような古代の建物。いや、墓石といった方が適切か。商業ビルでありながら無口であり、集客性は望めそうにないが、都市に対峙する建築、いや塔の役割として、あたかもこの21世紀の現状を予想し、墓石として、陰圧として存在していた。

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磯崎新は未来都市を「廃墟」として捉えたが、白井の建築は気品に満ちていた。決して悲観的にではなく、都市の行く末を見つめているように思えた。

駅からノアビルへ歩いてくる時、やたら巨大な建造物を目にした。駅に戻る時立ち寄ると、どうやら寺院建築、あるいはそれに纏わる集会場のような建物らしい。なんともスケールアウトした、何層にも積み重なる屋根。こんな建築が東京にあり、しかも全く今まで知らなかったとは。(帰ってから調べたら「霊友会釈迦殿」という新興宗教の建物とのこと。)

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都市を、ある「衝突」をもって語ることは、今の私の心情からはやや遠いが、しかし巨大な宇宙船に吸い込まれる階段は、明らかに「無」を想起させ、私の気持ちを高揚させた。

都市という経済的論理に翻弄されるフィールドに於いて、しかし建築家は何かしらの道標を示すべきだという考えは今も変わらない。現在抱く構想は、都市に「無の空間」を穿つことである。そこが「陰圧」となって、風の吸い込み口となる。風は吹いていても、出口がなければ滞留し淀むだけだ。

都市には風が必要だ。

建築、都市、都市、建築・・・の夢

2011年12月04日 20:23

久々に、建築に満たされた一日。

昨夜から始まる。

先週某日、早朝新聞の番組欄を見ると、数奇屋建築に携わる方の特集(NHK「プロフェッショナル」)が組まれていた。とりあえず予約だけはしたのだが、今週はまったく見る時間がなく、昨夜見ることになった。

その方は数奇屋建築の大工、齋藤光義 さん。

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見ながら、開放感に包まれていった。とても清々しいのだ。
木と向き合う姿勢もそうだが、それと同時に人と向き合う姿勢。部下に対しても口酸っぱく言わず、部下が自発的に前進するのを待つ。なかなかそういう人はいない。

プロとは何か、という問いに対しては、「能力があり木に優しい人」と言った。とても心地良い番組だった。
もしかしたら、私は斎藤さんと同業者になるかもしれないのだ。そうなれたらいいな。

今日は午前中、東大でシンポジウム。「危機と都市」というタイトルで、青井先生が公演された。

講演会開始前に東大入り、銀杏並木の先に安田大講堂が見える。
東大といえば、私にとっては三島由紀夫の討論会だ。明るいなかに、おぞましい歴史を感じる。

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そして講演会へ。
青井先生は震災以前から、都市と震災について着目されていた。今回の震災に際し、三陸海岸の漁村について研究されている。

本日は、その研究について話された。

やはり素晴らしい研究だった。内容はブログで何となく分かっていたが、やはりとても興味を駆り立てられる。
印象的だったのは「家は消滅しない」ということ。モノとしての家ではなく、「家系」に近い話だが、震災が起こり流れが断たれた時、それは「終り」ではなく、何かしらの形で継続する。「家」の生命力。

質疑の際、こういった研究を如何に具現化に繋げるか、ということがあがった。つまり、震災に強い都市に。

青井先生も明言されなかったが、私は「研究」と「具現化」、つまり「思考」と「実践」は必ずしもリンクしなくてよいと思う。思考は想像力を拡げる。実践は身体的なものだから「何となく」具現化されていく。

今日の講演で、家々が新たな土地に復興されるシーンで、私はそこで働く人々の汗を感じた。これは建設業に携わり、初めて得た感覚のように思う。結果は自ずと導き出されるのだろう。

東大を後にし、湯島天神へ。願いが叶うようお祈りをする。

それからメトロを乗り継ぎ六本木へ。八束先生が進めていたメタボリズム展が開催されている。

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内容は、ボリュームが多すぎてお腹いっぱい。やや疲れた。どちらかというと、八束先生が書かれた本を読むための、前段としての講演会だったが、この準備のために、八束研は大変だったろうな。八束先生自身もこの「研究」について、「ではどのような都市をつくればよいか」という問いについて関心がないらしい。「知る」ことに意味がある。

六本木から有楽町へ。東京国際フォーラムにて震災復興展をやっており、昨日寄った際に木造の仮設住宅が展示されていた。坂本龍一が呼びかけ、地元の木を用い建設されている。建物内を見学。なるほど、最小限にできている。平米的には狭くとも、被災時には広く感じるだろう。間仕切りにカーテンが使用されている点も、なるほどと思った。

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有楽町から丸の内へ。モールスキンの手帳を買いに。最近担当する仕事の件数が多く、スケジュール管理が難しい。見落としがないよう、常にメモをとり記録として残す癖を(さらに)付けなければ。ということで、今まではハードカバーの無地を使っていのだが、ソフトカバーの薄いものに変える。元々ハードカバー無地はプライベートでも使用しているため、仕事と混同していることもあったので、これでしっかり判別ができる。

それからリーガル日比谷店へ。今黒い革靴がなく、カジュアルな革靴ばかり履いているのだが、ひとつは持っていなくてはと購入。クリームも買った。

本当は家に帰ってからランニングをしようと思っていたのだが、タイムオーバー。いっぱいいっぱいの一日だったが、収穫は大きい。会社生活の鬱屈感を晴らすには、とてもよかったと思う。

海浜幕張について

2011年04月10日 21:10

先週末、縁あって海浜幕張を訪れる。とある理由で私は一時期この町に滞在していたのだが、「幕張ベイタウン」と諸々の建築群に関して注視して見ることができなかったため、再度改めて訪れたのだ。

幕張ベイタウンは1990年代にスタートした計画的な都市。詳しくはわからないが(ここでネットや本で調べないところが学生とのモチベーションの差だな・・・汗)、建物を設計する際にいくつかのデザインコードを作り、そのコードに沿って都市を計画すれば、計画の自由度を束縛せず、全体的な統一性のとれた街並みができるというもの(だった気がする・・・)。

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自分なりの論理を述べれば、この考え方は間違ってはいないと感じる。いくらモダニズムを批判したところで、構造主義を超えることは、我々にはできないように思う。故に、単一の構造(=デザインコード)によって生成された都市が、いかなるものかは見てみたかった。

実際に見た感想は、とても欧米的というか、欧米を模した印象があった。ところどころ切妻屋根で「日本風」な建物もあったが、全体的な考え方というのは欧米的だ。それについては良くも悪くも思わなかったが、街中に人が息づいていて、広くとった遊歩道をランニングするのを見ていたりすると、とても良い街のように思えてきた。

正直言って、この都市に関する感想はそれだけである。特に街並みが美しいかとか、都市計画的に「成功」しているかとか、そういうことは大して関心にはあがらなかった。単純にそこにいる人たちが生き生きしているように思えたので、まぁいい都市かなとなんとなく思ったくらいだ。

都市散策の途中、有名建築をふたつ見たので記す。

打瀬小学校 設計:シーラカンス

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日本初(だったか?)のオープンスクールをとりいれた小学校。土曜日だったが校舎も「オープン」だったので、建物のなかにこそ入らなかったがゆっくり校舎を見て回った。

それらしく(?)述べれば、まぁ小学校のプログラムに対し、有機的な造形を組み合わせることで内外がのびやかに広がり、複合的なプログラムの重層性を感じた。色彩もアクセントとして用いており、打ち放しコンクリートの外観に、豊かで秩序ある表情を持たせていると言ってよいであろう。

より率直な感想を言うと、どうも最近デティールに目が行くのですね。だから細部の納まりが気になりました。それからオープンスクールというものは基本的に私は賛成ではなく、その理由というものは(内田樹さん風だが)小学校は「社会的な束縛」を受ける場であると考えがあるからなのだが、建物内の教室を覗いてみると、しっかりカーテンで仕切れるようになっているのですね。なるほど、まぁこれならいいのかなぁと思ったりする。

それから、この小学校を子供たちがどう思っているか知りたい。多分別段意識して建物を見ているとは思わないが、「なんか変な小学校だったなぁ」と歳をとったときに同窓生と話題にあがるくらいのことがあれば、建築家が頑張った甲斐があるように思う。


幕張ベイタウンパティオス11番街 設計:スティーブン・ホール

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とてもきれいな建物だった。スティーブン・ホールらしい造形美も感じられるし、各住戸のそれなりに健康的な生活をしているように思えた(まぁあくまで外から見た感想ですが・・・)。

この建築に関しても、どうも建築的な感想があまりなく、この中庭を介して住民たちが何を思うのだろうとか、有名建築家の建物に住むことになった動機な何なのかとか、どうも建築そのものよりも、建築と人との「間」「すき間」に関心が行く。まぁそれでも見ておいて良かったかなぁとは思う。

なんか建築史研究者を目指す人の発言とは思えないが、どうも建物そのものよりもその周辺に関心がいく。まぁいいか。

「STARBUCKS COFFEE」という超均質空間

2009年07月04日 19:44

今日は午前中マックで勉強、午後はスタバで勉強。一級建築士試験まであとわずか。勉強勉強である。

スタバではいつもスターバックス・ラテのグランデを注文する。それで4,5時間過ごすのである。スターバックス・ラテを飲むと、台湾を思い出す。灼熱の台湾では、どうしたって冷たい飲み物と冷房が必要。ただ、地元のものはそんなに衛生的でないし、何より疲れをとるために食事で冒険したくないので、だいたいスターバックスに入ることになる。

マックも海外にあるわけだが、マックは治安が悪い地域では雰囲気が良くないし、汚い。それはひとつの文化的知見となるわけであるが、ただ休憩のときはサバイバルしたくないからな・・・

だから、私は日本でより、海外でスタバを利用している。そんな事実に気づくとき、スターバックスは、ある意味近代建築が目指した究極の姿だと思う。

近代建築が目指した究極の姿。それは零度の建築である。建築史家の藤森さんによれば、その究極体がミースの「バルセロナ・パビリオン」であるらしい。確かに、あれは凍れる音楽のようである。

ミースの均質空間は換骨奪胎され、世界中の(主に)オフィス空間として広まった。だけどそれはミースの空間ではない。ミース(の思想)なきミースの空間である。

ところがスタバは、明らかにSTARBUCKS COFFEEという空間を世界中にまき散らした。世界中に均質な空間をである。

私はその空間を週末享受している。とても快適である。しかしそれは、そこに日常がないから成立する。私の生活に均質空間は存在していない。


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