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岐阜建築探訪

2016年07月29日 22:01

本日、代休をとり岐阜方面へ。

まず向かったのは藤村記念堂。これについて、感想は別記。

それから、岐阜メディアコスモス。伊東豊雄設計。それほど興味があったわけではないのだが、名古屋から近いし行ってみることに。

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仙台メディアテークの抽象化されたスラブと柱の考え方から、台中メトロポリタンの空間自体が構造と交じるようなイメージを経て、より人間の皮膚感に近い建築を目指されたのではないかと、勝手に想像した。
たしかに、空間を漂うような気持ちよさというか、そこにいたくなるような快感がないわけではないが、それほど良いものにも思わなかった。良くはわからないが、例えば、完全なフラットな空間だけ用意し、そのなかに世界中の家具をちりばめた方が、より漂い、自由に場所性を獲得していくような空間ができるのではないかと思ったりする。イームズの考え方かね?

その後、近くにある羽島市役所へ。

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坂倉準三設計で、施工は良く聞く会社。これもせっかく名古屋から近いので行ってみたが、別段感動というものもなかった。でも、建設された当時を思うと、大地から立ちあがった自由な造形力は、市民にとって、何か勇気づけられるような力になったのではないかと、建築側としての期待を思わなくもない。ディテールなどみると、結構普通というか、今でいえばちょっと古い市庁舎のイメージ。でも、それらの原型を作ったのが彼らなのだろうから、今から見てみれば、ということでしかないかもしれないが、逆に、親近感を覚えないこともない。普通であることは、建築にとってとても重要なことである。いつの時代も普通であり続ける建築があれば、それは名建築だ。
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大きな建築を目指して

2016年06月04日 15:31

去年の12月より、苦心して設計し、監理した建物が竣工した。用途はトイレ。女性専用のトイレ棟である。元々別の用途の遊技場を設計していたのだが、施主より、追加注文でトイレ棟を建てることになった。

施主からの要望は、トイレの個数とステンドガラスを使うこと。それ以外は、配置計画からプラン、外装に至るまで、こちらに委ねられた。施主より、個人的に私に依頼があったことと、小さな建物であるが故、社内でも、ほぼすべて自分の意志でものを決定することができた。(実際には、工程がなく、現場から施工図も十分にあがってこなかったため、上司に承認を取る余裕がなかったということもあるが・・・)

「ステンドガラスを使う」という施主要望は、「女性が来たくなるような空間」ということを意味しているようで、そのために、どこにでもあるような無機質なトイレではなく、何か惹きつけるものがなくてはならない。また、男性が主体となり、大きなエンジン音と共に遊ぶ施設のなかで、静寂な空間が必要だと思った。それらのイメージから、擁壁で他と縁を切り、小さな坪庭を設け、地窓を介し内部空間と一体となるようなプランを作成した。

しかし、小規模な平屋である上に、ステンドガラス(風)窓、木を使用した円弧窓や壁から片持ちのベンチ。うねる天井に枯山水の庭など、通常よりもコストアップとなり、当初施主は抵抗した。しかし、施主と個人的な対話のなかで、私の考えに賛同頂き、コスト高だが、この案でいくと言ってくれた。その後は「あなたがそう考えるなら、それで良い」と、ほとんどの物決めは、こちらで意志に委ねてくれた。逆にいえば、失敗できない状態になった。

現場がゴタゴタし、設備設計がこちらの空間意図を理解してくれないこともあり、小さな空間であるのに、かなり手間がかかった。社内では、別の大型案件が動いており、この小さな仕事に精を出すことは、雰囲気的にも許されないものがあった。週末や外出先で、出来るだけ一人の時に空間を詰めた。

5月末竣工に向け、急ピッチで工事が進むと、当初自分の意図した空間が成立しているか不安だったが、段々とグッとくるものがあった。しかし、現場は仕上げに入る前あたりが、もっとも美しく見えてしまう傾向にある。それゆえ、仕上げ段階でも気を張り、方向がずれないよう注視し続けた。

内装ボードが貼られ、各所塗装が、クロス貼りが進むと、やはり、何となく違和感を覚えた。確かに、想像した空間通りであるし、むしろ、奥行き感等は想像以上なのだが、何か腑に落ちない。やはり、人口建材では、空間が軽くなってしまうのだろうか。自分で撮影した写真を時々見ながら、色々思案した。

施主検を迎え、ほぼ完成の時、私は何度も自分で設計監理した空間を体験しては、その意味を探していた。当日、私はふと想い、茶碗とリンゴの置物を持参した。飾棚に茶碗をおいてみたのである。

すると、一気に空間は完成した。

開け放たれたドアを閉め、一人枯山水の庭と共にベンチに座ると、この空間が初めて成立したことを知った。これはしびれる感覚だった。化粧室は、少し無機質に思えたので、リンゴを差し色で添えた。

この建物に入る人のリアクションは人それぞれである。「なんじゃこりゃ」とただ驚く人もいれば、「料亭か」という人もいた。私に対し「ポルコさん、侘び寂びっすか?」という人もいれば、木の円形窓をみて「船の船客みたい」という人もいた。女性の一人は、私が選んだ飾り窓を「かわいい」と言ってくれた。その逆に、「金かけ過ぎでは?」という人もいたが、誰でも何かしらリアクションがあった。そして、リアクションがなかったのは、私の設計上司達であった。その理由はわからない。質が悪いと感じたのか、或いは、別世界であり評価軸に乗らなかったのか・・・。

施主のキーマンは大喜びしてくれた。「ポルコさん、やってやりましたねぇ!」と言ってくれた。しまいには、何か絵をかけたいから、どのような絵をどのようにかければ良いか、相談に乗ってほしいと言われた。この案件は、丁番一つまで気を使ったが、まさか施主の備品まで決めることになるとは。

茶碗を置いた時思ったが、私が建築を思考出来る範囲は、きっとここまでなのである。茶碗ひとつまで思案できる空間、それ以上になると、自分の許容範囲を超えてしまう。それは、きっと小さい空間なのだろう。でも、これまで関わった建物で、これほど、一人ひとりが感想を持ち、何かしら語ってくれることはなかった。石や木も、僅かながらささやいてくれる。

私にとっては、それはとてもとても、抱えきれない程大きなことである。

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ロバギターさんの窓

2016年03月27日 21:04

ロバギターさんの窓。心身ともに、疲労困憊の金曜日の御殿場。仕事をさぼって、少し休憩。女将さんの人情もあり、とてもほっとできる、温かい場所だった。そのなかで、建築的に惹かれたのは窓だった。出窓。出窓で、素敵な本が置かれている。

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どこにでもあるような「昔風」の窓なのだろうけど、雨が降り出した外の風景を見ながら、人間と自然の境界を優しく包み、居心地が良かった。
こういった窓を作ってみたい。建築家に、できるかね・・・?

エッセンスの再現

2015年09月06日 21:10

京都に行った際、ふと、空白の時間に素敵な時間を充填すべく、とらやへ行こうと思うと、なぜか京都の見習いさんも行きたいと思っていたということで、訪れることに。

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内藤廣の建築というものは、どうにもわかりづらい。要は、「はい、ここで写真撮ってください!」というようなポイントがないのである。写真と実際の建築も、ずいぶんと印象が異なる。だから、何というか、感動しながらも、言葉で表現しづらい。

でも、この建築は良かった。素直に良かった。それは、縁側だった。自然環境と人間の境界をコントロールするための建築的装置が、ここにはあった。それは、風のイエの理想としたものでもあった。

最近思うことは、これまで当たり前にあった環境を読み取り、現代で継承していくことほど、難しいことはないのではないかということ。モダニズムは、常に新しい概念を提唱した。それは、科学の進化と、ある一部の人のとてつもない才能によって開花したのかもしれない。安藤忠雄も、創造とは辛い仕事だと、どこかで発言していたと思う。ただ「新しい」ということは、「これまでの環境とは異なる」という免罪符にもなる。これまでの環境としてのエッセンスを、改めて「再現」できなくても、それは問題とはならない。これまでの環境を「刷新」することこそが「建築」としての役割だったからである。

内藤廣の建築は、その再現に挑んでおり、しかし必ずしも成功していない。いや、成功したとしたら、それはむしろ透明なものとなり、そもそも評価することすら不可能かもしれない。

これは社寺の設計をするなかで、周囲の設計者との差異を感じながら、改めて発見したことである。近代建築家(これは当然、現代の我々も包括してしまう)は、刷新することを前提とする。私は、そのことに、今あまりにも興味を抱いていないことを知った。

環境のなかに潜み、再現しようとするものを「エッセンス」と表現したが、これはルイスカーンの言葉だったか。いや、Yくんだったかもしれない。そんなことを考えていると、社内人事に盛り上がる飲み会では、どうしても彼らの言葉が遠くに聞こえてしまう。

いつか、建築になることを願って

2015年08月23日 18:02

社寺案件の設計を始めると、様々な変化を感じる。

例えば、社寺建築を作る上では、一番重要なのは仏様や法事といった行事、作法であり、そのために似つかわしい意匠である。意匠なのだ。施主打合せも、社内打ち合わせも、意匠性の問題となる。これは私が想定していたことではあった。今の時代、空間の意匠性が生きるとすれば社寺だろう、と。

ただ、そうすると色々と問題はあり、畑違いの人(大体の建築関係者はそうだろうが)においては、「興味がないか、何を正としてよいかわからない」とし、あまり口を出さない人もいれば、「そもそも伝統的意匠は好きではない」ということで、モダンな構成にするよう話をされたりもする。「モダンな構成」というのは色々とあるだろうが、軽快な意匠と言うことであれば、鉄骨の構成となりやすい。鉄骨造というのは、行ってみれば、表皮をパネルで覆うわけで、そのパネルは、基本的な反復可能な人口建材なのである。

基本的には、そうした建築は好きではあるし、他の用途で設計する場合は、意図的にそういった線や面の構成で外観を形成したりするが、現在担当している社寺建築においては、それは避けたくなってくる。

数寄屋造り風の意匠では、線材で繊細な構成をすることはあるが、今回はそういった建築でないということもある。ただ、私は想像するのだ。鉄骨で頑張って跳ね出し、構造的な工夫をしてところで、では30年後、50年、100年後、その建築は残っているのかと。

未来がどうなっているかなど、私にはわからない。ただ、これまでの建築をみれば、それは、「建築家好み」の繊細な表現よりは、どっしりとした無骨な印象でも、時間とともに風合いを増し、手で触りたくなるような表層をまとった建築の方が、長い間人の手に触れられ、残っていくのではないかと・・・。

いつかの上司(それは、私が尊敬する人であったが・・・)は言った。結局、我々に残るのは竣工写真のみである、と。そのために、竣工写真をフォトショップで加工したり、「美しかったであろう私の建築」を残そうとする。逆にいえば、竣工後は不具合さえなければ、もっといえば、不具合があってもそれを施主が文句を言わなければ、後のことは関心なしと、考えたりもしそうである(それが身近にある建築であれば、そうではないだろうが・・・)。

考えてみれば、「近代建築家」とは矛盾だらけだ。世界で最も必要とされる建築を作ろうと志しながら、それは再生産される(或いはされた)運命にあり、市場の流れの中では、消えていくことを望まれる。

私は、この建築の設計をしながら、竣工時のことではなく、50年後の事を考えている。私が生きているかわからない、いつかのことを考えている。


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